BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

三島由紀夫の檄を、今こそ!!

2018-06-24 | 皇室問題

以下は、市ヶ谷駐屯地における三島由紀夫の檄文です。1970年(昭和45年)11月25日。関の孫六の抜き身を陽光にきらめかせ、三島が文字通り命を賭して吐いた言葉とは一体、何だったのか。

爾来、約半世紀。

当時は、極右の奇矯な言動としてしか受け取られず、これほど自衛隊大事の男に、自衛隊員はその心を読み取れず罵声を浴びせたのでした。

自衛隊員が罵声を浴びせるべきは、別にいたのに・・・・・。でもまだ、人々の意識がそこには至っていずGHQ施策の悪しき戦後レジウムの催眠術に国民が等しくかかっていた時でした。

安倍総理が孤軍奮闘している、憲法改正。今こそ、当時は奇矯であった三島の主張がようやく、人々の胸に届き始めました。

 

 

私は、自衛隊に、このような状況で話すのは空しい。しかしながら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。こういうことを考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。われわれは、自衛隊に対して、日本人の………。しかるにだ、我々は自衛隊というものに心から………。
 静聴せよ、静聴。静聴せい。
 自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。
 以上をわれわれが感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気がつかないんだ。日本の根源の歪みを気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。
 静聴せい。静聴せい。
 それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
 静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。
 それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。去年の十月二十一日に何が起こったか。去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは憲法が改正されないと感じたんだ。
 なぜか。その日をなぜか。それはだ、自民党というものはだ、自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも鎮圧できるという自信をもったからだ。
 治安出動はいらなくなったんだ。治安出動はいらなくなったんだ。治安出動がいらなくなったのが、すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が………。
 諸君は、去年の一〇・二一からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。

おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。
 それがだ、いま日本人がだ、ここでもってたちあがらなければ、自衛隊がたちあがらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。
シビリアン・コントロール………シビリアン・コントロールに毒されてんだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下でこらえるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。
 ………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ちあがる日を。………そうした自衛隊の………最後の三十分に、最後の三十分に………待ってるんだよ。
 諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
 諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。
 そのために、われわれの総監を傷つけたのはどういうわけだ
 抵抗したからだ。憲法のために、日本を骨なしにした憲法に従ってきた、という、ことを知らないのか。諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。
 一人もいないんだな。よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。
 それでも武士かぁ!それでも武士かぁ!
 まだ諸君は憲法改正のために立ちあがらないと、見極めがついた。これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。
 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!

........ここまで

注 欺傲心⇒ぎごうしん

おごりたかぶりって、あざむこうとする心。

シビリアン・コントロール⇒civilian control of the military 文民統制
文民であるところの政治家が軍隊を統制。政軍関係における基本。すなわち、軍事より政治が優位にある。

以下はコメ欄に寄せられたコメント二種です。優れた洞察であると思うので、転記させていただきます。

 


・・・・以下、転載

 

最近のサヨクのコアは朝鮮人というのは、事実だと思う。

 (さよならサヨク)2018-06-09 20:37:38

1970年代の大学は、学生運動に参加する奴が1割か2割、参加してなくても大体みな左翼、ノンポリでも左翼がかっており、右翼は見たことも聞いたこともない

当時は朝日新聞と岩波書店の反復報道で左翼進歩的知識人と言う刷り込みが浸透しており、学生は全員それを真に受け左翼になった

しかし、普通の学生の間では韓国も北朝鮮も全く話題にはならない。マルクス、レーニン、毛沢東、ゲバラ、永久革命、米帝、階級闘争だけで左翼は何時間でも何年でも議論していた。

ところが、最近のマスコミも野党も、韓国と北朝鮮の事ばかり取り上げる。これは、彼らの関心事がそこにしかないからであり、普通の日本人は今でも韓国や北朝鮮なんかに興味はないし、どうでもいい。

従って、通名者がマスコミ、野党、弁護士、教員などに浸透し、劣等感と僻みの裏返しで、人生を日本に対する復讐心だけで生きて活動しているのだと思う

・・・・・ここまで

BB注 朝鮮人のressentiment(ルサンチマン)のみではなく、最終目的が日本乗っ取りです。日本人を、戦後以来営々と密かに築き上げてきた朝鮮人社会の支配下に置くこと。

 
◆さよならサヨク様へ (哲弥)
2018-06-09 21:49:10
 
あなたのコメントに一字一句賛同いたします。
1970年台に朝日はインテリ層が読むものと喧伝されておりました。天声人語が名文と言われ、朝日ジャーナルは大学生には必読とまで言われました。
マルクス、レーニン、社会主義、共産主義が地上の楽園だと刷り込まれ、白土三平のカムイ伝だのが闘争階級の闘いを描いたと賛美されていましたね。
ちょうどジョンレノンがイマジンを歌い、街にはヒッピーが現れピースマークが流行しました。
ベトナム戦争の不毛さを忘れるかのようにフーテンと呼ばれる連中が沢山いた時代です。
戦後からまだ20何年しか経っておらず、戦争の真実を語ることを良しとしなかった時代です。
つまり進駐軍から置き土産にされたシビリアン・コントロールが朝日、岩波から施されていた時代です。当時は左翼は知的であるという幻想に侵されていました。それが今現在に通じるのでしょう。
三島由紀夫が自衛隊で事件を起こしたときの全文を読むと、三島が何をどう考えていたのか、今ならはっきりと理解できます。
http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html
最後の「天皇陛下万歳」というのも三島のアイロニーだと思っています。
昭和40年台に学園闘争に明け暮れた連中は今は団塊の世代で、沖縄の基地反対運動とかも彼らが行っているのでしょう。三里塚闘争も結局成田空港という利便性を失くしただけで、日本のハブ空港としての利点を無くしました。
彼らの革命思想は、日本国の国体の弱体化が理想なのでしょう。
立憲民主党の枝野代表あたりも革マル派でしたし。
今の日本は北朝鮮よりも酷い状態なのかも知れませせん。飼いならされた鵜のように何も思考せず「反対」だけを言い続ける野党の支持者を見ているとつくづくため息が出ます。
 

◆さよならサヨクさま、哲弥さま (BB)

2018-06-09 23:54:43
史実を正確に踏まえた、とてもいいコメントだと拝読しました(僭越ですが)
BBの以下のコメントを含め、いずれ記事として転載させて頂きたいのですが、お許し願えますでしょうか?


>最後の「天皇陛下万歳」というのも三島のアイロニーだと思っています。

アイロニーでもあれば、絶望の声でしょう。三島は、戦後日本と皇室が辿る道筋を、明晰に見据えていたと思われます。


三島由紀夫の短編小説「英霊の聲』は、二・二六事件で銃殺刑に処せられた青年将校と、特攻隊員の霊が、天皇の人間宣言に憤り、呪詛する様を描いた作品ですが、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」という血を吐くような言葉を、言わせています。

昭和大帝への批判として短絡する向きもあるかと思いますが、GHQに拠る皇室弱体化政策への、絶望ではなかったでしょうか。今上から皇太子殿下、そして皇后陛下から雅子妃に至る皇室弱体化・変質への道筋を見通していたものと、思われます。

・・・・・・ここまで
 
◆ご自由にお使いください。 (哲弥)
2018-06-10 00:16:23
私は60年安保後半から70年台安保の流れをリアルタイムで見ております。
学生運動の盛り上がりも存じております。
三島の市ヶ谷での事件は、彼の中に存在する大和の国「日本」を壊し続ける戦後の日本人もどきを嘆いたものだったのだと思っております。
あのときの報道は時代遅れの右翼の暴挙という流れになりましたが、現代の視点で俯瞰すると三島は昭和から平成へと変わりゆく皇室を本気で嘆いていたのだと思っております。
戦前の学習院の空気も知っていたからこそ、今上陛下の不甲斐なさを読んでいたのだと思っております。
右翼だとか皇国主義ではなく、三島独自の美学に反していたからの決起だったのだと今は理解しております。

・・・・・・・ここまで

今でこそ「アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む」として、日本国解体の正体が知られた朝日新聞ですが、当時は知性の象徴だったようでそのコラムである「天声人語」は受験に出るという触れ込みで日教組教師にノートに書き写させられたりなど、青少年の左翼化洗脳に利用されていたのでした。

 

2016年、9月28日。

「起立・拍手の光景」

衆院本会議での安倍総理や自民党議員への揶揄・批判内容であり、現在と全く変わらず。

その中身は・・・・

「安倍晋三首相が所信表明演説で領土などを守る決意を述べたあと、海上保安庁、警察、自衛隊に『今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか』と呼びかけた。自民党議員たちが一斉に立ち上がって拍手を始め、首相も壇上から手をたたいた」

「同調圧力という言葉がある。空気を読んで周りの行動にあわせるよう、強いられることをいう。就職活動で黒いスーツを着る、ママ友に話をあわせる、カラオケでみなが知っている曲を選ぶ……。おとといの衆院本会議でも、それらしい光景があった」

 

そして、その天声人語の内容が即、中国の実質的軍機関紙に転載されていたのです。

 

