残照日記

晩節を孤芳に生きる。

喪に服す

2011-12-24 17:22:48 | 日記
≪正恩氏背後に若い喪服女性=妹か妻との見方も──北朝鮮の朝鮮中央テレビは21日、死去した金正日労働党総書記の後継者、金正恩氏が平壌の錦繍山記念宮殿で、弔問客に直接応対する様子を放映した。正恩氏の背後には若い喪服姿の女性が立っており、同氏の妹か妻との見方が出ている。韓国のYTNテレビが伝えた。朝鮮中央テレビの映像によると、女性はやせ型で、髪を後ろに束ねている。悲しみに暮れ、目を伏せていた。正恩氏には妹ヨジョンさんがいることが分かっている。また、韓国の一部メディアは、正恩氏が昨年、結婚したと報じていた。≫(12/23 時事通信) 

∇22日付朝日新聞には、≪ 正恩氏、服喪いつまで 17年前の金総書記は3年≫の表題で、後継者・金正恩氏の服喪期間についての記事が載っていた。「服喪」は、周知の通り、≪喪に服すること。近親者が死んだ後、一定期間、行いなどを慎しむこと。≫(「大辞泉」) 儒教では、葬儀のしきたりや服喪の決まりは結構ウルサイ。先ず、弔問客対応時に≪正恩氏の背後には若い喪服姿の女性が立っており≫、の「女性」は誰か。94年7月、金日成氏が82歳で死去した折に、この位置に立っていたのは、金正日氏の妹・金敬姫女史だった。今回も金正恩氏の妹ではないか、とする説が有力だという。いずれ判明することだ。そして、問題は服喪期間。金日成氏が死去した時は、3年間の服喪期間を経た97年10月、金正日氏が労働党総書記に就任した。今回の場合は「四十九日」「1年」「3年」といった様様な憶測が流れている。老生思うに、正恩氏の権力掌握次第だろう。父親ほどのカリスマ性も、経験も、統治能力も未知数な正恩氏の服喪期間は、教科書どおりには進まないだろう。喪服期間が早いほど、組織体制固めの緊急度を表徴することになる。孰れにせよ、遺訓政治のような形を3年間続けることは難しいとの意見が大勢である。“3年間の喪服”はありにくい、ということだ。

∇さて、「論語」に親の服喪について面白い記事が載っている。≪弟子の宰我が、当時、子が父母の死後三年間(実質二十七ヶ月)、親の喪に服す決まりがあったのに反発して、「そんなに長い期間喪に服していたら、礼・楽そのものが行われず消滅してしまいます。一年でいいのではないでしょうか」、と孔子に訊いた。そうしたら、孔子はキットなって叱った。孔子「お前は親が死んで、僅かに一年経っただけで、米の飯を食い、美服を着て平気なのか」。宰我「別に平気ですけど」孔子「お前が平気だったらそうするがよい。君子たるもの喪に服している間は、何を食ったってうまくないし、どんな音楽を聞いても楽しくないもんだ」。 宰我が退出すると、孔子は嘆かわしい顔をしてこう言った。「子供は生まれてから三年経ってやっと父母の懐から離れる。三年も子を心配してくれたその父母への思いが『三年の喪』というしきたりになったのに。 宰我には、父母への三年の愛すらないのか、冷たいやつだ」と。≫(陽貨篇)──この章は色々考えさせられる問題を含んでいる。伊藤仁斎は「論語古義」で、宰我がこの時点では未だ父母存命中だからそんなことをいっているのだ、といい、荻生徂徠は「論語徴」で、孔子が礼楽を重んじたのでその点は宰我の指摘はもっともだ、といい、朱子の「論語集注」は宰我を責める説を集め等々、古来、宰我の心情の是非・弁護さまざまである。老生は宰我の肩を持つ方だが、「父母への三年の愛すらないのか」にはじーんと身に詰まされる思いがする。……


最新の画像もっと見る