バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

聖書にある断食について 28 罪の代償 02 バテシバ事件 02 欧米の大学では必ず習う有名な箇所 

2024-01-26 04:00:00 | 聖書の断食
第2サムエル記
12:13 ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」

ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。

あなたは死の罰を免れる。

 12:14 しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、

生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」

 12:15 ナタンは自分の家に帰って行った。

主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。

 12:16 ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。

彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。

 12:17 王家の長老たちはその傍らに立って、

王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、

彼らと共に食事をとろうともしなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は1994年から2015年まで20年間、牧師をしていました。

特に超教派の断食祈祷院でしたから毎朝、聖書講義(公開)の

メッセージを担当していましたので、ほぼ聖書全巻を語ったのですが、

今から述べますダビデ王の不倫事件であるバテシバ事件は、

確かにドラマティックで語るのにも面白い箇所でした。

この事件は、イスラエル王の歴史書(注・01)が3つありますが、

最初のサムエル記にあり、11章から詳しいことの顛末が書かれています。

そして13章からは、ダビデ家とイスラエル王国のお家騒動19章まであり、

ギリシャ悲劇さながらの劇的な怨念が怨念を生んで、

恐ろしい出来事が次々に急速なテンポで書かれていますので、

欧米の大学では教養課程の教科書に旧約聖書の言語である

ヘブライ語からの英訳にしたサムエル記のこの箇所が必ず、使われるほど

世界でも有名な事件なのです。

ではサムエル記の記事に沿って事件を見ていきましょう。


イスラエル王の歴史書(注・01)
1・サムエル記
『士師記』のあとを受け、『列王記』へと続いていく。タイトルは最後の士師であり、祭司であったサムエルに由来。ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『列王記』と共に「前の預言者」。(ウィキ)

2・列王記
旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つ。元来、『サムエル記』とあわせて1つの書物だったものが分割されたようである。内容的には『サムエル記』のあとを受けており、また『歴代誌』とは一部内容が重複している。ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『サムエル記』と共に「前の預言者」にあたる。(ウィキ)

3・歴代誌
旧約聖書におさめられたユダヤの歴史書。2巻に分かれており、ダビデの死までが書かれた巻は上や第一、第一巻などと呼ばれ、バビロン捕囚までが書かれた巻は下や第二、第二巻などと呼ばれる。『サムエル記』『列王記』と一部の内容が重複している。ユダヤ教では「預言書」でなく「諸書」の1つになっている。(ウィキ)


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ピンピンコロリかヨボヨボダラダラになるか、老化の分かれ目とは 

2024-01-25 04:00:00 | ゴスペル・エッセイ
私も今年74歳になりますので、老いに関する書物を年末年始に

福井県立図書館で2冊借りて読みました。

昨年も70歳代の交通事故のニュースをネットニュースで読むと

自分は大丈夫だと思っていましたが、

昨年の秋にJAF福井支部主催の交通安全教室に参加して、

かなりやばい運転をしていることに気づかされました。

このことがあって年末に県立図書館で老いの本を借りたわけです。

1・なぜヒトだけが老いるのか(小林武彦)

2・老化は治療できるのか(河合香織)

です。

中でも1の本はピンピンコロリかヨボヨボダラダラ

になるかの境目について書かれていますが、73歳にして考えさせられます。

そして70歳以上になりますと半数がガンになり、

その半分がガンで死亡します。次いで多いのは、

「心疾患」と「脳血管疾患」という循環器系の病気ですが、

老化すれば経年劣化する組織の代表的な箇所です。

では老衰で死亡というのは、どのような状態なのかといいますと

こうした病気にならないで死亡することですが、

結果的には心臓関係か肺炎で中でも誤嚥性肺炎が圧倒的に多いようです。

要するに老いて死亡するのは、病気であり、

ピンピンコロリで死ぬということではなく、

日本人の大半がヨボヨボダラダラになって、

最後を迎えるということになります。

では上記の2の本はノンフィクション作家が

アンチェイジング専門家たちに取材してまとめた新書です。

この本は様々な生命科学から生まれた人間の長寿化時代にどう生きるか

様々な角度から紹介しています。

この中でも紹介されていました人間の寿命は120歳までとされた

旧約聖書の記述も紹介されていますが、それは次の言葉です。

創世記
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
その後、ノアの洪水があり、数百年後にモーセの歌がこのように記しています。

詩編【祈り。神の人モーセの詩】
90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
 90:11 御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて/あなたの憤りをも知ることでしょう。
 90:12 生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

