7・「花嫁断食」--神と出会い、関係を深める断食--
マタイによる福音書
9:14 するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。
「私たちとパリサイ人は断食するのに、
なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」
9:15 イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、
花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。
しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。
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弟子たちは地上でイエス様と過ごすことを当然のように受けとめ、
イエス様に愛され、親密になっていくのを喜んでいました。
しかし、イエス様は、自分が取り去られることによって、
弟子たちの喜びは、悲しみに変わると語り、
自分の花婿である神としての側面を示すことで、
新しい種類の断食を紹介しました。
弟子たちは、イエス様のいない悲しみから断食し、
再び来られることを願って断食するのです。
イエス様の臨在を経験し、
その愛と美しさの啓示を受けられるように断食する。
私たちはこれを「花嫁断食」と呼んでいます。
伝道の力を与えられたり、裁きと危機を回避することよりも、
イエス様を求めることに重きを置いた断食です。
年に一度の断食と悔い改めの日、
ヨム・キプール(注・01)は、花嫁断食の予表です。
ヨム・キプール(注・01)
贖罪の日(しょくざいのひ)は、レビ記16章に規定されるユダヤ教の祭日。ユダヤ教における最大の休日の1つである。ユダヤ暦でティシュレー月10日にあたり、ザドク暦では第七のホデシュの10日で、グレゴリオ暦では毎年9月末から10月半ばの間の1日にあたる。前夜の日没時にコル・ニドレイが唱えられ、これがヨム・キプルの始まりを告げる。ユダヤ教徒はこの日は、飲食、入浴、化粧などや、一切の労働を禁じられ、断食を行わなければならない。(ウィキ)
2023年のヨム・キプールについて
ユダヤ暦5784年が2023年9月15日の日没からはじまりました。その10日後の9月24日の日没から、ユダヤ教最大の祝日の一つであるヨム・キプール(贖罪の日)がやってきます。断食や祈りを通じて贖罪を求める日とされ、一切の労働をせず25時間の断食をします。この間は車の運転もすべきではないとされるため、道路から車が消え、公共交通機関や国際便の発着までもがお休みとなります。ヨム・キプールはユダヤ教において一年で最も神聖な日であり、神と魂の本質に最も近づく日とされています。2023年は9月24日の日没から、25日の日没1時間後までの約25時間にあたり、その間は飲食を控え、体を洗ったりローションやクリームを使わず、革製の靴を履かず、車の運転を含む労働をせず、夫婦の営みを慎むべきとされます。宗教家たちは、一日中シナゴーグで許しの祈りを捧げながら過ごします。
ヨム・キプールの起源については、旧約聖書の出エジプト記に記されています。天地創造から2448年(紀元前1313年)、それまで数百年に渡ってエジプトで奴隷として使役していたユダヤの人々が出エジプトを果たしました。しかしそのわずか数カ月後、彼らは金の子牛像を崇拝するという罪を犯しました。モーセがシナイ山で神から十戒を受け取るのに40日を要しましたが、その間麓で待っていたユダヤの民はなかなか帰ってこないモーセにしびれを切らしはじめました。そして、全民衆に貴金属を供出させ、鋳物の金の子牛像を作ったのです。これを知った神は激怒し、一度は民を滅ぼし尽くすとまで言いましたが、モーセが働きかけ思い直しました。モーセが下山すると、民は宴に興じながら金の子牛を拝んでいたため激しく怒り、十戒の石版を破壊し、金の子牛を燃やし、それを粉々にして水に混ぜて民に飲ませ、また偶像崇拝に加担した民の殺害を命じました。これにより3千人の民衆が亡くなり、モーセが山を下りた日(ティシュレイ月の10日)は、永遠に贖罪の日、ヨム・キプールとして知られることになったのです。