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安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

新約聖書の世界 20 新約聖書の地理の基礎知識 05 パレスチナ 05 サマリヤ 

2022-10-04 04:00:00 | 聖書入門 新約聖書
サマリヤ地方は山地になります。

列王記によればサマリアという名前は昔この辺の土地を持っていた

地主「ショメル(Shemer)」の名前が起源とされています。

新しい都を作るためこの地にあった丘を購入した北イスラエル王のオムリが

前の持ち主であったショメルの名前を都市名に使うようになり、

その後この辺り周辺が北イスラエル王国の中心地となったため、

都市に限らずにこのあたりの地域やもっと広く

北イスラエル王国そのものを指すようになったようです。

その後、紀元前1世紀に親ローマ的だったヘロデ王により都市が整備された際に、

アウグストゥスのギリシャ語訳セバストスに因み「セバステ尊敬すべし) 」と改名され、

現在は都市が「サバスティーヤ」と呼ばれるのはこちらが語源といわれます。

現在、西岸地区北部をサマリアと呼びヨルダン川西岸地区をユダヤ・サマリアと呼ばれています。

この地方は北イスラエル王国の中心部でしたが、

紀元前722年北イスラエル王国がアッシリアにより滅ぼされると指導者たちは

アッシリアに連れていかれ(アッシリア捕囚)、代わりに

バビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファルワイムから、

アッシリア帝国からの移住者が入植してきて、アッシリアによりサマリア県が置かれました。

サマリア県はアッシリアに続くバビロニア時代にも存続し、

紀元前586年の南ユダ王国滅亡(バビロン捕囚)後は、その旧領土、

すなわちエルサレム周辺も、一時的にサマリア県に併合され、残された

住民とアッシリアからの移住者でサマリア県(狭義)に住む人々は、

後に「サマリア人」と呼ばれるようになりました。

新約の時代になってヘロデ大王は,皇帝アウグスツスより与えられた

サマリアを再建 (前 30頃) 、名をセバステと改めました。

この名は現在のセバスティイェとして残っています。

ヘロデ大王の治世から1世紀にかけてセバステは、ヘレニズム風文化の一つの中心となり、

かなりの繁栄を回復します。

民族的・宗教的にユダヤ人と対立します。

しかし,のちには隣人愛の模範たる〈善きサマリア人の譬え〉(ルカによる福音書10:39-37)

も生まれます。

使徒時代,ギリシア語を話す使徒たちはサマリアに宣教におもむき、

ピリポ、ペテロ、ヨハネらの活動を通じてここにも教会の基礎がおかれます (使徒行伝8:5-17)。

その後ユダヤ人の反乱でセバステは焼かれ衰退しましが、

セウェルス帝治下で再び繁栄を回復し、キリスト教がローマ帝国の国教となると

セバステには司教座がおかれました。

634年以後はアラビア人の支配下に入っています。

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