ばらくてブログ――おうたのかいオブさんのおおばらブログ――

おうたのかい作曲・歌唱担当オブさんが、日々のあれこれをてきとうに綴る、まとまりもとりとめもないいかがわ日記

エッセイアーカイブ②  文芸部室に巣くうおかしな先輩たち

2021-06-30 20:18:16 | エッセイアーカイブ
エッセイアーカイブの二本目は、新潟東高校文芸部誌「簓」の創刊号に書いた顧問エッセイです。おヒマな折にでもお読みください。

文芸部室に巣くうおかしな先輩たち

 高校生のころは、授業が終わるといつも、文芸部の部室に入り浸っていました。
 吹奏楽部などの音楽系部活動や写真部なら、部室に集まって練習やら現像やらする必要もあるので、部室に集まる必然性は当然あるわけですが、文芸部員が部室に集まって、一体何をするというのでしょうか。みんなで一緒に小説やら詩やらを書いたり作ったり読んだりしているとしたら、それはそれでちょっと妙な感じがしますよね。
 もちろん、そんなことをしているわけはありません。そもそも、文芸部室にいるからといって、そこで小説なり詩なりのものすごいアイディアが浮かんでくることは実はありません。大げさに言えば、文章書きは生活全体の中から書く材料をつかむわけです。とすれば、部室に籠もっているのはむしろマイナスに働いてしまう気さえします。
 だから部室ですることといえば、トランプと世間話でした。いや、トランプはあくまで脇役、いろいろな話をするためのきっかけに過ぎず、とにかくわたしたちは高尚な話題からくだらない話題まで、飽きることなく話し続けていたというわけです。

 文芸部に集うのは、今から振り返ってみてもそれはそれは個性的というかなんというか、面白い人たちばかりでした。当時は数えるほどしか女生徒がいなかったM高校だったので、部員も男子が大半です。で、わたしが一年生のころの三年生の先輩は、まさにクセ者ぞろいという表現がふさわしい面々でした。
 そもそも、その先輩方が文芸部にいる理由というのがかなりインチキ臭いのです。
 二年生の終わりごろ、先輩方は友人の生徒会幹部から「文芸部は今、部員がだれもいなくなった」という話を聞きました。その生徒会幹部はさらにこう言いました。「で、文芸部は、文芸誌製作代やら何やらで、部費が十ン万円ある。いい話だろう?」
 その話を聞いた先輩方は、一も二もなく飛びつきました。十ン万円の金(この額は、今の東高文芸部の予算の約六倍です)を目当てに、休部寸前の文芸部に大挙して入部、そのまま乗っ取ってしまったというのです。
 もちろん、その金で豪遊しようというわけではありません(そんなことしたら下手したら退学だ)。もともと文学的指向のあった面々が、タイミングよく文芸部活動に参集した、ということだったわけです。だからこそ、その後もM高校の文芸部は長く続いているわけなのですから。先輩たちは休刊状態だった部誌を復活させ、精力的に作品を発表し、活動を軌道に乗せました。もし先輩方が乗っ取ってくれなければ、ひょっとするとM高校文芸部はその時点で消滅していたかもしれません。

 文芸部員のイメージというと、青白い顔色の、ひょろっと痩せた、なにやら線の細~い感じがしたりするわけですが、その先輩方はみんな、そういうステレオタイプな姿からはほど遠い人たちでした。なんというか、古いタイプのバンカラ高校生のイメージ。
 リーダー格のYさんは、いつも恋愛小説や恋愛をテーマにした詩を発表していました。いかにも文学青年風のやや長い髪型でしたが、体力も体格も屈強で、ボウリングなどをしようものなら一番重いボールを投げ、ピンをへし折らんばかりの勢いでした。世間話も恋愛の大切さなどが主でしたが、どうしたわけか、つきあっている女性はいないのでした。
 Tさんは、青春の屈折をもっぱら詩にして発表していました。外見は繊細そうなのですが、落ち着き払った真面目な顔でくだらないことを言うという芸風で、勉強とは別の意味で頭がいいという印象の先輩でした。
 Mさんは、知的な外見とひどい成績を兼ね備えた人です。そもそも学校の勉強に意味を求めていないようで、そのひどい成績でも行ける大学を見つけてきてちゃっかりそこに進学しました。その先輩の書くものといえば、文章の半分を漢字が占める難解な小説であったりしました。何しろ勉強以外のことに関しての知識たるや大したものでした。特に、クラシック音楽と写真については、このMさんからいろいろと教えていただきました。(他にもおおぜいいらしっゃいますが、ここにはもう書ききれない)。

