まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

死ぬまでにやりたいこと

2018-01-27 00:12:16 | 日記

人生の折り返し地点をとうに過ぎ、残りの人生でやっておきたいことをあれこれ考えてみた。全部実現させるのは無理かもしれないけど、意外にやってみたいことは多い。

箇条書きにしてみた。

・ロケットの打ち上げを見に行く

・ローマに行く

・焼き物を習う

・オープンカーに乗る

・油絵を描く

・モデル撮影をする

・映画(アマチュア映画)を作る

・俳句を習う

・一日一ダジャレ

・昔どうしても言えなかった告白をする

・ひどいことをした人に謝る

・オーロラを撮影する

みなさんも死ぬまでにやってみたいことありますか?


ご飯と味噌汁の位置

2018-01-20 23:51:23 | コラム

我が家での食事の配置は茶碗が手前左、味噌汁などの汁物が入ったお椀が手前右、メインのおかずは右奥である。作法通りなのだが、僕は必ず味噌汁を左奥に移動させ、メインのおかずを右手前に持ってくる。何故かその方がしっくりくる。
妻は、今まで特に指摘はしなかったが、味噌汁の位置を入れ替えるのをずっと不思議に思っていたらしい。なぜ、わざわざ位置を入れ替えるのかと。
僕は外食をするときも、右手前に置かれた味噌汁を左奥にもって行き、食器の位置を入れ替えてしまう。ごく自然にそうしてしまう。
何故その位置がしっくりくるのか? 先日テレビを観ていたらその謎が解けました。大阪では味噌汁などの汁物を左奥に配置することが多いそうだ。全国でも関西だけの習慣なのだそうである。
僕が中学生までいた兵庫でも味噌汁は左奥に置かれていたことが多かったと思う。ずっとそういう配置だったので、味噌汁が左奥にくる方がしっくりくるのだ。
考えてみると味噌汁が左奥に置かれている方が合理的である。
茶碗は左手に持つので左手前、これはいい。しかし、メインのおかずが奥にあると距離が遠くなり、口に入れるまでに落としてしまうリスクが増える。また、メインのおかずは皿に盛られていることが多く、味噌汁の入ったお椀より低い位置にある。そのため、その奥にあるおかずを取るときに皿より背の高いお椀に入った味噌汁をこぼすリスクが増える。お椀が左奥にある方がリスクを回避できて安心できるのだ。
何故、正式な作法ではお椀は右手前なのか?
食事がお膳に乗せられていた時代は、器は全て手に持って食べることになる。そこで手に取る頻度の高い汁物のお椀を手前に配置するようになったのではないだろうか? お膳は現代のテーブルよりも低い位置にあるため、汁物の入ったお椀を手前に置いてもこぼすリスクは低かったと思われる。でも、今ではメインのおかずを入れた器は置いたまま、箸で口まで持ってくることがほとんどではないだろうか。
味噌汁などの汁物は左奥。それがいいと思うのだが…


吾輩はカップめんである

2018-01-13 23:14:29 | 創作

我輩はカップめんである。名前は『カップヌードル』多くの仲間と共に工場で誕生した。
その後トラックに揺られ、スーパーに並べられている我輩を手に取ってくれたのがこの家のご主人である。縁があってこの家庭にやって来た。台所の棚で静かに出番を待っていたが、やがてその時がやって来た。
そして、何の予告もなく熱湯をかけられる。熱湯をかけられてからの寿命はたった3分である。
最後に小さな花を咲かせ、役目を終える。役目を終えた後は満足してくれたかどうかは分からない。我輩はすでに胃の中である。それでもご主人の食後の満足顔を期待しながら短い一生を終える。
今度生まれ変わった時はこんなおっさんではなく、若い女性の口に入りたいと心底願うのであった。


母の俳句

2018-01-06 20:11:19 | 芸術

暮れと正月は実家で過ごした。

毎年、選りすぐりの母の俳句が書かれた色紙が飾られてある。
今年も2点。

 

豌豆むく

娘の悩み

聞きながら

 

娘(僕の妹)と二人で夕食の支度をしている母。
娘は職場での出来事を悩みを交えながら話している。
エンドウ豆を剥きながら、娘の話に対応する母。
エンドウ豆の季語は初夏
そんな日常の初夏の風景を詠んだ句。

 

左義長や

祝詞の声の

風に消え

 

左義長(さぎちょう)とは関西での呼び方で、いわゆるどんど焼きのこと。
1月15日に、しめ飾りやお札、書初めなどを燃やす日本伝統のイベントである。この煙を浴びると一年間無病息災でいられると言われていることから、参拝客は火の近くに身を寄せる。
炎が風に揺れ、今まで聞こえていた神殿からの祝詞の声が聞こえなくなる。
そんな神社での小正月の風景を描写した句である。