一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

小林秀雄―『歴史の魂』を読む。

2005年10月26日 11時20分10秒 | BOOK
小林秀雄は結構好きで、全集を購入している手前もあり、折にふれて少しずつ読み進めています。
昨夜は、『歴史の魂』というタイトルを読みました。
面白かったので、ちょっと紹介してみましょう。

ドイツの軍人ゼークトの手になる『一軍人の思想』という一書を手がかりに、小林秀雄は考察を進めていきます。
第一次世界大戦後の世界情勢は、敗戦国ドイツの軍人ゼークトが、戦後に予言したとおりに進んでいきます。では、何故ゼークトは未来を予見し得たのか。
それはじっとしていたからだ、と小林秀雄は考えます。

みんなが、悲惨な戦争を二度と起こすまい、と決心して、あれやこれや先走って考えていたときに、ゼークトはじっと、今やってきた戦争の性格を考えていた。将来に対する希望や理想を持たず、「実際自分の目の前にある事態の中に将来の萌芽が、ちらちら見える、そういう萌芽が見えるまでじっと現在の事態を眺めている人」、その人がゼークトだったのです。それを踏まえて、ゼークトには空想がなかった、それが偉い思想家に共通しているものである、と小林秀雄は語ります。

また、ゼークトは、スローガンを憎んでいたとのこと。スローガンは、自分で考える力のない人のためにあるのだ、と言っていたとのことです。スローガンと空想は、通じるところがありますね。

そしてスローガンではなく、真の理想を持つことがいかに難しいことであるかを、孔子を例に挙げて次のように語っていきます。
孔子の理想は「仁」であり「聖」であったが、「仁」や「聖」がどのようなものであったかどこにも説いていない。何故か。「聖だとか仁だとかいうような思想が、どのくらいスローガンとして人を惑わすかということが孔子は一番気に掛かっていたからこそ、そういうことをしなかったのだとお解かりでしょう。立派なことを言う事ぐらい孔子の様な人には実に易しかったでありましょう。ただ立派な言葉は人を惑わす。それが堪らぬから『論語』には逆説が満ちているのである」。

歴史を見ることも同じである、と論は進みます。
歴史の新しい見方、新しい解釈というスローガンで、歴史はぐらついたりする弱いものではない。万葉集と同じように、「歴史も亦形です。厳かな形である。その形というものは、新解釈という様なものを通してはじめて解るというものではない、歴史的遺品から僕等が直接感得するより他はないものであります。」「歴史の本当の魂は、僕等の解釈だとか、批判だとかそういうようなものを拒絶するところにある。」「吾々の解釈、批判を拒絶して動じないものが美なのだ。……(中略)……本当の美しい形というものが、歴史の内には厳然とあって、それは解釈しようが、批判しようが、びくともしない。」
ここは、小林秀雄の歴史観が、非常に端的に表現された部分ですね。

では、動じない歴史の姿を感得するにはどうすればよいのか。
小林秀雄は本居宣長の『古事記伝』を例に挙げて、対象に対する「愛情」と「尊敬」である、と語ります。
また、芭蕉の「風雅」をもその例に挙げて、結びに入っていきます。
ずいぶんと長文になりましたが、ここは美しい部分なので丁寧に紹介してみたいと思います。

さて、小林秀雄は、我々が理解している「風雅」と、芭蕉の語る「風雅」との根本的な違いを指摘します。我々の理解している「風雅」が、消極的な態度、あるいは洒落た態度に根ざしているとするならば、芭蕉の「風雅」は、「大地に根ざした強い思想」であり、それは「己を空しくして自然を余程観察」しなければ生まれないものであると、語ります。

以下、少し引用してみましょう。
「己を空しくして、色々な思想だとか、意見だとか、批判などに煩わされないで自然の姿が友となって現れてくる、自然と直接につき合うことができる。そういう境地は易しくはないのです。そうなると見るもの花にあらずという事なし、ということになる。即ち美は、やさしくはないのです。また芭蕉は虚にあって実を行うという事を言っているが、それは己を空しくするということは決して消極的な態度ではない、結局それがものを創造する唯一の健全な状態なのだと言う意味だと思います。」
「歴史は第二の自然である。その意味で、歴史に従い歴史を友とし、見るもの花にあらずという事なし、という様に歴史が見えて来る、つまり芭蕉の考えた風雅というような強い精神のなかに歴史も亦現れて来なければ、そういうような純粋で創造的な状態に至ろうとしなければ、伝統に根ざした創造ということは空言だろうと思う、出来ないことだと思う。だから僕はそういう精神にさえ達すれば新しい工夫、新しい解釈という様なものにとらわれることはない。ただ吾々は常に伝統に還ればいい、自然に還ればいいのだ。そこに自ら新しい創造の道が開かれる。」
と語ってから、今の時代(昭和17年)に、目を覆わんとしても不可能な現実の姿がある一方、ジャーナリズムの中に、いかに様々なスローガンが横行しているか、その遊戯に気をつけなければいけない、と警鐘を鳴らして文を結んでいます。

