バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

真のリバイバルとは何か 13 世界最後の夜(CS・ルイス) 04 民主主義という便利な支配システム

2022-10-14 04:00:00 | 正しい霊的復興
★世界最後の夜(CS・ルイス)

他方、喜ばしい副産物として、標準化されておらず、仲間のようにされておらず、

融和されていない少数者たち(その数はすくなくなっている)は、次第に実質上、

やかまし屋、気むずかし屋になってきています。

いずれにしても、大衆はそうであると信じています。なぜなら疑いはしばしば、

そうではないかと疑っていたものを実際につくり出してしまうからです。

「私が何をしようと隣人たちは私を魔法使いだとか共産党の手先だとか考えようとするから、

いっそ、そのことをほんとうに、彼らが、そうでないかと考えているものになってやろう」。

その結果、私たちは今、非常に少数ではあるが、

地獄のために非常に有用な知識階級を持っているのです。

しかし、これは単なる副産物にすぎません。わたしがあなたの注意を向けさせたいと

願っているのは次のことです。

すなわち
・あらゆる種類の優越、道徳的、文化的、社会的、あるいは知能的なものを疑い、

終局的には、それを除去すようとする広範な運動があるということです。

民主主義が(まじないとしての意味で)今や私たちのために、かつて昔の独裁者がしていたことを、

その独裁者がしていたのと同じ方法でなしつつあるということは、

すばらすしいことではないでしょうか。

ご存じのことと思いますが、ギリシアの独裁者(彼らは僭主とよばれていました)のひとりが、

他の独裁者に使者を遣わして,統治の仕方について忠告を求めました。

忠告を求められた独裁者は、使者を穀物畑に連れて行き、普通の標準よりも

1,2センチほど上に出ている穂をみな、杖でおとしてしまいました。

教訓は明らかです。

あなたの臣民の中で傑出した者が出るのを許してはならない。

大衆に比べてより賢い者、より善良な者、より有名な者、

あるいはより美しい者さえも生かしておいてはならない。

彼らをすべて一般的水準にまで切り下げよ。すべての人を奴隷に、凡人に、つまらないようにせよ。

すべてを平等にせよ。

このようにして僭主はある意味において、「民主主義」を実践することができたのでした。

しかし、今や、「民主主義」は、僭主なしに同じ業をすることができます。

今では何人も杖をもって穀物畑を調べる必要はありません。

背の低い茎は自分で背の高い茎の頭部に食いつきます。

背の高い茎は仲間のようになりたいと自分で自分の頭を食いちぎって背を低くしています。


以上で世界最後の夜(CS・ルイス)からの引用は終わりです。


【ブログ筆者・安田から】
この世界最後の夜(CS・ルイス)を引用してきましたが、

日本は今まで国民の力で民主主義を勝ち取ったのではないので、

まさに悪魔の支配の民主主義、借り物の民主主義に支配されています。

それをCS・ルイスから学ばなければならないのです。

戦後の日本の民主主義は、明治の天皇制や江戸幕府よりも巧妙だったのです。

しかし、今も日本人は気が付いていないのが悲劇です。


コメント
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