ブルックリン横丁

ブルックリン在住17年の音楽ライター/歌詞対訳者=渡辺深雪の駄ブログ。 そろそろきちんと再開しますよ。

一夜明けて<追記あり>

2008-11-06 | ブルックリン横丁
感無量。

昨日はElection Dayということで学校は休み。学校の体育館が投票所となった。この世紀の大統領選に一票を投じるため朝から記録的な人数の有権者が集まった。アメリカ市民でない私には残念ながら投票権はないが、旦那は出勤前の朝9時から行列に並び、結局2時間以上並んでようやく投票した。会社の上司に遅刻を伝えると、私と同じく投票出来ない立場のフランス人の彼は「国民としての義務を果たせ、遅刻は気にするな」と言った。私は子供達を連れてなかなか進まない行列に立ち続ける旦那を応援しに行き、同じく立たされっぱなしの近所の知り合い達に「私の分まで投票してくれ!」とハグしていた。

各地の投票所の状況がTVで生中継されていた。ハーレムの投票所は朝8時の段階で既に、過去のどの選挙の記録をも遥かに上回る数の有権者が集まったという。全米中でこれと同じような現象が起こっていた。
後で報道されたことだが、今回初めて投票した若者を中心とする有権者達の実に90%以上がオバマに票を投じたという。

近所で昼間からよくたむろしてるキッズ達も集団で投票の行列に並んでいた。待ち時間を見込んで持参していたラジカセのHot97からは、パブリック・エネミーや2パックの「Change」等が流れていた。やっぱり、彼らも今回初めて投票したという。

夜になって開票速報が流れ、それぞれの政治的立場のあるTV局によって多少雰囲気や扱うトピックの内容にバラつきはあったものの、「事実」には抗うことは出来ない。オバマの圧勝。

まだオバマと言えずどうしても「オババ」になってしまう娘も、クラスメイトとさんざん親やTVから仕入れた選挙ネタでにわかにポリティカルな小学生になってしまった太陽も既にベッドで寝ている中、旦那とTVでオバマの勝利宣言を見た。

キング牧師の演説やJFKの就任演説と同じように、今後歴史に輝く瞬間、それをリアルタイムで味わっているという興奮。

高校、大学の頃にカウンター・カルチャーという言葉を知り、ヒッピー・ムーヴメントだったり学園紛争だったり、そういう「何か理念のために若者が団結する」という現象に憧れを抱いていた時代を思い出した。もう、私達にはそんな経験を味わうことはないのだろうと思っていた。

911の後にNYの市民が「今この惨事の中、自分達に出来ること」を模索し、草の根レベルから自発的に被災者の救済やボランティアに奔走していた時、まだ渡米して2年目だった私は「理念につき動かされた人々」がもたらすパワーの底知れなさを目の当たりにして感動したものだった。

それとまた同じ現象が、あの時よりも桁違いの規模で、全米中で起きている。もちろん、初の黒人大統領が誕生したという事実は色々な人々にとって大勝利だ。自分の息子と同じ、黒人の混血児が大統領になった。私と旦那は興奮しながらお互いに同じ質問を問いかけ続けた。「これは何を意味しているんだろう?」「これから何が起きるんだろう??」

2年に及ぶキャンペーンを経て、私達は既にオバマが大統領になった時の心の準備は出来ていたと思っていた。でもどこかで、「まさか「ホワイトアメリカがそんなことを許すはずがない!」と疑う気持ちも捨て切れなかった。「どんな手を使ってもヤツらは初の黒人大統領の誕生を阻止するはずだ」と。でもその疑念を打ち消すために、人々は朝から行列した。「今ここで自分達の声を届けなければ一生後悔することになる」、と。

そしてバラク・オバマの圧勝。大勝利。勝利が決まった瞬間、LAからワシントンDCでの投票ボランティアに駆けつけていた義姉の友人らが集まっていた上の階では床を踏みならし狂喜乱舞のお祭り騒ぎ。すぐにビデオカメラを持った義姉が駆け下りてきて私達の様子とコメントを録画して行った。

そのうち外からも大歓声が聴こえてきた。ヴァンダービルト通りに数軒あるバーの巨大TVで開票速報を観戦(?)していたヒップスター達が通りに溢れ、即席の勝利パーティーが始まったのだ。午前1時過ぎ。銃声もあちこちで上がっていた。最も、これは祝賀のガンショット。何百発だろう、爆竹みたいな連発。

路上に溢れ出た群衆に調子を合わせて、通り過ぎるクルマがクラクションを鳴らす様子が四方八方から聴こえてきた。こんな映画みたいなことが今起きているなんて!

