私は「おもちゃコンサルタント」ですから、大人が子どもに手渡すオモチャは「子どもの成長を手助けするもの」であって欲しいと願います。
でも、理想だけで子育てなどできないことも、同じ親の子であっても持って生まれた気質は違うから、一概に「こうあるべき」と言い切れない部分があることも重々承知してます。
でも、私は「買い物は投票である」ことを常に意識したい(子どもや親を小馬鹿にしたメーカーの企業戦略にはNOを言いたい※)し、「おもちゃ屋」の立場としてやっぱり理想を語らせてもらいますわね。
※メーカーは「知育玩具」と書けば親が、キャラクターをつけておけば子どもが飛びつくということを計算してオモチャを作っています。
何の疑問も持たずにメーカーの戦略にハマって買い与えるのと、知って悩んだあげくに「仕方ない、うちの子なら大丈夫」と納得するのは、同じ「買う」にしても、雲泥の差だと思っているのですよ。
「おもちゃとえほんのカルテット」さんの過去の通信がとっても興味深かったので、転載させていただきます。
………………………
『おもちゃは子どもへのメッセージ(武器のおもちゃを与えない)』
(2006年2月号)
「うちの子どもたちは戦いごっこばかりで困るんです」
知り合って間もない保育園の園長先生がこぼしてくれました。
それから3年かけて、保育園から戦いごっこ・ヒーローごっこをなくしていきました。
できるんですね。
環境を変えてしばらくすると、子どもたちはより楽しい遊びに気持ちが移っていきました。
積み木やおもちゃも最初は奪い合ったり投げたりと、まるで動物園のように大変でしたが、自分も必ず遊べるんだという安心感ができると、友達同士で譲り合いながら、すばらしい遊びの場面を見せてくれるようになりました。
大人が「こういう『遊び』をして欲しい」という気持ちを子どもにもわかりやすい環境にしていくこと。
そして、その気持ちを上手にそして時間をかけて子どもに伝えていくと、子どもは喜んで、そして自然にその気持ちにこたえてくれるのだと、園長先生は嬉しそうに話してくれました。
昔話を、それもよい昔話を選んで読み聞かせるようにしました。
本当の戦いは「ヒーローと怪獣」の戦いではなく、本物の「さるかにがっせん」や「おおかみと七ひきのこやぎ」のような昔話の中にあると考えたのです。
子どもたちは目を輝かせて絵本に聞き入りました。
「テトリス」というゲームをご存知ですか?
しばらく前に大ブームになりました。
ある国が「兵士が人間的な感情を持たずに人を殺せる」ようにすることを目的に開発されたゲームです。
テレビやテレビゲームに中毒性があること、また人間的な感情や行動、また脳の機能に悪影響があることは日大の森先生や「NPO子どもとメディア」の山田先生ははっきりおっしゃいます。
大人が子どもに手渡すおもちゃで、子どもは考え、空想し、自分の人間性の器を形作っていくのです。
小さな子どもに「武器のおもちゃ」を渡すことは、武器を使うことを大人が子どもに推奨すること、してはいけないことだと思うのです。
先日、アメリカで15歳の子どもが空気銃を警察官に向け、射殺されるという事件がありました。
少なくとも私たちの身の回りでは、こんな悲しい事件が永遠に怒ることがないように、そう願っています。(藤田篤)
………………………
『おもちゃって捨てるもの?残すもの?』
(2005年2月)
昔、大手の玩具メーカーの制作の方と仕事をしたときに面白い話を聞きました。
「いわゆる『戦隊モノ』のおもちゃは、はじめに商品を企画しておいて、それに合わせて後からストーリーを作るんだよ。大切なのは商品企画なんだ」
毎年、4月向けにキャラクター作りをして、ボーナス商戦やクリスマス商戦に合わせて「大物商品」を企画するのだそうです。
「去年のものは?」の質問にもあっさり「捨ててもらうのさ」。
ストーリーや内容は「おまけ」なのだそうです。
もう15年も前の話ですが、今はどうなのでしょうか?
