弁天ジョガーの気ままにラン

胆管炎から膵炎への2段階攻撃を受ける

やっとブログを更新する気力と体力が戻ってきた

人生最大の大激痛を短い期間に2回味わうという大災害を忘備録として記する

発症後の自分の体の状況と今思う反省を整理しよう

 

7/6(土)

昼前、翌日のお袋の一周忌の買い物に出かけようと車を運転して山鹿の実家に向かう

途中、菊池市七城町で菊池川を渡る頃からお腹に激痛が走りだす

どうする

どこか病院に飛び込むか…行きつけがない

こういう時、頼りになるのは嫁さんしかいない

ちょうど朝から実家に帰省して庭の草取りをしている

あらかじめ電話でもしてから行くべきと思うが、

激痛の走る中、運転と電話という二つの事を同時に行う力が無い

激痛の走るお腹を押さえて交通にしっかりと気を使い、

嫁さんの実家の玄関に倒れこむ

驚いたのは嫁さんだ

もともと健康志向のオレ、

小さな痛みにもワーワー騒ぐ弱虫なので

そんな大きな病気はしないだろうと思っていたに違いない

自分も思っていた

ところがどうだ

かなり痛がっている

しかも「救急車」と口にしてる

「私が連れていく、そっちが早い」と素早い決断をした嫁さんが

あちこちの病院に電話しているが、引き受けてくれる病院がない

一番近くて熊本市内の機能病院が受入OKと言ってくれた

そこからはA級ライセンス並みのハンドルさばきで赤いスポーツカーが走る

助手席のオレはズキンズキンと続く痛みを我慢し

大きな呼吸を繰り返すだけが精一杯

病院に着いたときは、助かったと思った

 

熊本機能病院では内科系の救急医師が診断、

痛くてよく覚えていないが…

点滴をしながら、血液検査をして、CT診断をされ、日赤病院に転送を決められた

「救急車で送りましょうか」

先生が言われたこの言葉だけは鮮明に覚えている

しかし俺が発した言葉は

「嫁さんに送ってもらいます」

これは今考えると間違った判断だったと思う

機能病院から30分位かかって日赤病院に着いたものの

他の救急外来と同じ扱いで受付前の待合席に待機させられ

ここでの待ち時間が最も苦しい時間だった

救急者搬送だったら直接処置室に運ばれただろう

機能病院から持たされた紹介状やCTデータなどが入った封筒が窓口でいったん止まった

当然のことだ

多くの患者が待つ休日の日赤時間外外来・救急外来

トリアージが第一

この日赤の受付の対応を自分は全く否定しない

これを覚悟しておくべきだったことを反省

飛び跳ねるように身体が震え痛みが次第に増していく

死ぬんじゃなかろうか…

そんな気もした

その後のことはよく覚えていない

随分と待った後に処置用ベッドに寝かされた

痛みを我慢しながら次々と変わる救急医の先生の質問に答え

点滴で輸液されながら、血液検査、CT造影検査、胸部X線、心電図、腹部エコー

様々な検査を受けていたら…

痛みが消えた

胆石ではないか、詰まったものが流れたのではないか、改めて月曜に再診との診断

不安を抱えたまま帰宅

これまで毎年受けている人間ドックで胆石があるといわれたことはない

ドックでは分からない石もあるとも言われた

また、あの痛みが襲ってくるのか…

布団の中でドキドキする鼓動が気になって寝付けない

 

7/7(日)

お袋の一周忌と初盆の法事を実家で執り行う

と言っても、妻子と妹の4人の小規模で、お坊さんのお経を聞き、

自分の調子が悪かったので昼食会もせずに静かに短時間で終了

お腹が張って、食欲もなく、どうも調子が良くない

翌日の日赤再診に期待

 

7/8(月)