モーセは80歳で神に出会い、召命を受けて

エジプトで苦役に苦しむ同胞を救うために立ち上がり、

40年間の荒れ野を導き、120歳で天に召されます。

この時代から3000年を経た今日、生命科学が非常に発達して、

寿命が伸びてきましたが、それでも最高年齢は122歳までで、

要するのそこまで健康で生きるにはどうするかです。

日本は世界でトップクラスの長寿国であると同時に介護大国でもあり、

今回のタイトルのようにピンピンコロリかヨボヨボダラダラになるか、

それは私たちの日頃の生活習慣にあるようです。

長寿と健康寿命がかなり、かけ離れている日本と比較して、

ほぼ等しい国がユダヤ人が大半のイスラエルです。

その理由は、3000年前のモーセが定めた戒律を今もな守っているからです。

彼らの生活、健康維持を謙虚に学ばないと、

日本は「1億総ヨボヨボダラダラ大国」になります。

これまで何度も紹介しています石角さんの代表作

「ユダヤに伝わる健康長寿のすごい知恵」

に書かれていることを守っていけば、ピンピンコロリで終活できます。


カラダの健康

1・穀菜(玄米)・フルーツ・ナッツ主義を徹底せよ

2・動物の血と脂肪を食べるな!血液が健康の鍵

3・食材選びや調理法、食べ方のルールを守れ!

4・断食こそ健康の源!体を内部から浄化する

5・手を徹底的に洗え!ウィルス・最近の回避


心の健康

6・週1日は何もするな!心の平穏が健康を守る

7・祈りと瞑想で最高の精神状態をつくれ!

8・笑いで免疫力アップ!ユダヤ人のジョークを利用

9・「俺は俺」の自己主張でストレスフリー


家族の健康

10・家族を大切に!


日本は上記のようなユダヤの知恵を知り、

真に喰い改めが可能となる2024年となるでしょうか。



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ハビヤンの日本教 03 日本は殉教を一番嫌う民族 

2024-01-24 04:00:00 | 日本教から脱出するにはどうするのか
ハビヤンが新・平家物語で木曽義仲について新解釈で書いているのですが、

ここで木曽の死を殉死としていますが、

山本さんは、「ハビヤンはキリシタンの殉教(注・01)を異常とみなしている」

ということに注目しています。

私もこの指摘は日本教脱出するためにいかなることをすればいいのか、

このようにブログで116回も続けているのですが、

実は、一番気になっていることなのです。

山本さんは今日まで日本人は殉教を認めない国民だといいます。

それがキリスト教の拡大を阻むものなのだからです。

つまり外来の思想を一部だけ拒否する日本教のバイブルにあたる

ハビヤンの「破提宇子」に明確にかかれているのです。


キリシタンの殉教(注・01)
歴史的に、キリスト教で使われてきた「殉教」(ギリシャ語:Martyria)の語は「証人」という言葉に由来している。すなわち、殉教とみなされるためには、その死がその人の信仰を証していると同時に、人々の信仰を呼び起こすものであるかどうかということが基準とされている。処刑される殉教とともに、迫害と追放を耐えて死ぬこと、信仰のための追放も殉教であるとされている。キリスト教の最初期の殉教者として新約聖書(使徒行伝・使徒言行録)に登場するのはステファノと使徒ヤコブである。洗礼者ヨハネの死も殉教とみなされるが、伝統的にはイエス・キリストより以前に死んだヨハネではなく、ステファノが「最初の殉教者」といわれる。伝承によると、イエスの十二使徒は(イスカリオテのユダはもちろん例外として)、ヨハネを除くすべてのものが殉教したとされるキリスト教は、自分たちの崇める神以外の神を認めない一神教である。これは古来の神々への崇拝を重視するローマ帝国の政策に反していたため、皇帝ネロ以来たびたびキリスト教は禁止された。五賢帝と呼ばれるハドリアヌスやトラヤヌスは、帝国の精神的一体性を強めるため古来の信仰の称揚を図り、ためにキリスト教は抑圧され、流刑に処されるものが多く出た。さらに後期ローマ帝国において皇帝崇拝が強化されると、キリスト教徒への迫害が強まった。使徒ヨハネの弟子ポリュカルポスは皇帝を拝む偶像崇拝を拒み、火あぶりにされた後に刺し殺されたと伝えられる。古代末期のディオクレティアヌス帝やデキウス帝は皇帝崇拝を強化し、キリスト教徒を積極的に弾圧した。この時期を大迫害期と呼ぶ。また、初期の教皇とされるこの時期の多くの高位聖職者たちも、その多くが殉教していたとカトリック教会では伝承される。ローマ人は皇帝が神だと信じていたわけではなく、皇帝への服従を形式によって示すことを期待していた。ローマの知識人はキリスト教の教義そのものを敵視していたわけではなく、むしろ迷信に惑わされたものとして同情していたが、国の政策に公然と反対するキリスト教徒の強情さは罪に値すると考えていた。しかし、自分の口から皇帝を神と認める言葉を出すことは、キリスト教徒にとっては重大問題であった。皇帝崇拝を拒んだキリスト教徒は、捕らえられて死刑に処された。こうして殺された人を、キリスト教徒は殉教者として信仰の証人とみなした。なお洗礼を受ける前にキリスト教への支持を表明して殉教することは「血の洗礼」と呼ばれた。(ウィキ)


