ROCKSTARS

all about my favorite Rocks.

グレッグ・レイク

2022-11-28 20:15:32 | bass

グレッグ・レイク Gregory Stuart "Greg" Lake


【パート】
  ベース、ギター、ボーカル
  

【生没年月日】
  1947年11月10日~2016年12月7日(69歳没)


【出生地】
  イングランド ドーセット州プール


【経 歴】
  ザ・シェイム(1967)
  ザ・ゴッズ(1968)
  シャイ・リムス(1968)
  キング・クリムゾン(1968~1970)
  エマーソン・レイク & パーマー(1970~1980)
  グレッグ・レイク・バンド(1981~1982)
  エイジア(1983~1984)
  エマーソン・レイク & パウエル(1985~1986)
  エマーソン・レイク & パーマー(1991~1998)
  エマーソン・レイク & パーマー(2010)


 イングランドの南岸、ドーセット州プールのパークストーン地区の貧しい家に生まれ、郊外のオークデイルで育った。父ハリーはエンジニア、母パールは主婦であった。
 1957年にリトル・リチャードのシングル『ルシール』を買ったことがきっかけで、ロックンロールに夢中になる。
 12歳の誕生祝いに母からギターを贈られ、それがきっかけでクラシック・ギターのレッスンを受けるようになる。この時の指導者ドン・ストライクは、少年時代のロバート・フリップにもギターを教えた人物だという。ちなみにレイクもフリップも、のち「キング・クリムゾン」の創設に参加することになる。
 ヘンリー・ハービン・セカンダリー・モダン・スクールを卒業するとプール港で貨物の積み降ろしに従事し、その後短期の製図工として働いたが、17歳の時にフルタイムのミュージシャンになろうと決意した。


 1965年、「ユニット・フォー」という名のバンドを組む。これがレイクが初めて参加したバンドである。

 その後「ザ・タイム・チェックス」などのローカルバンドを経て、1967年「ザ・シェイム」(The Shame)を結成し、同年9月にはシェイム唯一のシングル『Don't Go Away Little Girl』をリリース。
 1967年の終わりにシェイムを脱退すると、1968年3月に、当時ケン・ヘンズレーリー・カースレイク(いずれものちユーライア・ヒープ)が在籍していた「ザ・ゴッズ」(The Gods)にベーシスト兼ヴォーカリストとして参加。
 1968年9月にはゴッズから離れ、「シャイ・リムス」(Shy Limbs)にギタリスト兼ヴォーカリストとして加入するが、数ヵ月で脱退する。


 1968年、ロバート・フリップ(guitar)、マイケル・ジャイルズ(drums)、ピーター・ジャイルズ(bass)からなる「ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ」にイアン・マクドナルド(keyboard, woodwins)、ピート・シンフィールド(作詞、照明)、ジュディ・ダイブル(vocal)が加わる。同年7月にこのバンドからダイブルが脱退したが、同年11月に、旧知のフリップから誘われて、レイクがダイブルの後任ヴォーカリストとしてグループに参加。同年11月に今度はピーター・ジャイルズが脱退し、これを受けてレイクはベースとヴォーカルを兼任することになる。
 こうしてこのバンドのラインナップは、フリップ、レイク、マクドナルド、ジャイルズ、シンフィールドの5人に固まり、1968年12月にピート・シンフィールドによって「キング・クリムゾン」と命名された。
 1969年10月に発表されたキング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、文字通りロック界に衝撃を与えた歴史的名盤として、現在でも高く評価されている。
 『クリムゾン・キングの宮殿』の大成功でクリムゾンは瞬く間にロック界の寵児となった。それと同時にレイクの甘く深みのあるヴォーカルも「ロック界の至宝」と絶賛され、一躍ロック界有数のボーカリストと目されるようになった。
 クリムゾンは1970年にセカンド・アルバムの制作にとりかかったが、レイクはレコーディング途中から姿を見せなくなる。これは「エマーソン・レイク & パーマー」結成に向けての準備のためであった。結局セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』にはヴォーカリストとしてのみの参加となり、同年そのままクリムゾンから脱退した。


     


 1969年、クリムゾンはアメリカ・ツアーを行い、そこでキース・エマーソン率いる「ナイス」とステージを共にする。12月14日~16日に行われたフィルモア・ウエストでのライヴでもナイスとクリムゾンは顔を合わせ、この時レイクはエマーソンと意気投合したという。ふたりはその後もコンタクトを取り合い、バンド結成へ向けて動くことで意向が一致した。
 ふたりはアトミック・ルースターのドラマー、カール・パーマーに声をかける。パーマーがこのオファーを承諾して1970年6月に結成されたのが、プログレッシヴ・ロック界ばかりかロック史上に大きな足跡を残すことになる「エマーソン・レイク & パーマー」である。
 ナイス、キング・クリムゾン、アトミック・ルースターというブリティッシュ・ロックの重要バンドを支えた3人が集まったEL&Pは「スーパー・グループ」として大きな注目を集める。
 1970年8月29日、ワイト島で開催された「第3回ワイト島ポップ・フェスティヴァル」がEL&Pの実質的デビューである。この時のエネルギッシュなパフォーマンスは聴衆から大きな支持を得た。


 もともとギタリストだったレイクは、キング・クリムゾンではベーシスト兼ヴォーカリストだったが、EL&Pではベース、ギター、ヴォーカルを担当。レイクがギターを弾いている時にはエマーソンがモーグ・シンセサイザーあるいはハモンド・オルガンの左手でベース・ラインを弾いていた。
 またアコースティック・ギターで弾き語りをしたり、8弦エレクトリック・ベースを使用するなど、いちベーシストにとどまらない多彩な活躍を見せた。


     


 EL&Pは1979年の解散までにライヴ・アルバム2枚を含む9枚のアルバムを発表したが、デビュー作から1973年『恐怖の頭脳改革』まで5作連続で全英アルバム・チャートでトップ5入りしているほか、デビュー作から1974年のライヴ・アルバム『レディース・アンド・ジェントルメン』までは7作連続で全米アルバム・チャートのトップ20に送り込んでいる。
 バンドは「四大プログレッシヴ・ロック・バンド」のひとつに数えられるなど、世界的な人気を得たのはもちろん、商業的にも大きな成功を収めた。
 1977年8月のアメリカ・ツアーを最後にEL&Pはいったん活動を停止。それ以後アルバム4枚(『ELP四部作』『作品第2番』『ラヴ・ビーチ』『イン・コンサート』)をリリースしたが、セールスは下降の一途をたどり、メンバーの間でも活動を継続させようとする熱意が薄れ、1980年2月にEL&Pの解散が正式に発表された。


 解散後のレイクはソロ。アルバム『グレッグ・レイク & ゲイリー・ムーア』の制作に着手する。
 レコーディングはイギリスとアメリカで行われたが、イギリスでのレコーディングに参加したメンバーで、1981年6月から「グレッグ・レイク・バンド」として活動を始める。メンバーはレイクのほか、ゲイリー・ムーア(guitar)、トミー・アイアー(keyboard)、ティストラム・マーゲッツ(bass)、テッド・マッケンナ(drums)の5人である。このアルバムはギター・サウンドをメインとしたロック・サウンドで、EL&Pのサウンドとは一線を画したものである。
 同年秋にハマースミス・オデオンでライヴを行っているが、この模様を収めているのが、1996年に発表されたライヴ・アルバム『イン・コンサート』である。
である。
 グレッグ・レイク・バンドは1982年春まで活動を続けたが、ゲイリー・ムーアがソロ・プロジェクトに取りかかったため活動を終えた。
 1983年に発表したレイクのセカンド・ソロ・アルバム『マヌーヴァーズ』はファースト・アルバム制作時に録音された音源の残りを収録したものである。


 1983年、ジョン・ウェットンの後任として、当時カール・パーマーが在籍していた「エイジア」に一時的に加入、ツアーのため来日も果たした。この公演の模様はライブ・ビデオ『エイジア・イン・エイジア』に収録されている。


     


 1985年、エマーソン・レイク & パーマー再結成の話が持ち上がったが、当時カール・パーマーは「エイジア」に参加していたため合意に至らず、代わりとしてコージー・パウエルが加わり、「エマーソン・レイク & パウエル」として1986年より活動を開始した。
 しかしエマーソン・レイク & パウエルは、1枚のアルバムを残しただけで、パウエルの脱退により解散。
 折からカール・パーマーがエイジアから離れたため、レイクとエマーソンはパーマーに声をかけてリハーサルに入ったが、今度はレイクが脱退する。残されたふたりはロバート・ベリーを迎えて「3」を結成するが、アルバム1枚をリリースしたのみで解散した。


 レイクはソロ活動を始めるつもりではあったが、レコード会社がセールス面での危惧を示したため、同じくソロ活動を希望するもレコード会社の反対で暗礁に乗り上げていたエマーソンと協議した末、1991年にエマーソン・レイク & パーマーを再結成する。
 1992年、アルバム『ブラック・ムーン』を発表。その後ワールド・ツアーを行い、約20年ぶりの来日公演も行った。
 EL&Pは1993年に4枚組アルバム『リターン・オブ・ザ・マンティコア』を、1994年にはアルバム『イン・ザ・ホットシート』をリリース、その後もツアーを行うなどしていたが、1997年のモントルー公演を最後に活動を停止した。