嫁さんに付き添ってもらい自宅を7時半には出発して日赤の消化器内科外来へ

専門の先生に、土曜日の一部始終と、これまでの病歴等を報告

改めて血液検査、腹部エコーを受け、土曜日より数値が改善していることを確認

ここでの先生の診断は、

石ではないかもしれないが、砂のような、あるいは土のようなものが胆管に詰まったものだろうとのこと

油ものを控え、しばらく様子を見て、木曜日に再診との指示を受けた

3時近くまでかかって会計まで終了

お腹を空かせたオレと嫁さんは、少し気分もホッとして、

帰りに、なぜかゴボウ天うどんを食べてしまったオレ

ごぼう天は油ものだよな

「自分は大丈夫」

全く根拠のない自信を持つオレ、バカだ

そして、その夜…

7/6の痛みを上回る大激痛が襲ってきた

これはやばい

今度こそ死ぬ

「救急車、救急車」

近くで寝ていた嫁さんに声をかけ、

ただただ、近づいてくる救急音を待つ

静かな住宅街を明々と照らしていただろう救急者の赤いパトサイン

似つかないサイレン

玄関まで這ってきていたオレは強靭な救急士に抱きかかえられ救急車へ

同乗した嫁さんが日赤と言っているはずなのに全く動き出さない

問診や、触診…一定の情報を得られた後に日赤と連絡を取り合われ出発だ

自宅から日赤まで10km弱

夜中なので15分もかからないはずなのに

もの凄く長く、長く感じられた輸送時間

同乗した嫁さんも同じ気分だったに違いない

日赤に運び込まれたら、同行者は処置室の外で待機となり、何が行われているのか分からない

こちらはなされるがまま

途中、あまりもの痛みに何度か嘔吐

これも初の体験だ

あとはよく覚えていないが

CT造形検査を改めて受けたことと、急性膵炎がけっこう酷く、翌日に手術と言われたこと

薬の時間が許す限り鎮痛剤を続けざまで投入してもらったことだ

大激痛で眠れない

体位変換なんて全く無理

長い長い時間が過ぎていく

 

7/9(火)

前夜からの痛みをずっと我慢しながら朦朧としながら耐え

昼過ぎから手術

胃カメラと同じように喉に麻酔スプレーをシュッと2回、そしてゴクン

うつぶせに寝かされ、マウスピースをはめて、顔を横向きにしたら、麻酔で別世界へ

気づくと救急病棟の入院室に寝かされていた

内視鏡により胆管と膵管にそれぞれステントを入れたとのこと

膵臓の炎症がかなり酷いとのこと

しばらく絶対安静とのこと

実はこのことはあまり記憶がなく、あとで聞きなおしている

ステント挿入の手術により大激痛は収まったものの、

お腹の張り、重いズキズキする痛み、38度くらいの熱がしばらく続く

絶食

 

7/10(水)

絶食

24時間点滴、抗生剤投与、尿量検査

腹部張り、重い痛み、37度台後半の微熱続く

熱と痛みでボーッとして終日寝ている

看護師は本当に白衣の天使で、甲斐甲斐しく色んなお世話をしてくれる

パンツをバッと一気に脱がされ、陰部を温タオルで拭いてくれたのは恥ずかしかったし…

申し訳なかった

 

7/11(木)

食事開始(おも湯150g、くず湯200gくらい、汁150gくらい、リンゴジュース100cc)

24時間点滴、抗生剤投与、尿量検査

朝食は、おも湯のみ完食、やっぱり米が元気のもとだ

昼食は、おも湯完食、汁半分

夕食は、完食

お腹の張り、重い痛み、少しずつ良くなっているものの有り

終日、37度台後半の熱

気分が少し良くなってきたのでスマホをいじって仕事関係者などにラインをいれる

 

7/12(金)

食事3食とも完食(おも湯150g、くず湯200gくらい、汁150gくらい、リンゴジュース100cc)

24時間点滴、抗生剤投与、尿量検査

うんこ出る(カスみたいなもんだけど)

お腹の張り、重い痛み、少しずつ良くなっているものの有り

終日、37度台後半の熱

一般病棟に移動

看護師の数がグッと少ないので出来るだけ自分でなんでもやるようにする

 

7/13(土)14(日)

食事3食とも完食(おも湯150g、くず湯200gくらい、汁150gくらい、リンゴジュース100cc)

輸液点滴は朝から夕、抗生剤点滴は朝・昼・夜、尿量検査

お腹の張り、重い痛み、少しずつ良くなっているものの有り

熱は微熱と平熱をいったりきたり

ブログ再開!!

 

久しぶりの大作だ(笑)

それにしても思い出していると嫁さんには世話になった

もちろん、弁天Jrも救急車を追っかけてきてもらったり、

入院後も仕事の合間を縫って荷物届けに来てくれたり

本当にありがとう

退院したらお礼をしないと

 

明日からは少しでも明るい話題があればいいな

一歩一歩

治療もマラソンと一緒

少しずつ、少しずつ、一歩でも前へ

 

ご心配おかけしました

弁天ジョガーは元気です


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コメント一覧

bentenjoger
> うえけん さんへ
> いやぁ、本気で心配しました。... への返信
キャプテンありがとう
自宅に来てくれたんですね
ラン友の優しさに涙しそうになりました
気弱になると涙腺が緩みます
次にお会いできることを楽しみに治療に専念します
うえけん
いやぁ、本気で心配しました。
でもこれだけの大作書ける元気があれば大丈夫デスネ!
しばらくはゆっくり養生して1年間とは言わずお酒とは金輪際オサラバして元気に長生きして下さいネ。
また一緒に走りましょう。
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