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イエスのみ名の力の破壊力 10 聖なる本物に拒否反応する

2024-01-23 04:00:00 | 使徒言行録に書かれた聖霊の働き
使徒言行録
5:33 彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。

 5:34 ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、

ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、

使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。

 5:35 それから、議員たちに向かってこう言った。

「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。

 5:36 というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、

彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、

従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。

 5:37 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、

民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、

自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。

 5:38 そこで今、あなたがたに申したいのです。

あの人たちから手を引き、放っておきなさい。

もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。

 5:39 しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには

彼らを滅ぼすことはできないでしょう。

もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」

彼らは彼に説得され、

 5:40 使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって

語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。

 5:41 そこで、使徒たちは、御名のために

はずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。

 5:42 そして、毎日、宮や家々で教え、

イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大祭司たちの怒り狂いは、

自分の立場や権威を捨てることかできなかったからです。

頭からの自己否定は、怒りとなり、

それを指摘した者たちを抹殺するという暴挙に出ます。

先回、述べました秀吉も家康、そして日本帝国朝鮮総督府がそうでした。

もっとたちの悪い者の見て見ぬふりをする者です。

大祭司たちも一筋縄では潰せないと分かり、

怒り狂って考えられないヒステリックな状態に陥っていたのです。

この背後に神が働いていることを神に仕える大祭司たちが

見抜けないことを私たちは失笑できるでしょうか。

韓国のブラザー・ヒョク師がそうですが、韓国で彼の語る聖め、

花嫁の信仰を受けとめることができる方は韓国で半数しかいないと思います。

私もメッセージを聞いた時、彼の聖さを受けとめられる人は、

私も含めていないと思いました。

神のみこころをキャッチするには、神に焦点を合わることしかできません。

聖なるものに異常な反応を示すのは特に日本教徒に多いのです。

次のブログ「あなたは日本教徒から脱出できますか」の連載で

ようやく日本教の全貌が見えてきましたが、

大祭司の姿は日本教徒が本物のキリスト教信仰に

接した時に起こる拒絶反応と同じなのです。
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神の義 08 罰を受けるのは当然だ 

2024-01-22 04:00:00 | ローマ人への手紙を読み解く
ローマ人への手紙
3:4 絶対にそんなことはありません。

たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。

それは、「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、

さばかれるときには勝利を得られるため。」と書いてあるとおりです。

3:5 しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、

それに対して何と言うべきでしょう。

人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。

 3:6 決してそうではない。もしそうだとしたら、

どうして神は世をお裁きになることができましょう。

 3:7 またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、

神の栄光となるのであれば、なぜ、

わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。

 3:8 それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」

とも言えるのではないでしょうか。

わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、

こういう者たちが罰を受けるのは当然です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8節に「善が生じるために悪をしよう」というパウロへの

批判があることを言っていますが、その批判に対して、

「こういう者たちが罰を受けるのは当然です。」という

厳しい断罪をしています。

これは4節に「すべての人を偽り者としても、神は真実な方である」

と告白しているパウロの言葉を正しく受け止めれば、

神の祝福に預かる祈りであることが分かります。

十字架に合わせられた祈りが祝福なのです。

ですから敵対者がパウロを「善が生じるために悪をしよう」

としているというのは聖霊を冒涜すべき罪に匹敵します。

ゆえにパウロはこのように批判する者たちこそ、

「罰を受けるのは当然だ」と指摘しました。

そして5節から8節まで問題視しているのは、神の義です。

敵対者は、神の義をないがしろにして神の義に従わなかったのです。

神の義とは神を神とすることで、それが救いなのだということです。

これから注解していくところですが、

3:22と10:3にはこのようにあります。

神の義は生命のそのもので、神の満ち溢れる平安そのものなのです。


3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、

それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

 10:3 というのは、彼らは神の義を知らず、

自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。

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