ハビヤンの描いた「平家物語」では
「懺悔」を描くのは皆無だと山本さんは指摘していますが、それは
1・すべての人は真実を口にしてはならない
2・真実を口にせず、その前後のみを口にせよ
3・相互に虚偽、虚構であり、真実を口にしたら一切が崩壊する
その代表が「勧進帳」(注・01)だといいます。
山本さんはこの世界では契約とか宣誓、証言は存在しない
ことを指摘していますが、ヨーロッパ、キリスト教国では
常識の罪の認識は日本では成り立たないことだということです。
そして日本教への順応が展開されていくのです。
ゆえに日本では「一億総懺悔」へと罪が転換されてしまいます。
これを「相互懺悔」だと山本さんは指摘し、日本教の特質だとみています。
かつての日本軍が引き起こした太平洋戦争でも
この「相互懺悔」による「一億総懺悔」で
戦争責任が実に曖昧なことにされてしまいました。
なぜこのようなことになったのか、それは「絶対神」が日本にはなく、
また認めないのでローマ法王の懺悔の勧めが政治解釈されてしまうのです。
日本は「絶対神」ではなく、
自然法の「ナツウラの教え」を第一としたのです。
しかし、ハビヤンは「絶対神」を知って、恐れて、
天皇を念頭に置いた理念としての血縁への忠誠を「平家物語」で展開し、
それが明治以降の天皇制の基盤となっていくのです。
ハビヤンは、ようするにローマ・カトリックのシステムを全く理解できず、
みごとに天皇制にすり替えたということです。
ゆえに近代的な日本教を完成させた人物だといえます。
「勧進帳」(注・01)
源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸を通って奥州へ逃げる際の加賀国の、安宅の関(石川県小松市)での物語である。義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとする。辿り着いた関で、弁慶は焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると言う。しかし、関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いており、山伏は通行罷りならぬと厳命する。これに憤慨した弁慶は仲間と富樫調伏の呪文を唱え、疑いを晴らそうとする。感心した富樫は先の弁慶の言葉を思い出し、勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる(勧進帳読上げ)。なおも疑う富樫は山伏の心得や秘密の呪文について問いただすが、弁慶は淀みなく答える(山伏問答)。富樫は通行を許すが、部下の一人が強力(ごうりき、義経)に疑いをかけた。弁慶は主君の義経を金剛杖で叩き、その疑いを晴らす(初期の演出では、富樫は見事に欺かれた凡庸な男として描かれていたという。後になり、弁慶の嘘を見破りながらその心情を思い騙された振りをする好漢、として演じられるようになった)。危機を脱出した義経は弁慶の機転を褒めるが、弁慶はいかに主君の命を助けるためとは言え無礼を働いたことを涙ながらに詫びる。それに対して義経は優しく弁慶の手を取り、共に平家を追った戦の物語に思いを馳せる。そこへ富樫が現れ、先の非礼を詫びて酒を勧める。それに応じて、弁慶は酒を飲み、舞を披露する(延年の舞)。舞いながら義経らを逃がした弁慶は、笈を背負って富樫に目礼。主君の後を急ぎ追いかける(飛び六方)。