小林秀雄の語る言葉は、今の社会情勢を鑑みても(また、それから離れてみても)、今なお一考する価値があるのではないでしょうか。

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『歴史の魂』は、「第五次小林秀雄全集」からの収録になっています。
これだけの名編が埋もれていたのは惜しい! (『歴史の魂』は、以下の全集に収録されています。)


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静かな美しさが心を打ちます。
小林秀雄全集〈第7巻〉歴史と文学・無常といふ事

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「脚注」もつき、とても助かります。
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4 コメント

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ほんとに長いね^^; (吟遊詩人)
2005-10-26 18:18:56
小林秀雄は、私も大好きだよん。

でも、ところどころ、難しすぎて分からないんだよねぇ・・・。



自分が感じた通りで良いのか・・・もっと別の意味で言っているのではないのか・・・という不安が、つきまとったりするし。



小林秀雄の歴史観は、あちこちに出てくるから、なんとなく分かる。

スローガンについての記述も、すんごく同感できる。

でも、芭蕉の「風雅」は、ちと難しいなぁ。



どういうのが、大地に根ざしていて、どういうのが根ざしていないのか・・・。

そこらへんが分かりません。



日常の生活で、「地に足のついた生活」とかそういう言葉が出てくるけれど、そういうのとは違うんだろうし。

これも、説明しちゃうと、孔子が避けようとしていたスローガンのようになってしまうからかなぁ・・・?
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よく読んだね。 (便造)
2005-10-26 23:29:15
さすがだね、よく読んだね(^.^)



これでもずいぶん端折らざるを得なかったので、解りにくいところは残ったかも。

孔子のところもずいぶん端折ったし、森鴎外に関しては、触れずじまい。素晴らしい内容だったのに・・・・・・。



さて、芭蕉の「風雅」について。



「風雅」は、客観主義との対比で述べられていて、引用した先の部分には、「彼(芭蕉)に言わすと風雅というものは、造化に従い四時(しいじ)を友とすというのでしょう(天地自然に従い、四季を友とす)」とあります。



対象と距離を置きながら何かを鑑賞するのではなく、対象とじかに交感する、ということではないでしょうか。そのためには、己を空しくして、じっと待つ、ということが肝要である、それが「大地に根ざしている」ということになると理解しました。



ここを読んでいるときに、東山魁夷の言葉が浮かんだよ。「風景をじっと眺めていると、風景のほうから私を描いてくれ、と語りかけてくる。そのときに初めて私はスケッチブックを開くのだ」という様な言葉を。
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小林秀雄 (mugi)
2005-10-30 16:46:54
便造さん、TBありがとうございました。



小林秀雄の名前は知っていても、その著書を読んだ事はまだありませんでした。



>「歴史の本当の魂は、僕等の解釈だとか、批判だとかそういうようなものを拒絶するところにある。」

>「吾々の解釈、批判を拒絶して動じないものが美なのだ。……(中略)……本当の美しい形というものが、歴史の内には厳然とあって、それは解釈しようが、批判しようが、びくともしない。」



これはまた、独特の歴史観ですね!哲学者はこういった捉えかたをするのですか。“歴史認識”の言葉がひどく安っぽく感じられました。



私が読んだ歴史書で、その歴史観に衝撃を受けたのは、拙ブログでも度々引用しているJ.ネルーの『父が子に語る世界歴史』です。
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RE:小林秀雄 (便造)
2005-10-31 10:40:37
mugiさんこんにちは。

確かに小林秀雄の歴史観は独特ですね。

対象が直に姿を現すまでじっと待つ、という姿勢は、万事において小林秀雄に共通しているように思われます。

小林秀雄は「マキアヴェリ」の『ローマ史論』についても書いています。



>『父が子に語る世界歴史』

もう少し落ち着いたらぜひ読んでみたいと思っている一書です。幸い絶版ではないようなので、これから買い進めて行きたいと思います。「みすず書房」の装丁はとても好きなので(^.^)
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