 こんな先輩方からわたしは、さまざまのどうでもいいことを教わりました。それには今でも感謝しています(本当です)。いちばんあきれたじゃないやすばらしいアドバイスは、「人間、浪人しないと成長できないのだ。オブナイも当然浪人しなければならない」でした。そもそも、まだ現役の三年生のくせに、そんなことを言っていていいのだろうか、と思っていたら、Mさんら推薦で進学した以外の皆さんはことごとく浪人し、見事に自らの思想を実践に移していました(笑)。わたしも結局、卒業時に進学できず、いったん就職した二年後に改めて大学に行き直したわけですが、その時先輩方は「これでおまえの人間的成長は間違いない」と無責任に保証してくれました(わははは)。
 しかしまあ、こんな文芸部があったからこそ、わたしはそれほど変なふうにもならず、わたしなりに充実した高校生活を送れたのだろう、と思っています。文芸部でのいろいろな経験は、まさに高校生の時にしか得ることのできない貴重な経験でした。今でも、あのころに戻れるものなら戻りたい、などと思うことがあったりします。だから、今、高校生活のまっただ中にいる皆さんを、ほんのちょっとだけうらやましく思ったりもするのです。
【新潟東高校文芸誌「簓」創刊号(2005年10月1日発行)顧問エッセイより】

エッセイアーカイブ① 私の「文芸部」物語

2021-06-29 16:24:26 | エッセイアーカイブ
◆以前このブログにて「顧問エッセイ」をアップしていましたが、さみだれ的なアップで自分でも整理整頓ができていなかったので、このほど過去のエッセイを削除し、改めて順を追ってアップしていくことにしました。
◆「エッセイアーカイブ」のカテゴリーを新たに起こし、豊栄高校文芸同好会誌・新潟東港文芸部誌、新潟高教組教研誌「汽水域」の編集人コラム、新潟県人権・同和センターニュースの編集後記から、順にアップしていきます。まあ、おヒマな折にでもお読みください。
◆てなわけで(どういうわけだか)、今回は豊栄高校文芸同好会誌「凪」創刊号の顧問エッセイをアップします。

私の「文芸部」物語
オブナイ秀一

 私がM高校に入学したのは、一九七七年四月のことです。
 信濃川右岸、昭和大橋のたもと近くにあるM高校の校舎は一九三九年に建てられた当時のままの木造で、床は歩くとギシギシと音を立て、その床に塗られていたワックスは、独特のにおいを漂わせていました。それはとても印象が深く、今でも時折思い出します。
 一学年は一〇クラスあり、一クラスには四五人の生徒がいました。それが三学年あるわけで、単純に計算すると、一三五〇人の生徒がいたということになります。まあ、マンモス校の部類に入るでしょう。
 入学直後のある日の昼休み、私の所属する一年四組の教室に、三年の先輩たち数人がいきなりドカドカと入ってきました。まだ中学生気分が抜けきれない私たちには、その先輩方はたいそう大人っぽく見え、また、恐そうでした。静まり返る私たちに向かって、その先輩方は言いました。
「新入生諸君。われわれは文芸部である。文学を愛好する諸君は、ぜひ文芸部に入りたまえ」。
 早い話が、「文芸部」という部活動入部の勧誘であったわけですが、その先輩たちの姿はといえば、およそ「文学」という格調高いものからはほど遠い感じでした。むしろ、応援団か何か、もっとマッチョな部活動ではないか、とその外見からは思われました。その先輩たちは、私たちのとまどいを知ってか知らずか、さらにこう続けました。
「文芸部は、たいへん自由で楽しい部である。春は花見を楽しみ、夏はハイキング、秋はもみじ狩りなど、イベントもめじろ押しである。また、ボウリング、卓球などのスポーツも楽しめるのである。諸君。ぜひ文芸部に入部したまえ」。
 それだけ言ったかと思うと、先輩たちはあっという間に教室から出ていき、また隣のクラスで同じことをやっていました。私たちのクラス全員、しばらく茫然としていたのは言うまでもありません。「今のはいったいなんなんだ?」という不審と疑問が、みんなの頭の中に渦巻いていたからです。
 だって、「文学的な話」が、全然ないんだもん。
 少なくとも「文芸部」なら、「これこれこういう文学的な活動を行なっている」という説明があってしかるべきだと思うのですが、その先輩たちの話には、そういう説明は一切全く皆目さっぱりありませんでした。それでよく「文芸部に入部したまえ」などと言えたものだとは思うのですが、新入生にインパクトを与え、入部を促すのが目的なのだとすれば、それはそれなりに効果はあったのかもしれません。そんな文芸部を「面白そうだ」と思って入部を決めてしまった生徒が、私を含めて五人はいたわけですから。