「高度経済成長」や「バブル」にわたしたちが飲み込まれていた頃は「使って・捨てて・買い替える」消費文化が経済を支えていました。
わたしも、わたしが育った30年前のおもちゃも
「おもちゃは遊んだら捨てるもの」
という考えに支えられていたのでしょう。
でも、子どもの頃に親に遊んでもらったこと・読んでもらった絵本の思い出は一生涯忘れません。
子どもの頃に親に注いでもらった愛情は、子どもの中で「愛情の核」を作ります。
どんなつらいことがあっても「愛情の核」のある子は強く生きます。
そして自分が父親、母親になったとき、わからないことだらけの子育ても「愛情の核」のある親は、自分がしてもらったことをそのまま我が子にしてあげることになるのです。
親からしてもらったことをそのまま我が子にしてあげることになるのです。
親から受け継いだ愛情を子に注ぐ、子育ては「継承」の文化なのです。
「育児不安」や「児童虐待」という負の子育て文化ばかりが強調されていますが、これからは、子どもと触れ合うことが楽しい「愛情の核」を継承する子育て文化が広がって欲しいですね。
おもちゃと絵本は「使い捨てる」文化ではなく、「継承する」子育て文化なのです。
今、わが子に与えるおもちゃと絵本は、遊びとファンタジーをわが子に与えるだけでなく、その子が子育てするときの力となり、助けとなるのです
遊んでもらったオモチャ、読んでもらった絵本を、わが子に与える親になって欲しい。
いつもそう願っています。
でも、理想だけで子育てなどできないことも、同じ親の子であっても持って生まれた気質は違うから、一概に「こうあるべき」と言い切れない部分があることも重々承知してます。
でも、私は「買い物は投票である」ことを常に意識したい(子どもや親を小馬鹿にしたメーカーの企業戦略にはNOを言いたい※)し、「おもちゃ屋」の立場としてやっぱり理想を語らせてもらいますわね。
※メーカーは「知育玩具」と書けば親が、キャラクターをつけておけば子どもが飛びつくということを計算してオモチャを作っています。
何の疑問も持たずにメーカーの戦略にハマって買い与えるのと、知って悩んだあげくに「仕方ない、うちの子なら大丈夫」と納得するのは、同じ「買う」にしても、雲泥の差だと思っているのですよ。
「おもちゃとえほんのカルテット」さんの過去の通信がとっても興味深かったので、転載させていただきます。
………………………
『おもちゃは子どもへのメッセージ(武器のおもちゃを与えない)』
(2006年2月号)
「うちの子どもたちは戦いごっこばかりで困るんです」
知り合って間もない保育園の園長先生がこぼしてくれました。
それから3年かけて、保育園から戦いごっこ・ヒーローごっこをなくしていきました。
できるんですね。
環境を変えてしばらくすると、子どもたちはより楽しい遊びに気持ちが移っていきました。
積み木やおもちゃも最初は奪い合ったり投げたりと、まるで動物園のように大変でしたが、自分も必ず遊べるんだという安心感ができると、友達同士で譲り合いながら、すばらしい遊びの場面を見せてくれるようになりました。
大人が「こういう『遊び』をして欲しい」という気持ちを子どもにもわかりやすい環境にしていくこと。
そして、その気持ちを上手にそして時間をかけて子どもに伝えていくと、子どもは喜んで、そして自然にその気持ちにこたえてくれるのだと、園長先生は嬉しそうに話してくれました。
昔話を、それもよい昔話を選んで読み聞かせるようにしました。
本当の戦いは「ヒーローと怪獣」の戦いではなく、本物の「さるかにがっせん」や「おおかみと七ひきのこやぎ」のような昔話の中にあると考えたのです。
子どもたちは目を輝かせて絵本に聞き入りました。
「テトリス」というゲームをご存知ですか?
しばらく前に大ブームになりました。
ある国が「兵士が人間的な感情を持たずに人を殺せる」ようにすることを目的に開発されたゲームです。
テレビやテレビゲームに中毒性があること、また人間的な感情や行動、また脳の機能に悪影響があることは日大の森先生や「NPO子どもとメディア」の山田先生ははっきりおっしゃいます。
大人が子どもに手渡すおもちゃで、子どもは考え、空想し、自分の人間性の器を形作っていくのです。
小さな子どもに「武器のおもちゃ」を渡すことは、武器を使うことを大人が子どもに推奨すること、してはいけないことだと思うのです。
先日、アメリカで15歳の子どもが空気銃を警察官に向け、射殺されるという事件がありました。
少なくとも私たちの身の回りでは、こんな悲しい事件が永遠に怒ることがないように、そう願っています。(藤田篤)
………………………
『おもちゃって捨てるもの?残すもの?』
(2005年2月)
昔、大手の玩具メーカーの制作の方と仕事をしたときに面白い話を聞きました。
「いわゆる『戦隊モノ』のおもちゃは、はじめに商品を企画しておいて、それに合わせて後からストーリーを作るんだよ。大切なのは商品企画なんだ」
毎年、4月向けにキャラクター作りをして、ボーナス商戦やクリスマス商戦に合わせて「大物商品」を企画するのだそうです。
「去年のものは?」の質問にもあっさり「捨ててもらうのさ」。
ストーリーや内容は「おまけ」なのだそうです。
もう15年も前の話ですが、今はどうなのでしょうか?
「高度経済成長」や「バブル」にわたしたちが飲み込まれていた頃は「使って・捨てて・買い替える」消費文化が経済を支えていました。
わたしも、わたしが育った30年前のおもちゃも
「おもちゃは遊んだら捨てるもの」
という考えに支えられていたのでしょう。
でも、子どもの頃に親に遊んでもらったこと・読んでもらった絵本の思い出は一生涯忘れません。
子どもの頃に親に注いでもらった愛情は、子どもの中で「愛情の核」を作ります。
どんなつらいことがあっても「愛情の核」のある子は強く生きます。
そして自分が父親、母親になったとき、わからないことだらけの子育ても「愛情の核」のある親は、自分がしてもらったことをそのまま我が子にしてあげることになるのです。
親からしてもらったことをそのまま我が子にしてあげることになるのです。
親から受け継いだ愛情を子に注ぐ、子育ては「継承」の文化なのです。
「育児不安」や「児童虐待」という負の子育て文化ばかりが強調されていますが、これからは、子どもと触れ合うことが楽しい「愛情の核」を継承する子育て文化が広がって欲しいですね。
おもちゃと絵本は「使い捨てる」文化ではなく、「継承する」子育て文化なのです。
今、わが子に与えるおもちゃと絵本は、遊びとファンタジーをわが子に与えるだけでなく、その子が子育てするときの力となり、助けとなるのです
遊んでもらったオモチャ、読んでもらった絵本を、わが子に与える親になって欲しい。
いつもそう願っています。