聖ベネディトゥス(注・01)は
世界史の窓にあるようにすべての修道院において、
ベネディクトゥス戒律を準拠することが定められましたが、
彼の会則の中に
「すべてにおいて節度を守りなさい」とあります。
1・食事
2・会話
3・仕事
4・睡眠
5・息抜き
6・運動
生活のすべてにおいてと言います。
近年では
7・スピード
8・エネルギー
においてもとこの本は言います。
節度を守るとは品性をともない、清さをともないます。
そして修道院では具体的にこのように教えます。
「何か美味しいものがあったら満腹になるまで種ないと言う事です。またそれが美味しくない場合、わずかでも食べることです」
節度とバランスです。
また修道院ではこういいます。
ぜいたくな暮らしをしている人たちは全人類の1/3になります。全世界のことを視野に入れることが大切なのです。
聖ベネディトゥス(注・01)
イタリアのヌルシア生まれのキリスト教修道士。529年ごろ、モンテ=カシノに修道院を建設し、ベネディクト派修道会を興した。539年にベネディクトゥスが定めた戒律は、その後の修道会の規範として大きな影響を与えた。7世紀ごろには、すべての修道院において、ベネディクトゥス戒律を準拠することが定められた。ベネディクトゥスは、修道院の創設や戒律の制定などで知られるが、ヨーロッパ=キリスト教世界では、その生き方そのものがヨーロッパ文明の源流であり、設計した人物として崇敬され、「聖ベネディクトゥス」と言われている。ローマ帝国が崩壊した後も、荒廃と混乱のなかで彼は修道院を建設し、福音を述べ伝え、大地を耕して豊かにし、ありとあらゆる事業を計画的に発展させ管理する修道士たちを生みだした。また学校や図書館、ギリシア・ローマの古典、哲学や芸術、薬学や神学書の保存と研究は、そのすべてが彼らの仕事であった。「学んで無知なことから離れ、学ばざる知恵を備えるべし」しかし、ベネディクトゥス自身の生涯や戒律の制定過程などは何一つわかっていない。後のグレゴリウス1世が修道士時代に書いた『対話』という書は「尊敬すべき修道院長ベネディクトゥスの生涯と奇跡」であるが、その大部分は奇跡物語である。その一節にベネディクトゥスは、ヌルシアの名門に生まれ、人文学を学ぶためにローマへ遣わされたが、その地で多くの学生たちが、悪徳の道に踏み迷い、滅びにいたるありさまをみて、自分も彼らのように知識を求めて、ついには身ももろともおそろしい奈落の淵に陥らないように、世俗からきびすを返した。そこで学問を断念し、父の家も財産も棄てて、神への奉仕に生きることを決心し、ひたすら神の御旨に適うことのみを願った。こうして彼は、学んで無知なことから離れ、学ばざる知恵を備えるべし、として退いたのである・・・とある。「学んで無知」ではなく「学ばざる知恵」を備えよ、とは大事な示唆を含む言葉ですね。(世界史の窓から)