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SAYONARA 銀河鉄道999  -メーテルを想う-

2010年08月21日 | お気に入りの1曲
 
 先日、NHK・BSで銀河鉄道999を一気放送していて、見入ってしまいました。999は、多くの人の心をつかんだ松本零士作のロマンあふれる素晴らしい物語でした。
 
 テレビで放送していた頃、毎週リアルタイムに超楽しみにしていたのを思い出しました。永遠の命の象徴のような機械の体を求めて、銀河鉄道999に乗り込み、その機械の体にしてくれるという終着駅を目指す少年・鉄郎の物語。その鉄郎と一緒に旅をすることになるのがメーテルという美女なのです。
 鉄郎は、行く星星で、様々な人の喜びや、悲しみや、怒りにふれて成長していきます。毎回、到着する星が個性的でドラマがあってとても引き込まれた。999は最新型の宇宙超特急なのですが、人々の心を落ち着かせるために、外観や内装をあえてレトロ仕様にしてあるという設定も好き。そして鉄郎の側にいつもいるのがメーテルでした。2人は、いつもレトロな列車の席に向かい合って座っていました。
 メーテルは魅力的でした。母のようでもあり、姉のような存在でもあり、恋人のようでもあるメーテル。そして心優しく、聡明で冷静で強い。しかし、メーテルの瞳の奥は、いつも悲哀に満ちていた。その理由は最終回で明らかになるのですが。この辺からネタばれありです。999を見てる人にはわかる話だと思いますがちょっと自分なりにまとめてみました。
 
 今回、あらためてTV版の最終回、映画版の最終回、原作の最終回を読んでメーテルの謎がとけたような、結局よくわからないような・・・メーテルは、全宇宙を死の恐怖から開放し機械化するという理想をめざす母・プロメシュームの一人娘。そして999の終着駅であるアンドロメダ星雲の中心にある惑星・プロメシューム(映画版では惑星・メーテル)に、鉄郎のような勇気ある強い少年たちを導く旅をずっとしているわけなのです。だから鉄郎の前にも、数多くの少年と旅をしているわけです。メーテルが少年たちを機械帝国の本拠地に連れて行くのは、表では母の指令で動いているのですが、その真の目的は、母のまちがった理想を止めさすためだったのです。
 原作では、連れてこられた少年たちは、生きたまま機械の部品となりその星の重要な場所に置かれます。連れてこられる少年たちに共通するのは、強い生命力と勇気をもっていること。生命力の強い彼らが生きたまま機械帝国の支柱となる部品になるという設定でした。TV盤では、その勇気ある少年たちは、機械人間となりプロメシュームの機械化帝国を宇宙に拡げる為に活動するというもの。原作と違って、その少年たちがどうなったかははっきり描かれていません。
 そして、ついにメーテルは母を倒す行動にでるのですが、なぜ鉄郎の時だったのかもよくわかりませんが、それだけ鉄郎が特別な少年だったいうことなのでしょうか。その時、メーテルの黒い服は、これまで死んで行った少年たちを弔う喪服だという事が明かされます。
 ですから話の途中でも、ところどころででてくるキャラがメーテルの事を魔女と呼んだり、「メーテルに気をゆるすな」とか言うわけです。見てる我々にとっては、このメーテルが悪者なわけないじゃないかと思い、メーテルとは何者なんだ?という事で最終回に気持ちが向かっていくのです。
 
 最後にメーテルの真の行動が明かされます。メーテルは父親のカプセルエネルギーとなったドクター・バーンとともに母の機械帝国を倒す行動にでるのです。それまで、母の言いつけどおりに少年を連れてきていたわけですが、部品となった少年はすべて自らを犠牲にしメーテルに協力してあえて主要な部分の部品になっていたのです。そして鉄郎の行動と父親のカプセルを惑星の中心部に放り込む事によって、エネルギーの融解が起こり、連動して部品となったものたち接合部分は緩くしてありそれが解かれ、機械帝国の母星は崩壊するのでした。
 
