ブルックリン横丁

ブルックリン在住17年の音楽ライター/歌詞対訳者=渡辺深雪の駄ブログ。 そろそろきちんと再開しますよ。

121:「生きてるぜ。」

2005-04-29 | ブルックリン横丁
ジャマイカに行ったっきり帰って来てないんじゃないの?という噂ですがちゃんと家におります。全然ブログの更新も出来てないししっちゃかめっちゃかなのですが生きてますんでご心配なく。にも関わらず毎日立ち寄ってくれている皆様(カウンター見てビックリしたよ)ありがとう。ミッシーのインタビューも最高だったぜ。色々と考え中のことが盛りだくさんなのでカタチが見えてきたらまたここで報告いたしやす。そろそろ夏の里帰りの予定も立てなきゃならない時期だしな。

120:「ジャマイカ行ってきま~す。」

2005-04-16 | ブルックリン横丁
怒濤のような〆切群を片付けて明日からジャマイカに行ってきま~す。ミッシーの取材だよ。彼女はどういうワケかいつも海外メディアをカリブの小島に集めるのが好き。前回はプエルトリコだったのだが(リル・ジョンが結婚式を挙げたリゾート・ホテル)今回はモンテゴ・ベイ。10年程前、付き合い始めの頃に旦那と二人で行ったっきりだっぺよ。懐かしいのう。ホントは太陽と旦那も後で合流するハズだったのだが都合がつかず残念。ま、ぱぁ~っと遊んで…おっと仕事してくらぁ。ヒヒヒヒ。。。

118:「マライア&リル・ジョンライブ2本立て!死んだ!」

2005-04-13 | ブルックリン横丁
朝8時のタイムズ・スクエアでのマライアのライブもきっちり見てきたよ。今朝のスポーツ新聞の朝刊にそのレポートが掲載されてるはずなので親戚友人縁者の皆様是非チェックしてみてね。ワシが書いた原稿をベースに各紙のベテランライター諸氏がそれぞれの媒体カラーに合わせて演出してるらしいので楽しみ!東スポとかどうなってんだろう~。
今朝同行したフォトグラファーも初顔合わせながら頑張って世界各国のパパラッチを尻目に堂々ステージ前を占拠、何とマライアの目線ゲットした貴重なショットをここで。ていうか多分コレ世界のどこを探してもココだけでしか見れない写真のはず。クレジットはDamian Castro。

早朝ライブが終わり帰宅したのが午前10字半、日本時間の翌朝の朝刊に間に合わせるためにギリギリの〆切までもう30分しかない!ライブ会場近くのスタバでデジタル画像を日本に送信中のフォトグラファーと連絡を取り合いながら30分で1500字のレポートを書き上げた後、scawaiiのBガール特集の最後の原稿も入稿。DJカオリのカッコいい発言が爽快。さすがにここ数日まともに眠っていなかったので1時間ほど死亡、起きたらもうリル・ジョンのライブのプレス受付の時間。今度はオヤZに連絡を取って無事に入場…と思いきやワラワラとリル・ジョンと仲間達が登場。カメラの設定もそこそこにまたまた世界のパパラッチと戦いながらパチパチ。30秒程でリル・ジョン一派は楽屋へ消え、ライブ開始まで時間が余ったのでマライアのインストアを覗きにNOHOに出来たBest Buyへ。しかしそこは戦場、今朝のライブでシケた写真しか撮れなかったと思しきクルー達が執念の場所取りを早い時間から続けていたらしく、呑気に予定時間に登場したらものすごいことになってた。オーストラリアのライターでありマイ・ホーミーのアッシュとしばらく雑談しながら見ていたがNYPDに急かされ止むなく退場。とぼとぼとリル・ジョン会場へ戻る。…この後のレポートはまた今度。もう寝ます。

117:「ブログ中毒?」

2005-04-12 | ブルックリン横丁
何か色々〆切抱えててんやわんやの癖に更新しないと落ち着かなくなってきたこのブログ。こんな私って異常かも。もしかしてここを読んでるかもしれない編集部の皆様にはすっかり手のウチを見せてるも同然なんですけどね(汗)。この場を借りてお詫びしつつワタナベいっぱいいっぱいで頑張ってるんであとほんのちょっとだけお付き合い下さいませ~。