・・・・・ここまで

総理の呼びかけに答えず、座ったままなのが売国議員たち、現在の立憲民主党や共産党議員たちです。

 

領土を守ろう、自衛隊に敬意を示そうという総理の呼びかけをかくも貶める・・・・

日本大事の者たちではありません。

 

 

参考過去記事

日本の「左翼運動」は「朝鮮民族開放運動」だ!!
(2018-06-08 00:29:17 | 在日問題)

 

祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え 

無記名Unknown は読まぬままハネます。

内容要約のタイトルを入れ他とかぶる可能性のないHNを記名の上、ご参加ください。 

文章の一部をHNに代用すること禁止。「匿名」「通りすがり」など
極力受け付けません。

異論反論歓迎、しかし一定の知的レベルに満たないコメントは、最初は極力公開しますが、それ以降は読まぬままハネます


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30 コメント

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三島由紀夫は美に殉じた (哲弥)
2018-06-24 17:55:24
三島由紀夫には独特の美学があり、家はギリシャの洋館のような、当時にしては奇抜な家を建て、虚弱な体をボディビルディングという鎧をまとい、後年は「和の凄さ」を思い知り、彼が理想とする楯の会を作り、市ヶ谷で割腹自殺を図ったのだと捉えています。
あの時代の倦怠感あふれる学生運動という左翼概念が許せなかったとともに、自分が老いていくという事実にも一因があったのでは無いかと考えております。
スキャンダラスな性癖を暴露しても、平成の今なら三島が欲していたのは「自分に無いもの」だったというのが解ります。
もしいま三島が存命なら腐敗した日本人に檄を飛ばす頑固爺さんになっていたかも知れませんね。
自分の美を追求していった結果が市ヶ谷の事件だったのでしょう。
あの当時の教育レベルは本当に左翼が日本の良さを全否定することで、新進気鋭の学者扱いされていましたから。
日本が戦うことが全て悪だと刷り込まれ、赤軍派などが内乱を常時起こしていたような狂気の時代でしたから。
全マスメディアはそれらを後押ししていました。
民青系の連中が起こした東大の安田講堂事件などもそうです。自殺で亡くなった女子学生の本「二十歳の原点」が大ベストセラーになりましたよね。
http://www.takanoetsuko.com/sub1969052404.html
なぜ京大闘争で高野悦子が投石を作っていたのでしょうね。
立命館大学の学生だった高野悦子は今なら中2病のおかしな人だと言えるでしょう。
二十歳の原点は映画化されて、韓国語翻訳版まで正規に出ている奇妙な書籍です。
三島はこういう反日勢力の起こす過激な暴動に義憤を感じていたというのも、一つの見方だと思っています。
平成の凄まじさを三島に見て欲しかったですね。
日本が日本でなくなることを皇室が推進している異常さと、革マルや民青の連中が政治家をしているという愚かしさを。
今こそ三島の檄文が50年という時代を超えて迫って来ます。
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ぼんやりとした記憶 (ロウ梅)
2018-06-24 20:00:10
定かではありませんが、三島の事件の2年前1968年(昭和43年)は明治100年という字が新聞紙上踊っていたと思いますが、又一億総白痴化も叫ばれていました。多分戦後教育を受けた若者が続々社会に出ていき、当時の大人達はその無教養ぶりに驚いたのではないでしょうか。戦前と戦後の違い、正に「天皇を中心とする歴史と文化の伝統」を知らない若者。けれども当時の現役世代は焼け野原の再建や学歴ブームに忙しく、又「…」の戦争犯罪という論も多かったので文化面、心の問題迄掘り下げられずに来てしまった面も有るのではないでしょうか。時は流れ、平成に入り、15年程前に聞いた話ですが、当時80代の老人達が「アメリカの思い通りになったなあ」と、皆で話したそうです。又昭和40年頃でしょうか?町の彼方此方から「南無妙法蓮華経」が聞こえてくるぐらい、爆発的勢いの☓会でしたが、何時頃の発言か定かではありませんが、それも15年ほど前の又聞きですが、「☓田☓作は天皇になる」という☓会員の言葉、そんな馬鹿なと皆で笑いましたが、今のこの流れ、なんだかなあという感じではないでしょうか。太平洋戦争が終わって、今戦争していないから、平和と、勘違いさされていますね。古代から侵略戦争があり、日本では元寇など昔の話でもなく、今も目に見える形でも、北方領土、竹島問題があります。何時の時代も、国民は、自分の生活と国防は同時進行と、有形無形にかかわらず心得なければいけないのですね。長文失礼致しました。
返信する
Unknown (紀ちゃん)
2018-06-24 20:14:20
こちらで勉強させていちだいて、よくわかりました。
三島氏が言わんとされた事を。
ありがとうございます。
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所感・・・ (BB)
2018-06-24 20:19:24
哲弥さま