 メーテルの目的はわかったのですが、メーテルの正体はちょっとよくわからないのです。メーテルは、鉄郎の母親にそっくりです。鉄郎も、事あるごとにそのことを口にします。メーテルは人間ではないのでしょう。だって鉄郎の前にも、多くの少年と旅をしている設定です。それこそ途方も無い旅をしているのでしょう。冥王星のエピソードがありました。そこは氷で覆われた地表の下は、機械人間となった生身の人間の抜け殻が埋葬されていました。中には、人間の体にもどるために再びこの星に来るものもいるという。そして、メーテルもこの氷の星で、地表に眠っている誰かをみて涙しているのです。はっきりと言及されませんが、それがメーテルの本当の姿なのでしょう。
 それではメーテルは機械人間なのか?となるとそれもはっきりしません、これも話の大盗賊アンタレスのエピソードにもありましたが、X線みたいなので生身の人間か機械なのか見るシーンがあるのですが、メーテル人間の骨なのです。しかし、話の途中で、相手に私の本当の姿をみせてあげるといって、見せられた相手は愕然とする。原作の最終回で、鉄郎に「カムフラージュ・ランジェリーはつけていないわ。これが私の本当の姿よ」といって見せるのですが鉄郎は、自分にとってメーテルは、一緒に旅をしてきたメーテルしかいない、といってその姿を見ることを拒みます。
 映画版は、また設定が若干違います。メーテルは、宇宙一美しい鉄郎のお母さんの若い頃の生き写しである事を自ら告白しています。そしてその体が年老いていくとまた別の体に移るというのです。ですから機械の体というよりクローンのような感じなのでしょうか。原作の松本零士氏も実際のとこどこまで綿密に設定してんだか。
 ただ鉄郎とメーテルは最後に別れます。TVでは113話にも及ぶストーリー。毎回到着する星で、キャラクターはいろいろ出てきても、鉄郎とメーテルは、いつも一緒でした。しかし、最後に別れの時がきます。そのシーンは、声優陣も涙したそうです。
 原作は、ページに限りもあるので余韻はうすいのですが、TV版は2年半にわたって二人を見ていたわけで思い入れも強い。その二人が別れてしまうのはとても悲しかった思いがあります。さらに衝撃を受けたのは、メーテルは鉄郎と別れまた違う少年と新たな旅に出てしまうとこです。機械帝国の母星は破壊され、メーテルの目的は終わったのではないの?と思うのですが・・・鉄郎は、涙をふいてメーテルに笑顔で「さよならー」と言います。
 
 映画版は2作製作され、2回とも別れがあります。1作目の方は、メーテルは自分の本当の姿を取り戻すために一人で新たな旅に出ます。そしてこの時バックで流れるのが、ゴダイゴの「銀河鉄道999」。少年の未来の希望感に満ちたグルーブとちょっとセンチなメロディーが融合したいい曲だと思います。
 がさらなる名曲だと思うのが、『さよなら銀鉄』の方のエンディング曲「SAYONARA」。メアリー・マッグレガーがメーテルの思いを代弁するかのように切々と歌います。コード進行は、定番のせつな系のコードのように思うのですが、ストリングスがすごく効果的。そして片言っぽいサヨナラの響きがいい。別れの切なさをひしひしと感じる。これほど物語のエンディングにマッチする曲はないと思います。
 ナレーションもいい。「今、万感の思いを込めて汽笛が鳴る。さらば鉄郎、さらばメーテル、さらば銀河鉄道999、さらば少年の日よ・・・」
 久々に999見ましたがメーテルいいわ~。おれが年上好きなのメーテルの影響もあったりして。

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銀河鉄道999 SONGS&OTHERS
ささきいさお,ゴダイゴ,モスクワ・インターナショナル・フィルハーモニー・オーケストラ
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コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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 (二十歳)
2013-09-01 15:06:32
女の子は謎があるほうが惹かれますね笑
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