ROCKSTARS

all about my favorite Rocks.

スウィート

2022-10-19 00:28:32 | band

スウィート Sweet

【活動期間】
   1968~1981

【メンバー】
  ブライアン・コノリー/Brian Connolly(vocal 在籍1968~1978)
  アンディ・スコット/Andy Scott(guitar, keyboard, vocal 在籍1969~1981)
  スティーヴ・プリースト/Steve Priest(bass, harmonica, vocal 在籍1968~1981)
  ミック・タッカー/Mick Tucker(drums, vocal 在籍1968~1981)
  フランク・トーピー/Frank Torpey(guitar 在籍1968~1969)

    
   
 スウィートはイギリスのロック・バンドである。
 もともとはティーンエイジャー向けのバンドだったが、1970年代からハード・ロック・サウンドにシフトした。
 現在まで、世界中で3500万枚以上のレコード・セールスを記録している。


 1965年、ミック・タッカーは、ウエスト・ロンドンで活動していた7人組のソウル・バンド「ウェインライツ・ジェントルメン」(Wainwright's Gentlemen)に、フィル・ケントンの後任ドラマーとして加入。この当時のウェインライツ・ジェントルメンのヴォーカリストは、のちディープ・パープルのメンバーとなるイアン・ギランであった。ギランは1965年5月まで在籍した。
 1966年になると、ブライアン・コノリー(vocal)がバンドに加入する。
 コノリーとタッカーは1968年1月までウェインライツ・ジェントルメンに在籍していたが、バンド・メイトだったフランク・トーピー(Frank Torpey guitar)とともにバンドを脱退し、「スウィートショップ」(Sweetshop)を結成。そしてすぐにスティーヴ・プリースト(bass 元ジ・アーミー)をメンバーに加えた。


 1968年3月、スウィートショップはデビューを果たす。
 数ヵ月後にはバンド名を「ザ・スウィート」と改め、同年7月にはフォンタナ・レーベルからフィル・ウエインマンのプロデュースでデビュー・シングル『スロー・モーション』をリリースした。
 しかし全く話題にならず、1969年にはトーピーが脱退し、代わりにミック・スチュワートが加入。
 その後パーロフォン・レーベルに移籍して3枚のシングル・レコード『Lollipop Man』(1969年9月)、『All You'll Ever Get from Me』(1970年1月)、『Get on the Line』(1970年6月)をリリースしたが、いずれもチャートに登場することはなかった。
 1969年、ギタリストがミック・スチュワート(のちJohnny Kidd & The Piratesに加入)からオーディションによってアンディ・スコット(元エラスティック・バンド)に代わったが、これがバンドの転機になる。
 まずは、スージー・クアトロへ数々のヒット曲を提供したことで有名なマイク・チャップマン & ニッキー・チンのコンポーザー・チームがマネージメント、作詞作曲を担当することになる。マイクとニッキーはRCAと契約を交わし、プロデューサーに改めてフィル・ウエインマンを起用。この態勢で翌71年にリリースした『ファニー・ファニー』は、全英13位、オランダとスウェーデンでは1位を記録、スウィートにとっての初ヒットとなった。ようやくブレイクの兆しが見えるようになったわけである。


     


 この後、『ヘル・レイザー』『ボールルーム・ブリッツ』『ティーンエイジ・ラムペイジ』など全英トップ10ヒットを連発。1973年にリリースした『ブロック・バスター』はバンド初の全英1位となっている。ヨーロッパ諸国でも人気は上昇、ドイツ、オーストリア、オランダ、ノルウェーなどで好調なセールスを記録する。またアメリカでは1972年にリリースした『リトル・ウィリー』が3位の大ヒットを記録してミリオン・セラーとなったほか、1973年の『ボールルーム・ブリッツ』が5位を記録しており、スウィートはティーンエイジャー向けのバブルガム・サウンドと、グラム・ロックの魅力を併せ持ったバンドとして、一躍人気を得た。
 1973年、バンド名を「ザ・スウィート」から「スウィート」に変更。
 1974年に発表したセカンド・アルバム『スウィート・ファニー・アダムス』は、多忙のためチン&チャップマンが制作にあまり関わることができなかったため、バンド自らがほとんどの曲を制作している。このアルバムは全英チャート27位(ドイツ2位、スウェーデン4位)のヒットとなったが、これは彼らのオリジナル・アルバムとしては唯一の全英トップ40アルバムである。
 この年にはアメリカ編集アルバム『荒廃の街角』(Desolation Boulevard)も発表したが、これは全米アルバムチャートで25位を記録、スウィート唯一のゴールド・アルバムを獲得した。
 同年6月には、チャールトン・フットボール場でピート・タウンゼント(ザ・フー)のサポートを務めている。


     