いつも、知識と学びに裏打ちされた冷静なコメントに感謝申し上げます。
その上で、思うこといくつか述べさせてくださいませ。

三島の西欧かぶれは、むしろ幼児期よりの「和」への反動ではなかったかと、捉えています。
おばあさん子で、歌舞伎に見浸る日々であり、後に能楽にも傾斜しています。
歌舞伎や「和」を嫌っていたわけではないことは、稀代の女形と言われていた当時の歌右衛門への恋情にも近い崇拝ぶりや、能を下敷きにした「近代能楽集」でも解ります。
何より、日本語へのあの耽溺ぶりは和が根底にないと、あり得ないでしょう。
16歳で著した「花ざかりの森」は、リルケと同時に日本浪漫主義の影響下に書かれたものです。

その一節。

【平安末期、ある女人が情夫の殿上人へ捧げた物語がある。その殿上人も、「わたし」の遠い祖先の1人だった。】

古語も渉猟し、日本語を精髄まで知り尽くした人の感性と精神は「和」です。武士道への傾斜で、「葉隠入門」も書いています(調べてみますが、記憶違いではないと思います)
ただこの天才の一筋縄でいかないところは、和と西洋が凡人ではつかめない複雑さで溶け合っているのか、拮抗しているのか。日本語は光彩陸離で多彩でしたが、その小説は極めて構成が論理的であり、西欧で理解されやすいという評価がありました。
法学部であったことと、無縁ではないかもしれません。三島の法律における師匠が団藤某(記憶のままで姓は正しいのか自信がありませんが)、後に小和田雅子さんという入内すべからざる女性の入内の後押しをしたのが、団藤某であることを思うと運命の不思議と皮肉を感じます。
皇后陛下の出自(GHQと癒着の正田家)と知れば、三島も慨歎していたでしょう。
雅子妃に至っては、なおさらに。衝撃さえ受けていたでしょうね、いよいよ皇室は、日本は終わり、だと。

三島は和・・・というより「天皇」であり日本国の「義」に準じた人でしょうね。うまい言葉が見つかりませんが。
美が根底にあったのは、いうまでもありません。
老いを蛇蝎視したのは、肉体の美がそこなわれるからに他なりません。

スキャンダラスな性癖、というのは三島におけるホモセクシュアルを「外部から見ての」表現ですか?
およそ、三島と男色、そして武士道は三位一体かと思われます。
万葉集から、空海、武田信玄に至るまでそれは延々と日本では称揚され、今上陛下がいらした頃の学習院にもその伝統が生きていたことが、陛下のご学友であり「孤独の人」を著した藤島泰輔が、述べています。男色の異端視は、敗戦以来で米国のピューリタニズム以来、たかだか73年間の歴史であり、この日本では古来より受け入れられて来たことです。

もっとも、安倍昭恵さんなどが嬉しがって参加しているゲイパレードとか、LSBTと一括され、とかく左翼とつるんで利用されているドラッグクイーンもどきの連中と三島が奉じていた日本古来の男色とは厳しく一線を引くべきでしょう。
森田必勝との関係は、解りませんが武士道におけるそれを彷彿させます。きわめて精神的な紐帯であろうこと、ほぼ間違いないと思いますが、森田必勝の面差しが、三島が敗戦後入り浸っていたゲイバー「ブランスウィック」で惚れ込んでいたボーイに酷似している、という証言はあります。

>三島由紀夫が21歳の頃、短編を掲載した川端康成主宰の雑誌『人間』の担当編集者であった木村徳三は、三島自決後、森田必勝の写真を見た時、若き日の三島が惹かれていたゲイバー「ブランスウィック」のボーイ(三島の長編『禁色』の主人公・南悠一のモデル)の面影と似ていて驚いたとしている。

とはいえ、三島を「男色家」の一語で単純にくくるのも見当外れです。「仮面の告白」は、文字通り仮面をつけてのコンフェッションなので、「作家」の大嘘に単純に幻惑されていると、三島の素顔を見失います。

森田との関係を、軽々にそっち方向へ引っ張りたがる人たちがいますが、それらの真偽はどうでもいいことで(立証のしようもなし)、ただ三島由紀夫が命を賭して、今後の日本の堕落に警鐘を鳴らし、憲法改正を訴えた、その事実だけ厳粛に受け止めるべきでしょう。