 2001年、リンゴ・スター & ヒズ・オール・スター・バンドのアメリカ・ツアーに参加。「クリムゾン・キングの宮殿」と「ラッキー・マン」を歌った。
 2003年、「ザ・フー」のベーシスト、ピノ・パラディーノがツアーに出ていたため、依頼されてフーの新曲『リアル・グッド・ルッキング・ボーイ』のレコーディングでベースを担当。
 2005年には「グレッグ・レイク・バンド」を組織してドイツとイギリスでツアーを行っている。バンドのメンバーはデヴィッド・アーチ(david Arch keyboard)、フローリアン・オパール(Florian Opahle guitar)、トレヴァー・バリー(Trevor Barry bass)、ブレット・モーガン(Brett Morgan drums)であった。
 2010年、キース・エマーソンとのコンビでアメリカ・ツアーを行い、新たな編曲でナイス、キング・クリムゾン、EL&Pの曲を演奏した。エマーソン & レイクでの来日公演も予定されていたが、エマーソンの病気によりキャンセルとなった。
 同年7月25日、その夜限りでEL&Pを再再結成し、ロンドンで行われた「ハイ・ボルテージ・フェスティヴァル」にメイン・アクトとして登場した。カール・パーマーは、「今後はEL&Pとしては活動しない」とコメントしたが、その言葉通りこれ以後エマーソン・レイク & パーマーとしてのライブは行われなかった。
 2013年にはにソロとして来日公演を行い、キング・クリムゾンとELPの他、エルヴィス・プレスリーなどお気に入りの楽曲も交えて歌った。

 柔軟な発想によるベース・ラインを創り出すベーシストであり、エマーソン・レイク & パーマーのキーボード・トリオの枠にとらわれないスケールの大きなサウンド構築に貢献している。
 使用ベースは、当時としては珍しい8弦ベースであった。(ただし8本の独立した弦ではなく、ひとつの弦が2本セットになっているもの)
 ヴォーカリストとしての存在感の大きさは特筆されるべきものである。「21世紀の精神異常者」のようなハード・ロックから「エピタフ」のような壮大なバラードまで歌いこなす。とくに「ラッキー・マン」「スティル・ユー・ターン・ミー・オン」などのトラッド色の濃いフォーキーな曲で一層その甘い声が映える。


 2016年3月10日、キース・エマーソンが死去。訃報を知ったレイクは哀悼メッセージを送った。そして同年12月7日、レイク自身もガンのためロンドンで死去。69歳だった。
 残されたカール・パーマーは悲しみに打ちひしがれたが、かつてレイクが『展覧会の絵』で歌った「死はすなわち生」という歌詞を引用したメッセージを発表してレイクの死を悼んだ。
 パーマーは、2017年に自己のバンド「Carl Palmer's ELP LEGACY」でエマーソンとレイクを追悼するワールド・ツアーを行っている。


     


【ディスコグラフィ】
 ☆アルバム(*=ライヴ・アルバム)
 <キング・クリムゾン>
  1969年 クリムゾン・キングの宮殿/In the Court of the Crimson King(イギリス5位 アメリカ28位 日本96位)
  1970年 ポセイドンのめざめ/In the Wake of Poseidon(イギリス4位 アメリカ31位)
  1997年 Epitaph*(1969年録音)(日本42位)
  1998年 Live at Marquee*(1969年録音)
  2000年 Live in Hyde Park*(1969年録音)
  2004年 Live at Fillmore East*(1969年録音)

 <エマーソン・レイク & パーマー>
  1970年 エマーソン・レイク & パーマー/Emerson Lake & Palmer(イギリス4位 アメリカ18位 日本66位)
  1971年 タルカス/Tarkus(イギリス1位 アメリカ9位 日本55位)
  1971年 展覧会の絵/Pictures at Exhibition*(イギリス3位 アメリカ10位 日本2位)
  1972年 トリロジー/Trilogy(イギリス2位 アメリカ5位 日本4位)
  1973年 恐怖の頭脳改革/Brain Salad Surgery(イギリス2位 アメリカ11位 日本18位)
  1974年 レディース・アンド・ジェントルメン/Welcome Back My Friends…*(イギリス6位 アメリカ4位 日本23位)
  1977年 ELP四部作/Works Volume 1(イギリス9位 アメリカ12位 日本13位)
  1977年 作品第2番/Works Volume 2(イギリス20位 アメリカ37位 日本38位)
  1978年 ラヴ・ビーチ/Love Beach(イギリス48位 アメリカ55位)
  1979年 イン・コンサート/In Concert*(アメリカ73位)
  1992年 ブラック・ムーン/Black Moon(アメリカ78位 日本16位)
  1993年 ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール/Live at the Royal Albert Hall*(日本90位)
  1993年 ワークス・ライヴ/Works Live*
  1994年 イン・ザ・ホットシート/In the Hot Seat(日本60位)
  1997年 Live at the Isle of Wight Festival 1970*
  1997年 Live in Poland*
  1997年 King Biscuit Flower Hour:Greatest Hits Live*(1973年~1974年、1977年録音)
  1998年 Then and Now*(1974年、1997年~1998年録音)
  2010年 A Time and a Place*(1971~1978年録音)
  2010年 High Voltage(2010年録音)*
  2013年 Live in Montreal 1977*
  2015年 Once Upon a Time:Live in South America 1997*
  2015年 Live at Montreux 1997* 

 <エイジア>
  2001年 Enso Kai:Live in Tokyo*(1983年録音)

 <エマーソン・レイク & パウエル>
  1986年 エマーソン・レイク & パウエル/Emerson Lake & Powell(イギリス35位 アメリカ23位 日本44位)
  2010年 ライヴ。イン・コンサート/Live in Concert

 <ソロ・アルバム>
  1981年 グレッグ・レイク & ゲイリー・ムーア/Greg Lake(イギリス62位 アメリカ62位)
  1983年 グレッグ・レイク & ゲイリー・ムーアⅡ マヌーヴァーズ/Manoeurves
  1995年 イン・コンサート/King Biscuit Flower Hour Presents Greg Lake in Concert*(1981年録音)
  2007年 Greg Lake*(2005年録音)
  2013年 ソングス・オブ・ア・ライフタイム/Songs of a Lifetime*(2012年録音)
  2017年 ライヴ・イン・ピアツェンツァ/Live in Piacenza*(2012年録音)

 <キース・エマーソン & グレッグ・レイク>
  2014年 ライヴ・フロム・マンティコア・ホール/Live from Manticore Hall*(2010年録音)

 <グレッグ・レイク & ジェフ・ダウンズ>
  2015年 ライド・ザ・タイガー/Ride the Tiger(1989年~1990年録音)

 <参加アルバム>
  1968年 Still(ピート・シンフィールド)

 ★シングル
 <ソロ・シングル>
  1975年 I Believe in Father Christmas(イギリス2位 アメリカ95位)
  1977年 セ・ラ・ヴィ/C'est La Vie(アメリカ91位 カナダ75位)
  1978年 Watching Over You
  1981年 Love You Too Much
  1981年 Let Me Love You Once(アメリカ48位)
  1981年 It Hurts
 
 <ザ・シェイム>
  1967年 Don't Go Away Little Girl

 <シャイ・リムス>
  1968年 Love

 <エマーソン・レイク & パウエル>
  1986年 Touch and Go


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トー・ファット

2022-11-17 20:01:52 | band

トー・ファット Toe Fat


活動期間
  ①1969年~1971年
  ②1972年



メンバー

 ①1969~1970
  クリフ・ベネット/Cliff Bennett(vocal, piano)在籍1969~1971, 1972

  アラン・ケンドール/Alan Kendall(guitar)在籍1970~1971
  ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(keyboards, guitar, vocal)在籍1969 
  ジョン・グラスコック/John Glascock(bass)在籍1969~1971 
  リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums)在籍1969
  ブライアン・グラスコック/Brian Glascock(drums)在籍1970~1971

 ②1972
  クリフ・ベネット/Cliff Bennett(vocal)
  ミック・クラーク/Mick Clarke(guitar)
  リントン・ナイフ/Lynton Naiff(keyboard)
  ミック・ホークスワース/Mick Hawksworth(bass)
  トニー・フェルナンデス/Tony Fernandez(drums)


 
 「トー・ファット」(Toe Fat)は、ヴォーカリストのクリフ・ベネットと、「ゴッズ」のメンバーが合流したロック・バンドである。
 ケン・ヘンズレーリー・カースレイク(のちともにユーライア・ヒープ)が在籍していたことで知られる。


 クリフ・ベネットは、「レベル・ラウザーズ」(The Rebel Rousers)を率いて活動していたヴォーカリストである。
 ベネットは1968年にレベル・ラウザーズから離れると、翌69年に旧知のミュージシャンであるケン・ヘンズレーに声をかけた。ヘンズレーはその年2月の「ゴッズ」(The Gods)の解散によってフリーになっていたからである。
 ベネットはヘンズレーのほか、ベースにポール・バス(Paul Bass)、ドラムスにフランク・ファーリー(Frank Farley)を加え、「クリフ・ベネット・バンド」を結成し、1969年6月にはシングル「Memphis Streets」(ベネットのソロ名義)をリリース。
 そしてシングル・リリースとほぼ同時期に、ベースがバスからジョン・グラスコックに、ドラムスがファーリーからリー・カースレイクに代わり、バンド名を「トー・ファット」として、新たに活動を始めた。
 (トー・ファットの初代ベーシストは、デビュー・アルバムによると「ジョン・コーナス」と記載されている。これは元ゴッズのジョー・コーナスの記載ミスだと思われていたが、実際にはジョー・コーナスはトー・ファットのメンバーだったことはなく、正しくは、やはり元ゴッズの「ジョン・グラスコック」である。)