◇          ◇

 文芸部の部室は、三年生用玄関の脇の階段下の小部屋でした。五~六人も入ればいっぱいになるようなその部屋に、いつも一〇人近くの部員がたむろしていました。部員は、三年生が一〇人くらい(部員なのかそうでないのかよくわからない人も含む)、二年生が一人、そして私たち一年生が五人。音楽・芸術系以外の文化系の部活動としては、なかなかの大所帯であったと思います。ただ、女子の部員はほとんどいませんでした。文芸部というと、女子がその活動の中心となっていることが多いという印象がありますし、また実際そうであることも多いのですが、M高校は違いました。ほとんど男。だから部室はいつも、たいそう男臭い部屋でした。その理由は実はものすごく単純で、早い話が、その頃のM高校には、女子がほとんどいなかったのです。
 私が入学した年は、同期に四五二人の生徒がいたのですが、そのうち女子は約三〇人だけでした。それは私たちの代だけの特別な現象というわけではなく、とにかく私たちの高校は、女子に人気がありませんでした。
 その理由は、もちろん当時からいろいろ取りざたされていました。川向こうに大きな女子高があるから、女子はみんなそこに行く、というのもその一つではありました。しかし、もっとも説得力のある理由は、「とにかく学校が古くて汚い」ということでした。
 前述のとおりM高校は、一九三九年に創立した当時のままの木造校舎で、それはそれはレトロな風情の学校でした。今思えば、あの校舎がそのまま現在まで残っていたとしたら、きっとそれなりに人気が出たのではないか、という気もします。しかし、当時の女子学生にとっては、単に「古くさく、ボロッちい」校舎にすぎなかったのでしょう。なにしろ、「女子のトイレの便器の下から、怪しげな手が伸びてくる」などというウワサがもっともらしく語られたりもしていましたし、だいたい、いくら今から二〇数年前とはいえ、トイレがくみ取りで、水洗化されていない、というのは、なるほど公共施設としては問題がありました。確かに女の子は来たくないであろうなあと、私たちもつい納得してしまったものです(この説の信頼性は、後に校舎が新築され、校舎がどんどん新しく変わっていくにつれ、女子生徒がどんどん増え、今では過半数を占めているという事実からも証明されています)。
 ともかく、その男臭い文芸部室で、私たちがやっていたことといえば、ひたすらトランプでした。当時、新しいトランプゲームとして一世を風靡していた「大富豪」を、部員一同熱中してやっていたのです。もちろん、文芸部なのですから、文学について語り合うことも当然あるわけですが、それはたいがいトランプをしながらだったことを思い出します。
 また、定期考査の後など、時間のゆとりのあるときには、みんなでボウリング場へ赴き、ボウリングを楽しんだりもしていました。私も何回かやっているうちに上達し、一八〇点という高得点をとったこともあります。卓球部が活動していないスキをねらって、卓球をしたりもしていました。部室で作品を書いている人など、だれもいませんでした。

◇          ◇

 と書くと、文芸部というのは名ばかりで、単なる遊びのサークルではないかと言われそうですが、こんなノリではありながらも、文芸部の本筋、文芸誌の制作も、もちろんちゃんとやっていました。みんなで締め切りまでに作品を持ち寄り、文芸誌を発行する。それを、年二回やっていたわけですから、なかなかエネルギーがありました。のべつ遊んでばかりで、いつ書いているのかわからないのですが、とにかく作品はできている。私はそんな先輩たちを見て、いつも不思議に思っていました。
 つまりは、みんな、とにかく文学が、というか文章を書くことが好きだったのでしょう。たくさんの詩を書く先輩がいました。恋愛小説ばかり書く先輩がいました。文字の半分が漢字という難解な小説を書く先輩がいました。漢詩らしきものを作る先輩もいました。今から思えば先輩たちは、遊びながらも、それを文章を書くためのパワーに変えていたのでしょう。
 そして私は、そんな先輩たちのエネルギーに圧倒され、バイタリティーに感心し、見よう見まねで小説らしきものを書くようになったのです。結局、卒業までに五本の小説を発表しました。今改めてそれを読み返すと、とても正視できるようなものではなく、ただただ恥ずかしさが込み上げてくるだけの、箸にも棒にもかからないようなシロモノなのですが、それでも捨てることはできず、今も家の押し入れの奥に大事にしまってあります。

