後楽園ホールについたのは
泊まり勤務あけの午後。
すでにリングの設営が終わっていた。
WBC世界フライ級タイトルマッチ!
17度防衛中のチャンピオン、
タイのポンサクレック選手に
内藤大助選手が3度目の挑戦をした。
1度目は「世界戦上、日本人最短記録」の
34秒KOで敗れ、苦しい日々を送るも、
不屈の闘志でその後は勝ち続ける。
ポンサクレックにチャレンジする2度目のチャンスを得る。
しかしこのときはバッティング(頭があたること)で
右目の上を切ってしまい「負傷判定」で敗れてしまった。
そして今回、「負けたら引退」と3度目に臨んだのだ。
ところが中継を予定していたTV局が降りたことから
資金難のため開催が危ぶまれる。
幸いなことにスポンサーや一般の方からの援助にくわえ
東京ローカルのMXTVが中継を買って出たのだ。
MXTVがボクシングの、
しかも世界タイトルマッチを放送するのは初。
その中継で控え室レポーター、リングサイドレポーター、
そして勝利者インタビュアーをやらせていただいた。
(楽しいけれど忙しい!)
・・・正直にいうと
かなり苦戦が予想された。
内藤選手本人も
「ボクシングセンスではかなわない」などと発言していたし
チャンピオンも
「相手が必死なのはわかっている」と一切手を抜かずに臨む。
野球の試合は数十秒で終わることは無いが
ボクシングではありうる。
だからいろんなケースを想定して番組は作られる。
12回最後までやって判定になるのか?
それ以前に決まるのか?
早く終わったら放送はどうするのか?
どちらが勝つのかでも
その後の放送の展開も細かく変わる。
例えばどちらの控え室でどうインタビューするのか、もだ。
僕は内藤選手に勝ってもらいたかった。
でも、どの資料を見ても新聞を開いても悲観的だ。
1社だけが前向きに書いてあったけど。
放送スタッフも前評判は頭には入れていた。
彼は屈強なコワモテではない。
おとめ座で
生まれかわったら女の子になりたくて
好きなテレビ番組は「田舎にとまろう」
(絶対ラストで泣いてる)
顔もたれ目で愛嬌がある。
根が優しいのだ。
中学のころは「いじめられっこ」だったという。
お金もとらたしヤキも入れられた。
そのころの自分は大嫌いで
人と同じでないと不安だったと。
でも、ボクシングを始めて
初めて「自分」を意識したという。
「人と違う自分が好きになった」とも
あるインタビューに答えている。
それによれば
プロボクサーになって
かつての「いじめっ子」から
チケットをねだられた時、
お金を払わなかった「いじめっこ」に
きちんと催促できたという。
それは強いパンチを手にしたからでなく
自信に裏づけられた「精神力」を手にしたからだ。
さすがに控え室のまわりは緊張感があったが
レポートでもお伝えしたように「悲壮感」がない。
沢山の知人の励ましに内藤選手も笑顔を見せている。
いよいよ試合が始まる。
彼の入場曲は
クィーンの「ウィ・ウィル・ロックユー」でも
「ロッキーのテーマ」でもなく、
CCBの「ロマンチックがとまらない」・・・なぜに?
でも、めちゃめちゃもりあがってる!
大勢の観客や支援者も
この曲で踊っている、今も耳から離れない。
ご両親も奥さんも幼い子供さんもいる。
失礼ながら、収入は少ないという。
でも、年上の奥さんは笑顔で
おおらかに応援してきた。
書き忘れたが内藤選手は
すっげー愛妻家でもある。
・・・ここで負けたら夢が潰える。
何かを変えるんだ!
もう決して若くないけれど
ハングリーな気持ちでここまできた。
何かを変えるんだ・・・。
僕は青コーナーで
内藤陣営のセコンドのすぐ後ろに陣取った。
序盤からすごいスピードでパンチを繰り入れていく内藤選手。
客もセコンドも皆、勝利を望んでいるのは当然だが
そんな皆が驚くほどだ。
セコンドも目を見開いて
「あいつ、きょう速ええな」とつぶやいた。
1R終了のゴング。
同時にセコンドは立ちあがってのガッツポーズ。
もう勝ったみたいな騒ぎだ。
会場全体が震えた。
「足を使って左に回りこめ、
小さく確実に返していけ」
セコンドから指示が飛ぶ。
歓声にかき消されて
声は聴こえなかったが
コーナーに上った
ジムの宮田会長の口が、
「オマエ、スゴイゾ」と動くのが見えた。
2Rめからは会場全体が押せ押せムード。
チャンピオンが追い込まれていく。
パンチが、どんどん大振りになっていくのだ。
試合は終盤にさしかかる。
僕は格闘技が好きで
セコンドからの指示も聞く機会はあるが
コーナーの椅子に座った内藤選手に
宮田会長から「珍しい指示」が飛んだのが
かすかに聞こえた。
「信じろ。いいか?