既にパジャマにはんてんを羽織って庭のテラスで耳をそばだてていた私は居ても立ってもいられなくなり、ジーンズに履き替えて通りに走り出した。通りでは軽く200人くらいはいただろうか、近所のバーや、私のように家から駆け出してきた人達が通りを占拠し、NASの「If I Rule The World」に合わせて「オバマ!オバマ!」と叫びながら踊っている。誰かのiPodだろうか、その後はトライブの「シナリオ」、そしてジェイ-Zの「Dead Presidents」や「Roc Boys」が流れていた。でもその9割はいわゆるヒップスターと呼ばれる、イマドキなトレンド・セッターの白人達。ヴァンダビルト通りの再開発に取り残されたように立っている「昔ながら」のアパートメント・ビルに住む黒人キッズ達も通りに出ていたものの、彼らは丸くなってヒップスター達の響宴を見ていたが、増え続けるクラウドが車道にはみ出し、中央分離帯まで占拠したところで、彼らもそれまではかろうじて保ち続けていた「クールネス」を脱ぎ捨て大団円に参加し、大声で「Yes, We Can!」と叫び始めた。私も喉が枯れるほど叫んでいた。

深夜のゴミ収集車も、イエロー・キャブも、この響宴の横を通り過ぎる度にクラクションを鳴らして参加し、運転席から片手を伸ばして知らない者同士が手を握り合った。

そのうち白髪頭の黒人の老女を助手席に乗せたクルマが近づいてくると、車道を占領していた群衆はゆっくりと道を開け、右手を差し出した老女の側に行って握手を求めた。この瞬間が全てを体現していたように思う。彼女の胸に去来する気持ちはどんなだったろう。

ケニヤに住むオバマの祖母の笑顔がTVに映る。ブルックリンのさらに奥、カリビアンの集まるフラットブッシュ地区でも、ハーレムの125丁目でも、ヒップスターのメッカのウィリアムスバーグやグリーンポイントでも、何千人という若者達が深夜の祝宴に興じている。

興奮して帰宅した私に旦那は「このえも言われぬピースフルな心持ちは一体なんだろう?」と言った。「何だか、これからは全てがうまく行くような気がする」とも。

オバマは演説で、人種や党派、年齢を超えて人々が「理想」の元に結託し、アメリカ合衆国の理念を忘れなかった人々の勝利だ、と言った。本当にそう思う。肌の色とか、フィジカルな違いを超えたもっと深く崇高なレベルで、変革を求める若い世代が体制を覆した瞬間だ。「希望」の持つ力。感動だ。

これからどんな素晴らしい未来が広がっていくんだろう?経済恐慌、環境問題、課題は山積みだけど、これまで政治には目もくれなかった若者達までが腕まくりして世直しに精を出す…人種を超えて、同じ理念の元に。そんなユートピアのようなイメージまでが歯がゆくもなく感じられる。YES, WE CAN!そう、私達だってやれば出来るんだ!

確実に良くなる。これからの世の中。

<追記>
<追記>

オバマとマケイン、それぞれの勝利宣言と敗北宣言のスピーチの中で象徴的だった瞬間。マケインがオバマの名前を口にすると、支持者達からはブーイングの声が漏れた。しかしオバマのサポーター達は、マケインの名前を聴いて拍手した。この心意気の違いだと思う。スポーツマンシップ、というか。敵味方としての立場を超えて、人間としてリスペクトできる器があるかどうか。政治も元をたどれば人の心持ちが根底にある。それが最終的には政策という具体的な行動に現れていくのだ、と考えると、「自分達の勝利だけ」を気にするのと「違いを乗り越えて励まし合える」のとじゃその差は歴然だ。子供の頃から教えられる「人として正しいこと」がこの超大国の大統領選びできちんと示されたのだ。世の中捨てたモンじゃない。本当に、これからどうなっていくんだろう!?政治にこんなに浮き立つような興奮を味わわせてもらえる日が来るなんて思ってなかった。誇張ナシで、昨日までの世界とは全てが違った色に見えてしまうほどだ!朝の路上ですれ違う人達が抱き合い握手し、キッズ達は満面の笑顔で通学している。

昨日の歴史的瞬間が世界のこれからの世代にどれだけの希望を与えるんだろう?本当に人生って分からない。