ROCKSTARS

all about my favorite Rocks.

トニー・リーヴス

2022-10-28 23:59:59 | bass

トニー・リーヴス Anthony Robert "Tony" Reeves

【パート】
  エレクトリック・ベース、コントラバス

【生没年月日】
  1943年4月18日~

【出生地】
  イングランド サウスイ-スト・ロンドン、ニュー・エルサム

【経 歴】
  ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ(1968)
  コロシアム(1968~1970)
  グリーンスレイド(1972~1975)
  カーヴド・エア(1975~1976)


 イングランドのベース奏者。エレクトリック・ベースとコントラバスの両方をプレイする。
 コロシアムの創設メンバーのひとりである。
 

 10代の頃からコントラバスを習う。
 ルイシャムにあるコルフェス・グラマー・スクールに在籍していたころ、同じ学校に通っていたデイヴ・グリーンスレイド、ジョン・ハイズマンと出会う。
 リーヴスは当時から地元のいくつかのジャズ・バンドで演奏していた。その中のひとつが、コルフェス・グラマー・スクールの仲間が集まって1960年に結成した「ウエス・ミンスター・ファイヴ」(Wes Minster Five)である。
 ウエス・ミンスター・ファイヴのメンバーは、リーヴスのほか、ジョン・ハイズマン、デイヴ・グリーンスレイド、クライヴ・バロウズ、ポール・マクドウェルの5人であった。このバンドが、のちの「コロシアム」の母体である。


 ウエス・ミンスター・ファイヴは1962年に解散したが、リーヴスは「イアン・バード・クインテット」や「ニュー・ジャズ・オーケストラ」などで活動を続けながら、デッカ・レコードの品質管理担当を経て、パイ・レコードの販売促進担当として働いた。
 その後はCBSやポリドールでフリーのプロデューサーや、グリニッジ・グラモフォン・カンパニーのクリエイティヴ・ディレクターを務め、「The London Jazz Four」「The Beatstrlkers」「Gallagher & Lyle」などのグループのレコーディングに携わる。
 そのかたわら、ミュージシャンとしてはピーター・レマー(piano)と共演したり、1965年にはマイク・テイラー(piano)・カルテットの一員としてアルバム『Pendulum』のレコーディングに参加するなど、ジャズ・ベーシストとしても活動していた。


     


 リーヴスがエレクトリック・ベースを弾くようになったのは1968年頃からである。
 1968年4月、リーヴスはハイズマンの紹介によってジョン・メイオール & ザ・ブルース・ブレイカーズに加入し、ここでディック・ヘクストール=スミスに出会う。ブルース・ブレイカーズでのリーヴス、ハイズマン、ヘクストール=スミスの演奏は同年6月に発表された『ベア・ワイアーズ』(Bare Wires)で聴くことができる。


 1968年8月、ハイズマン、ヘクストール=スミスとともにブルース・ブレイカーズを脱退し、ハイズマンの結成した「コロシアム」に参加する。
 コロシアムでは『コロシアム・ファースト』『ヴァレンタイン組曲』『グラス・イズ・グリーナー』(アメリカ編集盤)の計3枚のアルバム制作に携わった(この3枚はジェリー・ブロンとの共同プロデューサーも兼ねている)が、プロデューサー業に専念するため、1970年8月のナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルを最後に脱退した。後任として参加したのは、元ルネッサンスのルイス・セナモだったが、すぐに元セント・ジェームス・インファーマリーのマーク・クラークに交替している。
 コロシアム脱退後のリーヴスは、プロデューサーとしてはデンマークのグループ「Day of Phoenix」「Burnin Red Ivanhoe」やスウェーデンのジャズ・ロック・グループ「Made In Sweden」の制作に関わったほか、Greenwichレーベルのプロデューサーとしても「Open Road」「The Woods Band」を手掛けた。
 センション・ミュージシャンとしては、イギリスのフォーク・ロック・シンガーであるサンディ・デニーのアルバム『海と私のねじれたキャンドル』や、同じくイギリスのフォーク系シンガーソングライター、ジョン・マーティンのアルバム『Bless the Weather』のレコーディングに参加したり、アイルランドのシンガーソングライター、クリス・デ・バーらと共演したりしている。


     


 1972年、デイヴ・グリーンスレイドの結成したバンド「グリーンスレイド」に参加、3枚のアルバムの制作に参加した。
 1973年には、30歳の若さで1969年に死去したジャズ・ピアニスト、マイク・テイラーのトリビュートである「マイク・テイラー・リメンバード」に出演し、イアン・カー(trumpet)、ニール・アードレイ(keyboard)、ジョン・ハイズマン(drums)、バーバラ・トンプソン(sax ジョン・ハイズマン夫人)などブリティッシュ・ジャズのトップ・ミュージシャンと共演している。


 1975年、プロデューサーとしての活動に専念したい、との理由でグリーンスレイドを脱退したものの、同年「カーヴド・エア」に加入した。カーヴド・エアでは『エアボーン』の録音に参加したが、翌76年には脱退している。
 その後、ディック・ヘクストール=スミス(sax 元コロシアム)やミック・ジャック(guitar 元カーヴド・エア)らとともに「ビッグ・チーフ」(Big Chief)というジャズ・グループに参加。
 2000年、グリーンスレイドが再結成を果たし、25年ぶりに5枚目のアルバム『ラージ・アフタヌーン』を発表したが、リーヴスはこのアルバムのレコーディングに参加している。
 現在のリーヴスは、1990年代に自らが設立した音響制作会社「MTR Professional Audio」を経営するかたわら、ビッグ・チーフやブルー・アンバ(Blue Amba)、ウォーソッグス(The Warthogs)などのバンドと共演したり、マルチ・プレイヤーのJCキャロルと演奏するなど、音楽活動を続けている。


     


【参加アルバム】
 <ジョン・メイオール & ザ・ブルース・ブレイカーズ>
  1968年 ベア・ワイヤーズ/Bare Wires(イギリス3位 アメリカ59位 ノルウェイ9位)

 <コロシアム>
  1969年 コロシアム・ファースト/Those Who Are About to Die Salute You(イギリス15位)
  1969年 ヴァレンタイン組曲/Valentyne Suite(イギリス15位)
  1970年 グラス・イズ・グリーナー/The Grass Is Greener

 <グリーンスレイド>
  1973年 グリーンスレイド/Greenslade
  1973年 ベッドサイド・マナーズ・アー・エクストラ/Bedside Manners Are Extra
  1974年 スパイグラス・ゲスト/Spyglass Guest(イギリス34位)
  2000年 ラージ・アフタヌーン/Large Afternoon

 <カーヴド・エア>
  1976年 エア・ボーン/Airborne

 *レコーディング・セッション*
 <サンディ・デニー>
  1971年 海と私のねじれたキャンドル/The North Star Grassman and the Ravens(イギリス31位)

