数年前、3歳の女の子(真奈ちゃん)が段ボールの中で餓死していた事件を覚えているだろうか。それを取り上げた本、「ネグレクト」(杉山春 著)を図書館で借りてきた。
子どもを叩いてしまいたい心境になるのはどの親も一緒だと思う。その一線を乗り越えるかどうかの違いであって、「虐待」は他人事ではないと思っているの。だから今回は、育児放棄してしまう親の気持ちを知りたくてこの本を借りたのだ。
ニュースを聞いた時は、「怒り」以外のどんな感情も湧かなかったこの事件だが、この本を読み進めて行くうちに、この両親もネグレクトの被害者だったことが分かった。しかも母親に関して言えば3世代前から…。自分が親に愛されず、相手にされずに育てば、我が子に愛情を持てないのは当然のこと。この2人には親に愛された記憶もモデルとなる大人もいなかった。真奈ちゃんの父親は、学生時代~子どもを持ってからもゲーム狂で、育児において全くの無関心(何も覚えていない状態)だったという。我が子を殺していながら、心底反省する気持ちになれないのは、人間として当然あるべき感情が育たずに成長してしまったからなのだ…と諦めが湧き、だんだん憤りを感じなくなった(ただ、もうこれ以上「子どもを産む」選択をしないで下さいと切願したい)。今では、この両親にではなく、この2人を育てた大人と社会に対して憤りを感じている。もし親以外の尊敬できる大人と出会えていればこんな事件は起きなかったのでは…と思うと悔しいの。
先日、小児科の待ち合い室で、とても人なつこい男の子が私に話しかけて来た。本を読むのを中断し「お風邪ひいちゃったの?」「この本?これはね、むずかし~い本なのよ」と話しかけたら、その子のママさんがとても申し訳なさそうに「読書の邪魔しちゃってご免なさい。保母さんか何かされているのですか?知らない子なのに、優しく話しかけてくれるから」と言われて焦った。よその子の相手をするという当然の行為を特別視されたことで、今の育児がとても孤独なのだということを再認識した気がするよ
子どもを叩いてしまいたい心境になるのはどの親も一緒だと思う。その一線を乗り越えるかどうかの違いであって、「虐待」は他人事ではないと思っているの。だから今回は、育児放棄してしまう親の気持ちを知りたくてこの本を借りたのだ。
ニュースを聞いた時は、「怒り」以外のどんな感情も湧かなかったこの事件だが、この本を読み進めて行くうちに、この両親もネグレクトの被害者だったことが分かった。しかも母親に関して言えば3世代前から…。自分が親に愛されず、相手にされずに育てば、我が子に愛情を持てないのは当然のこと。この2人には親に愛された記憶もモデルとなる大人もいなかった。真奈ちゃんの父親は、学生時代~子どもを持ってからもゲーム狂で、育児において全くの無関心(何も覚えていない状態)だったという。我が子を殺していながら、心底反省する気持ちになれないのは、人間として当然あるべき感情が育たずに成長してしまったからなのだ…と諦めが湧き、だんだん憤りを感じなくなった(ただ、もうこれ以上「子どもを産む」選択をしないで下さいと切願したい)。今では、この両親にではなく、この2人を育てた大人と社会に対して憤りを感じている。もし親以外の尊敬できる大人と出会えていればこんな事件は起きなかったのでは…と思うと悔しいの。
先日、小児科の待ち合い室で、とても人なつこい男の子が私に話しかけて来た。本を読むのを中断し「お風邪ひいちゃったの?」「この本?これはね、むずかし~い本なのよ」と話しかけたら、その子のママさんがとても申し訳なさそうに「読書の邪魔しちゃってご免なさい。保母さんか何かされているのですか?知らない子なのに、優しく話しかけてくれるから」と言われて焦った。よその子の相手をするという当然の行為を特別視されたことで、今の育児がとても孤独なのだということを再認識した気がするよ