須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

俳句革新の功罪─『ぶるうまりん』13号の特集 text 187

2009-11-12 02:22:41 | text
11月9日(月)、日本の主要な俳句団体の一つ、G協会(東京都千代田区)への所用により、午前中から自宅を出る。大磯と平塚で用事をすませ、JR平塚駅から東海道線に乗車。二通りある交通経路のうちの一つ、新橋駅から地下鉄「銀座線」に乗り換え、末広町駅に行く。そこからは、数分でG協会に着く。ある俳句書籍刊行のためのデータ原稿がすべてそろったので、同協会で装丁家G.N氏と編集(装丁)打ち合わせをすませ、その場で全データが収録されているCDを渡す。ここに至るまで、仲間とともにいささか苦労したので、少し安堵感が出たのも、しぜんの成り行きであろう。とはいえ、むしろ編集の本番はこれからである。校了になるまで、いっさいの油断は禁物だ。

その後、御徒町駅方面に歩き、アメ横へ。(写真参照。)お目当ての有名な万年筆ショップTに行くと、女性店員がデルタの高級万年筆、あの魅惑的なオレンジ色をした「ドルチェビータ」を磨きながら、あれこれと話をしてくれる。デルタは1982年創業のイタリア万年筆のトップクラスのブランド。浅い歴史ながら、意欲的な開発が功を奏し、高級筆記具メーカーとして、今や大変な名声をもつに至った。渚の人はイタリア本国で買ったアウロラの万年筆を時々使用するけれど、このデルタのものを所持してもいいと思っている。どうせ購入するなら、世界限定2500本という、超高級万年筆であるデルタの「青の洞窟」あたりが狙い目。しかし、残念ながらその万年筆は、店内のどこにも見当たらない…。(未熟な探し方のためかもしれない。)

御徒町駅から御茶ノ水駅まで電車で行き、そこから神保町の古書街をのぞくことにした。同じビル内にある三省堂の古書館と古書モールを、少し時間をかけて見たせいか、午後5時をとうに過ぎ、はや窓の外は真っ暗である。思い立って、元G社の某編集部門で一緒に仕事をした、N.O氏の経営する古書店「いにしえ文庫」(詳細はtext 129「重力の思想を超えよう」に紹介ずみ)に行くと、何と珍しく店主が店にいるではないか。ジャズの好きなある老人から、2000枚近くのCD販売を委託されたというので、速攻で新品同様のケニー・バレル(ギタリスト)のアルバムを探し当て、その場で2枚購入した。<BLUE  MOODS>(1957年録音/サイドメン省略)と<GOD BLESS THE CHILD>(1971年録音/サイドメン省略)である。すっかり夜の帳が降りた神保町を、その後二人で歩き、著名な居酒屋「あおと」と「兵六」に行って、親睦を深めたのはいうまでもない。

じつは11月13日(金)から同15日(日)まで、渚の人は、第14回「草枕」国際俳句大会(熊本市ほか主催)の選者のために、熊本に出張する。すでに事前作品は選をすませ、講評も書いて事務局に送稿しているけれど、当日作品は行ってその場で選をしないといけない。すべての公式行事が終わっても、親交のある熊本の俳人から、自分たちの句会に出ないかと誘われている。もしそれが実現すると、観光は又の機会ということになるにちがいない。熊本出張の前に『ぶるうまりん』13号(12月刊行)の約100ページ分の編集を、スタッフの協力を得ながら大車輪で行い(10日と11日)、これは、お蔭様でおおかたメドがついた。特集は「俳句革新の功罪」。19字70行の「編集後記」も書き上げ、ホッとしている。

『ぶるうまりん』13号の内容の詳細は、本誌を見ていただきたいが、幕末から明治にかけての俳諧(俳句)動向に詳しい専門研究家(女性)にもご執筆いただき、また渚の人は社団法人日本ペンクラブの「電子文藝館」のために執筆した、「現代俳句の起源」(400字約60枚/2009年6月発表)を、同事務局のご許可をいただき、転載することにしている。さらには11月1日に大磯で、「俳句W,W.W.」の後続として「ぶるうまうんてん歌仙」が立ち上がり、幸いこれが好評であったので、手前味噌ながら、小会「ぶるうまりん俳句会」は勢いづき、燃えている。しかし「歌仙」(連句)はなかなか難関なため、相当勉強を行い、試行錯誤を繰返しながら、地道にステップを登っていくしかない。大事なことは、「歌仙」(連句)と俳句が、相乗効果で上向くことだろう。だとすれば、当たり前のことではあるけれど、渚の人も含めて連衆すべてが、やはり二倍三倍の努力を惜しむべきではない。何にせよ、道は決して平坦ではないのだから…。

うくすつぬふむゆるうとうとうげふゆ  須藤 徹