そろそろNYでは9・11追悼の文句があちこちで聞かれる季節。WTC跡地の追悼ビーム光線も点灯。屋上から見ると幻想的にキレイ。で、兼ねてから今まで書いた雑文のアーカイブ化を考えていたのだが(いつぶっ壊れるかわかんないPCに保存しておくより安全かもしれないし)、編集者の了承を得たものからここにアップ開始していこうと。コレはCDジャーナル4月号のNY音楽特集に寄稿した原稿。タイトル通り、9・11以降のNYヒップホップ・シーンについて自分なりに考察してみたのだが。半年くらい前に執筆。
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9.11以降のNYヒップホップの傾向についての見解を、と言われて困ってしまった。何しろ、ピンとこない。考えてみればそれもそのはず、まずあのツイン・タワー周辺のファイナンシャル・ディストリクトといえば言うまでもなくホワイト・カラーの牙城であり、多数の死傷者を出した消防署員達にしてもこれは昔からアイルランド系のお家芸とされ、黒人の思い入れとはまったくかけ離れた位置にある職種なのだ。成人男子の半数以上が失業中、日頃から慢性的な困窮を強いられているNYCの黒人にとって、ウォール街を拠点とする経済的ダメージは肌で感じ取れるものではない。経済の衰退や失業生活の厳しさを実感するには、かつてはそれなりに安定した生活を享受していたという前提あってこそ、だから。結論としては、あれだけの歴史的事件でありながらも9.11は黒人の一般感情に何らかの揺さぶりをかけるだけのインパクトを持たなかったと言えるのではないだろうか。同胞意識の極めて高い彼らにとっては、国や政府(=白人社会)の有事よりもルイジアナのハリケーン被災者の救済の方がよっぽど重要と捉えるのが自然であり、実際にハリケーン被災に対するヒップホップ・コミュニティからの義援対応の迅速さには目を見張るものがあった。
生誕30年を迎え、世界を席巻するまでの超メジャーなジャンルへと成長を遂げたヒップホップはもはや一括りでは捉えられない巨大なシロモノへと変化した。音楽としての機能を遥かに超えたライフスタイルとして解釈され、その独特のファッションや消費感覚に目をつけた数多の企業が激しいマーケティング商戦を展開…。これがNYに住みながらひしひしと感じるメインストリームの現状である。筆者が接するアーティスト達も殆どがこのヒップホップ・バブルの恩恵にあやかっており、大抵が音楽の他にもCM出演や企業とのタイアップ、洋服ブランドの経営等などから巨額の収入を得ている。ミリオン級のアーティストならば、その集客力を見込んでハリウッドから映画出演のオファーも舞い込む。
一方、ある勢力が肥大化すればするほど対抗勢力もいきり立つ、というのは世の常。同じカテゴリーに属しながらも、メインストリームの商業化、水増し化を憂いているのがアンダーグラウンドのMC達だ。彼らの多くがメインストリームの同胞を拝金主義と糾弾し、自らは啓蒙的な音楽の提供を誓う。ヒップホップの初期衝動を保ち続け、アートとしてのこの音楽の維持保存に努める求道者ともいえる。彼らが丹精込めて作り出すオーセンティックな音楽はマニア的ファンには熱狂的に迎えられ、ヨーロッパや日本のような海外で有り難がられていることも興味深い。しかし本国においての現状といえば、時に知的ゲームとしての言葉遊びに固執してしまったり、排他的とも捉えられる反体制イデオロギーが邪魔をしてしまい、彼らのようなアーティストがメインストリーム級のヒットを飛ばすことはまず難しい。