今日は今日で急遽決まった明日早朝のマライア@タイムズ・スクェア屋外ライブの撮影取材のコーディネイトに加え、ひょっとしてひょっとすると実現するかもしれない某大物アーティスト(金歯と雄叫びで有名)との取材交渉の最終局面で大わらわ。これが実現しちゃったら明日は今まで生きてきた中で一番濃ゆ~い日を迎えることになるであろう。こういう交渉~詰めの作業って電話とメールの攻勢だけに見た目は地味だが実は取材自体よりも難しかったりするんだよね。何か決まるまでは何しててもスッキリしないし、何となく他のことに腰を据えて集中できず時間だけが過ぎていくことも多し。

ちなみにマライアはNOHOに新しく出来たBest Buyでインストア・イベントを決行するとのことよ。明日火曜日の夕方7時だそう。NY在住のマライア・ファンは足を運んでみてはいかがでしょ。

じゃ、仕事に戻りマッスル。

116:「ホント申し訳ない!!」

2005-04-09 | ブルックリン横丁
いやー、たまには手の込んだディナーでも作ろうかね、とか思ってオックステイル(牛のしっぽ)シチューの煮込みを始めたんだが、料理用のワインが切れていたのでお歳暮で貰ったっきり寝かせておいた(忘れていた)メルローがあったのを思い出しドボドボドボ~。味見のつもりで飲んでみたら何か今日の体調に見事にマッチしちゃったよ~。冷蔵庫からチーズをひっぱりだし、これまた棚の奥に放置されていたクラッカーまで出してバクバクゴクゴク…。ワインとチーズって微妙にウマいと思う時と「ビール持ってこいビール!」とか思う時とバラバラですが今日はビンゴ!これから太陽を幼稚園に迎えに行かにゃならんし仕上げなきゃならん原稿も山ほどあるのだが母さんかなーりイイ気持ち~。アハハハハ~。

115:「楽しい季節になってきた」

2005-04-09 | ブルックリン横丁
昨日から一気に春めいてきました。水仙もレンギョもいいカンジに咲き誇り、マグノリアも一斉開花でございます。泣く子も黙るNYの冬を越えて迎える春は感慨もひとしお。街路樹も黄緑色の新芽に覆われ、通り全体の色彩がガラリと変わるのもこの季節。

今までは学校から帰宅しても家の中で遊んでいた子供達が外に出て来るシーズンでもあり、昨日は放課後のクラスや習い事を終えた子供達が一斉にブロックに集結、久々の”リユニオン”に大はしゃぎ。3歳から11歳まで、年齢も性別も人種も入り乱れて遊び惚ける子供達を見るのは実に心踊るひとときでありました。母親どうしも階段前に集まって近所の新しいレストランの話やら何やら久々の世間話にうつつを抜かす。小さい頃から父親の転勤で引っ越しを繰り返して来たワシのような人間にとって、こうしてやっと腰を落ち着けて暮らしていく「地元」という感覚は格別なのだ。これから駆け足で過ぎて行くこの気持ちの良い季節を、ここで愛すべき家族やネイバーズや仲間達と一緒にまた楽しく過ごして行きたいなぁ、と妙に爽やかなことを考えてしまうほど素敵な一日だったのでした。ちゃんちゃん。

114:「メンフィス・ブリーク取材」

2005-04-08 | ブルックリン横丁
マーシー(田代じゃないよ)が誇るハンサムMC=メンフィス・ブリークの取材に行って参りました。ジェイーZの影に隠れがち、というか親玉がビッグすぎていつまでたっても第2の男的イメージがつきまとっている彼。でも無理矢理頑張って「こっちも見て見て見て!」光線を放たないところが好感大。っていうかイケメンだから何しても許す。会ったのは5、6度目くらいだがいつも満面の笑みでフルコース挨拶してくれるラッパーなんて珍しいっすよ。ステージでも黄色い歓声が飛びまくるのも頷けますな。(ってコトを突っ込んだら「どういうワケか俺のアルバムはいつも男臭いのにファンの殆どはオンナなんだよね」と首をヒネっていた。確かに。)至近距離でじっとり見てたら、ドゥーラグの縫い目がおでこの真ん中で裂けてるのが気になって気になって仕方が無かったよ~。キツく結びすぎ?