 <ジョン・マーティン>
  1971年 Bless the Weather
 


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『クリックルウッド・グリーン』(テン・イヤーズ・アフター)

2022-10-27 21:10:32 | albums

クリックルウッド・グリーン Cricklewood Green

【歌・演奏】

  テン・イヤーズ・アフター/Ten Years After

【リリース】
  1970年4月17日

【録音】
  1969年 オリンピック・スタジオ1(ロンドン)

【プロデューサー】
  アルヴィン・リー/Alvin Lee

【レーベル】
  デラム/Deram
  クリサリス/Chrysalis

【録音メンバー】
 ☆テン・イヤーズ・アフター
   アルヴィン・リー/Alvin Lee(guitars, vocals)
   チック・チャーチル/Chick Churchill(organ, piano, harpsichord)
   レオ・ライオンズ/Leo Lyons(bass)
   リック・リー/Ric Lee(drums)  


【収録曲】
 side:A
  ① シュガー・ザ・ロード 3:59
    Sugar the Road(Alvin Lee)
  ② ワーキング・オン・ザ・ロード 4:15
    Working on the Road(Alvin Lee)
  ③ 恋は激しく 7:37
    50,000 Miles Beneath My Brain(Alvin Lee)  
  ④ 3,000年のブルース 2:17
    Year 3,000 Blues(Alvin Lee)
 side:B
  ⑤ ミー・アンド・マイ・ベイビー 4:12
    Me and My Baby(Alvin Lee)
  ⑥ ラヴ・ライク・ア・マン 7:29
    Love Like a Man(Alvin Lee)
  ⑦ サークルズ 3:55
    Circles(Alvin Lee)
  ⑧ 太陽を仰げ 4:42
    As the Sun Still Burns Away(Alvin Lee)


【チャート】
 1970年週間アルバム・チャート
    イギリス4位 アメリカ(ビルボード)14位
    カナダ11位 オーストラリア19位 ドイツ8位 イタリア17位 デンマーク5位 フィンランド8位 ノルウェイ8位 


【メ  モ】
 テン・イヤーズ・アフターの通算5作目のアルバム。スタジオ・アルバムとしては4作目。
 アルバム・チャートでは全英4位、全米14位を記録しているが、全英、全米ともチャートにおけるテン・イヤーズ・アフターの最高位である。






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『夜明けのない朝』(テン・イヤーズ・アフター)

2022-10-27 21:01:23 | albums

夜明けのない朝 Ssssh

【歌・演奏】

  テン・イヤーズ・アフター/Ten Years After

【リリース】
  1969年9月
  1970年1月10日(日本)

【録音】
  1969年6月 モーガン・スタジオ(ロンドン)

【プロデューサー】
  テン・イヤーズ・アフター/Ten Years After

【レーベル】
  デラム/Deram(1969 release)
  クリサリス/Chrysalis(1975 release)

【録音メンバー】
 ☆テン・イヤーズ・アフター
   アルヴィン・リー/Alvin Lee(guitars, vocals)
   チック・チャーチル/Chick Churchill(organ, piano)
   レオ・ライオンズ/Leo Lyons(bass)
   リック・リー/Ric Lee(drums)  


【収録曲】
 side:A
  ① バッド・シーン 3:30
    Bad Scene(Alvin Lee)
  ② トゥー・タイム・ママ 2:02
    Two Time Mama(Alvin Lee)
  ③ ストーンド・ウーマン 3:21
    Stoned Woman(Alvin Lee)  
  ④ グッド・モーニング・リトル・スクールガール 7:10
    Good Morning Little Schoolgirl(Sonny Boy Williamson)
 side:B
  ⑤ 愛してくれるなら 5:23
    If You Should Love Me(Alvin Lee)
  ⑥ 知らないどうし 2:06
    I Don't Know That You Don't Know My Name(Alvin Lee)
  ⑦ ストンプ 4:30
    The Stomp(Alvin Lee)
  ⑧ 夜明けのない朝 5:30
    I Woke Up This Morning(Alvin Lee)


          


【チャート】
 1969年週間アルバム・チャート
    イギリス4位・・・18週にわたって全英アルバム・チャートのトップ100入り。
    アメリカ(ビルボード)20位 カナダ17位 ドイツ6位 フィンランド14位 ノルウェイ16位 
 1970年週間アルバム・チャート
    日本(オリコン)42位


【メ  モ】
 テン・イヤーズ・アフターの通算4作目のアルバム。スタジオ・アルバムとしては3作目。
 バンド初の全米トップ40アルバムである。
 ウッドストック・フェスティヴァルに出演してそのエネルギッシュなステージを絶賛された直後にリリースされた。


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『ストーンドヘンジ』(テン・イヤーズ・アフター)

2022-10-27 21:00:23 | albums

ストーンドヘンジ Stonedhenge

【歌・演奏】

  テン・イヤーズ・アフター/Ten Years After

【リリース】
  1969年1月(アメリカ)
  1969年2月7日(イギリス)

【録音】
  1968年9月5日~9月13日 デッカ・スタジオ(ロンドン)

【プロデューサー】
  マイク・ヴァーノン/Mike Vernon

【レーベル】
  デラム/Deram

【録音メンバー】
 ☆テン・イヤーズ・アフター
   アルヴィン・リー/Alvin Lee(guitars, piano, percussions, vocals)
   チック・チャーチル/Chick Churchill(organ, piano, celesta)
   レオ・ライオンズ/Leo Lyons(electric-bass, contrabass, percussions)
   リック・リー/Ric Lee(drums, tympani, percussions)
 ★アディショナル・ミュージシャン
   マイク・ヴァーノン/Mike Vernon(backing-vocals⑤)
   サイモン・ステイブル/Simon Stable(bongo①)   


【収録曲】
 side:A
  ① ゴーイング・トゥ・トライ 4:51
    Going to Try(Alvin Lee)
  ② リディアなしでは 1:23
    I Can't Live Without Lydia(Chick Churchill)
  ③ ウーマン・トラブル 4:37
    Woman Trouble(Alvin Lee)  
  ④ スクーブリー・ウーブリー・ドゥーボブ 1:42
    Skoobly-Oobly-Doobob(Alvin Lee)
  ⑤ ヒア・ミー・コーリング 5:44
    Hear Me Calling(Alvin Lee)
 side:B
  ⑥ 悲しい歌 3:23
    A Sad Song(Alvin Lee)
  ⑦ スリー・ブラインド・マイス 0:58
    Three Blind Mice(traditional, arranged by Ric Lee)
  ⑧ 忘れられたタイトル 8:12
    No Title(Alvin Lee)
  ⑨ ファロ 1:11
    Faro(Leo Lyons)
  ⑩ スピード・キルズ 3:41
    Speed Kills(Alvin Lee, Mike Vernon)


