仕事が早く終わり、いつもの地下鉄の駅へと下って行く。
やたら出口の多い地下鉄の乗換駅である。
仕事でイヤなことがあった帰りの足取りはいつも重い。
長いコンコースをぼんやり歩いていると、ふと、見慣れない出口を見つける。
『A9番出口』
こんな出口あったかな?
毎日通っているはずなのに、何故か見覚えがなかった。
吸い寄せられるように、その出口へと向かう。
人通りの多いコンコースから、出口までは細い通路が続く。湿っぽいコンクリートに、薄汚れた通路はやけに暗く人はいない。
しばらく歩くと階段があり、そこを登り、出口から外を眺める。そこは見慣れない夜の街だった。
再開発が進み、タワーマンションが立ち並ぶ駅に似つかわしくなく、その出口から見た景色は低層の古臭い木造の建物が並ぶ。人通りはほとんどなく、錆びた街灯がうっすらと狭い通りを照らしている。
こんな場所があったのか…
歩きはじめると、何十年も前からそのままの状態ではないかと思われる薬局などの商店の看板が並んでいる。
まだ、それほど遅い時間ではないのに、どこもシャッターが閉まっていた。
ふと、ネオンの赤い文字が輝いている。
『ギンレイ名画座劇場』
映画館のようだった。
ポスターに描かれた上映中の作品はもう20年以上前の映画だ。
たまには名画もいいな。
そう思い、チケットを買って、中へ入る。
少しかび臭い館内は、今時珍しいくらいの年代物の映画館だ。
入り口から、すぐに階段になっていて、ゆっくりと下って行く。
劇場の重いドアを開けて、開いている一番端の席に腰を下ろす。
意外に多くの客がスクリーンを見つめていた。
何となく夢心地のように映画に引き込まれていく。
すっかり現実社会のことは忘れて…
もう、どのくらい映画館にいただろう。
映画はイヤなことを忘れさせてくれる。
ずいぶんと長い間、映画を観ているようなきがするし、さっき来たばかりのような気もする。
もしかして、このままずっと映画を観ていれば、イヤな現実社会には戻らなくて済むのではないだろうか…
ふと、そんな事が頭をよぎる。
一人、客が入ってきた。その男は建設現場にいる作業員のような作業服を着ている。
男はすぐに座席には座らずに、劇場の端を前の方まで歩いて行き、一番端に座っていた僕の横で立ち止まった。
男はしばらくその場に立っている。暗くて空いている席が分からないのだろうか。
となりの席が空いていたので、そこへ案内するために立ち上がって小声で話しかける。
「どうぞ、となりに座って下さい」
古い映画館が解体されることになった。
もう何年も前に閉鎖され、建物は荒れ放題となっている。
『ギンレイ名画座劇場』
壊れたネオン管の文字が何とか読める。
スクリーンがひとつだけの小さな名画座である。
開発が進む界隈の中に、取り残されたような古い街並みの一角にその映画館はある。
かつて地下鉄の出口からすぐの場所にあったが、ずいぶん前にその『A9番出口』は閉鎖されていた。かつて映画館の経営者が、ここで心臓麻痺を起して亡くなり、そのあと天井が崩れるなどの事故が相次いだためだった。
解体作業の前の点検のため、作業服を来た現場監督が映画館の中へ入っていく。
20年以上前の映画の色褪せたポスターがそのままになっていた。
かなり古い映画も上映されていたのだろう。
受付の先は階段になっており、劇場の入り口は地下である。
階段を降りて行き、重い扉を開けて劇場へ足を踏み入れた。
あれ?
中へ入ると、映画が上映されている。
そんなはずはない…
しかも客席には人影もある。
どういうことだろう?
恐る恐る劇場の端の通路を進んでいく。
スクリーンの明かりが照らし出した客席を見て、彼は息をするのも忘れるほど驚いた。
座席の観客は全て白骨だったからだ。
すぐに立ち去ろうとしたが、体が動かない。
目の前の白骨が立ち上がり、声をかけて来た。
「どうぞ、となりに座って下さい」
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