 ヘンズレーとカースレイクはデビュー・アルバムのレコーディングには参加したが、1969年11月には脱退し、ヘンズレーは「ヘッドマシーン」(Headmachine)に、カースレイクは「ナショナル・ヘッド・バンド」(National Head Band)に加わった。
 ベネットはアラン・ケンドール(guitar 元Glass Menagerie のちビー・ジーズのサポート)、ジョンの兄で、やはり元ゴッズのブライアン・グラスコック(drums)を補充し、活動を続ける。


 1970年2月、トー・ファットはデビュー・シングル「Working Nights」をリリース。ちなみにB面に収録された「Bad Side of the Moon」は、当時まだ無名だったエルトン・ジョンとバーニー・トーピンが書き下ろした作品である。
 同年5月には、ヒプノシスによる奇妙なジャケット写真が話題となったデビュー・アルバム「Toe Fat」をリリース。
 この年11月には早くもセカンド・アルバム「Toe Fat 2」をリリースしたが、ほどなくバンドは解散する。


 トー・ファット解散後のベネットは、自己のバンド「リベリオン」(Rebellion)を結成するが、1972年にはミック・クラーク(guitar)、リントン・ナイフ(keyboard)、ミック・ホークスワース(bass)、トニー・フェルナンデス(drums)の布陣でトー・ファットを再結成する。
 同年9月、シングル「Brand New Band」をリリースしたが不発に終わり、トー・ファットは再び活動を停止した。


     


【ディスコグラフィ】
 <アルバム>
  1970年 Toe Fat

  1970年 Toe Fat 2 

 <シングル>
  1970年 Working Nights
  1972年 Brand New Band


【メンバー変遷】

 #1 1969
  クリフ・ベネット(vocal)ex. Cliff Bennett Band
  ケン・ヘンズレー(keyboard, guitar, vocal)ex. The Gods → Head Machine
  ジョン・グラスコック(bass, vocal)ex. The Gods
  リー・カースレイク(drums)ex. The Gods → National Head Band

 #2 1970~1971
  クリフ・ベネット(vocal)
  アラン・ケンドール(guitar)ex. Glass Menagerie
  ジョン・グラスコック(bass, vocal)
  ブライアン・グラスコック(drums)ex. Head Machine, ex. Octopus

 #3 1972
  クリフ・ベネット(vocal)
  ミック・クラーク(guitar)
  リントン・ナイフ(keyboard)
  ミック・ホークスワース(bass)
  トニー・フェルナンデス(drums)


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ルーサー・グロヴナー

2022-11-16 10:26:09 | guitar

ルーサー・グロヴナー Luther James Grosvenor


【別名】
  アリエル・ベンダー/Ariel Bender


【パート】
  ギター、ヴォーカル


【生没年月日】
  1946年12月23日~


【出生地】
  イングランド ウースターシャー州イヴシャム


【経 歴】
  ディープ・フィーリング/Deep Feeling(1966~1967)
  The V.I.P.'s(1967)
  アート(1967)
  スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1967~1970)
  スティーラーズ・ホイール/Stealers Wheel(1973)
  モット・ザ・フープル/Mott The Hoople(1973~1974)
  ウィドウメイカー/Widowmaker(1975~1977)
  ヴァーデン & ルーサー/Verden & Luther(1978)
  スプーキー・トゥース/Spooky Tooth(1998~1999)
  アリエル・ベンダー・バンド/Ariel Bender Band(2005~)
  


 イギリスのギタリスト。
 スプーキー・トゥースの創設メンバー。
 1960年代後半から1970年代前半にかけては、イギリスの人気ギタリストのひとりに数えられていた。
 モット・ザ・フープルとウィドウメイカーでは「アリエル・ベンダー」の名で活動している。


 イングランドのウースターシャー州イヴシャムで生まれる。
 1960年代中頃、イヴシャム地方に「ザ・ヘリオンズ」(The Hellions)というローカル・バンドがあった。ヘリオンズにはジム・キャパルディ(drums, vocal)やデイヴ・メイスン(guitar)が在籍していた。
 1966年、ヘリオンズは「ザ・レヴォリューション」(The Revolution)と改名する。その年、グロヴナーはデイヴ・メイスンの後任としてザ・レヴォリューションに加入。
 ザ・レヴォリューションはグロヴナーの加入に伴い、「ディープ・フィーリング」(Deep Feeling)と名を改めるが、キャパルディはスティーヴ・ウインウッドらと「トラフィック」(Traffic)を結成するため、翌67年4月にディープ・フィーリングを脱退する。
 これによりディープ・フィーリングは解散を余儀なくされるが、グロヴナーはすぐに同じマネージメントの「The V.I.P.'s」にフランク・ケニオンの後釜として
加入。
 The V.I.P.'sは間もなく「アート」と改名し、その後ゲイリー・ライト(keyboard, vocal)が加わって、同年秋に「スプーキー・トゥース」として再始動する。スプーキー・トゥースの創設時のメンバーは、グロヴナーのほか、マイク・ハリスン(vocal, keyboard)、ゲイリー・ライト(vocal, keyboard)、グレッグ・リドリー(bass)、マイク・ケリー(drums)である。


 スプーキー・トゥースはブルース・ロックをベースに、アメリカン・ロックのエッセンスを積極的に取り入れているが、グロヴナーのギターはそのスプーキー・サウンドにマッチしていると言える。セカンド・アルバムにして名盤との評価を得ている『スプーキー・トゥー』に収録されている『イヴィル・ウーマン』におけるグロヴナーのソロは、ブルージーかつヘヴィそのもので、ハード・ロック萌芽期における出色のギター・ソロである。


     
     Luther Grosvenor 1969(Spooky Tooth)


 1970年に入ると、スプーキー・トゥースの内部はマイク・ハリスンとゲイリー・ライトの対立など、不協和音が目立つようになる。同年7月に4枚目のアルバム『ザ・ラスト・パフ』を発表したものの、秋に行なったツアーを最後に解散した。
 解散後のグロヴナーはスペインに渡り、スプーキー・トゥースでのバンドメイトであるマイク・ケリーや、ディープ・フィーリング時代のバンドメイト、ジム・キャパルディなどを起用して、1971年10月にファースト・ソロ・アルバム『Unde Open Sky』を発表する。
 1973年2月にはジェリー・ラファティ(Gerry Rafferty guitar)の後任として「スティーラーズ・ホイール」に参加したが、同年7月まで在籍したのち脱退した。
 1973年、「バッド・カンパニー」を結成するために脱退したミック・ラルフスの後任として「モット・ザ・フープル」に加わる。この時、まだアイランド・レコードとの契約が残っていたため、アリエル・ベンダー(Ariel Bender)という変名で活動することになった。
 この「アリエル・ベンダー」というのは、モット・ザ・フープルが歌手のリンジー・デ・ポールとともにテレビ番組出演のためドイツに行ったとき、当時のギタリストのミック・ラルフスが歩きながら道端の車のアンテナを次々と曲げていったのを見たデ・ポールが口にした言葉
「Aerial Bender」(アンテナを曲げる奴)である。これをイアン・ハンターが覚えており、変名としてグロヴナーに提案した。
 モット・ザ・フープルでは1974年のアルバム『ロックンロール黄金時代』の制作に加わったが、同年9月に脱退。
 グロヴナー(ベンダー)は派手なステージ・アクションがトレード・マークであったが、モット・ザ・フープルでは、フロントに立つイアン・ハンターが、自分より目立つグロヴナーのアクションをいやがっていたという。


     
     Luther Grosvenor 1974(Mott The Hoople)


 1975年、スティーヴ・エリス(vocal 元ラヴ・アフェア)、ヒュー・ロイド=ラングトン(guitar 元ホークウインド)、ボブ・デイズリー(bass 元チキン・シャック)、ポール・ニコルス(drums 元リンディスファーン)とともにハード・ロック・バンド「ウィドウメイカー」(Widowmaker)を結成、翌76年にデビュー・アルバムを発表する。
 ロック界でのキャリアを持つミュージシャンが集まったため、ウィドウメイカーはスーパーグループとして期待されたが、2枚のアルバムを残して解散した。
 1978年には「ヴァーデン & ルーサー」のユニットでシングル「On the Rebound」をリリースしたが、その後グロヴナーは音楽界の表舞台から姿を消す。


     
     Luther Grosvenor 1977(Widowmaker)


 1996年、20年近い沈黙を破って、ジム・キャパルディ(chorus)、ジェス・ローデン(vocal)、マイク・ケリー(drums)、デイヴ・ムーア(keyboard)、ミック・ドラン(guitar)、スティーヴ・ドラン(bass)らを迎え、スティーヴ・ウインウッドの所有するスタジオで制作した久々のソロ・アルバム『Floodgates』を発表。


 1998年には、ゲイリー・ライトを除く4人のオリジナル・メンバー(グロヴナー、マイク・ハリソン、グレッグ・リドリー、マイク・ケリー)でスプーキー・トゥースが再結成され、25年ぶりにニュー・アルバム『Cross Purpose』を発表した。
 再結成ライヴは、2001年に『Live In Europe』としてリリースされている。