しかしそのような昨今の状況から突出した例がカニエ・ウェストのようなアーティストだ。ドラッグ・ディーラー出身でもない、「いたって普通で」「勝ち目のなさそうな」男がいきなり頂点まで上り詰めたことは記憶に新しい。手腕に長けたプロデューサーでありながら、マイクを握れば人をニヤリとさせるようなユーモアを散りばめつつ、あくまでも姿勢はコンシャス。カニエの登場以降はメインストリーム・レベルでもコンシャス回帰、スキル重視の気運が急速に強まっており、今やデフジャム・レーベルのCEOであり、ヒップホップ界のムードメイカーであるジェイーZは、啓蒙的な歌詞とカリスマ性で揺るぎない地位を持つライバルMCのナズと手を組むことを発表した。ここ数年のメインストリームでは、自分のアルバムの発売直前に他の人気ラッパーを挑発してパブリシティを煽るような狂言ドラマが繰り返され、ファンもそろそろ食傷気味だったこともあり、この両巨頭の和解のニュースは相当のインパクトをもたらした。業界主導のヒップホップ・ビジネスのカラクリを数年間見せつけられてきたリスナーもそろそろ知恵をつけ、時代の空気に踊らされるのではなく、本心からリスペクトを送れるようなスターの台頭を心待ちにしている、といったところだろうか。
さらに今後はレゲトン等の新興勢力にも注目しておきたい。出身国は違えどヒップホップ世代である彼らは自由に国境を超え、自分達の音楽的、文化的アイデンティティを保ちながらヒップホップを融合させた新しい音楽を実に器用に作り出し、全米に散らばる同胞達の深い共感を得ることに成功した。とりわけ都市部ではラテン系の人口が遥かに黒人を抜き、彼らの購買力と発言力を見落とす訳にはいかないA&R達は、ヒット曲にはレゲトンのリミックスを用意したりと周到なマーケティングを始めている。
それにしても今は本当にこの音楽が面白い。様々なバリエーションのヒップホップをつまみ聴くもヨシ、俯瞰的なアプローチでビジネス面におけるパワー・ゲームのダイナミズムをウォッチするもヨシ。アイ・ラブ・ヒップホップ。
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9.11以降のNYヒップホップの傾向についての見解を、と言われて困ってしまった。何しろ、ピンとこない。考えてみればそれもそのはず、まずあのツイン・タワー周辺のファイナンシャル・ディストリクトといえば言うまでもなくホワイト・カラーの牙城であり、多数の死傷者を出した消防署員達にしてもこれは昔からアイルランド系のお家芸とされ、黒人の思い入れとはまったくかけ離れた位置にある職種なのだ。成人男子の半数以上が失業中、日頃から慢性的な困窮を強いられているNYCの黒人にとって、ウォール街を拠点とする経済的ダメージは肌で感じ取れるものではない。経済の衰退や失業生活の厳しさを実感するには、かつてはそれなりに安定した生活を享受していたという前提あってこそ、だから。結論としては、あれだけの歴史的事件でありながらも9.11は黒人の一般感情に何らかの揺さぶりをかけるだけのインパクトを持たなかったと言えるのではないだろうか。同胞意識の極めて高い彼らにとっては、国や政府(=白人社会)の有事よりもルイジアナのハリケーン被災者の救済の方がよっぽど重要と捉えるのが自然であり、実際にハリケーン被災に対するヒップホップ・コミュニティからの義援対応の迅速さには目を見張るものがあった。
生誕30年を迎え、世界を席巻するまでの超メジャーなジャンルへと成長を遂げたヒップホップはもはや一括りでは捉えられない巨大なシロモノへと変化した。音楽としての機能を遥かに超えたライフスタイルとして解釈され、その独特のファッションや消費感覚に目をつけた数多の企業が激しいマーケティング商戦を展開…。これがNYに住みながらひしひしと感じるメインストリームの現状である。筆者が接するアーティスト達も殆どがこのヒップホップ・バブルの恩恵にあやかっており、大抵が音楽の他にもCM出演や企業とのタイアップ、洋服ブランドの経営等などから巨額の収入を得ている。ミリオン級のアーティストならば、その集客力を見込んでハリウッドから映画出演のオファーも舞い込む。