新作のタイトルは『534』、自分が育ったマーシー・プロジェクトの部屋番号だそうよ。音を聴いてビビったね。いつもより相当ハイプ&エナジー満点、一通りのサクセスを得てもなお湧き出るMCとしてのハングリーさ。色男!ファースト・シングルはスウィズ・ビーツの「Like That」。アゲアゲです。その他主なプロデュース陣はお約束のジャスト・ブレイズ、ジェイつながりで9thワンダー、あとアーヴ・ゴッティが素敵なレイドバック・チューンを。(ブリーク曰く「レイディーズ向けにやってみた」そう。イヤーン?)ゲストはジェイ、そしてMOPなどreppin BK to the fullestな人選。またまたベッドスタイのアンセム登場かね。今度確認してくるね。

なお、Gameをはじめとする一連のビーフ、っていうかこのビーフだらけのラップ界の世相について言及した「Hater Free」なるトラックは注目です。アンタ若いのにオトナやね~。やっぱりジェイとかとツルんでると賢くなるのかね~。

113:「春なのに」

2005-04-06 | ブルックリン横丁
これからメンフィス・ブリークの取材ですがその前にさくさくっと。

NYは完全に春です。クロッカスに水仙、ヒヤシンスがキレイ。これから桜も咲くしね。昨日はようやく重い腰を上げて庭掃除。5階建ての我が家よりも背の高い樫の巨木が庭にあるので落ち葉の量がハンパない。一冬放置した落ち葉の下にはでんでん虫がいっぱいいて太陽も喜ぶ。芝の手入れもせにゃならんし忙しいシーズンの到来ですな。

で、その後久々の庭仕事で身体のあちこちが痛くなった夜更け、窓の外から絶叫が。数軒隣に住む巨体レズビアンが「強盗にやられた~!」「犯人は銃を持ってる~!!」と。こうやって近所中のヒトの注目を集めることによって逃げる犯人の目撃者を増やそうということだろうけど。賢いね。まんまと各家の窓には身を乗り出して外を見る人々の姿が。それよりビビったのは5秒後にはうちの義姉(喋り出すと止まらない)が事件の全容をしっかり把握して我々にレポートしてきたこと。その情報収集能力っていうかゴシップ能力をカネに出来たらアンタはミリオネアだよ。まーそれは言いとして、どうやらやはり犯人は銃を持っていて、いきなり後ろからその巨体の彼女に突きつけて強盗したらしい。

私の知る限りではこのブロックでの路上強盗事件は99年に引っ越してきて以来2回目。数年前に夜中に家の前の階段でタバコ吸ってたら、いきなり路駐してあったクルマの窓ガラスを割ってカーステとか色々盗み出し、それを近くに停めていたバンの中に放り込んで逃げて行ったコソドロ3人衆を目撃したことはあったけど。あ、それからフォクシーの実家に押し入りが入ってTV中継がスゴいことになったコトもあったな。フォクシーのママがガムテープで口封じをされ、犯人が2階を物色している間に逃げ出して警察に通告したというドラマが。

今回の事件は最近地代の急高騰により店じまいを余儀なくされた元ボデガ(ドミニカン経営の街角デリ)の跡地付近で発生した。このブロックで20年も開店していた彼らから私も太陽も怪しいスペイン語を教わったり、バチャータ(ドミニカ大衆歌謡。全部一緒に聴こえる)のイロハを教わった(でも全部一緒に聴こえる)。タバコを買いに行けば「もう辞めろ」と説教され、家に誰もいない時には郵便物を代わりに預かってもらったりしていた。品物の値段が安い訳でもなけりゃ気の利いたグッズがある訳でもないが、夜遅く帰宅する時とか、店の前の電灯がともっているとちょっとホッとしていたのだ。初めてこのブロックに足を踏み入れた90年代初期当時はボデガ前にたむろってるサグ達が怖かったが、ここに住むようになってからはエリアの地価上昇と共に警察のパトロール頻度も増し、サグ達の数も少なくなった。それにフタを開けてみりゃそいつらは皆このブロックで旦那と生まれ育った幼馴染みなワケで、一度旦那を介して面通しされた後は、夜中に彼らの姿を見ても安心することこそあれ、危険を感じたことは一度もなかった。夜遅く一人で歩いている時とか、家の前までボディガードしてくれたり。ここ数年でブロックの住人の顔は一変してしまったし、新顔のヤッピー達はどのサグがどこの誰で、なんてことは理解しているワケがない。だから彼らがたむろっていると一様にビビりあげて警察を呼ぶ。本当は彼らこそがこのブロックをレペゼンし、よそ者のサグの勝手を許さぬ頼もしいセキュリティだってのにさ。