 2005年、アリエル・ベンダー・バンドを結成。このバンドは不定期に活動している。
 2007年と2008年は、「アリエル・ベンダーズ・モット・ザ・フープル」の名でライブを行い、モット・ザ・フープルとスプーキートゥースの曲を演奏した。
 2018年、イアン・ハンター(vocal)、モーガン・フィッシャー(keyboard)とともにモット・ザ・フープルを再結成し、6月23日にスペインで開催された「アズケナ・ロック・フェスティヴァル」に出演。6月30日にはイギリスの音楽フェスティヴァル「ランブリン・マン・フェア」にヘッドライナーとして出演している。
 2019年4月にも同じメンバーで集結したが、これはモット・ザ・フープルが1974年に行なったアメリカ・ツアーの45周年を記念したものである。彼らは45年ぶりにアメリカ・ツアー(8公演)を行ったのち、次いで6公演のイギリス・ツアーを行った。この年10~11月にも「モット・ザ・フープル '74」としてツアーを予定していたが、これはイアン・ハンターの体調不良によってキャンセルされた。


【ディスコグラフィ】

 <アート>
  1967年 Supernatural Fairy Tales

 <スプーキー・トゥース>
  1968年 イッツ・オール・アバウト/It's All About a Roundabout
  1969年 スプーキー・トゥー/Spooky Two(アメリカ44位)
  1970年 セレモニー/Ceremony *with Pierre Henry(アメリカ92位)
  1970年 ザ・ラスト・パフ/The Last Puff(アメリカ84位)
  1999年 Cross Purpose
  2001年 Live in Europe

 <モット・ザ・フープル>
  1974年 ロックンロール黄金時代/The Hoople(アメリカ28位、イギリス11位)
  1974年 華麗なる煽動者~モット・ライブ/Mott The Hoople Live(アメリカ23位、イギリス32位)

 <ウィドウメイカー>
  1976年 Widowmaker
  1977年 Too Late to Cry

 <ソロ・アルバム>
  1971年 アンダー・オープン・スカイズ/Under Open Skies
  1996年 Floodgates
  2011年 If You Dare

 <ソロ・シングル>
  1971年 Here Comes the Queen
  1971年 Heavy Day
  1972年 All the People
  1978年 On the Rebound(※Verden & Luther)

 <参加アルバム>
  1968年 Featuring the Human Host & The Heavey Metal Kids(Hapshash & The Coloured Coat)
  1969年 Thinking Back(Gordon Jackson)
  1972年 Smokestack(Mike Harrison)
  1995年 Peter Green Song Book-First Part


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ユーライア・ヒープ

2022-11-13 15:14:09 | band

ユーライア・ヒープ Uriah Heep

【活動期間】
   1969~

【メンバー】
 <vocal>
  デヴィッド・バイロン/David Byron(vocal)在籍1969~1976
  ジョン・ロートン/John Lawton(voval)在籍1976~1979
  ジョン・スローマン/John Sloman(vocal)在籍1979~1981
  ピーター・ゴールビー/Peter Goalby(vocal)在籍1981~1985
  ステフ・フォンテイン/Steff Fontaine(vocal)在籍1986
  バーニー・ショウ/Bernie Shaw(vocal)在籍1986~
 <guitar>
  ミック・ボックス/Mick Box(guitar)在籍1969~
 <keyboard>
  ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(keyboard)在籍1970~1980
  グレッグ・デシャート/Gregg Dechert(keyboard)在籍1980~1981
  ジョン・シンクレア/John Sinclair(keyboard)在籍1981~1985
  フィル・ランゾン/Phil Lanzon(keyboard)在籍1986~
 <bass>
  ポール・ニュートン/Paul Newton(bass)在籍1969~1971
  マーク・クラーク/Mark Clarke(bass)在籍1971~1972
  ゲイリー・セイン/Gary Thain(bass)在籍1972~1975
  ジョン・ウェットン/John Wetton(bass)在籍1975~1976
  トレヴァー・ボルダー/Trevor Bolder(bass)在籍1976~1981, 1983~2013
  ボブ・デイズリー/Bob Daisley(bass)在籍1981~1983
  デイヴ・リマー/Dave Rimmer(bass)在籍2013~
 <drums>
  アレックス・ネピアー/Alex Napier(drums)在籍1969~1970
  ナイジェル・オルソン/Nigel Olsson(drums)在籍1970
  キース・ベイカー/Keith Baker(drums)在籍1970
  イアン・クラーク/Ian Clarke(drums)在籍1970~1971
  リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums)在籍1971~1979, 1981~2007
  クリス・スレイド/Chris Slade(drums)在籍1979~1981
  ラッセル・ギルブルック/Russell Gilbrook(drums)在籍2007~

    
   
 ユーライア・ヒープは、ブリティッシュ・ハード・ロックの代表的なバンドのひとつである。
 全盛期の1970年代は、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバスなどと並び称された。


 1965年、「ゴッズ」(Gods)が活動を開始する。このバンドには,ケン・ヘンズレー(keyboard)が在籍していたほか、1967年にはポール・ニュートン(bass)、リー・カースレイク(drums)が加入している。
 1968年3月にゴッズを脱退したニュートンは、ミック・ボックス(guitar)やデヴィッド・ガーリック(のちデヴィッド・バイロンと改名, vocal)の在籍する「スパイス」に参加する。スパイスは、ボックスとガーリックを中心として1967年に結成されたバンドである。


 1969年2月にゴッズが解散すると、ヘンズレーは「クリフ・ベネット・バンド」に参加。同年6月、このバンドにやはり元ゴッズのリー・カースレイクが加わり、バンド名を「トー・ファット」とした。
 同年11月、ヘンズレーとカースレイクはバンドから脱退し、「ヘッドマシーン」(Head Machine)名義でアルバムを発表する。


 この1969年当時、スパイスはブロン・エージェンシーと契約を交わしていた。
 当時のスパイスのラインナップは、ポール・ニュートン(bass)、デヴィッド・バイロン(vocal)、ミック・ボックス(guitar)、アレックス・ネピアー(drums)の4人だったが、マネージャーのジェリー・ブロンは、バンドに歌える鍵盤奏者で、かつ正式メンバーが必要だと考えていた。こうして、ニュートンのゴッズ時代のバンド・メイトであり、1969年11月にトー・ファットを脱退したばかりだったヘンズレーに声がかかったのである。このバンドが1969年末に「ユーライア・ヒープ」と改名する。
 このユニークなバンド名はブロンの発案とも言われており、ちょうどディケンズ没後100周年でイギリス国内がディケンズ・ブームだったため、チャールズ・ディケンズの小説「デヴィッド・コパーフィールド」の登場人物の名を取ったものである。


 バンドは、諸事情によって1970年初頭まで「スパイス」名義で活動したのち、1970年3月から「ユーライア・ヒープ」として活動をスタートした。
 さっそくファースト・アルバムのレコーディングに取りかかったが、アレックス・ネピアー(drums)は6曲録音したのみで解雇され、すぐにナイジェル・オルソン(元プラスティック・ペニー、スペンサー・デイヴィス・グループ)と交替する。
 1970年12月、ファースト・アルバム『ユーライア・ヒープ・ファースト』を発表したが、メディアからは酷評され、アルバム発表後のツアーも結果を残せなかった。オルソンはツアーに短期間だけ参加したがすぐに脱退し、間もなく後任としてキース・ベイカー(drums 元ベイカールー、メイ・ブリッツ)が加入。
 1970年12月、セカンド・アルバム『ソールズベリー』のレコーディングが終了した後、ドラムがイアン・クラーク(元Cressida)に交替。そのクラークも、翌年秋にヒープを解雇される。以前からヒープが参加を打診していたリー・カースレイクの加入が決まったためである。そしてその直後にポール・ニュートンもバンドを離れた。
 クラークの後任として1971年11月に加入したリー・カースレイク(元ナショナル・ヘッド・バンド)は、ヘンズレーとともにゴッズに在籍していたドラマーである。カースレイクはこの後通算して約36年ユーライア・ヒープのドラマーを務めることになる。
 ベーシストにはマーク・クラーク(元コロシアム)が加わったが、彼はわずか3ヵ月在籍したのみで、『悪魔と魔法使い』のレコーディング中に脱退し(「悪魔と魔法使い」の1曲のみベース、ソング・ライティング、ボーカル・パートの一部に参加)、「テンペスト」の結成に参加。クラークの後任に迎えられたのが、ゲイリー・セイン(元キーフ・ハートリー・バンド)である。
 同年11月にはヒープの出世作となったサード・アルバム『対自核』を発表。『対自核』は全英アルバム・チャートで初めて100位以内に入ったばかりか、39位までチャートを上昇した。このヒットでヒープは一躍人気バンドの仲間入りをした。



Uriah Heep 1973


 メンバーがバイロン、ボックス、ヘンズレー、セイン、カースレイクに固まった1972年からがユーライア・ヒープの黄金時代だと言われている。
 バイロンのハイ・トーン・ヴォイスと重厚なコーラス・ワーク、セインとカースレイクの強力なリズム・セクション、ファズを効かせた独特なヘンズレーのオルガン、ワウを有効に使ったボックスのギターなどの彼らの特徴を活かし、親しみやすいメロディーとドラマチックな曲構成を持った独自のヘヴィーなサウンドを構築した。
 1972年に発表した『悪魔と魔法使い』は全英20位、全米23位(初の全米トップ40入り)のヒットを記録。このアルバムからシングル・カットされた『安息の日々』はスマッシュ・ヒットし、ヒープ唯一の全米トップ40シングル(全米39位)となった。のちケン・ヘンズレーは、このアルバムにおいて「ユーライア・ヒープは完成した」と述べている。なおレコード・ジャケットは、「イエス」のジャケットで知られるロジャー・ディーンが担当している。
 続いてさらに同年に発表した『魔の饗宴』も全英28位、全米31位のヒットを記録したが、この頃にはゲイリー・セインの薬物依存がバンドに影を落とすようになっていた。


 1973年1月、イギリス・ツアーを行なう。この模様を収めたのがライヴ・アルバム『ユーライア・ヒープ・ライヴ』である。このアルバムは全盛期のユーライア・ヒープの様子を聴くことができる貴重なものである。またこの年には初来日も果たしており、3月16日から21日にかけて日本武道館などで5公演を行なった。
 1973年に『スウィート・フリーダム』、翌1974年には『夢幻劇』発表。ヒープ・サウンドの特徴は残しながらもややコマーシャルなサウンドへとシフトしたため、その影響から一時の勢いに影を落とすことになる。
 1974年、ゲイリー・セインがステージ上で感電事故に遭う。かなりの重傷だったため長期休養に入ったが、治療のあいだに薬物への依存が深刻なものとなり、同年ついに解雇される。後任として加入したのは、ブリティッシュ・ロック界の重鎮ベーシスト、ジョン・ウェットンであった。ウェットン加入のニュースはロック界に驚きをもって迎えられた。
 ウェットンを迎えて1975年6月に発表した『幻想への回帰』は全英7位(ヒープ唯一の全英トップ10アルバム)を記録、やや低迷していたヒープの久しぶりの快心作となった。
 1976年5月には『ハイ&マイティ』をリリース。
 曲作りなどでバンドの中枢を担いつつあったウェットンだったが、『ハイ・アンド・マイティ』リリース直後の8月に脱退する。その後ウェットンは、ブライアン・フェリーのグループを経てU.K.に加わる。
 またこの年には、アルコール中毒という大きな問題を抱えていたバイロンも解雇された。
 ふたりが去ったヒープはかつての勢いを失ったものの、ふたりの後任としてドイツのバンド「ルシファーズ・フレンド」のジョン・ロートン(vocal)と、デヴィッド・ボウイのバック・バンド「スパイダース・フロム・マーズ」のトレヴァー・ボルダー(bass)を1977年に加えてバンドの再建に乗り出し、10枚目のスタジオ・アルバム『ファイアフライ』を発表。



Uriah Heep 1975


 1978年、ハード・ポップ寄りのアルバム『罪なきいけにえ』『堕ちた天使』を発表。
 1979年9月、ヴォーカルのジョン・ロートンが脱退し、ジョン・スローマン(元ローンスター)に交替すると、同年11月にはドラマーのリー・カースレイクがケン・ヘンズレーとの対立が原因で脱退、後任にクリス・スレイド(元マンフレッド・マンズ・アース・バンド)が加入する。
 1980年4月『征服者』発表。
 同年9月、バンドの支柱のひとり、ケン・ヘンズレーが音楽性の相違から脱退し、「ブラックフット」に参加。後任にはカナダ人キーボード・プレイヤー、グレッグ・デシャート(元ローンスター)が加入。



Uriah Heep 1978


 この頃にはバンド内でのメンバー間の軋轢が非常に高まっており、1981年にはボックスを除くすべてのメンバー(ボルダー、スローマン、スレイド、デシャート)が脱退してしまう。ボルダーはウィッシュボーン・アッシュに加入。
 この結果、ヒープは完全に活動を停止した。
 その後ミック・ボックスは「ミック・ボックス・バンド」として活動を継続しようとしたが、レコーディング契約にあたって消滅状態になっていた「ユーライア・ヒープ」の名が必要となった。このためボックスは、ユーライア・ヒープ再編に向けて動き始めることになる。


 ヒープ存続の危機にあたり、まずボーカリストのピート・ゴールビー(元トラピーズ)、そしてキーボード・プレイヤーのジョン・シンクレア(元Heavy Metal Kids、Lion)が参加。その後Blizzard of Ozzを脱退したかつてのメンバー、リー・カースレイク(drums)が復帰。そして数々のブリティッシュ・ハード・ロック・バンドを渡り歩いてきた強者ベーシスト、ボブ・デイズリー(元Blizzard of Ozz)という、一騎当千のメンバーが集まったのである。
 こうしてようやくレコーディングの態勢が整ったヒープは、ハードなサウンドを維持しながらもキャッチーなアルバム『魔界再来』(1982年)を発表した。『That's the Way That It Is』はアメリカでのシングル・ヒットとなった。
 折しもハード・ロック・シーンは1970年代末からのNWOBHMの波に乗って活気づいており、ヒープも勢いを盛り返した。
 この1982年にはイギリスの夏の一大イベント「モンスター・オブ・ロック」にも出演し、ヒープ健在を見せつけている。
 以後もヒープは何度か活動停止に見舞われるが、唯一のオリジナル・メンバーとなったミック・ボックスがヒープ存続のためバンドを引っ張り続けている。


 1983年、『ヘッド・ファースト』発表。レコーディング後にボブ・デイズリーが脱退し、後任としてトレヴァー・ボルダーが復帰した。
 1985年2月、オリジナル・メンバーのデヴィッド・バイロンがアルコール依存症にともなう肝硬変のため死去、という悲報が伝えられた。まだ38歳という若さであった。
 この年、15年間在籍したブロンズ・レコードが倒産したため、CBS傘下のポートレイト・レコードに移籍。移籍第1弾として1985年3月に『イクウェイター』(Equator)をリリースしたが、アルバム発表後にシンクレアとゴールビーが脱退した。
 またしてもバンド存続の危機に立たされたヒープだったが、1986年にステラ・フォンテイン(vocal)とフィル・ランゾン(keyboard 元Grand Prix)を新たに加える。同年11月にフォンテインが解雇されると、Grand Prixでランゾンとバンド・メイトだったバーニー・ショウ(vocal)が迎えられた。
 こうして息を吹き返したヒープは1987年秋に本格的な活動を再開。同年12月にモスクワ・オリンピックで計18万人の観客を動員するライヴを行なった。この模様は1988年に『ライヴ・イン・モスクワ』のタイトルでリリースされた。
 モスクワでのコンサートの後は、再開されたレディング・フェスティヴァルにも出演し、ファンを湧かせている。
 1989年には新ラインナップとして初めてのスタジオ・アルバム『レイジング・サイレンス』リリースした。
 1991年、『ディファレント・ワールド』発表。18年ぶりの来日公演を行う。



Uriah Heep 1995


 1995年、デビュー25周年を記念したアルバム『シー・オブ・ライト』発表。23年ぶりにロジャー・ディーンがジャケットを手がけた。音楽的にも全盛期の1970年代に回帰した作品と評されている。
 その後バーニー・ショウが喉を手術したため、アルバム・リリース後のツアーの一部ではジョン・ロートンが代役を務めている。
 1998年『ソニック・オリガミ』発表。
 メンバーの入れ替わりが激しいことで知られていたユーライア・ヒープであるが、1986年からは20年以上固定メンバーで活動を続けていた。しかし2007年にリー・カースレイクが健康上の理由から脱退し、後任としてラッセル・ギルブルックが加入。
 2008年、10年ぶりのスタジオ・アルバム『ウェイク・ザ・スリーパー』発表。
 2009年、最新メンバーによる往年の名曲の新録音+新曲2曲のデビュー40周年記念ベスト・アルバム『セレブレイション』発表。
 2010年、デビュー40周年記念として19年ぶり3度目の来日公演を行う。川崎クラブチッタでのライヴではゲストにミッキー・ムーディ(guitar 元ホワイトスネイク)を迎えて『悪魔と魔法使い』の完全再現を行った。このライヴは『Official Bootleg vol.3:Live in Kawasaki Japan 2010』としてCD化され、2013年に『ライヴ・イン・カワサキ』として国内盤がリリースされた。
 2011年4月、22ndアルバム『イントゥ・ザ・ワイルド』発表。
 2013年、トレヴァー・ボルダーが癌のため62歳で死去。ボルダー療養中のツアーではデイヴィー・リマーが代役を務めていたが、ボルダーの死去によって正式メンバーに昇格。
 2014年、リマー加入後初、通算23枚目のスタジオ・アルバム『異端審問』発表。
 2016年、デビュー45周年記念。ジョン・ロートン率いるルシファーズ・フレンドと大阪Zeppなんば、川崎クラブチッタで来日ジョイント公演を行った。
 2018年25thアルバム『桃源郷』リリース。
 2020年9月19日、長期間ユーライア・ヒープを支えたドラマーのリー・カースレイクが癌のため73歳で死去。
 同年11月4日、創設メンバーのひとりケン・ヘンズレーが75歳で死去。


【ディスコグラフィ】
 <アルバム> ☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム
  1970年 ユーライア・ヒープ・ファースト/…Very 'Eavy …Very 'Umble(US186位 日本41位)
  1971年 ソールズベリー/Salisbury(US103位 日本47位 フィンランド3位)
  1971年 対自核/Look at Yourself(UK39位 US93位 日本5位 フィンランド1位)
  1972年 悪魔と魔法使い/Demons and Wizards(UK20位 US23位 日本28位 フィンランド1位 ノルウェイ5位 ドイツ5位 スウェーデン8位)
  1972年 魔の饗宴/The Magician's Birthday(UK28位 US31位 日本43位 フィンランド1位 ノルウェー5位 オーストラリア6位 ドイツ7位 スウェーデン9位)
 ☆1973年 ユーライア・ヒープ・ライヴ/Uriah Heep Live(UK23位 US37位 ノルウェイ3位 オーストリア5位 フィンランド5位 ドイツ8位 スウェーデン10位)
  1973年 スウィート・フリーダム/Sweet Freedom(UK18位 US33位 日本45位 ノルウェイ2位 フィンランド2位 カナダ5位 オーストリア9位)
  1974年 夢幻劇/Wonderworld(UK23位 US38位 日本76位 オーストリア2位 ノルウェイ3位 フィンランド5位 ドイツ7位)
  1975年 幻想への回帰/Return to Fantasy(UK7位 US85位 日本74位 ノルウェイ2位 オーストリア3位 フィンランド8位 スウェーデン9位)
  1976年 ハイ・アンド・マイティ/High and Mighty(UK55位 US161位 ノルウェイ4位)
 ★1976年 ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ/The Best of Uriah Heep(US145位 オーストリア8位 スウェーデン47位)
  1977年 ファイアフライ/Firefly(US166位 ノルウェイ6位)
  1977年 罪なきいけにえ/Innocent Victim(ノルウェイ13位 ドイツ15位)
  1978年 堕ちた天使/Fallen Angel(UK186位 ノルウェイ10位)
  1980年 征服者/Conquest(UK37位)
  1982年 魔界再来/Abominog(UK34位 US56位)
  1983年 ヘッド・ファースト/Head First(UK46位 US159位 ノルウェイ19位)
  1985年 イクウェイター/Equator(UK79位)
 ☆1986年 Live in Europe 1979 
 ☆1986年 Live at Shepperton '74 
 ☆1988年 Live in Moscow
  1989年 レイジング・サイレンス/Raging Silence(スイス26位)
  1991年 ディファレント・ワールド/Different World
  1995年 シー・オブ・ライト/Sea of Light(スイス29位 ドイツ87位)
 ☆1996年 Spellbinder Live
  1998年 ソニック・オリガミ/Sonic Origami
  2008年 ウェイク・ザ・スリーパー/Wake the Sleeper(アメリカ55位 ノルウェイ55位)
  2011年 イントゥ・ザ・ワイルド/Into the Wild(スウェーデン29位 フィンランド31位 ドイツ32位 スイス42位 オーストラリア58位)
  2014年 異端審問/Outsider(スイス17位 フィンランド28位 ドイツ32位 オーストリア56位)
  2018年 桃源郷/Living the Dream(UK57位 スイス5位 ドイツ10位 オーストリア18位 ノルウェイ28位 フィンランド28位)
  2023年 獄彩色/Chaos & Colour(UK73位 US69位 ドイツ4位 スイス5位 オーストリア10位 フィンランド16位 ノルウェイ40位)

 <シングル>
  1970年 ジプシー/Gypsy(ドイツ28位)
      ウェイク・アップ/Wake Up
  1971年 黒衣の娘/Lady in Black(ドイツ5位 スイス6位 フィンランド16位)
      尼僧/High Priestess
      対自核/Look at Yourself(スイス4位 ドイツ33位)
  1972年 魔法使い/The Wizard(スイス8位 ドイツ34位 カナダ86位)
      7月の朝/July Morning
      安息の日々/Easy Livin'(US39位 オランダ5位 デンマーク9位)
      スパイダー・ウーマン/Spider Woman(ドイツ14位)
  1973年 スウィート・ロレイン/Sweet Lorraine(US91位) 
      7月の朝/July Morning [Live]
      ラヴ・マシーン/Love Machine [Live]
      略奪/Stealin'(US91位 ニュージーランド1位 ノルウェイ9位 フィンランド23位 ドイツ40位)
      ドリーマー/Dreamer
      セヴン・スターズ/Seven Stars
  1974年 浮気な瞳/Something or Nothing(ノルウェイ6位 フィンランド25位 ドイツ45位)
  1975年 プリマ・ドンナ/Prima Donna(ノルウェイ3位 デンマーク10位)
      幻想への回帰/Return to Fantasy(オランダ34位)
  1976年 ワン・ウェイ・オア・アナザー/One Way or Another
      メイク・ア・リトル・ラヴ/Make a Little Love
  1977年 賢者/Wise Man
      哀れみの涙/Sympathy(デンマーク13位 ドイツ37位)
      フリー・ミー/Free Me(ニュージーランド3位 スイス8位 ドイツ9位 ノルウェイ18位)
  1978年 ラヴ・オア・ナッシング/Love or Nothing(ドイツ36位)
      カム・バック・トゥ・ミー/Come Back to Me(ドイツ40位)
  1979年 ワン・モア・ナイト/One More Night
  1980年 キャリー・オン/Carry On
      フィーリングス/Feelings
      Love Stealer
  1981年 シンク・イット・オーヴァー/Think It Over
  1982年 オン・ザ・リバウンド/On the Rebound
      ザッツ・ザ・ウェイ・ザット・イット・イズ/That's the Way That It Is(US106位)
  1983年 ロンリー・ナイツ/Lonely Nights(UK85位)
      ステイ・オン・トップ/Stay on Top(UK76位)
  1985年 ロッカラマ/Rockarama
      プアー・リトル・リッチ・ガール/Poor Little Rich Girl
  1989年 ホールド・ユア・ヘッド・アップ/Hold Your Head Up
      レッド・ローズ/Blood Red Roses
  1991年 ディファレント・ワールド/Different World
  1995年 ドリーム・オン/Dream On
  1998年 ハートレス・ランド/Heartless Land
  2001年 黒衣の娘/Lady in Black [Live]
  2011年 ネイル・オン・ザ・ヘッド/Nail on the Head
  2014年 刹那主義/One Minute
  2018年 禁断の果実/Grazed by Heaven


【ラインナップの変遷】
 #1 1969~1970
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  アレックス・ネピアー(drums)

 #2 1970
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  ナイジェル・オルソン(drums)ex. Spencer Davis Group

 #3 1970
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  キース・ベイカー(drums)ex. May Blitz

 #4 1970~1971
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  イアン・クラーク(drums)ex. Cressida

 #5 1971~1972
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  マーク・クラーク(bass)ex. Colosseum
  リー・カースレイク(drums)ex. National Head Band

 #6 1972~1975
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ゲイリー・セイン(bass)ex. Keef Hartley Band
  リー・カースレイク(drums)

 #7 1975~1976
  デヴィッド・バイロン(vocal)→ Rough Diamond
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ジョン・ウェットン(bass, vocal)ex. King Crimson, Roxy Music → U.K.
  リー・カースレイク(drums)

 #8 1976~1979
  ジョン・ロートン(vocal)ex. Lucifer's Friend
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)ex. Spiders From Mars
  リー・カースレイク(drums)→ Blind Ambition

 #9 1979~1980
  ジョン・スローマン(vocal)ex. Lonestar
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)→ Blackfoot
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  クリス・スレイド(drums)ex. Manfred Mann's Earth Band

 #10 1980~1981
  ジョン・スローマン(vocal, keyboard, guitar)
  ミック・ボックス(guitar)
  グレッグ・デシャート(keyboards, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)→ Wishbone Ash
  クリス・スレイド(drums)

 #11 1981~1983
  ピーター・ゴールビー(vocal)ex. Trapeze
  ミック・ボックス(guitar)
  ジョン・シンクレア(keyboards)ex. Lion
  ボブ・デイズリー(bass)ex. Blizzard of Ozz
  リー・カースレイク(drums)ex. Blizzard of Ozz

 #12 1983~1985
  ピーター・ゴールビー(vocal)ex. Trapeze
  ミック・ボックス(guitar)
  ジョン・シンクレア(keyboards)
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  リー・カースレイク(drums)

 #13 1986
  ステフ・フォンテイン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)ex. Grand Prix, Andy Scott's Sweet
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  リー・カースレイク(drums)

 #14 1986~2006
  バーニー・ショウ(vocal)ex. Grand Prix
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  リー・カースレイク(drums)

 #15 2007~2013
  バーニー・ショウ(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  ラッセル・ギルブルック(drums)

 #16 2013~
  バーニー・ショウ(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)
  デイヴィー・リマー(bass)
  ラッセル・ギルブルック(drums)


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『ベア・ワイアーズ』(ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズ)

2022-11-12 18:05:30 | albums

ベア・ワイアーズ Bare Wires

【歌・演奏】

  ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズ/John Mayall's Bluesbreakers

【リリース】
  1968年6月21日

【録音】
  1968年4月3日、4月9日、4月24日、4月30日
  ロンドン デッカ・スタジオ

【プロデューサー】
  マイク・ヴァーノン、ジョン・メイオール/Mike Vernon, John Mayall

【エンジニア】
  デレク・ヴァーナルズ/Derek Narnals

【レーベル】
  デッカ・レコード

【録音メンバー】
 ☆ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズ
   ジョン・メイオール/John Mayall (vocals, piano, organ, harpsichord, harmonium, guitar, harmonica)
   ミック・テイラー/Mick Taylor(guitars)
   ディック・ヘクストール=スミス/Dick Heckstall-Smith(tenor-sax, soprano-sax)
   クリス・マーサー/Chris Mercer(tenor-sax, baritone-sax)
   ヘンリー・ロウザー/Henry Lowther(cornet, violin)
   トニー・リーヴス/Tony Reeves(contrabass, electric-bass)
   ジョン・ハイズマン/John Hiseman(drums, percussion)


