一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

これは凄い! ロシア版『戦争と平和』を観る。

2006年05月05日 11時35分52秒 | cinema
これは凄い!
旧ソ連が、国の威信をかけて製作したといわれる、7時間近い(本編403分)大作です!

戦争と平和

アイ・ヴィー・シー

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製作費4億8200万ドル、登場人員531,300人という空前絶後のスケールで製作された本作は、オードリーが主演したハリウッド版とは桁違いの充実度、完成度です。(参照「『戦争と平和』を観る」

冒頭のシーンからして、ハリウッド版ではついぞ観られなかったほどのスケール感と崇高さに驚きます。

さて、前半の最大のチェックポイントは、主人公の一人「ボルコンスキー公爵」が敵の銃弾に倒れ、天を仰ぐ場面です。これは原作を読んでいるときに、トルストイの描写の素晴らしさに引き込まれ、読了するきっかけとなった場面です。ハリウッド版では「なにこれ?」というほどあっけない場面でしたが、さすがにトルストイへの愛情の差なのか、こちらは見事な描写で堪能させてくれました。トルストイの表現を有効に活用し、それが作品に深みをもたらしています。

全編にわたって、荘厳さ、雄大さ、崇高さ、繊細さ、葛藤、そして人生の危うさと、生と死の深淵を、存分に描ききった作品と言えるのではないでしょうか。

なお、バックに流れるヴァチェスラフ・オフチンニコフ音楽も作品によくマッチしており、レベルの高い聴かせる音楽になっておりました。
ナポレオン率いるフランス軍との戦闘シーンからモスクワ炎上、そして略奪シーンへつながる作品後半の大スペクタクル・シーンの迫力は、旧ソ連が国の威信をかけて制作した作品であることを十二分に納得させてくれます。(スペクタクル・シーンでありながら、苦さを感じさせるところも秀逸です!)
集めようとしたって、集めようがないほどのエキストラの数、圧巻です!

また、屋内のシーンも素晴らしい!
舞踏会シーンは言うに及ばず、ロシアの貴族の邸宅の素晴らしさも堪能できます。
私が原作を読みながらイメージしていた邸宅内部は、やけに狭かったようです^_^;
日本人にはイメージしがたいほどの広さですね。

さて、いくつか気になった点を上げるとすれば、淫蕩なる美貌のエレンがあまりにも歳をとりすぎていたこと。原作に登場するエレンは、20代から30代前半までだったと思うのですが、この映画では、どうみても50歳前後のおばさんでした(若い頃はさぞ美しかっただろう、とは思いました)。重要な役どころなので、もう少し考慮して欲しかった。

また、ボルコンスキー公爵が、ナターシャをはじめて意識するバルコニーシーンは貧弱でした。もう少し、萌えいずるような春の雰囲気が欲しかったですね。

さらに、原作を読んでおかないと、人物の相関関係や、シーンのつながりが分かりにくいだろう、と思われる場面が多々ありました。ま、これは、トルストイの原作が長大なるゆえ、仕方がないのかもしれませんが。そのかわり、原作をお読みになっている場合は、ロシア貴族の邸宅、戦闘シーンなど多くの場面で、原作の視覚イメージを補完をしてくれるので、作品理解の大きな助けとなります。

さて最後になりますが、この作品は、日本ではIVCからリリースされているのですが、高価です。
私は北米に注文しました。
北米盤は、リージョン・フリーですし、日本語字幕にもなんら問題ありません。
送料を含めて7000円程度だったように思います。
私はいつも「DVD Planet」に注文します。なにしろ丁寧な仕事で完成度の高いDVDをリリースし、続ける「Criterion Collection」が35%OFFという素晴らしさです!
同時に「Criterion Collection」を何枚か購入すれば、送料の元も取れるのではないでしょうか。


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6 コメント

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自称、戦争主義者 (Mars)
2006-05-09 22:52:17
こんばんは、便造さん。



トルストイの『戦争と平和』といえば、学生時代に題名と著者を覚えただけで、内容までは存じておりませんが、かなり濃い内容のようですね。



戦争が何故止められず、平和がどうして続かないのか、私のような愚者には分かりませんが、自称平和主義者の方々も説明できないですね。で、本当に、平和主義者のいうようには、戦争はなくならないし、武力を持つ一国だけ責めて、その他の国を責めないのであれば、本当の平和主義者とはいえないですよね?



白眉の老元首相は、戦争を知らない世代にといいますが、戦争の本質を知るものは少ないでしょうね。それは、私のような頭だけの知識でなく、体験だけの思いだけでは理解できないと思います。

(戦争の辛さ、悲惨さ、皮肉までは、知識では、想像の範囲を超えませんが。)



未だに、言論等が制限されるロシア国内を見れば、そういう意味でも、歴史の、人類の皮肉を、感じさせられるようです。

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re:自称、戦争主義者 (便造)
2006-05-10 12:16:24
Marsさん、こんにちは。

書き込みありがとうございます。



確かに戦争の原因を理解するのは至難の業ですね。

その上、原因や本質を理解できなければ、戦争を止めることも、止めさせることもできないでしょうから。



戦争を「大規模な喧嘩」、と考えるならば、プライド、欲、そして恐怖などが戦争の原因と考えることも出来そうですが、単に「戦争が好きな人間」が後を絶たない、というだけなのかもしれません。それに巻き込まれる国々や人々、というような・・・・・・。



