ブルックリン横丁

ブルックリン在住17年の音楽ライター/歌詞対訳者=渡辺深雪の駄ブログ。 そろそろきちんと再開しますよ。

3年ぶりにアップしてみた。

2013-06-07 | ブルックリン横丁
<<まだあったのかこのブログ!Mixi、Twitterを経てFacebookに落ち着いた日々ながら、たまに長文書いたら一応こちらにも載せてみることにします。読んでくれてる人いますかーーーかーーーーかーーーーー(こだま)>>


昨日息子が英文学の授業で(彼にとっては国語なわけだが)ラップの歌詞からメタファーや韻について学んできたこと、やっぱり一晩経ってもフツフツと嬉しい。先生はその学校の卒業生でまだ33歳(白人)ながら、生徒達に「ラップはビートを聞くものじゃなくてリリックに素晴らしい宝が隠れてる」「カースワードだらけ、とかバイオレントなものという先入観でラップの全てを拒絶するのはもったいない」と説いたそうな。偉い!よー言った!あれもこれも、と色んな曲提案したい!「宝=gem」と言うアタリもオースクマナーを踏襲していて好感度高し!オメェ絶対Brand Nubian聞いてただろ、みたいな。

しかし、両親とラップについて話が出来るようになったオトナ~な俺、というのを前面に押し出したかった太陽が、「2パックとビギーが死んで、リル・ウェインとかドレイクとかニッキーがラップをダメにした」とか言い出したのはマズかった。ラップの歴史を20年近くすっ飛ばしたテキトー過ぎる解釈!聞きかじりの浅知恵がやはり中2らしいww

もうね、カレー煮込むのも忘れてお母さん慌ててエプロンで手を拭きながら(←脚色。エプロン持ってないしw)キッチンからパタパタスリッパ鳴らして早期介入しちゃったよ。だって、ヒップホップが無かったらこの子達産まれてなかった訳だから、ちょっとそのヘンの解釈だけはキッチリしといて欲しいかな、と。

というわけで昨晩はサウスブロンクスから東海岸、ラップ黄金期(と何故そう呼ばれるか、東海岸至上主義的見方まで)、東西抗争とその教訓(とそこから軌道修正してシャイニースーツ時代を迎えた流れ)、マイアミベース含むサウス(とその時代既にピットブルやフローライダーが足場固めしてた事実)、キャッシュマネーの台頭(とbling blingなどのラップ発流行語の一般化)、ヒップホップの国際化/商業化によるリリックの内容の変遷(都市部の黒人の諸問題だけじゃ残りの世界が感情移入できないからね的な)、と息荒く一気に喋り倒しちゃったYO!多分ぜーんぜん耳に入ってなかったと思うが、とにかくスッキリした!

それにしても、「どこに学びのキッカケが潜んでいるかわからない」ということを早くから子供達に気づかせるこの先生のアプローチに感服。「国語=言葉のアート」として、『その教科の面白みを堪能させるための思考回路とかツールを与える』ことは、単に綴りや文法を学ぶのとは全く別ものだし、何よりもその授業が「響いた」生徒の中には一生の財産として残っていくだろうから。

息子の学校の教師の採用の条件に教職の有無は無く、脚本の授業であれば現役のブロードウェイの脚本家を招いたり、とにかく「その道の真髄を知るプロ」の視線から、それぞれの教科の核となる部分、つまり「どうすれば出来るようになるのか」、というノウハウの伝授ではなく「どこに面白みを感じて、その衝動をどうカタチにするのか」という、その人達が紆余曲折を経て到達したであろう「想い」を生徒達と共有することがヨシとされている。間違いなく楽しい授業に決まってる。これぞ学び。

成績表も一切無く、期末テストも語学系の教科のみ、遅刻とかもいちいち記録されないユルユルな学校ながら、どういう訳かアイビー含む超一流大学の進学率もぶっちぎり、という摩訶不思議さなのだが、昨夜読んだ初等部の生徒の文集のクオリティを目の当たりにし、小さい頃からノウハウの叩き込みじゃなく、「自分が学んでいることがどうしてworth learningなのか」、の目の付け所、をその道のプロが共有してくれる、つまり感受性を育む(こう書くととても陳腐だけどやっぱりそうなのね)取り組みを続けてきた子供達の底力を見せつけられた気分っす。参りました。