         
          『ストーンヘンジ』アメリカ盤アルバム・ジャケット


【チャート】
 1969年週間アルバム・チャート
    イギリス6位・・・5週にわたって全英アルバム・チャートのトップ100にランクされた。
    アメリカ(ビルボード)61位・・・18週にわたってビルボードのトップ200にランクされた。1969年4月12日付で最高61位を記録。


【メ  モ】
 テン・イヤーズ・アフターの通算3作目のアルバム。スタジオ・アルバムとしては2作目。
 バンドとして初めて全英トップ10入りしたアルバムである。
 「ストーンヘンジ」とは、紀元前2500年から紀元前2000年の間に構築されたと考えられている、イギリス南部にある環状列石(ストーンサークル)のことである。イギリス盤のジャケットには朝日を浴びるストーンヘンジの絵が使われている。 
 ⑨「ファロ」は、ビル・エヴァンス・トリオでの名演で知られ、1961年に25歳の若さで交通事故のためにこの世を去った名ベーシスト、スコット・ラファロに捧げられている。


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『イン・コンサート』(テン・イヤーズ・アフター)

2022-10-27 20:55:22 | albums

イン・コンサート Undead

【歌・演奏】
  テン・イヤーズ・アフター/Ten Years After

【リリース】
  1968年7月(アメリカ)、1968年8月16日(イギリス)

【録音】
  1968年5月14日 ロンドン クルークス・クリーク、レイルウェイ・ホテル/Klooks Kleek, Railway Hotel

【プロデューサー】
  マイク・ヴァーノン/Mike Vernon

【レーベル】
  デラム・レコード/Deram

【録音メンバー】
 ☆テン・イヤーズ・アフター
   アルヴィン・リー/Alvin Lee (guitar, vocals)
   チック・チャーチル/Chick Churchill(organ)
   レオ・ライオンズ/Leo Lyons (bass)
   リック・リー/Ric Lee(drums)

【収録曲】
 side:A
  ① アイ・メイ・ビー・ロング 10:28
    I May Be Wrong, But I Won't To Be Wrong Always(Alvin Lee, Chick Churchill, Leo Lyons, Ric Lee)
  ② ウッドチョッパーズ・ボール 7:48
    At The Woodchopper's Ball(Woody Herman, Joe Bishop)
 side:B
  ③ スパイダー・イン・マイ・ウェブ 7:46
    Spider In My Web (Alvin Lee)
  ④ サマータイム~山東省のキャベツ 5:56
    Summertime ~ Shantung Cabbage(George Gershwin ~ Ric Lee)
  ⑤ アイム・ゴーイング・ホーム 6:27
    I'm Going Home(Alvin Lee)

【チャート】
 1969年週間アルバム・チャート イギリス26位 アメリカ115位


          



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『テン・イヤーズ・アフター・ファースト』(テン・イヤーズ・アフター)

2022-10-27 20:54:32 | albums

テン・イヤーズ・アフター・ファースト Ten Years After

【歌・演奏】

  テン・イヤーズ・アフター/Ten Years After

【リリース】
  1967年10月27日

【録音】
  1967年9月 ロンドン デッカ・スタジオ

【プロデューサー】
  マイク・ヴァーノン/Mike Vernon
  ガス・ダッジョン/Gus Dudgeon

【レーベル】
  デラム/Deram

【録音メンバー】
 ☆テン・イヤーズ・アフター
   アルヴィン・リー/Alvin Lee(guitars, vocals)
   チック・チャーチル/Chick Churchill(organ)
   レオ・ライオンズ/Leo Lyons(bass)
   リック・リー/Ric Lee(drums)     
     

【収録曲】
 side:A
  ① アイ・ウォント・トゥ・ノウ 2:08
    I Want to Know(Sheila McLeod as pseudonym Paul Jones)
  ② 泣きたい心 5:21
    I Can't Keep from Crying Sometimes(Al Kooper)
  ③ 若者の冒険 2:32
    Adventures of a Young Organ(Alvin Lee, Chick Churchill)  
  ④ スプーンフル 6:00
    Spoonful(Willie Dixson)
  ⑤ ルージング・ザ・ドッグス 2:58
    Losing the Dogs(Alvin Lee, Gus Dudgeon)
 side:B
  ⑥ フィール・イット・フォー・ミー 2:37
    Feel It for Me(Alvin Lee)
  ⑦ 死ぬまでの愛 2:04
    Love Until I Die(Alvin Lee)
  ⑧ ドント・ウォント・ユー・ウーマン 2:34
    Don't Want You Woman(Alvin Lee)
  ⑨ ヘルプ・ミー 9:46
    Help Me(Ralph Bass, Willie Dixson, Sonny Boy Williamson)


【チャート】
 チャート圏外


【メ  モ】
 テン・イヤーズ・アフターのファースト・アルバム。


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チック・チャーチル

2022-10-26 21:58:00 | keyboard

チック・チャーチル Michael George "Chick" Churchill

【パート】
  オルガン、ピアノ

【生没年月日】
  1946年1月2日~

【出生地】
  ダービーシャー イクストン

【経 歴】
  イヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメン(1966)
  ブルース・トリップ(1966)

  テン・イヤーズ・アフター(1966~1974、1988~  )
  



 イギリスのブルース・ロック・バンド、「テン・イヤーズ・アフター」のキーボード奏者。
 チャーチルは6才でピアノを始め、15才までクラシック音楽を学んだ。
 彼はブルースとロックに興味を持つようになり、1960年代前半にはノッティンガムのローカル・バンド「The Sons of Adam」に加入、本格的に音楽活動を始める。
 その後、同じくノッティンガム出身でロンドンに拠点を移していた「イヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメン」のギタリスト、アルヴィン・リーと出会い、1966年にイヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメンのツアー・マネージャーとなる。しかし間もなくキーボード奏者として、改めてバンドの一員となった。バンドはこのあと「Blues Trip」と名を変え、同年11月にはさらに「テン・イヤーズ・アフター」と改名した。


 テン・イヤーズ・アフターは1967年にアルバム『テン・イヤーズ・アフター・ファースト』でデビュー。
 彼らのの火花を散らすような激しいライブは徐々に評判を呼び、1969年のウッドストック・フェスティヴァルでは後年まで語り継がれるエキサイティングな演奏を繰り広げてバンドの評価を決定づけた。1970年8月29日のワイト島フェスティバルにも出演している。
 人気バンドになったテン・イヤーズ・アフターは、1969年~1970年の間にアルバム4枚をリリースしているが、それらはすべて全英トップ10入りしているほか、1971年のアルバム『スペース・イン・タイム』は彼らとしては初の全米ミリオン・セラーとなっている。