【収録曲】
 side:A
  ① ベア・ワイヤーズ組曲 22:58
    Bare Wires Suite (John Mayall)
   (a) Bare Wires 1:25
   (b) Where Did I Belong 3:05
   (c) I Started Walking 2:20
   (d) Open Up a New Door 3:00
   (e) Fire 3:45
   (f) I Know Now 5:35
   (g) Look in the Mirror 2:51 
 side:B
  ② アイム・ア・ストレンジャー 5:14
    I'm a Stranger(John Mayall)
  ③ ノー・リプライ 3:09
    No Reply(John Mayall, Mick Taylor)
  ④ ハートレー・クイッツ 2:55
    Hartley Quits(Mick Taylor)
  ⑤ キリング・タイム 4:48
    Killing Time(John Mayall)
  ⑥ シーズ・トゥ・ヤング 2:22
    She's Too Young(John Mayall)
  ⑦ サンディ 3:50
    Sandy(John Mayall)
 

【チャート】
 1968年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)59位 イギリス3位 ノルウェイ9位


【メ  モ】
 ジョン・メイオールの、ビルボード週間アルバム・チャートにおいて初めて100位以内にランクされたアルバム。
「オール・タイム・トップ・1000アルバム」(第3版 2000年)において、第566位である。
 リイシュー盤(CD)のボーナス・トラック2曲(「Picture on the Wall」、「Jenny」)のレコーディングにのみピーター・グリーン(guitar)、キーフ・ハートリーが参加している。


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『イッツ・オール・アバウト』(スプーキー・トゥース)

2022-11-11 15:30:08 | albums

     

イッツ・オール・アバウト 
It's All About

【歌・演奏】
  スプーキー・トゥース/Spooky Tooth

【リリース】
  1968年7月26日

【録音】
  ロンドン オリンピック・スタジオ

【プロデューサー】
  ジミー・ミラー/Jimmy Miller

【エンジニア】
  グリン・ジョンズ/Glys Johns

【レーベル】
  イギリス=アイランド・レコード
  アメリカ=A&Mレコード
  西ドイツ=フォンタナ・レコード

【録音メンバー】
 ☆スプーキー・トゥース
   ゲイリー・ライト/Gary Wright (vocals, keyboards, organ)
   マイク・ハリスン/Mike Harrison(vocals, keyboards, harpsichord)
   ルーサー・グロヴナー/Luther Grosvenor(guitar)
   グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass)
   マイク・ケリー/Mike Kellie(drums, percussion)





【収録曲】
 side:A
  ① ソサエティーズ・チャイルド 4:30
    Society's Child(Janis Ian)
  ② ラヴ・リアリー・チェンジド・ミー 3:33
    Lose Really Changed Me(Gary Wright, Jimmy Miller, Luther Grosvenor)
  ③ ヒア・アイ・リヴド・ソー・ウェル 5:06
    Here I Lived So Well(Gary Wright, Jimmy Miller, Luther Grosvenor, Mike Harrison)
  ④ トゥー・マッチ・オブ・ナッシング 3:57
    Too Much of Nothing(Bob Dylan)
  ⑤ サンシャイン・ヘルプ・ミー 3:02
    Sunshine Help Me(Gary Wright)
 side:B
  ⑥ イッツ・オール・アバウト・ア・ラウンドアバウト 2:43
    It's All About a Roundabout(Gary Wright, Jimmy Miller)
  ⑦ タバコ・ロード 5:33
    Tobacco Road (John D. Loudermilk)
  ⑧ イット・ハーツ・ユー・ソー 3:03
    It Hurts You So(Gary Wright, Jimmy Miller)
  ⑨ フォゲット・イット・アイ・ゴット・イット 3:26
    Forget It, I Got It(Gary Wright, Jimmy Miller)
  ⑩ バブルズ 2:49
    Bubbles(Gary Wright, Luther Grosvenor)


【チャート】
 1971年週間アルバム・チャート アメリカ(ビルボード)152位 (※リイシュー盤 『Tobacco Road』と改題)

【メ  モ】
 スプーキー・トゥースのファースト・アルバム。
 1971年にアメリカで最高152位(ビルボード7月3日付)にランクされたのは、『Tobacco Road』と改題されたリイシュー盤である。『Tobacco Road』からは「トゥー・マッチ・オブ・ナッシング」が外され、代わりに「ザ・ウェイト」が収録されている。
 日本で発売された当初の邦題は『スプーキー・トゥースの世界』である。


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ディック・ヘクストール=スミス

2022-11-03 17:45:10 | others

ディック・ヘクストール=スミス Richard Malden "Dick" Heckstall-Smith

【パート】
  テナー・サックス、ソプラノ・サックス、バリトン・サックス、クラリネット、ピアノ

【生没年月日】
  1934年9月26日~2004年12月17日(70歳没)

【出生地】
  イングランド シュロップシャー州ラドロー

【経 歴】
  アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッド/Alexis Korner's Blues Incorporated(1962~1963)
  グラハム・ボンド・オーガニゼイション/Graham Bond Organisation(1963~1967)
  ピート・ブラウン & ヒズ・バタード・オーナメンツ/Pete Brown & His Battered Ornaments(1960年代中頃)※サポート・メンバー
  ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ/John Mayall & The Bluesbreakers(1967~1968)
  ワインダー・K. フロッグ/Wynder K. Frog(1968)
  コロシアム/Colosseum(1968~1971、1994~2004)
  ニュー・ジャズ・オーケストラ/The New Jazz Orchestra(1969~1970)
  スウィート・ペイン/Sweet Pain(1969)
  マンチャイルド/Manchild(1972)
  フェイマス・ブルース・ブラスターズ/The Famous Bluesblasyers(1979~1981)
  メインスクイーズ/Mainsqueeze(1981~1984)
  3スペース/3 Space(1983~1986)
  デラックス・ブルース・バンド(1980年代)
  ハンブルグ・ブルース・バンド/Hamburg Blues Band(1982~2004)
  ブロドウィン・ピッグ/Blodwyn Pig(1988~1989)
  リンクス/Links


 イングランドのサックス奏者。
 ロック黎明期の1960年代から1970年代にかけて、当時のイギリスにおける主要なブルース、あるいはジャズ系のグループで活躍した。
 コロシアムの創設メンバーのひとりである。


     


 1934年、イングランドのシュロップシャー州ラドローで生まれ、ラドナーシャー州ナイトンで育つ。
 幼い頃からクラリネット、ピアノを習っていたが、15歳の時にシドニー・ベシェを聴いてソプラノ・サックスを吹き始める。その後はレスター・ヤング(tenor-sax)やワーデル・グレイ(tenor-sax)から大きな影響を受けた。
 スコットランド北部の名門寄宿学校であるゴードンストウン・スクール、次いでダーティントン・ホール・スクールを経てシドニー・サセックス大学に入学。大学ではジャズ・バンドの共同リーダーのひとりとして活動する。


 大学を卒業すると拠点をロンドンに移し、本格的な音楽活動を始める。当時のロンドンのジャズ・シーンに積極的に関わり、1957年には「Dick Heckstall-Smis Quartet」名義でEPをリリースしている。
 1962年、アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドに参加。これを契機にブルースやロックに急速に接近するようになる。
 1963年10月、ジャック・ブルース(bass)やジンジャー・ベイカー(drums)が在籍しているグラハム・ボンド・カルテットに加入。(ヘクストール=スミス加入直後にバンドは「グラハム・ボンド・オーガニゼイション」と改名)
 1966年5月、グラハム・ボンド・オーガニゼイションにジョン・ハイズマン(drums)が加入。ハイズマンとはのち長い年月にわたって行動を共にすることになる。ハイズマンとヘクストール=スミスの共演は、アルバム『Solid Bond』で聴くことができる。


     


 1967年7月、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズに加入。当時のブルース・ブレイカーズはジャズへの傾倒を深めている時でもあり、ヘクストール=スミスの加入はバンドに大きな影響を与えた。
 1968年4月、ブルース・ブレイカーズにハイズマンとトニー・リーヴス(bass)が加入。ヘクストール=スミス、ハイズマン、リーヴスの演奏は、1968年6月に発表された『ベア・ワイアーズ』(Bare Wires)で聴くことができる。
 1968年8月、ハイズマン、リーヴスとともにブルース・ブレイカーズを脱退し、コロシアムの創設に参加する。
 同時に、ハイズマンやリーヴスとともに「ニュー・ジャズ・オーケストラ」の一員としても活動を続ける。
 1969年には半ば伝説と化しているブルース・セッション・プロジェクト「スウィート・ペイン」(Sweet Pain)に参加している。


 コロシアムでは演奏はもちろん作曲でも能力を発揮、また同時に2本のサックスを吹くというパフォーマンスでも知られた。
 コロシアムは、ブリティッシュ・ロック界においては重要なジャズ・ロック・グループとして見なされており、ヘクストール=スミスも主要メンバーとして活躍したが、ライヴ・アルバムを含めた4枚のアルバムを残して1971年10月に解散した。
 ヘクストール=スミスは、コロシアム解散後の1972年3月から4月にかけてソロ・アルバム『ア・ストーリー・エンディド』を制作。1972年7月にリリースされたこのアルバムには、ジョン・ハイズマンをはじめ、クリス・ファーロウ、デイヴ・グリーンスレイドマーク・クラークらコロシアム時代のバンド・メイトのほか、グラハム・ボンド(keyboard, vocal)、クリス・スペディング(guitar)、ゴードン・ベック(piano)、ポール・ウィリアムス(vocal)ら錚々たるメンバーが参加している。
 ソロ・アルバム発表後には、ジェームス・リザーランド(guitar, vocal 元コロシアム)、デイヴ・ローズ(keyboard)、ビリー・スミス(bass)、セオドア・サンダー(drums)とともに「マンチャイルド」を結成している。
 1973年、社会科学を学ぶためにロンドンのサウスバンク大学に入学、1970年代後半まで音楽活動を休止する。