そんなサグ達の拠点だったボデガは撤退し、あるレストラン経営者がリースを引き継ぎフレンチ・ビストロを新オープンするらしい。しかし工事は一向に進まず、夜になればそこの一帯は真っ暗。このブロックで産まれ育った、イカつい顔をしたサグ達もどこかへ行ってしまった。で、昨晩の事件、である。

うちらだって大家業をやってるワケで、家賃を滞納するタチの悪いテナントは嫌いだ。市場価格に合わせて家賃を値上げすることもたまにある。だから一概にデベロッパーの価値観を批判するワケにはいかない。所詮ビジネスとはそういうモノであろう、とも思う。だけどこのボデガの場合は、ただの街角デリ以上の意味があったのだ。コミュニティの核、っていうか。そんなこと、デベロッパーや不動産会社はクソも気にしてないんだろうな。

そのボデガの閉店が決まった時、近所に住む水彩画家が彼らの店構えをそれは緻密に再現したイラスト画を描き上げ、それがカードになって近隣の住人が寄せ書きをした。発起人となったアクティヴィストのパティに、イラストのコピーを売ってくれと申し出ていたのだがあれはどうなったんだろう。手に入ったら額に入れて部屋に飾りたいと思っている。

112:「祝・太陽入園おめでとう」

2005-04-04 | ブルックリン横丁
土曜日に太陽がロングアイランドにある日本人補習校の幼児部年長組に入園いたしました。なのに入園式当日はどしゃ降り。うちの近所からスクールバスの送迎が出ているという便利さだけでこの学校に決めたのだが、ブルックリン発マンハッタン&クイーンズ経由というルートのため朝がちょー早い。始業は9時なのに乗車は7時40分。うちからクルマで直行すれば30分で着く場所にあるのだが。これから毎週土曜日、弁当を持たせてしっかりバスに乗せなきゃいけないと思うと気が遠くなりそうだ。もうフライデーナイトのウキウキ感とはおさらばかよ。チェっ。しかも高等部まであるんだぜ。本人のやる気次第ですが。

ブツブツ言いながら初日の土曜日、やっぱりどしゃ降りの中を親子3人すし詰めの黄色いスクールバスに乗る、と考えたら何か辛いものがあったのでタクシー呼んじった。30ドルくらい。

学校はこっちの公立小学校の校舎を借りて運営されている。幼児部には配布されないけど、初等部からは日本で使ってるのと同じ教科書が配られる。入園式はベタな日本風。あのピンクのティッシュで作るヒラヒラのお花をつけたアーチを父母や在校生が持った下を新入生がくぐって入場とか。新入生のあいさつ「ぼくたち」「わたしたちは~」って、可愛い日本の新1年生がマイクを交互にやりとりして、とか。太陽が入った年長組も壇上に整列、「まぁてぃるたいようくん」との先生の呼びかけに、ユル~い感じで右手をあげてニヤニヤしながら「は~い」と答える太陽。

教室では真新しいぺんてるのクレヨンやらマーカーだかが配られ、「ペンにもフタにもひとつひとつ名前をつけるように」とか、来週から用意してこなければならない鉛筆の太さだの芯の柔らかさだの、久しぶりに日本のきめ細やかな団体学校活動を思い出させる瞬間だらけ。図書館で本を借りる時に持参する図書バッグのサイズとか。市販のモノでも可、とはいうが日本のママ達は手作りすんのかな?子供がいない頃はそういう話を聞くと「ぜってーやってらんねぇ」とか異様に反発していたものだが、子供が出来てみると「そうやって甲斐甲斐しいママっぷりを楽しむ時期があってもよかろう」とか思っちゃうようになるから不思議だねぇ。そういや太陽が産まれた頃に何を思ったか日本からミシンを取り寄せたこともあったワシ。結局はカーテン縫ったくらいで全然活用してなかったけどようやく出番か!?うへぇ~。アップリケとかつけちゃうのかな。