 1973年、チャーチルは初のソロ・アルバム『ユー・アンド・ミー』を制作。録音に参加したのは、バンド・メイトのレオ・ライオンズ、リック・リーのほか、ゲイリー・ピックフォード・ホプキンス(vocal ワイルド・ターキー)、バーニー・マースデン(guitar UFO)、マーティン・バレ(guitar ジェスロ・タル)、ロジャー・ホジソン(guitar スーパートランプ)、コージー・パウエル(drums 元ジェフ・ベック・グループ)、リック・デイヴィス(keyboard スーパートランプ)ら、錚々たるメンバーであった。
 1975年には、レオ・ライオンズがプロデュースしたUFOのアルバム「フォース・イット」の録音に参加。


     
     Chick Churchill『You & Me』


 テン・イヤーズ・アフターは、1974年に通算8枚目のスタジオ・アルバム『ヴァイブレーションズ』を発表したが、この頃のバンドにはすでに全盛期の勢いは失われており、このアルバムを最後にテン・イヤーズ・アフターは解散した。
 1975年8月4日、サンフランシスコのウィンターランドでテン・イヤーズ・アフターのアメリカでのフェアウェル・コンサートのため再結成。
 1976年からはクリサリス・ミュージックのマネージャーを務めたほか、音楽関連出版の会社を設立し、演奏活動からは身を引いた。

 
 テン・イヤーズ・アフターは1983年7月1日に当夜限定で再結成、ロンドンで行われた「マーキー・クラブ25周年記念コンサート」に出演したほか、8月のレディング・フェスティヴァルにも出演している。
 1988年、レコーディングやコンサートなどを行うため、テン・イヤーズ・アフターが本格的に再始動。翌89年8月には15年ぶりのアルバム『アバウト・タイム』を発表した。
 

     

【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム)
 ◆テン・イヤーズ・アフター
  1967年 テン・イヤーズ・アフター・ファースト/Ten Years After
 ☆1968年 イン・コンサート/Undead(イギリス26位 アメリカ115位)
  1969年 ストーンヘンジ/Stonehenge(イギリス6位 アメリカ61位)
  1969年 夜明けのない朝/Ssssh(イギリス4位 アメリカ20位 ドイツ6位)
  1970年 クリックルウッド・グリーン/Cricklewood Green(イギリス4位 アメリカ14位 デンマーク5位 ドイツ8位 ノルウェー8位)
  1970年 ワット/Watt(イギリス5位 アメリカ21位 カナダ16位 ドイツ9位 イタリア8位 デンマーク7位 ノルウェー8位)
  1971年 スペース・イン・タイム/A Space in Time(イギリス36位 アメリカ17位 デンマーク8位 スウェーデン9位)
  1972年 ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド/Rock & Roll Music to the World(イギリス27位 アメリカ43位 デンマーク2位 スウェーデン8位)
 ☆1973年 ライヴ!/Recorded Live(イギリス36位 アメリ39位 ドイツ10位 ノルウェー9位)
  1974年 バイブレーションズ/Positive Vibrations(アメリカ81位 デンマーク15位 スウェーデン11位)
  1989年 アバウト・タイム/About Time(アメリカ120位 ドイツ87位)
 ☆2001年 ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト/Live at the Fillmore East 1970
  2004年 Now
 ☆2005年 Roadworks
  2008年 Evolution
 ☆2014年 The Name Remains the Same
  2017年 A Sting in the Tale

 ◆ソロ・アルバム
  1973年 ユー・アンド・ミー/You & Me

 ◆参加アルバム
  <Bridget St. John>
   1974年 Jumblequeen

  <UFO>
   1975年 フォース・イット/Force It(アメリカ71位 ドイツ35位)

  <The Breakers>
   1975年 Milan


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ジンジャー・ベイカー

2022-10-23 23:21:40 | drums

ジンジャー・ベイカー Peter Edward "Ginger" Baker

【パート】
  ドラムス、パーカッション

【生没年月日】
  1939年8月19日~2019年10月6日(80歳没)

【出生地】
  イングランド ロンドン

【経 歴】
  The Storyville Jazzmen
  The Hugh Rainey All Stars
  Terry Lightfoot’s Jazzmen
  Johnny Burch Quartet(1961~1962)
  Johnny Burch Octet(1962)
  アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッド/Alexis Korner’s Blues Incorporated (1962.6~1963.2)
  グラハム・ボンド・カルテット/Graham Bond Quartet (1963.2~1963.8)
  グラハム・ボンド・オーガニゼイション/Graham Bond Organisation (1963.9~1966.3)
  クリーム/Cream(1966.6~1968.11)
  ブラインド・フェイス/Blind Faith(1969.2~1969.10)
  ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース/Ginger Baker’s Airforce (1970.1~1971.1)
  ドラム・クワイアー/Drum Choir(1971)
  ジンジャー・ベイカー & ソルト/Ginger Baker & Salt (1972)
  ベイカー・ガーヴィッツ・アーミー/Baker Gurvitz Army(1974~1976)
  ジンジャー・ベイカー & アフリカン・フレンズ/Ginger Baker & African Friends (1978)
  ホークウインド/Hawkwind(1980~1981)
  ジンジャー・ベイカーズ・ナッターズ/Ginger Baker’s Nutters (1981~1982)
  アトミック・ルースター/Atomic Rooster(1981) ※サポート・メンバー
  ジンジャー・ベイカーズ・エナジー/Ginger Baker’s Energy

  ベイカーランドバンド~ジンジャー・ベイカー & バンド/Bakerandband/Ginger Baker & Band (1982~  ) 
  BBM (1994)
  ジンジャー・ベイカー・トリオ/Ginger Baker Trio



 クリームのドラマー。
 ブリティッシュ・ロック界が生んだ最初のスーパー・スター・ドラマーであり、ロック・ドラムにジャズやアフリカン・リズムなどの要素を持ち込んだ偉大なドラマーでもある。ジャズのフィールドでも活躍した。
 「ローリング・ストーン」誌が選出する「最も偉大な100人のドラマー」では第3位にランクされている。
 なお「ジンジャー」はニックネームである。赤毛であるところからそう呼ばれるようになった。


 南ロンドンのルイシャム出身。
 レンガ職人の父フレデリックと、タバコ店で働く母ルビー・メイとの間に生まれた。
 ポープ・ストリート・スクールではフットボールの選手として活躍。
 空軍の第56飛行中隊に所属していた14歳の頃は、軍隊のバンドでトランペットを演奏するようになる。
 15歳のときにドラムに転向し、1960年代初頭にはフィル・シーメンにレッスンを受けている。
 1950年代後半からジャズ・バンドで演奏活動を始める。ロンドンの代表的なジャズ・クラブとして知られるロニー・スコッツのレギュラーの座に就くなど、高い演奏技術で知られる存在となる。
 1962年、アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドに加入し、ブルースやR&Bにも接近。このバンドでジャック・ブルースと出会う。この当時からふたりはしばしば対立していたが、1963年には、ブルース・インコーポレイテッドで一緒になったグラハム・ボンドの「グラハム・ボンド・トリオ」(のちの「グラハム・ボンド・オーガニゼイション」)の結成に、ともに参加する。バンドはディック・ヘクストール=スミスを加えた強力なカルテットで、1965年には後のロックやジャズ・ロックに多大な影響を与える重要作「The Sound Of 65」をリリースした。