◇          ◇

 それから年月がたち、私は生徒から教員へと立場を変え、また高校へと戻ってきました。昨年度から豊栄高校に赴任し、そして今年、縁あってというかなんというか、生徒有志とともに、「文芸同好会」を立ち上げることになってしまいました。
 文芸同好会に集った生徒たちは、必ずしも文章を書くのが上手だとか、国語の成績がいいとかいうわけではりません。ただ、自分の思いを表現したい、という気持ちだけは、みんな人一倍持っています。だからこそ、そんな生徒たちが自らを表現できる、そして、自分を伸ばしていける、そんな集まりに、文芸同好会がなればいいなあ、などと思っている今日このごろです。
 高校生の時、私は文芸部で、作品を書くだけでなく、いろいろ余計なこともさせてもらいました。そして、いろいろなことを得ることができました。というわけで、豊栄高校文芸同好会に集う皆さんも、自分にとって必要な、そして一生大切にできる、いろいろなものを手に入れられればいいな、と、心から思うのです。

【豊栄高校文芸誌「凪」創刊号(2002年11月発行)より】

今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク その28 八重垣純米ひやおろし2年半寝かせ

2021-06-28 16:00:16 | 今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク
【21.06.28 昨日の晩酌酒】
◆昨日の晩酌酒、兵庫・姫路の老舗酒蔵・ヤエガキ酒造の2018年10月瓶詰め「八重垣純米ひやおろし」を、自宅の冷暗所で2年半ほど寝かせたものを、満を持して開けました🍶。
◆兵庫の酒らしい引き締まった辛口で、口に含むと厚みのある落ち着いた旨みがふわっと広がる、いわゆる新潟タイプとはまた違った素晴らしい銘酒。旨酒は全国にあり。すばらしい😍
#ヤエガキ酒造 #八重垣 #八重垣純米ひやおろし #兵庫の酒 #兵庫の地酒 #姫路の地酒 #姫路の酒 #日本酒





今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク その27 朝日山純米にごり

2021-06-17 22:30:20 | 今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク
【21.06.17 先日および本日の晩酌酒】
◆先日および本日の晩酌酒は、新潟を代表する酒蔵・朝日酒造の「朝日山純米にごり」。
◆この酒も、下越某所の湧き水を汲んだ帰りに寄る地元スーパーの酒売り場で、ラベルも剥がれかけ1本だけ残ってたのを即購入。昨年12月の日付で、瓶詰め後半年経過しているものの、味は全く問題なし。アルコール度数をやや落として、甘酸っぱく爽やかな味わいに仕上げた、くいくい呑める手練れのにごり酒。すばらしい😍

#朝日山 #朝日酒造 #朝日山純米にごり #長岡の酒 #長岡の地酒 #新潟の地酒 #新潟清酒 #日本酒

今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク その26 風和純米吟醸生酒

2021-06-14 23:28:27 | 今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク
本日の晩酌酒は、佐渡は「金鶴」でおなじみの加藤酒造場「風和純米吟醸生酒」。日本酒に期待される旨み・甘み・渋み・苦み・香り・戻り香と、生酒に求められる爽やかさなどの要素が高度にアウフヘーベンしているすごい美酒。すばらしい😍


#金鶴 #加藤酒造場 #風和 #風和純米吟醸生酒 #佐渡の酒 #佐渡の地酒 #新潟の地酒 #新潟清酒 #日本酒


おうたのかいオリジナル42曲目をYouTubeにアップしています。

2021-06-13 23:18:46 | おうたのかいオリジナル
◆新潟おうたのかい、42曲目「明日からの風」をYouTubeにアップしました。
◆今回の曲は、1996年に始めて入院したとき、時間があるのに任せて作った曲の一つです。例のごとく渋谷珠子さん(たまちゃん)からいただいた歌詞にオブナイが曲を付けました。
◆伴奏・アレンジはヤマハQY20で、内臓パターンのピアノバラードを使って作成しています。
◆この曲は、私にとってとても大切にしている曲です。すばらしい歌詞世界を生かす曲にしようと努力しました。もし可能なら、コーラス曲としてどなたかに歌ってほしい、という希望を持っています。4番まであり、7分に及ぶ長い曲ですが、まあ、おヒマな折にでもお聴きいただけるとうれしいです。

