残照日記

晩節を孤芳に生きる。

自殺余話

2011-12-01 16:55:00 | 日記
【山上憶良の生活苦】
○世の中を憂しと恥(やさ)しと思へども
    飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(893)
○すべもなく苦しくあれば出で走り
    去(い)ななと思へど子等に障(さや)りぬ(899)
※貧窮ゆえの苦しさから逃れたく、この世を去りたいと思うが、
 鳥に非ず、かつ子供らを捨て去ることができず、思い留まっている。

∇昨日述べたように、自殺防止へ 政府の特命チームが発足した。このチームに参加することになった≪民間の有識者≫の一人、乙武氏は、子どもの「いじめによる自殺」対策として、彼らに「命の尊さを伝えたい」と語っていた。今時の子供たちにそれをどう伝えることができるのだろうか。儒教を国学の礎に据えた江戸時代なら、「孝経」や「論語」「孟子」を手本に出来た。例えば、「孝経」には有名な≪身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也。≫(わが身体は両手・両足から毛髪・皮膚の末々に至るまで、すべて父母から頂戴したものである。それを大切に守っていわれもなくいたみ傷つけないようにする。それが孝行の始めなのだ)の教えがある。そして「論語」に次の文章が載る。≪曾子が病気に罹ったとき、門人達を呼んで言った。「わが足を見よ、わが手を見よ。詩経に『恐れつ戒めつ、深き淵に臨むごと、薄き氷をふむがごと』とあるが、これから先は私ももう父母からもらった身体を大事に守る心配が無くなる、君たちよ」 と。≫(泰伯篇) 父母から戴いた貴重な身体を自分で傷つけること、まして自殺は禁物なのである。

∇「孟子」も、≪其の道を尽して死する者は、正命なり。≫として、正しく精一杯生きることの重要性を説いた。但し、次の場合は、許された。≪子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。≫(孔子が言うには、「 志のある人や仁の人は、命惜しさに仁徳を害するようなことはしない。時には命を捨てても仁徳を成し遂げる。」と。≫( 衛霊公篇) 仁や義を貫くことが人生の最たる意義だ。そのためには命を犠牲にしてもよい、と。こゝでは「自殺」を容認しているわけではない。但し、義人はそれをやった。「風蕭蕭として易水寒し 壮士一たび去れば復(ま)た還(かえ)らず」で有名な「壮士」こと、秦の始皇帝暗殺を狙って失敗した侠客・荊軻(けいか)の伝記に出てくる田光先生の例がそうである。この話を「史記・刺客列伝」から要約すれば、ざっと次の通りである。尚、荊軻はもともと衛の国の人である。読書と剣術を好み、衛の君主に建言したが受け入れられず旅にでた。歴訪した諸国で荊軻はその地の賢人・豪傑・長者と親交を結んだ。燕国に赴くと在野の賢人・田光先生の知遇を得た。

∇さて、荊軻が燕にいるとき、秦国の人質となっていた燕の太子の丹(たん)が逃げ帰ってきた。丹はもともと後の秦の始皇帝・政と幼友達だった。ところが長じて秦の人質となり、自分に対する政の冷遇を憎み、又、いずれ破竹の勢いの秦に、小国である自国・燕が乗っ取られることを憂えて、報復の念に燃えていた。某太傅(もりやく)が、侮られた恨みくらいで、秦の逆鱗にふれるのはいけないと諭したが丹が聞き入れず、某はやむなく田光先生を紹介した。誰にも他言するな、と念を押され太子丹の話を聴いた田光先生はもう私は年老いました、というわけで荊軻を推薦した。国の一大事と平身低頭して懇願する丹への情にほだされ、田光先生は荊軻に一部始終を伝えると、荊軻は承諾し、田光先生は他言せぬ約束を果すために自分の首をかき切って自刃した。荊軻は上卿に挙げられ、豪邸を賜り、太子丹自らの馳走攻めにあい、妙宝・車馬・美女とあらゆる機嫌取りを享(う)けた。最早田光先生の自刃への忠誠も併せ、荊軻が引き下がれる状況ではなかった。かくして秦の始皇帝暗殺計画は任侠・荊軻にとって「正義の御旗」と化したのである。──が、結果は、暗殺は失敗して荊軻は捉えられ燕は滅びた。……

∇≪田光先生は荊軻に一部始終を伝えると、荊軻は承諾し、田光先生は他言せぬ約束を果すために自分の首をかき切って自刃した。≫──田光先生は、太子丹との「他言無用」の約束を遵守すべく「自刃」した。“義”のために自殺したのである。又、鍋島論語「葉隠」に曰く、≪武士道といふは死ぬ事と見つけたり。二者択一を迫られた時は、生死のうち死を選ぶことが大切だ。…常に死を覚悟して精一杯生きよ≫と。死と背中合わせの生を徹底的に教え込むのも一つの道だった。──しかし、まあ、今時こんな話を子供たちに教えよ、というのではない。幼少時から「孝経」「四書五経」「史記「葉隠」等を叩き込まれた者ならいざ知らず、「人生」そのものを教えられてこなかった現代児童たち、否、成人たちに、「命の尊厳」さをどう教えることができるのだろうか。山上憶良ではないが、人生はまゝならない。≪世の中を憂しと恥(やさ)しと思い≫、≪すべもなく苦しくあれ≫ど、自分の目の前に家庭がある、大切な子供たちがいる。それが自殺を思い止まらせる。死ぬ気で生きることを心底感じた者たちが、淡々と語る以外に、自殺を思い止まらせる方法はないのではないか。目下思案投げ首中である。