 やがてベイカーは、グラハム・ボンド・オーガニゼイションでの活動に行き詰まりを感じるようになり、エリック・クラプトンにバンドを結成するというアイデアを提案してみた。クラプトンはこれに同意したが、ひとつの条件を出した。それは「ベースをジャック・ブルースにするなら」ということであった。彼とブルースはとにかく対立しがちだったため、ベイカーはこれにとても驚いた。グラハム・ボンド・オーガニゼイション時代はベイカーと衝突したブルースが脱退したということすらあった。実はクラプトンは、ベイカーとブルースの仲が非常に悪いということを知らなかったのだが、結局ベイカーはこの条件を受け入れる。
 1966年6月、ベイカー、クラプトン、ブルースの3人は「クリーム」を結成。
 クリームのデビューは同年7月31日。第6回ナショナル・ジャズ & ブルース・フェスティヴァルがそのステージである。クリームの登場と革新的な演奏は、ロック界を震撼とさせた。

 クリームは解散までに『カラフル・クリーム』を含む4枚のアルバムを発表し、世界的な成功を収めた。
 ライヴでのインプロヴィゼイション主体のエキサイティングな演奏は絶賛され、ロック・ミュージックに変革と多大な影響をもたらした。しかしベイカーとブルースの軋轢は大きくなる一方であり、それに加えてツアーの連続による疲労などでメンバーの仲は冷え切ってしまったため、1968年5月には解散することが決断された。同年11月26日にロイヤル・アルバート・ホールで行われたフェアウェル・コンサートがクリームの最後のライヴとなった。


 1969年になると、クラプトン、ウィンウッド、ベイカーはリハーサルを重ねるようになる。この3人にリック・グレッチが加入して結成されたのが、やはり「スーパー・グループ」として騒がれた「ブラインド・フェイス」である。
 ブラインド・フェイスの誕生はセンセーショナルな話題であった。彼らは1969年6月7日にロンドンのハイド・パークで行われたフリー・コンサートで、実に10万人の聴衆を集めて衝撃的なデビューを果たした。
 同年7月に発表されたブラインド・フェイスのファースト・アルバム『スーパー・ジャイアンツ』(Blind Faith)は、英米ともにチャート1位の大ヒットとなり、ミリオン・セラーを記録した。
 しかし8月24日まで行われたアメリカ・ツアー中にメンバー間で修復しがたい音楽観のずれが生じ、結局10月にはブラインド・フェイスは解散した。活動期間は、実質わずか半年ほどであった。



 

 1970年1月にベイカーは、ウィンウッド、グレッチにデニー・レイン、グラハム・ボンドらを加え、10人編成の自身のリーダー・バンド、「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース」を結成する。
 即興主体の演奏、アフロ・ビートなどを取り入れたユニークな音楽性を前面に押し出し、1970年にファースト・アルバム『Ginger Baker's Air Force』、セカンド・アルバム『Ginger Baker's Air Force 2』を発表。
 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースとして2枚のアルバムをリリースしたのち、アフリカで数年間を過ごす。ベイカーは1960年代からアフロ・ミュージックに傾倒しており、アフリカではナイジェリアのアフロビートの巨人フェラ・クティと意気投合してアルバムを3枚制作したほか、「The Africa ’70」とのセッションなどを通してアフリカン・パーカッションに傾倒。72年にはBobby Tenchらの協力で初のソロ・アルバム「Stratavarious」をリリースした。この1972年にはベイカー(drums)、Bud Beadle(sax)、Berkley Jones(guitar)、Joni Haartrup(vocal, percussion)、Laolu Akins(african-drums)、Steve Gregory(tenor-sax, flute)というメンバーで「ジンジャー・ベイカー & ソルト」を結成している。
 こうしたベイカーのアフロ・ミュージックへの接近は、のちの「ワールド・ミュージック」ムーヴメントへ続く先駆的な動向だと言っていいだろう。


 1974年、エイドリアンとポールのガーヴィッツ兄弟と合流し、ハード・ロック・バンド「ベイカー・ガーヴィッツ・アーミー」を結成。
 1980年には、イギリスのサイケデリック・ロック・バンド「ホークウインド」に加入して世間をあっと言わせた。この件についてのちにベイカーは「あれは史上最大のジョークだった。金が必要だったんだ。動機はそれだけだ。」と語っている。1981年にはキース・ヘイル(Keith Hale keyboard)を引き連れてホークウインドを脱退し、自身のグループ「ジンジャー・ベイカーズ・ナッターズ」(Ginger Baker’s Nutters Ginger Baker:drums、Billy Jenkins:guitar、Ian Trimmer:sax、Riki Legair:bass、Keith Hale:keyboard)を結成。その後は「ベイカーランドバンド(その後ジンジャー・ベイカー & バンド)」(Bakerandband/Ginger Baker & Band)、「ジンジャー・ベイカーズ・エナジー」(Ginger Baker's Energy Ginger Baker:drums、John Mizarolli:guitar, vocal、Whitey Davis:guitar, vocal、Henry Thomas:bass、David Lennox:keyboard)を率いて活動した。


 1986年には「パブリック・イメージ・リミテッド」のアルバム『アルバム』のレコーディングに参加している。
 パブリック・イメージ・リミテッドは、1970年代後半のロック界に吹き荒れた席捲したパンク・ロック・ムーヴメントの火付け役にして筆頭バンドだったセックス・ピストルズのジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)がピストルズ脱退後に結成したバンドである。ニュー・ウェイヴの旗手だったライドンと、オールド・ウェイヴの代表格のひとりのベイカーのコラボレーションということで話題になった。


 1989年、フリー・ジャズのサックス奏者、ペーター・ブロッツマンのアルバム『ノー・マテリアル』のレコーディングに参加。メンバーは、Baker(drums)、Peter Brötzman(sax)、Sonny Sharrock(guitar)、Nicky Scopelitis(guitar)、Jan Kazda(bass)であった。
 1992年、アメリカのハード・ロック・バンド「マスターズ・オブ・リアリティ」のアルバム『Sunrise on the Sufferbus』に参加。
 1993年、ジャック・ブルース、ゲイリー・ムーアと組んだギター・トリオ「BBM」(ベイカー・ブルース・ムーア)を結成する。一部では「90年代のクリーム」とも騒がれ、翌94年にはアルバム『白日夢』(Around the Next Dream)をリリースしたが、インプロヴィゼイションを重視するベイカーにとっては音楽的指向が満足ゆくものではなかったうえ、メンバー間のエゴのぶつかり合いもあり、この重量級プロジェクトは短命に終わった。
 しかし、様々なセッションや各種プロジェクトへの参加、また自身のトリオを率いるなど、BBM解散後も多彩な活躍を続けた。