一方、ある勢力が肥大化すればするほど対抗勢力もいきり立つ、というのは世の常。同じカテゴリーに属しながらも、メインストリームの商業化、水増し化を憂いているのがアンダーグラウンドのMC達だ。彼らの多くがメインストリームの同胞を拝金主義と糾弾し、自らは啓蒙的な音楽の提供を誓う。ヒップホップの初期衝動を保ち続け、アートとしてのこの音楽の維持保存に努める求道者ともいえる。彼らが丹精込めて作り出すオーセンティックな音楽はマニア的ファンには熱狂的に迎えられ、ヨーロッパや日本のような海外で有り難がられていることも興味深い。しかし本国においての現状といえば、時に知的ゲームとしての言葉遊びに固執してしまったり、排他的とも捉えられる反体制イデオロギーが邪魔をしてしまい、彼らのようなアーティストがメインストリーム級のヒットを飛ばすことはまず難しい。
しかしそのような昨今の状況から突出した例がカニエ・ウェストのようなアーティストだ。ドラッグ・ディーラー出身でもない、「いたって普通で」「勝ち目のなさそうな」男がいきなり頂点まで上り詰めたことは記憶に新しい。手腕に長けたプロデューサーでありながら、マイクを握れば人をニヤリとさせるようなユーモアを散りばめつつ、あくまでも姿勢はコンシャス。カニエの登場以降はメインストリーム・レベルでもコンシャス回帰、スキル重視の気運が急速に強まっており、今やデフジャム・レーベルのCEOであり、ヒップホップ界のムードメイカーであるジェイーZは、啓蒙的な歌詞とカリスマ性で揺るぎない地位を持つライバルMCのナズと手を組むことを発表した。ここ数年のメインストリームでは、自分のアルバムの発売直前に他の人気ラッパーを挑発してパブリシティを煽るような狂言ドラマが繰り返され、ファンもそろそろ食傷気味だったこともあり、この両巨頭の和解のニュースは相当のインパクトをもたらした。業界主導のヒップホップ・ビジネスのカラクリを数年間見せつけられてきたリスナーもそろそろ知恵をつけ、時代の空気に踊らされるのではなく、本心からリスペクトを送れるようなスターの台頭を心待ちにしている、といったところだろうか。
さらに今後はレゲトン等の新興勢力にも注目しておきたい。出身国は違えどヒップホップ世代である彼らは自由に国境を超え、自分達の音楽的、文化的アイデンティティを保ちながらヒップホップを融合させた新しい音楽を実に器用に作り出し、全米に散らばる同胞達の深い共感を得ることに成功した。とりわけ都市部ではラテン系の人口が遥かに黒人を抜き、彼らの購買力と発言力を見落とす訳にはいかないA&R達は、ヒット曲にはレゲトンのリミックスを用意したりと周到なマーケティングを始めている。
それにしても今は本当にこの音楽が面白い。様々なバリエーションのヒップホップをつまみ聴くもヨシ、俯瞰的なアプローチでビジネス面におけるパワー・ゲームのダイナミズムをウォッチするもヨシ。アイ・ラブ・ヒップホップ。
はじめまして。コメント歓迎です。今回アップした原稿はあくまでも私個人の見解だし、一般論として、というのが前提になります。なので勿論例外もあるでしょう。私のこの見解が本当かどうか=事実かどうか、これは数値で表れるモノじゃないし判断が難しいところですね。読後感は人それぞれだと思うし。ただ、私がそう思った、というのは事実。…お判り頂けるでしょうか?
