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安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

神の義 08 罰を受けるのは当然だ 

2024-01-22 04:00:00 | ローマ人への手紙を読み解く
ローマ人への手紙
3:4 絶対にそんなことはありません。

たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。

それは、「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、

さばかれるときには勝利を得られるため。」と書いてあるとおりです。

3:5 しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、

それに対して何と言うべきでしょう。

人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。

 3:6 決してそうではない。もしそうだとしたら、

どうして神は世をお裁きになることができましょう。

 3:7 またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、

神の栄光となるのであれば、なぜ、

わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。

 3:8 それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」

とも言えるのではないでしょうか。

わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、

こういう者たちが罰を受けるのは当然です。

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8節に「善が生じるために悪をしよう」というパウロへの

批判があることを言っていますが、その批判に対して、

「こういう者たちが罰を受けるのは当然です。」という

厳しい断罪をしています。

これは4節に「すべての人を偽り者としても、神は真実な方である」

と告白しているパウロの言葉を正しく受け止めれば、

神の祝福に預かる祈りであることが分かります。

十字架に合わせられた祈りが祝福なのです。

ですから敵対者がパウロを「善が生じるために悪をしよう」

としているというのは聖霊を冒涜すべき罪に匹敵します。

ゆえにパウロはこのように批判する者たちこそ、

「罰を受けるのは当然だ」と指摘しました。

そして5節から8節まで問題視しているのは、神の義です。

敵対者は、神の義をないがしろにして神の義に従わなかったのです。

神の義とは神を神とすることで、それが救いなのだということです。

これから注解していくところですが、

3:22と10:3にはこのようにあります。

神の義は生命のそのもので、神の満ち溢れる平安そのものなのです。


3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、

それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

 10:3 というのは、彼らは神の義を知らず、

自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。

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