かつて、小林秀雄はトルストイの『戦争と平和』について次のようなことを言っています。



「これは、トルストイが、『戦争と平和』を書いたときに彼の剛毅な心が洞察したぎりぎりのものではなかったか。戦争と平和は同じものだ、という恐ろしい思想ではなかったか。 ……中略…… 戦は好戦派というような人間が居るから起こるのではない。人生がもともと戦だから起こるのである」



ということならば、人間が人間である限り、戦争はなくならないのかもしれませんね。「自称、平和主義者」も、人生の中で、全く戦わずに生きこられているわけではないのでしょうから。



インドの哲人クリシュナムルティという人は、「人の内に葛藤がある限り、戦争はなくならない。」というようなことを語っていたように思います。



ただ、穏やかに寛いだ公園などを散歩していると、「この平和な世界がどこまでも広がっていきますように」と、思わずに入られません。



なんか取留めのないコメントになってしまいました^_^;



お許しください。











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愚者暴論 (Mars)
2006-05-11 22:15:26
こんばんは、便造さん。



失礼なコメントの上、更に失礼なコメントで申し訳ないです。しかし、便造さんが仰るとおり、戦争が何であり、何が原因であるか。また、どうすれば、それをすべて排除できるのか。恐らく、今後、人類が千年以上行き続けても、理解できないだろうと思います。



しかし、誠に失礼ながら、某自称平和主義者のように、平和や憲法を念じ続ければ、今後永遠に平和が続く、というのではなく、戦争を何たるか、思考されているのを拝見すると、やはり、便造さんだなぁと、感心させられました。



やはり、戦争とは、軍事と軍事の衝突ですが、それ以前に、経済の衝突、戦争をした後の被害を想像させる抑止、そして、突発的な場合でも、何らかの対応ができる準備は必要であると、私は考えます。例え、99%以上が外交で解決できたとしても、残り1%の軍事、そして、0.01%以下の確率での暴発も、考えるの者こそ、政権を持つべきだと思います。



戦争とはやはり、武力と武力の衝突ですが、勝ち負けの予想や、戦争に伴う損害を考慮して、行うのが一般だと思います。しかしながら、すべてがすべて、計算だけではなく、積年の恨みや面子、負けるのが分かっていても、どうしても、それに踏み込むしかないと考える場合があると思います。



それこそ、日本人は戦争の本質を考えることをタブー視しているきらいもありますが、考えも想像もしないのであれば、対処もなにも出来ないことであると、考え直す時期に来ていると思います。

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政治家の気概 (便造)
2006-05-13 14:13:38
Marsさん、こんにちは。



>99%以上が外交で解決できたとしても、残り1%の軍事、そして、0.01%以下の確率での暴発も、考えるの者こそ、政権を持つべきだと思います。



確かにMarsさんの仰るとおりだと私も思います。

あらゆる事態を想定し対処できるものが国のトップに立つべきですね。そして、如何なる事態においても、その困難な平和を堅持できる者が国のトップに立つべきです。政治のプロなら、それぐらいのことはやってほしいと思います。



国の平和を堅持する気概のないもの、自信がないものは政治家を目指すべきではないのでは、と考えております。



戦争の口実をこじつけたり、探したりするような某超大国のような指導者は勘弁してほしいものです。

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こんばんわ (ねせもの良寛)
2006-05-16 21:56:29
便造さんの場合、原作も原典で読まれるのですか?

なにかしら、そんな雰囲気を持たれているので。



トルストイは「ラージャヨーガ」を読んでいたようですね。



20年近く前でしたか、ドストエフスキーの「白痴」を日本映画で見ました。

黒沢監督だったかなぁ?



肝心要のキリスト教信仰が、「おまもりを持っているか」になっていて、いかにも日本的に描くのに苦労のあとを感じました。



欧米には聖書があり、中近東にはコーランがあり、インドにギーターを始め多くの哲学書があるのに日本は何があるのだろう?

というのが長年のボクの疑問でもあり、不安でもありました。



トルさんもドスさんも必ず「白痴」の主人公のような、ずばり良寛さまのような人が登場するんですね。

ここに戦争解決のミソがありそうですね。



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ねせもの良寛さんいらっしゃいませ。 (便造)
2006-05-18 11:46:48
ねせもの良寛さん、書き込みありがとうございます。



>原作も原典で

実は私は語学が(も)苦手でして^_^;

ということで『戦争と平和』は(も)、日本語訳で読みました。

これだけの作品を翻訳するだけでも、どれほどのエネルギーを必要としたとだろうと、ほとほと感心しておりました。



>トルストイは「ラージャヨーガ」を読んでいた

おお、これは知りませんでした

嬉しい情報をありがとうございました!



>「白痴」を日本映画

黒澤監督ですね。映画会社の意向で、ずいぶん短く編集させられたらしいですね。それでも全編にわたるエネルギーはさすがでした。



>日本の哲学書

ねせもの良寛さんが仰るように、日本の風土に根ざし、日本の風土から生まれ、広く親しまれている宗教というのは、確かに存在しませんね。インドの聖典が好きで、そういうものを読んでも、自分の中に、どこかしら乖離している部分を意識せざるを得ません。精神生活に関しては、インドに生まれていたら、どんなに楽だっただろうと、よく思います(^^)

ねせもの良寛さんと同じような不安を、自分も感じているように思います。



>「白痴」の主人公のような、ずばり良寛さまのような人

>ここに戦争解決のミソがありそうですね

なるほど、これは卓見ですね。

「幼子のような」人々ですね。

やはり、トルストイも、ドストエフスキーも根底にあるのはイエス・キリストなのかもしれませんね。

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