 しかしスウィートの成功の陰で、バンドとチャップマン & チンとの関係は緊張度が高まっていた。
 スウィートは、バブルガム・サウンドのイメージとティーンエイジャー向けのアイドル・バンド的な評価に満足していなかったうえに、チャップマン & チンによるコントロールに対して徐々に不満を募らせるようになっていたからである。
 スウィートは、自分たちの手による音楽制作をしようとし始める。音楽的には、よりハードなサウンドにシフトしつつ、1975年に発表したシングルが、メンバー4人で共作した『フォックス・オン・ザ・ラン』であった。これが全英2位、全米5位、ドイツとオーストリアでは1位となる大ヒットを記録、『リトル・ウィリー』以来のミリオン・セラーとなった。
 続いてリリースしたシングル『アクション』も4人の共作で、シングル・チャートは全英15位、全米20位まで上昇した。この曲はのちに「デフ・レパード」もカヴァーした、スピード感あふれるスリリングなハード・ロック・ナンバーである。
 この成功により自信をつけた彼らは、チン&チャップマンと決別し、翌76年には初めて全曲4人の共作によるオリジナルで構成したアルバム『甘い誘惑』(全米27位)を発表した。
 ルックスもよく、メロディーを重視したポップなハード・ロック・バンドとして認められたスウィートは、1970年代半ばが全盛期であり、ピート・タウンゼントからも絶賛されていた。とくに日本では一時クイーンのライバルと見られていたほどだった。 


     


 順調に見えたスウィートの勢いに陰りが見えたのは1977年である。
 アルバム『Off the Record』は、以前から人気の高かったドイツではチャート11位を記録したが、アメリカでは前作『甘い誘惑』の27位から151位へ急落。
 シングル・レコードも、ヨーロッパ各国ではスマッシュ・ヒットしていたが、本国イギリスやアメリカでは低迷が続く。
 この年、RCAからポリドールに移籍したスウィートは、サウンドをハード・ロックからメロディックなポップス寄りにシフトする。こうして1978年1月に移籍後の初アルバム『Level Headed』を発表。ここからシングル・カットした『愛が命』が、イギリス9位、アメリカ8位と久々にヒット、持ち直したかに見えた。しかし、これが最後の全英チャートトップ100シングルとなったのである。
 1978年11月には、健康上の理由もあって、フロントマンのブライアン・コノリーが脱退(発表されたのは1979年2月)、ソロ活動を開始する。
 残った3人はスウィートとしての活動を継続。ベーシストのプリーストがリード・ヴォーカルを兼ね、ゲストとしてキーボード奏者のゲイリー・モバーリー(Gary Moberley)を加えて、シングル『コール・ミー』をリリース。
 1979年にジャーニーやチープ・トリックと行ったアメリカ・ツアーにはギタリストのRay McRinerが参加するなど再浮上に向けて模索していた矢先の同年12月26日、ミック・タッカーのポーリーン夫人が自宅浴室で死亡。この悲劇が理由となって、スウィートは1980年の全てのツアーをキャンセルした。が、再び浮上することはなく、1981年に解散した。
 1980年から81年にかけて、スウィートはアルバム『Identity Crisis』をレコーディングしたものの、西ドイツとメキシコで発売されただけだった。
 その後スウィートはイギリスでの短いツアーののち、1981年3月20日にグラスゴー大学で最後のライヴを行い、同年ついに解散したのである。


 1984年、ブライアン・コノリーが全く新しいメンバーでスウィートを再結成、1996年12月まで活動した。
 1985年、スウィートの代表曲をメドレーにしたダンス・シングル『イッツ・ザ・スウィート・ミックス』がリリースされ、全英45位にランクされた。これをきっかけにアンディ・スコット(guitar)とミック・タッカー(drums)は、元アイアン・メイデンのポール・マリオ・デイ(vocal)、元グラン・プリのフィル・ランゾン(keyboard)、マル・マクナルティ(bass)を加えてスウィートを再結成した。
 2008年1月には、スティーヴ・プリースト(bass)がロサンゼルスを拠点に「スティーヴ・プリースツ・スウィート」(Steve Priest's Sweet)を結成。


     



【ディスコグラフィ】

 <アルバム>
  1971年 Funny Funny, How Sweet Co-Co Can Be(フィンランド1位)
  1972年 The Sweet's Biggest Hits(フィンランド3位)*コンピレーション・アルバム
  1973年 ブロックバスター/The Sweet(アメリカ191位)*コンピレーション・アルバム
  1974年 スイート・ファニー・アダムス/Sweet Fanny Adams(イギリス27位 ドイツ2位 スウェーデン4位 オーストリア6位 フィンランド9位)
  1975年 荒廃の街角(旧邦題:危険なブールヴァード)/Desolation Boulevard(アメリカ25位 スウェーデン2位 カナダ5位 フィンランド9位 ドイツ9位)
  1975年 ライヴ・アンド・ベスト/Strung Up(スウェーデン4位 オーストリア10位 オーストラリア10位)
  1976年 甘い誘惑/Give Us A Wink(アメリカ27位 スウェーデン3位 ドイツ9位)
  1977年 明日なき青春/Off The Record(アメリカ151位 オーストリア5位)
  1977年 The Golden Greats
  1978年 甘い罠/Level Headed(アメリカ52位)
  1979年 標的/Cut Above The Rest(アメリカ151位)
  1980年 Water Edge
  1982年 Identity Crisis