三島は結婚前に歌右衛門の楽屋で知り合った和服の日本的美人に惚れ込み、2年間毎日会っています。
金持ちの着道楽の娘で、とっかえひっかえ豪奢な着物を着た美人で、三島の着物に関する小説上の知識は彼女から得ています。
写真がありますが、極めて和風美人です。

しかしながら三島の場合、ホモセクシュアルとかバイセクシュアルとかいう区分けも無意味に感じます。切り取り方で多彩な姿を見せる人です。
ブログ主は、しかし色んな枝葉末節は切り落とし「日本国を真に憂えたもののふであった」と、そこに焦点を当てています。

それにしても、コメントが少ないです。
コメントしづらい内容なのかもしれません・・・・?


返信する
Unknown (なな)
2018-06-24 21:14:29
三島由紀夫氏の訴えは、どう聞いても、マトモではないですか❓

そしてどうしてもどうしても理解できないのが、
何故、自衛隊員は三島氏の訴えを、あんなに嘲笑し、バカにしたのでしょうか?

実際、三島氏が訴えた通りになっているんじゃないですか?
自衛隊員は、あの三島由紀夫氏の訴えを今どう考えているのでしょうか?

あの時の三島氏に侮蔑発言をしていた
自衛隊員の態度は、正しかったと思っているでしょうか。

あの時、三島氏の訴えを「正しい」と思う人は
1人もいなかったのか、とても疑問です。
返信する
今の日本の (5)
2018-06-24 21:16:33
在ニッチ反ニッチに支配された惨状を三島は予知していたのかも
返信する
ななさま 5さま (BB)
2018-06-24 21:27:34
>自衛隊員は、あの三島由紀夫氏の訴えを今どう考えているのでしょうか?

自分なら決起したという自衛隊の方(幹部)とお話したことがあります。

それでも、そう言わせるまで半世紀が必要だったのでしょう。BBも、自力でGHQに支配された(今も支配されている)戦後史を勉強するまで、なんであんなことしたの・・・・と思っていました・・・・。


5さま

>在ニッチ反ニッチに支配された惨状を三島は予知していたのかも

そのようです。某所で聞きました。在日の人々には警戒心を持っていたようです、当事からだから、すごいですね。
返信する
ご報告とお詫び (BB)
2018-06-25 10:56:23
チップスターという学歴偏重とコンプレックスのコメント・・・・・学歴ない連中が、ここに粘着してかき込んでいる・・・というたぐいの低知能コメントが続くので(あるいは安倍総理貶めと、読者侮蔑目的)、一括削除したつもりが、こちらのスレッドに頂いたコメント6名様ほどのまで、はずみで削除してしまいました。とりわけ長文の方は再録しにくいでしょうが、出来る方は再投稿をお願いします。m(_ _)m
内容は総て拝読しています。


コメントは極力公開したいと思っているのが仇になっているのでしょうか。だったら、クズコメは最初から黙ってはねますが・・・・。時々意味不明のが来るので(当初のチップスターのも)つい、公開してしまうのですが。

頭の悪いふりをして延々粘着、コメ欄の塞ぐ手口を使う者もいるので、用心です。

クズコメを消すはずみで手が滑って消してしまった皆様、改めてお詫びします。二度とないよう、気をつけますので。
返信する
当時の状況を知らないので、判断しかねている部分もあります・・・ (美しい日本)
2018-06-25 12:27:14
BB様  こんにちは

※昨夜コメント送信しました。6名の1人だと思います。再度、送信しますね。

三島由紀夫氏の演説を断片的ですが、動画で見ました。
その動画に映る自衛官は、普通に様子を見ている感じに見えました。

ネットで少し検索したのですが、
・屋外で拡声器なし
・滑舌が良くない
演説だったので、よく聞こえていなかったのでは、
という意見がありました。

“ よく聞こえていなかった ” という状況が、もしあったとすれば、
例えば、ハッキリと聞こえていたなら(普通に様子を見ているように見えた方たちの)、或いは反応が違っていたのでしょうか?
やはり、当時の状況を考えると、結果は変わりないと見るのが妥当でしょうか。
返信する
美しい日本さま (BB)
2018-06-25 12:51:51
拡声器を使って檄の内容が届いていたとしても、当事の
状況では呼応する自衛隊員はごくごく、わずかだったのではないでしょうか。
時代背景もさることながらまず、不法に占拠された、という反感と怒りが前提にあるわけだし。

当時は自衛隊員からの罵声も記録されていますが、占拠されたことへの怒りで、内容に関するものではありません。
返信する