昨日の衆議院本会議で生活保護法一部「改正」案が共産党と社民党を除く諸政党によって可決されました。衆議院での審議は2日間のみ。本会議では討論抜きで採決。しかも野党である民主、維新、みんな、生活の4党もそろって賛成に回る、というしゃんしゃんぶりでした。まさに翼賛政治ここに極まれり、を絵に描いたような状況です。
生活保護法はそんなにも生ぬるく、ムダづかいと言える状態だったのでしょうか。保護費受給者に不正な受給者や怠惰な生活ぶりの人がたくさんいる、とでもいうのでしょうか。
生活保護法の精神は憲法第25条に基づく、「無差別平等の原則」と「必要即応の原則」が基本であり、改正案はその精神を否定するものではない、としながらも、その原則を無視するものとなっています。現状でも、窓口で申請の意思を示しても申請書用紙を渡さないとか、申請にいちゃもんをつけて受理しようとしない、という問題が各地で起こり、「水際作戦」と言われていますが、改正案ではさらに一歩踏み込んで「水際作戦」を当然の措置として制度化し、申請書提出を義務付ける規定を新たに設けています。さらに、福祉事務所に扶養義務者に対する調査権限を付与し、扶養義務を果たしていないと判断した場合には、現行では保護開始の要件とされていない「扶養義務者に対する通知」、をあらたに義務付けています。このことがどれだけ申請者を傷つけ、追い詰めるか。親族には知られたくない、と申請を断念するケースが相次ぐことは容易に想像できます。
昨年だったか有名芸能人の親が保護を受けていた、ということでバッシング騒動がありましたが、このあたりから急速に生活保護に対する締め付けや風当たりが強くなってきました。しかし、生活保護という制度は、どんなにがんばろうとしてもどうにもならない人にとっての最後の命綱として、世界各国でおこなわれていて、日本が特にゆるやかとか甘いとかという状況ではなく、むしろ利用者は少ないし金額も少ない、と言われています。
そしてなにより、保護を受けることは恥ずかしいことでもないし他の納税者からのお恵みで生きさせてもらうということでもありません。それをいうなら、国民が商品を購入することで利益を得る企業は、国民によって養われている、ということで、庶民よりも低い水準の生活をしろ、というようなものではないでしょうか。お金は天下のまわりもの、とはよく言ったもので、一生懸命生きていれば、生活保護も憲法で保障されている「生きる権利」として下を向かずにうけとっていいはずです。そのような状況下にある人々を邪魔者や怠惰者呼ばわりして攻撃する一部の人たちを世論であるかのように利用して制度改悪をする今の政治は、どうしても野放しにすることは出ません。 「この子においしいものを食べさせてあげたかった」と書き残して餓死した親子のような悲惨な出来事を、ささいなことと心にとどめないような不感症の日本人であってほしくない。日本人のひとりとして、このような親子を二度と産まない国づくりをめざすのは当然だと思います。
夏になると毎年このあたりで出没するカニ。今年もいました。山から海に下る道路の崖に設けられている排水の穴を棲家にしているようです。
きょうの1曲は、私の怒りをあらわすようなハードなロックのグループ、ヤードバーズの演奏で「トレイン・ケプト・ア・ローリン」。冒頭のハーモニカの音がすっごく好きです。
The Yardbirds - Train Kept A Rollin' (1968)