◇歌詞を以下にアップします。

明日(あした)からの風
詞・渋谷珠子 曲・オブナイ秀一


言葉をなくした 君の瞳に 春色の空が 映ってる
流れる雲を 追いかければ ほら 季節が 君に手を振る

 明日からの風が 迎えに来るよ
 明日からの風が 迎えに来たよ


歩みを止めた 君のつま先 夏色の波が たわむれる
寄せては返す 時はいつも ほら 笑顔の 君を待ってる

 明日からの風が 迎えに来るよ
 明日からの風が 迎えに来たよ


静かにうつむく 君の素顔に 秋色の光が キスをする
涙の跡が 乾いたとき ほら 昨日が 君の背を押す

 明日からの風が 迎えに来るよ
 明日からの風が 迎えに来たよ


心を開いた 君の瞳に 冬色の夢が 息づいて
優しく強く 輝くから ほら 誰かが 君に恋する

 明日からの風が 迎えに来るよ
 明日からの風が 迎えに来たよ

https://youtu.be/vmXrr4hIAHU

おうたのかいオリジナル36〜41曲目をYouTubeにアップしています

2021-06-11 10:54:10 | おうたのかいオリジナル
新潟おうたのかい、YouTubeに36曲目〜41曲目をアップしています。おヒマな折にでもお聴きいただけるととてもうれしいです。

◇36曲目 紫陽花寺
 https://youtu.be/ET6sQ8dQAiQ
◇37曲目 さよならをみつめて
 https://youtu.be/XV3qV_O-aAU
◇38曲目 Halfway
 https://youtu.be/o_oVp6_w8_s
◇39曲目 8月の空が泣いても
 https://youtu.be/iABQcUXZZWM
◇40曲目 私だけの空
 https://youtu.be/gfh4f_g5lu0
◆番外8曲目 恋
 https://youtu.be/wn_A6sfrFe8
◇41曲目 臆病な赤
 https://youtu.be/vVCwrjonhgo

Facebook共通 21.06.06 阿賀野川右岸砂丘でお花見

2021-06-11 10:37:46 | 浮かれ亀らまんオブナイ
 6月6日日曜日、組合仲間のOノさんをご案内して、阿賀野川右岸砂丘でお花見。ハマヒルガオは真っ盛り。昨年の今ごろはもう枯れていたハマエンドウも、今年はまだ美しく咲いています。風紋の砂浜にはハマボウフウ、スナビキソウも花を咲かせていました。松浜の池には、赤や黄色のスイレン(これはたぶん自然のものじゃないですが)も咲いていました。阿賀野川右岸砂丘の初夏は花盛りです。

ハマヒルガオの群落の向こうにはチガヤが風にそよいでいました。


ハマエンドウはまだまだ見ごろでした。

砂丘には風紋。

ハマボウフウも咲いていました。


スナビキソウ(たぶん)はあちこちの地方で絶滅危惧種になっているそうです。

松浜の池にはスイレンが花を咲かせていました。

Facebook共通 今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴクその25 6月8日の晩酌酒

2021-06-11 10:26:31 | 今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク
6月8日の晩酌酒は、佐渡・逸見酒造の「真稜至純米」。某所に湧き水汲みに行った帰りに寄る地元スーパーの棚にずらっと並んでいたので即購入。えぐみ・渋みをほとんど感じない、旨くて爽やかで切れのよい美酒。すばらしい。しかしまあ、一時期は入手困難にもなっていたこの銘酒をスーパーで買えるとは、ひょっとして新型のアレ💄が影響してる?

#佐渡の酒 #逸見酒造 #真稜 #真稜至 #新潟の酒 #新潟の清酒 #新潟の日本酒

Facebook共通 今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴクその24 6月5日の晩酌酒

2021-06-11 10:23:06 | 今日も今日とてヨッパライ天国もしくはジゴク
6月5日の晩酌は、地酒防衛軍推奨の新潟・沼垂の酒「今代司」の夏向け純米酒「K's Blend」をイカ刺し・鯵刺しなどでいただく。アルコール度数は14%とやや軽め。酸も
感じる爽やかで軽やかな味わいで、暑い夏の宵に冷酒・冷やでグイグイいけちゃう旨酒。すばらしい😍

#今代司 #地酒防衛軍 #吉川酒店 #新潟の地酒 #新潟清酒 #日本酒