それに、「黒人の一般感情」を何故日本人のお前が一括りに語るのだ?という根本的な矛盾もありますね。ハイ。あくまでも傍観者の立場から語っていることです。
こんにちは。
一つの出来事に対する反応や解釈を影響するものに人種や民族性はもちろん、経済格差や教育的バックグラウンド(これも経済格差の現れとも言えるけど)等など他にも色々あると思います。
おっしゃる通り。もちろんWTC周辺、ファイナンシャルディストリクトに勤務するバリバリホワイトカラーの黒人(アフリカン・アメリカン、カリビアン、アフリカン…色々います)もいるしね。
フォクシーは最近見かけないよー。またクルマ替えたけど。今度はレンジローバーのLR3。
今回のお話も楽しく読ませて頂きました。HIPHOPには「のし上がってやるぜ!メイクマネー!!」的な要素も含まれると思うので、現状のような世界一金を生み出す音楽としてのHIPHOPのあり方っていうのはアングラ陣営が批判するほど悪いことじゃないと思う半面、「売れる」楽曲が手軽に大量に吐き出されていることに辟易もしてました。ここまで世界的音楽になれたのも、当然先駆者達の努力による一方で、アングロサクソン主導の巨大マーケット原理の手の平で踊らされてしまったことによる結果なのでは、という感もあり、その中でメジャーやアングラという単純な二極化を超えたところに存在するカニエウェストらの登場というのは大量に消費され、均質化されていくHIPHOPへの救世主なのでは、と勝手に思ってます。まぁ何にしろこれからのHIPHOP界が商業的に、音楽的にどう変わっていくのかは非常に興味深いです。
ありがとうございます。産んじまいましたぜ。
ナイス考察。先日のMTVアワードを見ても風向きは明らかにヒップホップからロックに移行し始めてるし(少なくともポップ・フィールドでは)、TOP40チャートを追うような郊外のキッズ票を失った後のヒップホップの実力、底力が今後問われるだろうことは間違いナスですね。
まあ、ロック同様既にヒップホップもライフスタイルですから、廃れることは有り得ないだろうけど、田舎のヤンキーがショーン・ジョンのスウェット上下&ティンバーランドもしくはAF1を脱いで、back to basicなミキハウス&つっかけサンダルに戻ることはあるかもね。
ただ、彼の登場とヒットをみていると出身やバックが曲・アーティストを売らせるんじゃなくて、本当に良い曲というのが人の心と、お金を動かすとおもいます。hiphopが大きくなってからhiphopの切り札的だったアングラで人気ある曲(のイメージ)をkanyeは大きな市場に満を持して吹き込み、それが弾けた感じをうけます。つまり、アングラで受けるなら他のリスナーにも受けると。聞くのは同じ人間だし、いい物は趣向さえも超えて理解されるとおもいます。
ロックの人気が戻りつつあるけど、これもやっぱり良い曲が増えてきてるからじゃないでしょうか。結構ノリ重視よりも最近売れるロックって心に響く系が多いように思う今日このごろ、俺もTheFrayのOverMyHeadにハマってます。
ヒップホップは一元的になりつつあるとおもいます。リズムやノリが変化していき、これを進化ともいえるかもしれないけど、やっぱロックかかえるバンドの持つ多様性、メッセージの多様性、ビジュアルの多様性など、歴史的なこともあるかもしれないけど音楽が表現する広さはロックに負けるヒップホップのように思えます。その広さから生まれる真の良さが再認識されだされてるように思えます。hiphopも十分に人気があるしまだ若いジャンルでもあるから期待です。というより「なにがおこるんだろうか予測できない」ってカンジです。その可能性がこれからの存続の鍵なんじゃないかなと思います。なんかまとまらない上抽象的文章でスイマセン。
確かに。「何が起きるか予測できない」という期待。「今度はこんなんキタよ!」っていう興奮ね。新しい音楽の展開をリアルタイムで経験してる、っていう同時代性もあるし。
カニエの売れ方って、ご指摘の通りアングラ/メジャー問わず音のクオリティが素晴らしかった、というのは勿論なんだけど、なんちゅうか、ローリン・ヒルの「ミスエデュケーション」が日本でも100万枚売れた時のような感覚を思い出させるんだよね。音楽のファンとコア筋は音で判断するが、マスは現象として「今買うならこの一枚」的な買い方をしていた、というか。
ジャンルが表現する広さ、っていうのも興味深い指摘だね。それはつまり表現する側の内面世界の深さや幅と比例すると思うんだよね。作り手の成熟度。さあどうなる。