 <シングル>
  1968年 スロー・モーション/Slow Motion
  1969年 The Lollipop Man
  1970年 All You'll Ever Get from Me
  1970年 Get on the Line
  1971年 ファニー・ファニー/Funny Funny(イギリス13位 オランダ1位 スウェーデン1位 ノルウェイ2位 ドイツ5位 アイルランド7位)
  1971年 コ・コ/Co-Co(イギリス2位 アメリカ99位 ドイツ1位 ノルウェイ2位 スウェーデン2位 オランダ,3位 アイルランド3位)
  1971年 アレキサンダー・グラハム・ベル/Alexander Graham Bell(イギリス33位)
  1972年 ポパ・ジョー/Poppa Joe(イギリス11位 オランダ1位 ノルウェイ2位 スウェーデン2位 ドイツ3位)
  1972年 リトル・ウィリー/Little Willy(イギリス4位 アメリカ3位 カナダ1位 ドイツ1位 オランダ6位 ノルウェイ7位 アイルランド9位)
  1972年 ウィグワム・バム/Wig-Wam Bam(イギリス4位 ドイツ1位 アイルランド4位 オーストリア5位 オランダ6位 ノルウェイ6位)
  1973年 ブロック・バスター/Block Buster!(イギリス1位 アメリカ73位 オーストリア1位 ドイツ1位 アイルランド1位 オランダ1位 ノルウェイ3位)
  1973年 I'm on My Way
  1973年 ヘル・レイザー/Hell Raiser(イギリス2位 ドイツ1位 アイルランド2位 オランダ4位 オーストリア4位 ノルウェイ5位)
  1973年 It's Lonely Out There
  1973年 ロックン・ロールに恋狂い/Ballroom Blitz(イギリス2位 アメリカ5位 カナダ1位 ドイツ1位 アイルランド1位 オーストラリア1位 オランダ2位 ノルウェイ2位 スウェーデン3位 オーストリア5位)
  1974年 ティーンエイジ狂騒曲/Teenage Rampage(イギリス2位 ドイツ1位 アイルランド1位 ノルウェイ2位 スウェーデン7位 オーストラリア10位)
  1974年 初恋の16才/The Six Teens(イギリス9位 ドイツ4位 ノルウェイ7位 オーストリア9位 オランダ10位)
  1974年 Turn It Down(イギリス41位 ドイツ4位 ノルウェイ4位 スウェーデン10位)
  1974年 ペパーミント・ツイスト/Peppermint Twist(オーストラリア1位)
  1975年 フォックス・オン・ザ・ラン/Fox on the Run(イギリス2位 アメリカ5位 ドイツ1位 オーストラリア1位 カナダ2位 アイルランド2位 オランダ2位 ノルウェイ2位 オーストリア3位 スウェーデン6位)
  1975年 アクション/Action(イギリス15位 アメリカ20位 ドイツ2位 ノルウェイ2位 スウェーデン2位 オーストリア3位 オーストラリア4位 カナダ5位 オランダ5位 アイルランド7位)
  1976年 恋はだましあい/The Lies in Your Eyes(イギリス35位 ドイツ5位 スウェーデン6位 オランダ9位)
  1976年 7月4日/4th of July
  1976年 ロスト・エンジェル/Lost Angels(スウェーデン5位)
  1977年 愛の炎/Fever of Love(スウェーデン7位 ドイツ9位)
  1977年 Stairway to the Stars(ドイツ15位)
  1977年 ファンクでいこう/Funk It Up(David's Song)(アメリカ88位)
  1978年 愛が命/Love Is Like Oxygen(イギリス9位 アメリカ8位 カナダ8位 アイルランド8位 オーストラリア9位 ドイツ10位)
  1978年 カリフォルニア・ナイツ/California Nights(アメリカ76位)
  1979年 コール・ミー/Call Me(ドイツ29位)
  1979年 マザー・アース/Mother Earth
  1979年 ビッグ・アップル・ワルツ/Big Apple Waltz
  1980年 Give the Lady Some Respect
  1980年 Sixties Man
  1982年 Falling in Love
  1984年 It's It's…The Sweet Mix(イギリス45位)
  1985年 Sweet 2th - The Wigwam Willy Mix(イギリス85位)
  


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする