まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

立ち読みのルール

2011-01-24 19:53:44 | コラム
立ち読みにもルールはあると思う。
元の場所に戻す。
当たり前のことだが、以外とこれをやらない人が多い。
僕のある知人は、違う場所に戻されてる本を片っ端から元の場所に戻さないと気がすまないと言っていた。
僕はそこまではやらないけれど、自分の読んだ本は必ず元の場所には戻す。
売り物なのでページをめくるとき、絶対に皺をつけない。
雑誌など、よく皺がついているのを見かける。買う人のことを考えてもう少し丁寧に扱えないのだろうか。
僕はいつも立ち読みをさせてもらってるいことに感謝の意を表して、雑誌などはキヨスクやコンビニではなく、なるべく書店で買う事にしている。
書店で買うとよく皺がついてる雑誌もあるが、雑誌は読み捨てなので、気にしないようにしている。


おから

2011-01-17 19:02:55 | 食べ物
関越のサービスエリアの屋台で『おからドーナツ』を売っていた。
そこにいた数人の若い女性の話し声が聞こえてきた。
「おからって何?」
「知らな~い」
おからを知らないんだな~
最近、ときどき見かける『おからドーナツ』
ヘルシーさを売り物にしていると思うけど、おからを知らない人には通用しない。
我が家では、過去に何度かおからが食卓に上ったことはある。
訊いてみると息子もちゃんと憶えていました。
だけど、あまり美味しくはなかったと言っていた。
サービスエリアにいた若い女性は、きっと親が好みではなく、食卓に出なかったのだと思う。
我が家でも、食卓に上ったのは数えるほどだと思う。
安い食材なので、昔はもっと頻繁に食卓に上っていた。油揚げやしいたけ、ごぼう、鶏肉などと煮てあり、僕は嫌いではなかった。
それでも最近は食材としてはあまり売れないらしく、ほとんどが家畜の餌になるそうだ。


料理の量

2011-01-14 09:55:13 | 食べ物
実家へ帰るといつも思うことがある。
母と妻
二人は料理を作る祭、作る量に対する考え方が正反対だ。
母は足りないよりは余る方がいいという考え。
帰省したときも、これでもかというくらい料理が並ぶ。
頑張って全部平らげると、足りなかったのではないかと思うらしく、次はさらに多い量の料理が並ぶ。
僕が中高校生時代、母に弁当を作ってもらっていたとき、かなり大きな弁当箱を持たされた。
大きすぎて食べきれないと文句を言うと、多ければ残せばいいと言われた。
小さな弁当箱で、きれいに平らげると、やはり足りなかったのではないかと思うらしい。
母の実家が料亭だったことと関係しているのかもしれないけど、出した料理が足りないという状態が最悪のもてなしだと思っているようだ。
家族の普段の食事もたいがいは残るだけの量を作っていた。ご飯も充分なお代わりに対応できる量を炊いていて、余った料理やご飯は自分自身の昼食にしていたようです。
対して妻はその日に食べ切る分を作る。
ご飯も基本的にお代わりをしない量を炊く。残るほど作るのは勿体ないという考え。
どうしても足りないときは冷凍食品などで対応する。
妻の考え方の方が腹八分目に抑えられて健康にいいし、今ではそれが当たり前と思うようになりました。
母は戦後の食糧難の時代を経験しているので、食べ物が充分にあるということが優先的な価値観で、食べ物が足りないことは悪だと感じているのかもしれない。
父も当然同世代なので、同じ価値観を共有できたのだと思う。
その割には着るものにはあまりお金をかけないし、日用品もボロボロになるまで使っています。
余るよりはいいのか足りないよりはいいのか…
仮に僕が主婦になったとき、家族や客の料理を作るときはどうするだろう?
妻の考え方には同調するけど、自分が作るとなると、たぶん、母と同じように足りないよりは余る方がいいと考えると思うな~


ホトトギス

2011-01-05 21:05:28 | 笑える話

息子が小学生5年生のときの夏休みの課題。


模造紙に『信長・秀吉・家康の研究』をまとめていた。
僕も資料集めは手伝いをした。
ネットから写真を見つけるのと、図書館で参考になる図書をいっしょに探した。
最近の小学生は全部ネットから調べようとする。
でも、調べものの基本はやっぱり図書館だと思う。
関係ありそうな本を片っ端から机に持っていって、使えそうなのをコピーする・・・
3人を一覧表にして。時代やあだ名、略歴などを書き込んでいく。
性格の欄では、例のホトトギスの歌を載せていた・・・


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この歌は性格を表すのにとても便利だと思う。
僕の性格をホトトギスで歌うと、
『鳴かぬなら それでもいいや ホトトギス』
といったところか・・・


東京、大阪、名古屋の人間をこのホトトギスの歌で表現すると、こんな感じになると思う。


『鳴かぬなら お取替えして ホトトギス』・・・東京人


『鳴かぬなら なんぼかまけて ホトトギス』・・・大阪人


『鳴かぬなら もう一羽よこせ ホトトギス』・・・名古屋人


名古屋人の方、どうもすいません。
でも、一番しっかりしているのが名古屋人だと思う。


以前何かの本にこんなことが書かれていた。、
東京、大阪、名古屋の人が、レストランで一緒に食事をしていました・・・
そのとき、3人はそれぞれ何を考えているか?
東京人は見栄っ張りなので、いかに伝票を自分が手にして、二人におごるかを考えている。
大阪人は、割り勘が原則なので、自分が食べたメニューの金額を計算している。
そして名古屋人は、いかに相手のどちらかにおごらせるかを考えているそうだ。