クラスメイト20人のうちやっぱり殆どは100%日本人のオコチャマ。混血キッズは少数派。家庭で日本語を喋っているコは当たり前に日本語が出来るし太陽もその辺は感化されたりすんのかな。でも早速隣に座った日本人の男の子と「おしっこピ~」とか言いながらふざけていたので問題は無さそうだ。最近は勝手に電話に出て「ぼくのおかあさんまだねてるよ」とか余計なことまで言うようになったしさ。

それにしても週に1度の補習校にしては運動会やら七夕やら餅つきやら書き初めやら行事が盛りだくさんなのが素晴らしい。しかしつまりそれは父母会だ何だ保護者の協力の元に成り立っている訳で。さらにうちは旦那が日本語を喋らない…てことはワシかい。早速父母会の係決め、っていう流れになり、すっかり「何か一つは係仕事を選ばなきゃならない」ものと勘違いしていたワシ。何を思ったかいきなり勢いよくバザー係に手を上げてしまった。後で全然そんなに張り切らなくても良かったことを知りガックシ。しかしやるとなったらこだわりますよ。もう、バザーのお約束、手作りティッシュケースだの何だの、馬車馬のように夜鍋でチクチク手作りさせて頂きます。嘘。

帰りのバスには乗車したがまたアレですね、こっちのスクールバスって初めて乗ったけど味気ないモンなのね。インテリアは灰色で。終業時刻は12時45分。めちゃめちゃ腹が減る。これから太陽は土曜のランチはバスの中で弁当か。でもホーミーの世界もいるし、うちの2軒隣のお兄ちゃんの次元くんもいるし楽しくやってほしいもんですわ。っていうか太陽のために作ったおにぎりと唐揚げ、ワシも旦那もあんまりにも腹が減ったのでむしゃむしゃ食っちゃった。そしたらしっかり数を数えていたらしく「減ってる!」と怒られた。ごみーん。そしてようやく家の近くの停車場所で降りようとした瞬間、太陽の手を引いたままずっコケちゃった。7センチヒールは雨に濡れたステップの前に屈するのみ。指から血が流れるわ、あちこち痣だらけになるわでもう散々…。何か前途多難な予感。気合いだ気合い!押忍!

111:「怒濤の木曜日」

2005-04-02 | ブルックリン横丁
奇跡はあと少しのところで逃したが、それでもギリギリにネジ込んだ取材予定にしてはかなりの成果だったかな、と。まずはscawaiiの「Bガール伝説」(仮)特集用のミサ・ヒルトンの取材/撮影。予定時刻より1時間半遅れて現れた彼女はまだミーティング中。何でも親しい友人が経営しているという毛皮会社の新ショウルームの建設現場の下見。流れで私とオヤZまで同行。ただでさえ薄曇りの中、どんどん日が落ちて行くので屋外撮影が危うい。うーむ。すぐ後にピットブルの取材/撮影が控えていたのでミサとのインタビューは後日(今日だ)に仕切り直しということでさっさと撮影。っていうか日本人の血が半分は言っているはずなのに全然見えないね。往年のプラチナ・ブロンドは影を潜め、センスのいい黒髪+毛先だけブロンド。ファッションもさすが。いちいち小物やベルトのバックル、ネイルの色にしても「そこら辺では見かけない」センス。子供を3人産んであのスタイル(体型だけじゃなく)をキープするのは容易なことじゃなかろう。…まぁP・ディディからたっぷり養育費を貰ってるワケだからカネなら幾らでもあるだろうけどさ。キモラ・リーにしてもミサにしても、一部の女性陣からは「実力じゃないわよ」とかやっかみ半分の突っ込みが入りそう(しかもそういうこと言ってそうな女の顔が約数人、容易に思い浮かびます。)ですが、玉の輿とは女の成り上がりの王道コースなワケで。まぁキモラは既にラッセル・シモンズが億万長者の時に出会ってるワケだからゴールドディガーと呼ばれてもいたしかたあるまい。しかしミサはまだパフィーがこの業界でのし上がろうと野心を燃やしていた頃からの付き合いなワケだ。(まーその辺のゲトーのサグと付き合うよりは上昇志向に溢れる彼氏の選択だとは言えるが)先物買い、青田買いの明があったということで個人的にはキモラよりも断然ミサを支持している次第です。だから何だと言われればグゥの音も出ませんがね。

