残照日記

晩節を孤芳に生きる。

真珠湾70年

2011-12-09 16:05:18 | 日記
【雪崩(なだれ)のとき】 石垣りん詩
≪“すべてがそうなってきたのだから/仕方がない”というひとつの言葉が/遠い嶺(みね)のあたりでころげ出すと/もう他(ほか)の雪をさそって/しかたがない、しかたがない/しかたがない…≫

≪「平和」を山に積もった雪にたとえている。「戦争」の雪崩を引き起こしたのは、谺(こだま)のように響いたある言葉だという。いったん転がりだしたら止まらない戦争のありようを詩人の比喩は伝えている。日米開戦からきょうで70年になる。…(12月8日は)二つの原爆忌や終戦記念日と同じように、折に触れて記憶を新たにしていい日だろう。小欄ではこれまで繰り返し、“言葉狩り”に非を鳴らしてきた。ほんとうは、条件付きで例外にしたい言葉がある。列島がきな臭い空気に包まれたときの「しかたがない」である。≫ 12/8付読売新聞「編集手帳」はそう書いた。日米戦争に突入した真珠湾攻撃が、70年前の12月8日だった。当日、大本営発表の真珠湾攻撃を伝えるラジオ放送で、あの勇ましい「軍艦マーチ」が流れた。日経新聞のコラム「春秋」は、≪それは今風の言い方をすれば「劇場型」の戦争だったのだろう。「軍艦マーチ」は、劇場をずいぶん盛り上げたに違いない。…戦争ははるか遠景となったけれど、政治的な熱狂や高揚というものの危うさを心に留めておいてもいい。≫と書いている。こゝまできたら「しかたがない」「劇場型熱狂」を二度と繰り返してはいけない。

∇朝日社説は、≪真珠湾はさまざまに総括されてきた。日本では、圧倒的に強い米国に無謀な戦争を挑んだ理由が問われた。軍部の暴走か、政治の混迷に原因があるのか。メディアが火に油を注いだ国民の熱狂のためか。≫と問を投げかけた後、≪内外とも混迷するいまだからこそ、私たちは真珠湾に至った歴史から三つの教訓を学ぶべきだと考える。 ≫と、「真珠湾70年―危機の時代へ三つの教訓」と題して「三つの教訓」を提唱した。曰く、≪①危機の時代には、単純な解決を性急に求めないことだ。戦前は政党政治の迷走の果てに、軍部による独裁的な政治に行き着いた。その過程で、国民は武断政治に活路を見いだそうとしていた。…複雑に利害が絡み合う問題は、一刀両断にはできない。周到な準備と粘り強い実行力が要ることを忘れてはならない。 ②危機の時代にこそ、意見の多様性を尊重することだ。かつて、異論を唱えるものに「非国民」とレッテルを貼る風潮が、自由にものを語りあう空気を社会から奪った。 相手の言い分に耳を傾けない勇ましい議論や、異なる見解を封じ、憎悪をあおるナショナリズムには警戒すべきだ。少数者の意見を尊重することが、選択肢を広げていくのだ。 ③世界に目を向けるときは、あわせて他者の視座でわが身を見ることだ。≫と。

∇東京社説は、≪(当時物資不足など、国の統制で国民生活が圧迫され、鬱積が募っていた。)この閉塞感を打ち破ったのが、日米開戦でもあったのだ。真珠湾での戦果に国民挙げて喝采した。圧倒的な国力の差がありながら、戦争に導いた責任は当然、政治や軍にあろう。国民の戦意をあおり立てた言論機関も、あらためて自責の念を深くせねばならない。≫とし、産経社説は 結局≪精強な自衛隊と日米同盟の強化が、二度と戦争への道を歩まないための最善の道であることを、改めて肝に銘じたい。≫とした。そして毎日社説は、≪太平洋戦争は、中国や東南アジアの市場や資源を巡る日米両国の対立が背景にあった。その教訓を踏まえれば、日米中やインドなど力を持つ国が開かれた貿易体制を作り、どの国も孤立させないことが、平和で安定したアジア太平洋を維持するカギであるのは論をまたない。すなわち、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)からアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)へとつなげていく努力は、この地域で再び狭い国益と国益が激突することを防ぐためにも重要なのである。政治はそうした歴史の大局に立って、前向きな議論を進めてほしい。≫と。──皆、「教訓」とすべき立派なことが述べられている。そして誰もが言う、「歴史に学べ」と。問題は、「誰」が学ぶのか。答えは、≪政治の力、言論の力、世論の力が問われるときだ。≫(東京社説)。即ち、「世界の全ての人々」が歴史に学ばない限り、どんな記念日を設けようが、どんな卓説を論じようが、“絵に描いた餅”で終わるだけであろうことを!