昨日の午前中は雨がしつこく降っていたこともあり、かかりつけ医へ行く予定だったのを変更して、相方と義弟のところへ遺産分割の話をしに行きました。天気がいいとどうしても
現場に出てしまう相方なので、雨降りなら安心して?出かけられるというもの。
義弟はひとりで店をやっているので、なかなか我が家に来られない。それにこういう話はやっぱり対面でしたほうがいいと思うんですよ。ビデオ通話も出来る時代ですが、ここはやっぱり
アナログで。
2か所に分かれている義母名義の土地や預金をどう分けるか、4つほど案を作って金額も提示して。出来ればふたり兄弟に均等に分けたかったけれど、土地は分筆するほど広くない。
義弟は、自分はもう家を出ている身だから、と土地については要らないし預金も半々でいいんじゃないか、と言ってくれましたが、それではあまりにも不公平過ぎる、ということで
土地は全部相方の名義に、預金は半々よりちょっと義弟の取り分を多くすることで決着。
あー、これでようやく分割協議書が作れるなぁ、とちょっとひと安心。
夜になって、6年前に義父が亡くなったときはどんなふうに遺産分割をしたか、当時の日記を見てみました。
すると3月末に亡くなっていて、5月末には協議書が出来ていました。スピード感がまるで違う。
義母の認知症が進まないうちに事を済ませたいというのと、相方の仕事がヒマな時期だったことが大きな要因だったのかなと思います。
出してきたついでに、ページをパラパラとめくっていると、あるある、義母に対する愚痴の数々!
それまで義母のお守り役だった義父が亡くなって、デイサービスに行っている間はいいものの、家に戻るといろいろとね、ありましたから。
遺産分割についても、ほぼオール私任せの相方に対してマジ切れしたり(今回も同様)。あの頃は家にいるのが苦痛だったな。
インドア派で家にいるのが昔から好きなのに、その家の居心地が悪いんだもの。外に出たくて仕方なかった。バイトも義母のこともあって減らさざるを得なかったし、自分だけが
貧乏くじ引いたように思えて。
同じ年に孫が生まれて、退院後約1か月娘のところへほぼ毎日通っていたっけ。駅から徒歩15分、あまり日陰のない道を行き来して。梅雨の半ばから末期ということもあって、晴れると
暑いし、時にひどい雷雨に見舞われたことも。
その初日の朝、初めて不整脈の症状が出たんです。それもかなり不規則に一時停止しましたね。初体験だったので、出かけていいものか悩みました。
通い始めだったことや、そのために5日ほど義母をショートステイに出すことなどでストレスがひどかったからだと思います。
古い日記を読みながらいろんなことを思い出しましたが、これもいつまでもとっておくわけにはいかないな。
これまで過去10年分ほどとってあるけれど、もう少し短くして5年分くらいにすべきかも。でも今回のように6年前のことが知りたいときには困るわけで、一大事が起きたときのものは
残しておく、というようにするのがベストかもしれません。