残照日記

晩節を孤芳に生きる。

一陽来復(1)

2011-12-22 18:02:06 | 日記
○妻亡くて一年五ヶ月冬至かな  楽翁

∇暦の上では、きょうが「冬至」。「暦便覧」には≪日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也≫とある。北半球では昼が最も短く夜が最も長くなる日。来年1月6日の「小寒」、1月21日の「大寒」へと寒さは一段と厳しさを増す。そして2月4日の「立春」へと…。だが、実は見えないながらも春への橋渡しが、黙々と準備されている。所謂「一陽来復」の時でもある。≪災いを恨んだ年の暮れ、来年の賀状のあいさつ言葉に迷う人が多い。「一陽来復」の四文字を選んだ方もおられよう。衰えの極まった太陽が復活に転じる意味で、凶から吉に向かう例えでもある。…昔から、この日は柚子(ゆず)湯につかり、南瓜(かぼちゃ)や小豆(あずき)粥(がゆ)を食べて息災を願った。…そして、冬至を過ぎると師走も「数え日」となる。年内も指折り数えるほどになった日々を言い、せわしさは募る。先急ぎするような気持ちと、見送ってたたずむような思いが入りまじるときだ。…列島はクリスマス寒波の到来だが、冬至の日に一陽来復を願う心には、素朴な再生への祈りがある。早い日暮れに灯(とも)る明かりのどの窓にも、人の幸いがあればいい。≫(12/22 「天声人語」より)

∇私事ながら、1年5ヶ月前の7月22日、38年連れ添った家内が死去した。昨日、やゝ暖かい日和に恵まれたので、年末の墓参へと繰り出し、無事過ごせた一年を報告し、妻の“陰の加護”を感謝して来た。既に庭木の剪定・外回りの清掃も終え、新年を迎える準備が全て整った。そして「天声人語」ではないが、≪冬至を過ぎると師走も「数え日」≫。この数日の「数え日」に、改めて過ぎ来し方・行く末を振り返り、そろ/\“冬籠り”から抜け出して、残された僅かな晩節をさゝやかながら火灯してみようと考えている。それにしても大事件続きの一年だった。東日本大震災、アラブ諸国の民主化運動の高まり、タイの大洪水、そして欧州の通貨危機と米国ウオール街占拠等に見る「民主主義」の行方、ロシア・中国の市場経済化傾斜と歪、そして先日の金正日死去による北朝鮮動向 etc etc。急速に拡大進展する“グローバル化”が、ある意味で、寧ろ国際動乱の火種と化す。最早世界中のあらゆる事件が、全て自分に関係してくる。「対岸の火事」なる慣用句も消滅気味な昨今事情である。──こんなことを綴っていたら、先ほど家内の妹分だった「うまのすけ」さんから、月の命日に合わせたクリスマスカード(上掲写真)が贈られてきた。「人生いろ/\」だけど、こんな暖かい贈物を忘れずに送って下さる人がいる。人生、そう捨てたものでもない。有難う。「一陽来復」については次回雑話を記そう。…