話が逸れちった。んでミサの後はピットブル。NJでショウをするためにNY入りしていたところをようやくキャッチ。滞在中のインターコンチネンタルの部屋でさっくりインタビュー。半年程前にも一度取材しているが、相変わらず気さくで優しいラティーノ好青年である。またマミータって呼ばれちった。それからトニー・タッチと連絡を取り、今夜のシメであるレゲトン・イベント会場の楽屋裏でさっくり撮影させてもらう約束を取り付けたのだが会場に着いたらヤツの携帯は留守電モード。ちぇっ。これも仕切り直しだな。

余談だがこのイベントのプレスパスを入手するまでは長い道のりだった。同業者とかでもイベントのパスをゲットしたりゲストリストに載せてもらうのにどれだけ苦労したか、というのを切々と語るヤツがいるがあれは個人的にとーーーーーーーっても見苦しいと思っている私。「それがおめーの仕事だろうよ」ってことで。何か「私頑張ってまぁす!」みたいな、誰からも褒められないから自分で褒めちゃう的な寂寥感が漂うカンジ。しかし今回のイベントに関しては例外とさせてもらいたい。結果から言うとこのイベントがめっちゃ敷居が高かった、というワケでは決してない。MTVやVIBEがスポンサーとなったエイズ啓蒙チャリティイベントという主旨なので、なるべく招待のプレスの数を減らして1枚でも多くのチケット収益をあげたいという意図はよくわかる。しかし!イベント前夜になっても取材申請に対する返事が来ないので「どうなってる?」と今回のイベントの招待枠を仕切っていた4年来の知り合いのパブリシストに連絡を入れたところ「ジャパンだかチャイナだか知らんが、取材から1ヶ月しないと出版されない雑誌に取り上げられるよりも大事にしたいメディアはヤマほどいるんだよ!」だって!絶句。

まぁ、百歩譲って、慣れないチャリティ・イベントで、主催者からなるべく招待客を入れるな、とせっつかれつつ、数百名いるというクライアントからの罵倒の電話が一日中かかりっ放し、という状況も加味してやったとしても、だ。こちとら夜10時のファミリー・タイムを削ってわざわざオメーに電話したってのにその言い草かよ、と。まあこう言いたいワケですよ。勿論彼女の言うことは100%事実ではあるしそんなことはこっちも承知である。誰がどう考えても、遠い異国の地ジャパンの音楽専門誌とMTVを天秤にかける…いや天秤にかける以前の話だわな。だけど世界で最もポリティカリー・コレクトであるべきパブリシストがそういう発言ですか。私も舐められたモンですな、と怒る前に唇の端でフフフと笑ってしまったぜ。ちなみに相手はとってもアフロセントリックでとっても独身、もしかしたらレズビアンかも、みたいな風貌の黒人女性。ブス。デブ。レイシストかつセクシスト、さらにはブスとデブには厳しい米国社会の中、学歴をタテに戦ってきたタイプ。世界共通ながら、こういう女に限って一度キレると歯止めが利かない。だいたいこのテの女は類友(ルイトモ)でツルんでいることが多い。傷の舐め合い、っていうか。そしてこういう女に限ってDead Prezが好きである。愛読誌はエッセンス、エボニー。エリカ・バドゥのことはファースト・ネームのみで呼ぶ。…また話は逸れちゃったが、まぁそんなイグノラントな発言をみすみす聞き逃すようなナイーヴさはもう記憶の彼方に忘れてきてしまったワシ。とかくこういうタイプの女には目をつけられがち、というかケンカ売られることが多くてね。5年前だったら悪態の限りを尽くして彼女の存在を根底から否定、敵がこの世に生を受けてしまったことすら後悔したくなるような罵声を浴びせかけていただろうがそこは私もオトナになりました。あくまでもプロフェッショナルに(しかしチクチクと)対応したワケですがやっぱり後味悪いね。

イベントの目玉であるテゴ・カルデロン(ヤバかった!渋すぎ。誰か私をプエルトリコに連れてって~。)の奥さんと思われるマネージャーの好意で、入場が難しかったらテゴのクルーと一緒に入っちゃっていいよ、と裏ルートも手配してくれていたのだが、例のうんこたれパブリシストと激しい言葉の応酬(途中旦那が横から小声で「マミー頑張れ~」と応援してくれた。ザッツマイメン。)の後、そのパブリシストはわざわざプエルトリコまで連絡を取り「こっちで必要ないと判断したメディアには既にダメ出ししているので裏パスの手配は禁止」と釘を刺してきたそう。すげービッチ!だがマネージャーは取材嫌いのテゴがスペイン語以外の言語である英語で1時間もインタビューに応じたことにヒジョ~に驚いていて(ごめん今自慢した)、以来ものすごい勢いで親切にしてくれている。なので例のパブリシストともガッツリ戦ってくれた。結果的にはテゴのリストにもパブリシストのリストにも載っているというにわかにVIPな扱いになったのだが(こういう時ってホントこっちの社会の仕組みを疑う瞬間だ。)、イベントで顔を合わせてもやっぱりビッチな態度は変わらず。畜生。コートの下に吹き矢でも隠し持って来りゃ良かったぜ。

イベント自体はセーフ・セックスを謳った割には自覚のない行動が目白押しのアッパッパ~な雰囲気濃厚。配られてるコンドームが風船になって宙を漂う始末。おいおい、ちゃんと財布にしまえよっての。ナスティ・ダンス・コンテストなんかやってる場合かアンタ達は!とオバさんは眉間に皺寄せて世の若者を嘆いたね。バチャータという、もともとは年寄りしか聴かない=ボデガと呼ばれるNYの街角の商店の公式BGMであるラテン歌謡ジャンルで敢えて勝負する気鋭のアイドル・グループ、アヴェンチュラも生で拝んで参りました。ジューシーな肉汁滴る若者3人組よりも、スマイル全開でコンガ叩いてる後ろのオッサンの二の腕に釘付けな私じゃダメですか。同行の愛子ちゃんに「あの調子でケツ叩いてもらいたいぜ」と言ったら思いっきり引いていた。終わったら皆でコリアン・タウン(出た!)でチゲ食いに行く予定だったのにオヤZ(ゼット)脱落。文字通りフラフラの足取りで家に帰っちゃった。ワシらが見ていたプレス・エリアにて、異様な程の至近距離で私に密着していた男が最後にとびきりのスマイルで名刺を渡して来た。そういうつもりだったのなら始めから何とか言ってくれ。ヘタにプレスとかが相手だと失礼な言動を慎まなければならないので「オメー後ろから鼻息荒過ぎだよ」とか言えなくてモゾモゾしっ放しだったのに。名刺貰って初めて顔を見たらあらハンサム。でもねー、キミの会社、うちの旦那のと同じブロックじゃん。残念!つーか始めっから連絡なんてしないよ、あんなモゾモゾ男。

きゃーまた長文になっちゃった。

110:「ライムスターじゃないけど:己の美学」

2005-04-01 | ブルックリン横丁
「B-Boyズム」だっけ?「誰にも譲れないこの美学」とかそんなカンジのリリック。そう、私は「美学」という言葉が好きなのだ。「美学」という言葉には性別を問わぬ「男気」を感じさせる。「気骨がある」とか、「筋が通ってる」とかも同じような理由で好き。なので私が好きで付き合っている友人達は個性は様々だけど皆ドクトクの「美学」の持ち主だ。キャラも立つしあまり一緒にい過ぎると濃すぎるので胸やけしそうになることも確かであるが、しばらくするとちょっと禁断症状というか、物寂しいキモチになってしまうことも確かなのだ。

昔どこかで聞いた言葉だが、「人の相性というのは、’何を面白いと思うか’ではなくて’何を恥ずかしいと思うか’が共通していることで決まる」というのがある。初めて聞いた時も膝をポーンと叩きたくなるような気分にさせられたものだが、年月を経るほどに理解が深まる言葉だと思う。夫婦なんてホントその最たるものだ。私と旦那にしても、趣味趣向はバラバラだけど、「人としてこれだけは絶対に譲れない」とか、そういうトコロでぴったんこなのだ。そこだけ合致していればあとは好き勝手やってても何とかつながっていられる。それが「美学」なんだと思う。

残念ながら毎日の生活を送る中で、どう転んでもその「美学」が感じられない、勝手な言い方をさせてもらえば「センスのない」ヤツにぶち当たることがある。無害なら放置しておきたいところだが、大抵そういうセンスのないヤツはアカの他人を巻き込むところでそのセンスのなさを最大限に発揮するというパラドクスに満ちた存在である場合が多い。さらにそういうヤツは殆どの場合自覚症状がゼロである。見苦しい。恥ずかしい。「生まれてきてごめんなさい」と言え。消えてくれ。