ブルックリン横丁

ブルックリン在住17年の音楽ライター/歌詞対訳者=渡辺深雪の駄ブログ。 そろそろきちんと再開しますよ。

206:「9・11以降のNYヒップホップ」(カテゴリー新設)

2006-09-08 | プレス横丁
そろそろNYでは9・11追悼の文句があちこちで聞かれる季節。WTC跡地の追悼ビーム光線も点灯。屋上から見ると幻想的にキレイ。で、兼ねてから今まで書いた雑文のアーカイブ化を考えていたのだが(いつぶっ壊れるかわかんないPCに保存しておくより安全かもしれないし)、編集者の了承を得たものからここにアップ開始していこうと。コレはCDジャーナル4月号のNY音楽特集に寄稿した原稿。タイトル通り、9・11以降のNYヒップホップ・シーンについて自分なりに考察してみたのだが。半年くらい前に執筆。

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 9.11以降のNYヒップホップの傾向についての見解を、と言われて困ってしまった。何しろ、ピンとこない。考えてみればそれもそのはず、まずあのツイン・タワー周辺のファイナンシャル・ディストリクトといえば言うまでもなくホワイト・カラーの牙城であり、多数の死傷者を出した消防署員達にしてもこれは昔からアイルランド系のお家芸とされ、黒人の思い入れとはまったくかけ離れた位置にある職種なのだ。成人男子の半数以上が失業中、日頃から慢性的な困窮を強いられているNYCの黒人にとって、ウォール街を拠点とする経済的ダメージは肌で感じ取れるものではない。経済の衰退や失業生活の厳しさを実感するには、かつてはそれなりに安定した生活を享受していたという前提あってこそ、だから。結論としては、あれだけの歴史的事件でありながらも9.11は黒人の一般感情に何らかの揺さぶりをかけるだけのインパクトを持たなかったと言えるのではないだろうか。同胞意識の極めて高い彼らにとっては、国や政府(=白人社会)の有事よりもルイジアナのハリケーン被災者の救済の方がよっぽど重要と捉えるのが自然であり、実際にハリケーン被災に対するヒップホップ・コミュニティからの義援対応の迅速さには目を見張るものがあった。
 生誕30年を迎え、世界を席巻するまでの超メジャーなジャンルへと成長を遂げたヒップホップはもはや一括りでは捉えられない巨大なシロモノへと変化した。音楽としての機能を遥かに超えたライフスタイルとして解釈され、その独特のファッションや消費感覚に目をつけた数多の企業が激しいマーケティング商戦を展開…。これがNYに住みながらひしひしと感じるメインストリームの現状である。筆者が接するアーティスト達も殆どがこのヒップホップ・バブルの恩恵にあやかっており、大抵が音楽の他にもCM出演や企業とのタイアップ、洋服ブランドの経営等などから巨額の収入を得ている。ミリオン級のアーティストならば、その集客力を見込んでハリウッドから映画出演のオファーも舞い込む。
 一方、ある勢力が肥大化すればするほど対抗勢力もいきり立つ、というのは世の常。同じカテゴリーに属しながらも、メインストリームの商業化、水増し化を憂いているのがアンダーグラウンドのMC達だ。彼らの多くがメインストリームの同胞を拝金主義と糾弾し、自らは啓蒙的な音楽の提供を誓う。ヒップホップの初期衝動を保ち続け、アートとしてのこの音楽の維持保存に努める求道者ともいえる。彼らが丹精込めて作り出すオーセンティックな音楽はマニア的ファンには熱狂的に迎えられ、ヨーロッパや日本のような海外で有り難がられていることも興味深い。しかし本国においての現状といえば、時に知的ゲームとしての言葉遊びに固執してしまったり、排他的とも捉えられる反体制イデオロギーが邪魔をしてしまい、彼らのようなアーティストがメインストリーム級のヒットを飛ばすことはまず難しい。
 しかしそのような昨今の状況から突出した例がカニエ・ウェストのようなアーティストだ。ドラッグ・ディーラー出身でもない、「いたって普通で」「勝ち目のなさそうな」男がいきなり頂点まで上り詰めたことは記憶に新しい。手腕に長けたプロデューサーでありながら、マイクを握れば人をニヤリとさせるようなユーモアを散りばめつつ、あくまでも姿勢はコンシャス。カニエの登場以降はメインストリーム・レベルでもコンシャス回帰、スキル重視の気運が急速に強まっており、今やデフジャム・レーベルのCEOであり、ヒップホップ界のムードメイカーであるジェイーZは、啓蒙的な歌詞とカリスマ性で揺るぎない地位を持つライバルMCのナズと手を組むことを発表した。ここ数年のメインストリームでは、自分のアルバムの発売直前に他の人気ラッパーを挑発してパブリシティを煽るような狂言ドラマが繰り返され、ファンもそろそろ食傷気味だったこともあり、この両巨頭の和解のニュースは相当のインパクトをもたらした。業界主導のヒップホップ・ビジネスのカラクリを数年間見せつけられてきたリスナーもそろそろ知恵をつけ、時代の空気に踊らされるのではなく、本心からリスペクトを送れるようなスターの台頭を心待ちにしている、といったところだろうか。
 さらに今後はレゲトン等の新興勢力にも注目しておきたい。出身国は違えどヒップホップ世代である彼らは自由に国境を超え、自分達の音楽的、文化的アイデンティティを保ちながらヒップホップを融合させた新しい音楽を実に器用に作り出し、全米に散らばる同胞達の深い共感を得ることに成功した。とりわけ都市部ではラテン系の人口が遥かに黒人を抜き、彼らの購買力と発言力を見落とす訳にはいかないA&R達は、ヒット曲にはレゲトンのリミックスを用意したりと周到なマーケティングを始めている。
 それにしても今は本当にこの音楽が面白い。様々なバリエーションのヒップホップをつまみ聴くもヨシ、俯瞰的なアプローチでビジネス面におけるパワー・ゲームのダイナミズムをウォッチするもヨシ。アイ・ラブ・ヒップホップ。