 1979年、ザ・フェイマス・ブルース・ブラスターズ(The Famous Bluesblasters)に参加して音楽界に復帰。このバンドはブルースブレイカーズやスウィート・ペインでのバンド・メイトであるベーシストのキース・ティルマン(Keith Tilman)らと結成したもので、1981年には「メインスクイーズ」に発展する。
 そのほか「マンチャイルド」「ビッグ・チーフ」など、さまざまなジャズあるいはフュージョン・ユニットでフロント・マンを務めた。
 1982年にはドイツの「ハンブルグ・ブルース・バンド」に参加。
 1983年にはジョン・ジェームス(guitar)、デイヴ・ムーア(keyboard)と「3スペース」を結成、1986年まで活動した。
 1988年12月、ミック・エイブラハムズ(guitar, vocal 元ジェスロ・タル)が1988年12月に再結成した「ブロドウィン・ピッグ」に加入。


     


 1994年、再始動したコロシアムに参加。
 2001年、オールスター・プロジェクト『Blues and Beyond』の録音に参加し、ジョン・メイオール、ジャック・ブルース、ミック・テイラー、ピーター・グリーン(guitar 元John Mayall & The Blues Breakers, Fleetwood Mac)らと久しぶりに共演した。
 アルバム『Tomorrow's Blues』のレコーディング中に体調を崩し、療養生活に入る。
 その後はガンのため入退院を繰り返し、2004年12月17日に急性肝不全に伴う合併症のため死去した。
 2005年に追悼ライヴが行われ、コロシアムをはじめ、ジャック・ブルース、ゲイリー・ムーアらが参加した。


【ディスコグラフィ】

 <ソロ・アルバム>
  1972年 ア・ストーリー・エンデッド/A Story Ended
  1991年 Woza Nasu
  1991年 Live 1990(with ジョン・エサリッジ、レイナー・グラス、ジョー・ネイ)
  1991年 Where One Is
  1995年 Celtic Steppes
  1995年 This That(with ジャック・ブルース、ジョン・スティーヴンス)
  1995年 Bird in Widnes(with ジョン・スティーヴンス)
  1998年 On the Corner/Mingus in Newcastle(ヘクストール=スミス & リチャード・フット)
  1998年 Obsession Fees(with ジェン・エサリッジ・グループ)
  2001年 Blues and Beyond
  2002年 Woza Nasu
  2007年 From Clarksdale to Heaven -Remembering John Lee Hooker(with Tony McPhee, Dave Clempson/2曲)

 <アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッド>
  1962年 R & B From Marquee
  1964年 Red Hot From Alex
  1965年 Alxis Korner's Blues Incorporated

 <アレクシス・コーナー>
  1969年 This is Alexis Korner
  1972年 Bootlrg Him!

 <グラハム・ボンド・オーガニゼイション>
  1965年 ザ・サウンド・オブ ’65/The Sound of '65
  1965年 There's A Bond Between Us
  1978年 At the Beginning(1964年10月のライヴ)

 <ジョン・メイオール & ザ・ブルースブレイカーズ>
  1968年 The Diary of A Band Volume 1
  1968年 The Diary of A Band Volume 2
  1968年 ベア・ワイアーズ/Bare Wires
 
 <コロシアム>
  1969年 コロシアム・ファースト/Those Who Are About to Die Salute You(全英15位)
  1969年 ヴァレンタイン組曲/Valentyne Suite(全英15位)
  1970年 ドーター・オブ・タイム/Daughter of Time(全英23位 ドイツ36位)
  1971年 コロシアム・ライヴ/Colosseum Live(全英17位 オーストラリア48位)*ライヴ・アルバム
  1995年 LiveS The Reunion Concerts 1994 *ライヴ・アルバム
  1997年 Bread & Circuses
  2003年 Tomorrow's Blues
  2003年 コロン1994-リユニオン・コンサート/Live Cologne 1994 *ライヴ・アルバム
  2003年 The Complete Reunion Concert *ライヴ・アルバム

 <The New Jazz Orchestra>
  1969年 Le Déjeuner Sur L'Herbe
  2008年 Camden '70 *ライヴ・アルバム

 <スウィート・ペイン>
  1969年 Sweet Pain

 <グラハム・ボンド>
  1970年 ソリッド・ボンド/Solid Bond

 <Main Squeeze>
  1983年 The International Blues Rock Revue
  1986年 Hey...Bo Diddley In Concert(with Bo Diddley)

 <Mike Reinhardt Sextett with Dick Heckstall-Smith>
  1987年 Back In Town

 <Links>
  1992年 Links
  1995年 New Reasons to Use Old Words
  2002年 May Days

 <Hamburg Blues Band>
  1989年 Live *ライヴ・アルバム
  1996年 Real Stuff
  1999年 Rollin'
  2001年 Touch(Mike Harrison meets The Hamburg Blues Band)
  2013年 Friends for A Livetime 

 <レコーディング・セッション> 
  ・ジャック・ブルース
    1969年 ソングス・フォー・ア・テイラー/Songs for A Tailor UK6位 US55位
    1970年 Somethin Els
    1994年 Cities of the Heart
    1997年 The Slab Boys Original Soundtrack
  ・チキン・シャック
    1968年 Forty Blue Fingers Freshly Packed and Ready to Serve
  ・ワインダー・K. フロッグ
    1968年 Out of the Frying Pan
  ・デイヴィー・グラハム
    1968年 Large As Life and Twice As Natural
  ・ロコモーティヴ
    1970年 We Are Everything You See
  ・Guido Toffoletti's Blues Society
    1985年 No Compromise
  ・アレクシス・コーナー & フレンズ
    1979年 The Party Album
  ・Brian Knight
    1981年 A Dark Horse
  ・Big Chief
    1997年 It Don't Make Sense
  ・Mike Willox
    2002年 The Big Picture 


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『ユーライア・ヒープ・ライヴ』(ユーライア・ヒープ)

2022-11-02 18:25:38 | albums

ユーライア・ヒープ・ライヴ Uriah Heep Live

【歌・演奏】

  ユーライア・ヒープ/Uriah Heep

【リリース】
  1973年5月11日(イギリス)
  1973年4月(アメリカ)

【録音】
  1973年1月26日 イングランド バーミンガム タウン・ホール

【プロデューサー】
  ジェリー・ブロン/Gerry Bron

【レーベル】
  ブロンズ・レコード/Bronze(イギリス)
  アイランド・マーキュリー/Island Mercury(アメリカ)

【録音メンバー】
 ☆ユーライア・ヒープ
   デヴィッド・バイロン/David Byron(lead-vocals)
   ミック・ボックス/Mick Box(guitars, vocals)
   ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(keyboards, guitar, vocals)
   ゲイリー・セイン/Gary Thain(bass, vocals)
   リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums, vocals)





【収録曲】(シングル=「July Morning」「Love Machine」)
 side:A
  ① サンライズ 3:58
    Sunrise(Ken Hensley)
  ② スイート・ロレイン 4:27
    Sweet Lorraine(Mick Box, David Byron, Gary Thain)
  ③ 時間を旅する人 3:20
    Traveller in Time(Mick Box, David Byron, Lee Kerslake)
  ④ 安息の日々 2:43
    Easy Livin'(Ken Hensley)
 side:B
  ⑤ 七月の朝 11:23
    July Morning(David Byron, Ken Hensley)
  ⑥ 瞳に光る涙 4:34
    Tears in My Eyes(Ken Hensley)
 side:C
  ⑦ ジプシー 13:32
    Gypsy(Mick Box, David Byron)
  ⑧ 連帯 8:47
    Circle of Hands(Ken Hensley)
 side:D
  ⑨ 対自核 7:29
    Look at Yourself(Ken Hensley)
  ⑩ 魔の饗宴 1:15
    The Magician's Birthday(Mick Box, Ken Hensley, Lee Kerslake)
  ⑪ ラヴ・マシーン 3:07
    Love Machine(Ken Hensley, Mick Box, David Byron)
  ⑫ ロックン・ロール・メドレー 8:17
    Rock 'n' Roll Medley
     1) ロール・オーヴァー・ベートーヴェン/Roll Over Beethoven(Chuck Berry)~
     2) ブルー・スウェード・シューズ/Blue Suede Shoes(Carl Perkins)~
     3) ミーン・ウーマン・ブルース/Mean Woman Blues(Claude Demetrius)~
     4) ハウンド・ドッグ/Hound Dog(Jerry Leiber, Mike Stoller)~
     5) アット・ザ・ホップ/At the Hop(Artie Singer, John Medora, David White)~
     6) ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン(Dave Williams)


【チャート】
 1973年週間アルバム・チャート 
   アメリカ37位 イギリス23位 日本22位
   ノルウェイ3位 オーストリア5位 フィンランド5位 ドイツ7位 オーストラリア18位 デンマーク23位

【メ  モ】
 1973年1月に行われたイギリスでの「The Magician's Birthday Tour」のバーミンガム公演の模様が収められている。
 絶頂期にあったユーライア・ヒープの姿が伺える、貴重な2枚組ライヴ・アルバムである。



 


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