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トニー・リーヴス

2022-10-28 23:59:59 | bass

トニー・リーヴス Anthony Robert "Tony" Reeves

【パート】
  エレクトリック・ベース、コントラバス

【生没年月日】
  1943年4月18日~

【出生地】
  イングランド サウスイ-スト・ロンドン、ニュー・エルサム

【経 歴】
  ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ(1968)
  コロシアム(1968~1970)
  グリーンスレイド(1972~1975)
  カーヴド・エア(1975~1976)


 イングランドのベース奏者。エレクトリック・ベースとコントラバスの両方をプレイする。
 コロシアムの創設メンバーのひとりである。
 

 10代の頃からコントラバスを習う。
 ルイシャムにあるコルフェス・グラマー・スクールに在籍していたころ、同じ学校に通っていたデイヴ・グリーンスレイド、ジョン・ハイズマンと出会う。
 リーヴスは当時から地元のいくつかのジャズ・バンドで演奏していた。その中のひとつが、コルフェス・グラマー・スクールの仲間が集まって1960年に結成した「ウエス・ミンスター・ファイヴ」(Wes Minster Five)である。
 ウエス・ミンスター・ファイヴのメンバーは、リーヴスのほか、ジョン・ハイズマン、デイヴ・グリーンスレイド、クライヴ・バロウズ、ポール・マクドウェルの5人であった。このバンドが、のちの「コロシアム」の母体である。


 ウエス・ミンスター・ファイヴは1962年に解散したが、リーヴスは「イアン・バード・クインテット」や「ニュー・ジャズ・オーケストラ」などで活動を続けながら、デッカ・レコードの品質管理担当を経て、パイ・レコードの販売促進担当として働いた。
 その後はCBSやポリドールでフリーのプロデューサーや、グリニッジ・グラモフォン・カンパニーのクリエイティヴ・ディレクターを務め、「The London Jazz Four」「The Beatstrlkers」「Gallagher & Lyle」などのグループのレコーディングに携わる。
 そのかたわら、ミュージシャンとしてはピーター・レマー(piano)と共演したり、1965年にはマイク・テイラー(piano)・カルテットの一員としてアルバム『Pendulum』のレコーディングに参加するなど、ジャズ・ベーシストとしても活動していた。


     


 リーヴスがエレクトリック・ベースを弾くようになったのは1968年頃からである。
 1968年4月、リーヴスはハイズマンの紹介によってジョン・メイオール & ザ・ブルース・ブレイカーズに加入し、ここでディック・ヘクストール=スミスに出会う。ブルース・ブレイカーズでのリーヴス、ハイズマン、ヘクストール=スミスの演奏は同年6月に発表された『ベア・ワイアーズ』(Bare Wires)で聴くことができる。


 1968年8月、ハイズマン、ヘクストール=スミスとともにブルース・ブレイカーズを脱退し、ハイズマンの結成した「コロシアム」に参加する。
 コロシアムでは『コロシアム・ファースト』『ヴァレンタイン組曲』『グラス・イズ・グリーナー』(アメリカ編集盤)の計3枚のアルバム制作に携わった(この3枚はジェリー・ブロンとの共同プロデューサーも兼ねている)が、プロデューサー業に専念するため、1970年8月のナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルを最後に脱退した。後任として参加したのは、元ルネッサンスのルイス・セナモだったが、すぐに元セント・ジェームス・インファーマリーのマーク・クラークに交替している。
 コロシアム脱退後のリーヴスは、プロデューサーとしてはデンマークのグループ「Day of Phoenix」「Burnin Red Ivanhoe」やスウェーデンのジャズ・ロック・グループ「Made In Sweden」の制作に関わったほか、Greenwichレーベルのプロデューサーとしても「Open Road」「The Woods Band」を手掛けた。
 センション・ミュージシャンとしては、イギリスのフォーク・ロック・シンガーであるサンディ・デニーのアルバム『海と私のねじれたキャンドル』や、同じくイギリスのフォーク系シンガーソングライター、ジョン・マーティンのアルバム『Bless the Weather』のレコーディングに参加したり、アイルランドのシンガーソングライター、クリス・デ・バーらと共演したりしている。


     


 1972年、デイヴ・グリーンスレイドの結成したバンド「グリーンスレイド」に参加、3枚のアルバムの制作に参加した。
 1973年には、30歳の若さで1969年に死去したジャズ・ピアニスト、マイク・テイラーのトリビュートである「マイク・テイラー・リメンバード」に出演し、イアン・カー(trumpet)、ニール・アードレイ(keyboard)、ジョン・ハイズマン(drums)、バーバラ・トンプソン(sax ジョン・ハイズマン夫人)などブリティッシュ・ジャズのトップ・ミュージシャンと共演している。


 1975年、プロデューサーとしての活動に専念したい、との理由でグリーンスレイドを脱退したものの、同年「カーヴド・エア」に加入した。カーヴド・エアでは『エアボーン』の録音に参加したが、翌76年には脱退している。
 その後、ディック・ヘクストール=スミス(sax 元コロシアム)やミック・ジャック(guitar 元カーヴド・エア)らとともに「ビッグ・チーフ」(Big Chief)というジャズ・グループに参加。
 2000年、グリーンスレイドが再結成を果たし、25年ぶりに5枚目のアルバム『ラージ・アフタヌーン』を発表したが、リーヴスはこのアルバムのレコーディングに参加している。
 現在のリーヴスは、1990年代に自らが設立した音響制作会社「MTR Professional Audio」を経営するかたわら、ビッグ・チーフやブルー・アンバ(Blue Amba)、ウォーソッグス(The Warthogs)などのバンドと共演したり、マルチ・プレイヤーのJCキャロルと演奏するなど、音楽活動を続けている。


     


【参加アルバム】
 <ジョン・メイオール & ザ・ブルース・ブレイカーズ>
  1968年 ベア・ワイヤーズ/Bare Wires(イギリス3位 アメリカ59位 ノルウェイ9位)

 <コロシアム>
  1969年 コロシアム・ファースト/Those Who Are About to Die Salute You(イギリス15位)
  1969年 ヴァレンタイン組曲/Valentyne Suite(イギリス15位)
  1970年 グラス・イズ・グリーナー/The Grass Is Greener

 <グリーンスレイド>
  1973年 グリーンスレイド/Greenslade
  1973年 ベッドサイド・マナーズ・アー・エクストラ/Bedside Manners Are Extra
  1974年 スパイグラス・ゲスト/Spyglass Guest(イギリス34位)
  2000年 ラージ・アフタヌーン/Large Afternoon

 <カーヴド・エア>
  1976年 エア・ボーン/Airborne

 *レコーディング・セッション*
 <サンディ・デニー>
  1971年 海と私のねじれたキャンドル/The North Star Grassman and the Ravens(イギリス31位)

 <ジョン・マーティン>
  1971年 Bless the Weather
 


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