 1993年1月、クリームは「ロックンロール・ホール・オブ・フェイム」(ロックの殿堂)入りを果たす。その式典で、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーは、クリームとして3曲演奏している。
 1994年、ビル・フリーゼル(guitar)とチャーリー・ヘイデン(bass)の、ふたりのジャズ界の名手とともに「ジンジャー・ベイカートリオ」を結成。
 2005年、37年ぶりにクリーム再結成。このできごとは「奇跡」とも言われ、世界を驚かせた。ロック界だけでなく一般紙までもがこのニュースを取り上げたほどである。再結成コンサートは、5月にロイヤル・アルバート・ホールで、10月にはマディソン・スクエア・ガーデンで行われ、世界中のロック・ファンから注目された。

 2008年にはモダン・ドラマーの殿堂入り。2016年にはクラシック・ドラマーの殿堂入りをしている。

 2013年、変性骨関節炎による慢性的な背中の痛みと、慢性閉塞性肺疾患を患っていることを公表した。
 同年にはジンジャーを題材にしたドキュメンタリー映画『ビウェア・オブ・ミスター・ベイカー』(Beware Of Mr. Baker)が公開され、その気難しく、自己破壊的傾向にありながら多作なミュージシャンの生活ぶりが露呈されていた。
 2015年、「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース 3」のバンド名で翌16年にワールド・ツアーを行う予定があることを発表したが、2016年3月に自宅で倒れる。同年7月には深刻な心臓疾患であると診断され、心臓手術を受けた。この結果、「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース 3」のツアーはキャンセルを余儀なくされた。
 ジンジャー・ベイカーは長い間ヘロイン中毒とも闘っており、2013年に『ガーディアン』紙に対して「29回」もドラッグから逃れられなかったと語っている。
 2019年10月6日、病気のためにイングランド ケント カンタベリーで死去。80歳没。





 ベイカーの演奏スタイルは、高度なテクニックに裏付けされた自由度の高いものである。ドラミングそのものはパワフルで躍動的、カリスマ性すら漂わせていた。
 ロック界にあって、豊かな即興性と長尺のドラム・ソロを持ち込んだことでも知られる。1960年代に見られる有名な例が、クリームの『いやな奴』(Toad)や、ブラインド・フェイスの『君の好きなように』(Do What You Like)である。
 また、ツイン・バス・ドラムのセッティングを行った初めてのロック・ドラマーがベイカーだと言われている。


 ベイカーはたいへん気難しい性格であり、率直で辛辣な発言が多いことでも有名。
 長年いろいろなユニットでともにリズム・セクションを形成していたジャック・ブルースに対しては「エゴ剥き出し」「マイクを握ってステージ上で踊りまくる嫌な奴」とこき下ろしているのをはじめ、「ミック・ジャガーは音楽面では無能」(ただし「経営面で天才なのは事実だ」とも語っている)「なぜロックミュージックはあんなに音を大きくしなくてはいけないのだ?」「(ロック・ミュージシャンのほとんどは)とにかくマヌケどもだ」「ポール・マッカートニーは自分は楽譜が読めないなどと自慢している!よくも自分をミュージシャンだと言えたもんだ」「今のポップミュージックはクズだ」などと容赦のない言葉の数々が残っている。


 若き日のベイカーとチャーリー・ワッツ(ローリング・ストーンズ)の関係にも触れておきたい。

 ベイカーとワッツの関係は、まさに「親友」であった。彼らは深い友情で結ばれていた。
 もともとはワッツの母と、ベイカーの最初の妻リズの叔母が知り合いだったということである。
 1950年代の終わりごろには、ワッツはすでにベイカーの演奏に感銘を受けていた。
 ワッツはアレクシス・コーナーの「ブルース・インコーポレイテッド」のメンバーだった1962年、「ジンジャー・ベイカーが仕事を探している」という話を耳にした。ワッツは、「ベイカーのような素晴らしい才能の持ち主に仕事がないのに、自分がこのバンドでドラムを叩いているのはおかしい」と言って、ベイカーにブルース・インコーポレイテッドのドラマーの座を譲ったという。
 ベイカーは「信じられない!」と感謝の言葉を伝えた。ワッツは後日ベイカーに「プロのミュージシャンとしてのキャリアを歩むかどうかも迷っているんだ」とも打ち明けていたそうであるが、精神的にも信頼していたのであろう。
 その後のことである。

 ベイカーはブライアン・ジョーンズの音楽性を高く評価していたが、ブライアンがミック・ジャガーと行動を共にすることになったとき、ベイカーはブライアンに「リズム・セクションを加えたらどうか」と提案した。ブライアンらはドラマーを見つけたが、ベイカーはそのドラマーを「ひどいもの」だとしたうえで、「チャーリー・ワッツを雇ったらどうだ」と彼らに進言したという。
 ベイカーとワッツはお互いに敬意を払い、「家族のように」思っていたそうである。
 そしてその友情は終生続いた。



【ディスコグラフィ】

 アレクシス・コーナー・ブルース・インコーポレイテッド

  1963年 Alexis Korner and Friends

 グラハム・ボンド・オーガニゼイション
  1964年 クルークス・クリーク/Live at Klooks Kleek
  1965年 サウンド・オブ・'65/The Sound of '65
  1965年 ゼアズ・ア・ボンド・ビトゥイーン・アス/There's a Bond Between Us

 クリーム
  1966年 フレッシュ・クリーム/Fresh Cream
  1967年 カラフル・クリーム/Disraeli Gears
  1968年 クリームの素晴らしき世界/Wheels of Fire
  1969年 グッバイ・クリーム/Goodbye
  1970年 ライヴ・クリーム/Live Cream
  1972年 ライヴ・クリーム Vol.2/Live Cream Volume Ⅱ
  2003年 BBCライヴ/BBC Sessions
  2005年 リユニオン・ライヴ05/Royal Albert Hall London May 2-3-5-6, 2005

 ブラインド・フェイス
  1969年 スーパー・ジャイアンツ/Blind Faith

 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース
  1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース/Ginger Baker's Air Force
  1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース2/Ginger Baker's Air Force 2

 グラハム・ボンド

  1970年 ソリッド・ボンド/Solid Bond

 フェラ・クティ
  1971年 Fela's London Scene

  1971年 ホワイ・ブラック・マン・デイ・サファー/Why Black Man Dey Suffer
  1972年 ライヴ!/Live!
 

 ジンジャー・ベイカー & ソルト
  2010年 Live in Munich Germany 1972

 ベイカー・ガーヴィッツ・アーミー
  1974年 進撃/Baker Gurvitz Army
  1974年 天上の闘い/Elysian Encounter
  1975年 燃えあがる魂/Hearts On Fire
  2003年 Flying in and Out of Stardom

  2005年 ライヴ・イン・ダービー75/Live in Derby

 ジンジャー・ベイカー & アフリカン・フレンズ

  2010年 Live in Berlin Germany 1978

 ジンジャー・ベイカーズ・エナジー
  1992年 Ginger Baker's Energy
  2010年 Live in Milan Italy 1980

 ホークウインド
  1980年 宇宙遊泳/Levitation(全英21位)
  1983年 ゾーンズ/Zones
  1984年 This Is Hawkwind, Do Not Panic


 ジンジャー・ベイカーズ・ナッターズ
  1981年 Ginger Baker Live
  1987年 In Concert
  2011年 Live In Milan Italy 1981
  
 パブリック・イメージ・リミテッド
  1986年 アルバム/Album(全英14位 全米115位)

 ペーター・ブロッツマン

  1989年 ノー・マテリアル/No Material

 マテリアル
  1993年 ライヴ・イン・ジャパン/Live In Japan

 ジンジャー・ベイカーズ・バンド
  1992年 IMABARI MEETING 1991 LIVE 瀬戸内海音楽祭 Vol.1 ※オムニバス・アルバム
 
 マスターズ・オブ・リアリティ
  1993年 サンライズ・オン・ザ・サファーバス/Sunrize on the Sufferbus

 ジンジャー・ベイカー・トリオ
  1994年 Going Back Home
  1996年 Falling Off The Roof


 ジャック・ブルース
  1993年 Cities of the Heart

  1994年 バースディ・ギグ/Cities of the Heart

 BBM
  1994年 白昼夢/Around The Next Dream(全英9位)

 アンディ・サマーズ

  1996年 Synaesthesia

 ソロ・アルバム
  1972年 アフロ・ロックの真髄/Stratavarious
  1976年 Ginger Baker & Friends

  1977年 Eleven Sides of Baker
  1983年 From Humble Oranges
  1986年 ホーシス・アンド・トゥリーズ/Horses & Trees
  1988年 アフリカン・フォース/African Force
  1990年 Middle Passage

  1992年 アンシーン・レイン/Unseen Rain
  1994年 Ginger Back Home

  1995年 Ginger Baker The Album
  1996年 Falling Off the Roof
  1998年 Do What You Like
  1999年 Coward of the Country
  2001年 African Force
  2006年 African Force:Palanquin's Pole
  2014年 Why?

 


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スパイス

2022-10-23 20:36:07 | band

スパイス Spice


活動期間
  1967~1969


メンバー
 <vocal>

   デヴィッド・バイロン/David Garrick(=David Byron vocal)在籍1967~1969
 <guitar>
   ミック・ボックス/Mick Box(guitar)在籍1967~1969
 <keyboard>

   ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(vocal, keyboards, guitar)在籍1969
 <bass>
   バリー・グリーン/Barry Green(bass)在籍1967
   アルフ・レイナー/Alf Raynor(bass)在籍1968
   ポール・ニュートン/Paul Newton(bass)在籍1968~1969
 <drums>
   ナイジェル・ペグラム/Nigel Pegrum(drums)在籍1967~1969
   アレックス・ネピアー/Alex Napier(drums)在籍1969


 
 「スパイス」(Spice)は、イギリスのロック・バンド。
 ポップ・ロックとリズム&ブルースの要素を併せ持ったバンドであり、ユーライア・ヒープの前身バンドとしても知られている。


 1964年冬、ミック・ボックスがセミプロ・バンド「ストーカーズ」(The Stalkers)を結成、エッピングを拠点として活動を始める。
 1965年、このバンドにデヴィッド・ガーリック(のちデヴィッド・バイロンと改名)が加入。
 ストーカーズは1967年に解散したが、同年ボックスとガーリックが中心となり、バリー・グリーン(bass)とナイジェル・ペグラム(drums)を加えて、新たなバンド「スパイス」を結成する。
 スパイスは同年にアヴェニュー・レーベルと契約、ヒット・チューンのカヴァーの録音などをしていた。



     


 1968年、グリーンに代わりストーカーズ時代のベーシスト、アルフ・レイナーが加入したが短期間で解雇され、同年6月には元ゴッズのポール・ニュートンが加入した。
 スパイスは、1968年11月に唯一のシングル『What About The Music』をリリースし、その後年末には国内ツアーも行った。この頃ガーリックはステージ・ネームを「デヴィッド・バイロン」に変えている。
 1969年初頭、ドラマーのペグラムが脱退(のちGnidrolog、Steeleye Spanが)し、後任としてアレックス・ネピアーが加入。こうしてデヴィッド・バイロン、ミック・ボックス、ポール・ニュートン、アレックス・ネピアーというラインナップが揃った。
 なお、この頃バンドは一時的に「The Play」と名乗ったが、夏頃には「スパイス」に戻している。


 1969年当時、スパイスのマネージャーはポール・ニュートンの父が務めていた。その伝手でスパイスはプロデューサーのジェリー・ブロンとコンタクトを取ることができ、ブロン・エージェンシーと契約を交わした。
 同年後半にはセカンド・シングルのレコーディングを行ったが、これは陽の目を見なかった。


     


 1969年になると、スパイスはロイ・シェアランド(Roy Sharland)やコリン・ウッド(Colin Wood)らのキーボード奏者をサポート・メンバーに加えて活動するようになっていたが、マネージャーを務めていたブロンは、バンドに物足らなさを感じていた。
 歌えるキーボード奏者を正式メンバーに加える必要性を重視したブロンは、ニュートンのゴッズ時代のバンド・メイトであり、折よく1969年11月に「トー・ファット」を脱退したばかりのケン・ヘンズレー(keyboard, guitar, vocal)に声をかけた。このバンドが1969年末に改名して、「ユーライア・ヒープ」となるのである。
 なお契約上の理由で、バンドは1970年2月までは「スパイス」として活動。1970年3月から正式に「ユーライア・ヒープ」として活動を始めた。



【ディスコグラフィ】
 <シングル>

  1968年 What About The Music


【メンバー変遷】
 #1  1967
  David Garrick(vocal)
  Mick Box(guitar)
  Barry Green(bass)
  Nigel Pegrum(drums)

 #2  1968
  David Garrick(vocal)
  Mick Box(guitar)
  Alf Raynor(bass)
  Nigel Pegrum(drums)

 #3 1968~1969
  David Garrick(vocal)
  Mick Box(guitar)
  Paul Newton(bass)
  Nigel Pegrum(drums)→ Gnidrolog

 #4 1969(「The Play」)
  David Byron(vocal)
  Mick Box(guitar)
  Paul Newton(bass)
  Alex Napier(drums)
  Roy Sharland(keyboard:support member)

 #5 1969
  David Byron(vocal)
  Mick Box(guitar)
  Paul Newton(bass)
  Alex Napier(drums)
  Colin Wood(keyboard:support member)

 #6 1969
  David Byron(vocal)
  Mick Box(guitar)
  Paul Newton(bass)
  Alex Napier(drums)
  Ken Hensley(keyboard, guitar, vocal)


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ゴッズ

2022-10-21 19:44:28 | band

ゴッズ The Gods


活動期間
  1965~1969(1967年以降が正式なGodsの活動期間)


メンバー
 <keyboard>

  ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(vocal, keyboards, guitar)在籍1965~1969
 <guitar>
  ミック・テイラー/Mick Taylor(guitar)在籍1965~1967
  ジョン・コーナス/John Konas(guitar, vocal)在籍1965~1969
  アラン・シャクロック/Alan Shacklock(guitar)在籍1969
 <bass>
  ジョン・グラスコック/John Glascock(bass, vocal)在籍1965~1967、1968~1969
  ポール・ニュートン/Paul Newton(bass)在籍1967
  グレッグ・レイク/Greg Lake(bass, vocal)在籍1967~1968
 <drums>
  ブライアン・グラスコック/Brian Glascock(drums)在籍1965~1967
  リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums)在籍1967~1969


 
 「ゴッズ」(The Gods)は、サイケデリックやプログレッシヴな要素を持っていたイギリスのロック・バンドである。
 ミック・テイラー(のちローリング・ストーンズ)、グレッグ・レイク(のちキング・クリムゾン、EL&P)、ケン・ヘンズレー(のちユーライア・ヒープ)などが在籍したことでも知られる。


 ハットフィールドの学友だったミック・テイラー、ブライアン・グラスコック、ジョン・グラスコックの3人は、アラン・シャクロック(guitar)とマルコム・コリンズ(vocal)を加え、1962年に「ストレンジャーズ」(The Strangers)を結成。のち「ジュニアーズ」(The Juniors)と改名する。
 彼らはEMI/コロムビア・レコードと契約し、1964年8月に唯一のシングル『There's A Pretty Girl』を発表したが、1965年にコリンズとテイラーが脱退。
 ヴォーカルにブライアン・レッドモッドを補充したジュニアーズは、1965年に「ハイ・ナンバーズ」(The Hi Numbers)に、さらに1966年には「フェイヴァリット・サンズ」(The Favourite Sons)に改名。
 フェイヴァリット・サンズは1966年に解散、その後グラスコック兄弟はミック・テイラーと再び合流、そこにロンドンで交流が生まれたケン・ヘンズレー(organ, vocal)が加わり、「ゴッズ」(The Gods)が結成された。


     


 1966年、ゴッズはロンドンのウェンブリーにあるスターライト・ボールルームでのクリームのライヴでオープニング・アクトを務めている。翌67年6月には、ポリドールからデビュー・シングル『Come On Down To My Boat Baby』をリリースした。このレコーディングが終了した後の1967年5月、ミック・テイラーがピーター・グリーンの後任としてジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに参加するためにゴッズを脱退した。

 1967年6月にはベースがジョン・グラスコックからポール・ニュートンに交替。同年9月には、ミック・テイラーの代わりにジョー・コーナス(guitar, vocal)が加入。またこの年にはリー・カースレイク(drums)もバンドに加入している。


 1968年、ポール・ニュートンに代わって新たに元ザ・シェイムのグレッグ・レイク(bass, vocal)が参加したが、同年9月には「シャイ・リムス」へ参加(その後「キング・クリムゾン」に参加)するために脱退、後任としてジョン・グラスコックが復帰した。
 ゴッズはこの時のメンバー(ケン・ヘンズレー、ジョー・コーナス、ジョン・グラスコック、リー・カースレイク)で、1968年にデビュー・アルバム『ジェネシス』を発表した。


 1969年、ジュニアーズ~ハイ・ナンバーズ~フェイヴァリット・サンズ時代にバンド・メイトだったアラン・シャクロック(Alan Shacklock Guitar)がサポート・メンバーとしてステージを共にする。この年2月には、ビートルズの『ヘイ・ブルドック』をカヴァー・シングルとして発表しているが、これがゴッズの最も知られた曲であろう。
 ゴッズは、一部では「ロンドンのマーキー・クラブにおけるローリング・ストーンズの後継者」と言われての声もあったが、セカンド・アルバム『To Samuel A Son』録音後の同年3月には解散した。
 解散時のメンバーは、ケン・ヘンズレー、ジョー・コーナス、ジョン・グラスコック、リー・カースレイクである。
 この後ヘンズレーとグラスコックはクリフ・ベネット(vocal 元レベル・ラウザーズ)・バンドに参加するが、時を経ずしてコーナスとカースレイクも合流し、バンドは「トー・ファット」(Toe Fat)に発展する。


     


 解散後の同年5月にはシングル『マリア』を発表。これはミュージカル『ウエスト・サイド物語』で使われた曲である。
 1970年1月には1969年に録音したアルバム『To Samuel A Son』をリリース。
 この1970年、ゴッズ解散時のメンバーの4人(ケン・ヘンズレー、ジョー・コーナス、ジョン・グラスコック、リー・カースレイク)は「Head Machine」の変名でアルバム『Orgasm』を発表している。



ディスコグラフィ

 <アルバム>
  1968年 ジェネシス/Genesis
  1970年 トゥ・サミュエル・ア・サン/To Samuel a Son
  1970年 Orgasm ※「Head Machine」名義

 <シングル>
  1967年 Come On Down to My Boat Baby
  1968年 Garage Man
  1968年 Baby's Rich
  1969年 ヘイ・ブルドッグ/Hey Bulldog
  1969年 Maria(from West Side Story)


【メンバー変遷】

#1 1965~1967(#2以降が正式なGodsの活動期間)
  ケン・ヘンズレー(vocal, keyboard, guitar)
  ミック・テイラー(guitar)→ John Mayall & Bluesbreakers
  ジョン・グラスコック(bass, vocal)→ #4
  ブライアン・グラスコック(drums)→ Octopus、Toe Fat

#2 1967~1968
  ケン・ヘンズレー(vocal, keyboard, guitar)
  ジョー・コーナス(guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)→ Spice
  リー・カースレイク(drums)

#3 1968
  ケン・ヘンズレー(vocal, keyboard, guitar)
  ジョー・コーナス(guitar, vocal)
  グレッグ・レイク(bass)→ Shy Limbs
  リー・カースレイク(drums)

#4 1968~1969
  ケン・ヘンズレー(vocal, keyboard, guitar)→ Cliff Bennett Band~Toe Fat
  ジョー・コーナス(guitar, vocal)→ Toe Fat
  ジョン・グラスコック(bass)→ Cliff Bennett Band~Toe Fat
  リー・カースレイク(drums)→ Toe Fat
  アラン・シャクロック(guitar support member)


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