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ブログでトグロ巻きR番外 2022新潟市長選についての感想③、④(Facebook02.10.27)

2023-03-30 14:12:04 | ブログでトグロ巻きR
【今次新潟市長選についての感想③ 残念ながら鈴木さんは、無投票阻止のためだけの候補でした】
◆〈承前〉さて、鈴木さんは、告示日が迫っても野党の立候補者が出ない状況で、共産党がギリギリに擁立した党の職員で、正直名前を聞いても誰だかわからない全く無名の候補。経歴を見ると、県外出身で35歳、数年前新潟に転勤、共産党の主張に共感して入党し党職員になり、前回市議選で落選し、来年の市議選出馬の準備をしていた、という人だそうです。そういう人を、候補を出せなかった社民党や緑にいがた、れいわ新選組と市民連合が乗っかって推薦したわけです。県外出身であること、若いことは全く問題ありませんが、実質的には新潟では支持者が極めて少ない共産党の組織内候補で、有権者の多くが「誰?」と思ってしまう、市長候補としてのふさわしさが全くない人ではありました。
◆口の悪い私の知人は、「今回の市長選で落ちるのは織り込み済み。ここで名前を売って来年の市議選で当選しよう、と考えて出たんだよ」などと言っていました。まさかそんな邪なことを考えて出馬したなどとはさすがに私も思っていませんが、そんなことを言われるような「甘い」候補者ではあった、ということです。
◆つまり、あくまで鈴木さんは、勝てないのは初めから百も承知で、無投票を阻止するためだけに立った候補者だ、ということでしょう。そのことは、選挙戦で鈴木さんを応援していた全員が、内心思っていたであろう、と私は推測します。
◆鈴木さんが選挙戦で語った政策は、私も共感できるものが多く、それ自体は良いのですが、良い政策でも、それを語る器というか人物が多くの市民にとって納得できる人でなければ、やはり伝わらないのではないでしょうか。しかし、それは鈴木さんの責任ではありません。繰り返しになりますが、この4年間市長選の準備を怠り、市長にふさわしい人物の育成・選定に真面目に取り組んでこなかった立憲民主党をはじめとする全ての野党陣営や今の中原市政に批判的だった市民に責任がある、と私は思います。
◆ただ、あえて申し述べますが、無投票を何が何でも避け、現職への批判票の受け皿を作るため、とにもかくにも候補者を出した共産党の努力は(私はある決定的理由で共産党を全く支持していませんが、それでも)、率直に評価すべきでしょう。(つづく)

【今次新潟市長戦についての感想④ 鈴木さんはやはり惨敗だったことを認めませんか】
◆〈承前〉有権者数656,827人。投票率32.10%。中原八一151,887票(当選)。鈴木映55,595票。これが今次新潟市長選の結果でした。
◆新潟日報は鈴木さんについて「結果は5万5千票あまりで得票率は3割弱。大差をつけられたが、現市政に不満を持つ層の一定の受け皿になった」と評しています。また、同じ日報で「陣営幹部は『子育ての当事者世代であることに説得力があった』『知名度の低さやわれわれの非力さからいえば、よく頑張った』と語った」とあります。また、SNSでは「負けは負けでも良い負け方だった」「すがすがしい戦いだった」などとおっしゃる方もいました。
◆鈴木さんを応援している方のSNSなど覗いてみると、鈴木さんがいかにステキな人であるかを語っている向きがけっこう多いのに驚きます。告示直前ギリギリの立候補で、どういう人だかよくわからない、という状況だったのに、選挙に入ったらいきなりすばらしい人間だとわかっちゃう、というのは、ものすごく直感的に人を見る目があるのか、それともものすごく簡単に人を信じちゃう性格であるのか。
◆実際のところ、鈴木さんを応援していた人たちはおそらく、鈴木さんは良い候補だ、と自分に言い聞かせ続けていたのだろうと推察します。よくわからない人のままでは応援なんかできませんから。その気持ちはもちろん理解できます。
◆しかし、あの負け方を「良い負け方だった」などというのは理解できません。確かに中原さんとの得票差を比較すれば、一見「善戦」だったと見ることができるのかもしれませんが、それにしてもトリプルスコアです。また、得票数を有権者数で割ると、得票率はわずか8.5%弱。これが「善戦」とか「良い負け方」とは、私には全く思えません。また、投票率がここまで下がったのは、やはり立憲民主党をはじめとする野党側の問題だったと私は考えます。
◆「中原市政のままでは新潟は停滞が続く」と主張する、責任ある立場の人もいました。個人的には私もそう考え、投票行動もその考えに沿って行いましたが、中原さんに投票した人や棄権した人も新潟市民です。そういう人たちに、鈴木さんの、そして鈴木さんを支援する団体や人々の訴えは全く伝わらなかった、ということを、やはり率直に認め、反省的に考えなければならないと思います。この敗戦についてこの際じっくりと考え、今後の市政、そして県政・国政を良いものにしていくための糧にしていくことが、今最も大切なのだろうと、私は思います。(つづく)

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