みんなが、ついてる」
そして最終ラウンド。
ゴングとともに出て行く内藤選手。
そして壮絶な打ち合い。
しかし内藤選手が優勢なのは明らかだった。
宮田会長の目が潤んでいる。
セコンドから声が飛ぶ。
「いいか、内藤!
あと1Rだ、あと1Rで
・・・人生が変わるぞ」
最後のゴング。
勝敗は判定にもちこされた。
両者、レフリーに腕をつかまれる。
それでは判定の結果を申し上げます。
「青。内藤選手!」
最後のほうは
もう歓声で聴こえない。
僕はいそいでリングに駆け上がろうとしたが
ジムの仲間が泣き笑いで殺到しているので
はしごに上れない。
どうにか這い上がって、急いでリングイン。
フロアディレクターから、マイクを渡される。
内藤選手に、チャンピオンベルトが渡される。
「放送席、放送席・・勝利者インタビューです。
新チャンピオンの、誕生でえええええすっ!」
うわあああああああああああ!
内藤選手、切れた唇で
僕の質問に一生懸命答えてくれます。
みんなのおかげで、みんなのおかげで
がんばれました。
苦しかった日々も、みんなが支えてくれました。
・・僕、いじめられっこだったのに
世界チャンピオンになれました。
・・・やばい!
なんか涙がこみあげてきた。
「きっとこれを見て
内藤選手みたいになりたいって思う子もいますよ」
もともと「笑い顔」の内藤選手が
もっと笑顔になった。
ボクシングジムや空手道場が
「いじめられっこ集まれ」などと募集することがあるが
あれは、
「いじめに対し力で防御する、あるいは攻撃する力をつける」
という意味ではない。
「僕は、これならこんな頑張れるんだ!」と自信を取り戻すことと
自分を認めてくれる「学校以外の世界」を持つことに意味がある。
だから、子供自身がそれを実感できるならば
水泳でもいいし、音楽でもいいんだと思う。
さて、実はポンサクレック前チャンピオンは
19度目の防衛戦を9月に、
また20番目の防衛戦を12月に
タイのプミポン国王の前で行うことを決めていた。
つまり内藤戦は「通過点」と見ていたのだ。
しかも、かねてから自分に対して対戦を希望していた
亀田興毅.選手側に試合を要求していたが
条件が折り合わない状態だった。
どちらかというとスポーツ紙も、今回
こういった話題を大きく取り扱っていた。
一方、内藤選手は亀田選手側に対戦を希望しながらも
事実上「無視」状態だった。
こうなると
早ければ年内にも「内藤の初防衛戦」として
内藤VS亀田の試合もないとは言えない。
あるとしたら楽しみだ。
すべてが終わったあと
内藤選手と握手した。
宮田会長は
「もうボクシング、あした
やめてもいいぐらい嬉しい」と笑った。
宮田会長も
ボクシングのダメージで現役を退いたが
強い選手だったと聞いている。
内藤選手にかけた想いが痛いほど伝わった。
今、ボクシングのフライ級は
男のロマンにあふれている。
ロマンチックが止まらない。
泊まり勤務あけの午後。
すでにリングの設営が終わっていた。
WBC世界フライ級タイトルマッチ!
17度防衛中のチャンピオン、
タイのポンサクレック選手に
内藤大助選手が3度目の挑戦をした。
1度目は「世界戦上、日本人最短記録」の
34秒KOで敗れ、苦しい日々を送るも、
不屈の闘志でその後は勝ち続ける。
ポンサクレックにチャレンジする2度目のチャンスを得る。
しかしこのときはバッティング(頭があたること)で
右目の上を切ってしまい「負傷判定」で敗れてしまった。
そして今回、「負けたら引退」と3度目に臨んだのだ。
ところが中継を予定していたTV局が降りたことから
資金難のため開催が危ぶまれる。
幸いなことにスポンサーや一般の方からの援助にくわえ
東京ローカルのMXTVが中継を買って出たのだ。
MXTVがボクシングの、
しかも世界タイトルマッチを放送するのは初。
その中継で控え室レポーター、リングサイドレポーター、
そして勝利者インタビュアーをやらせていただいた。
(楽しいけれど忙しい!)
・・・正直にいうと
かなり苦戦が予想された。
内藤選手本人も
「ボクシングセンスではかなわない」などと発言していたし
チャンピオンも
「相手が必死なのはわかっている」と一切手を抜かずに臨む。
野球の試合は数十秒で終わることは無いが
ボクシングではありうる。
だからいろんなケースを想定して番組は作られる。
12回最後までやって判定になるのか?
それ以前に決まるのか?
早く終わったら放送はどうするのか?
どちらが勝つのかでも
その後の放送の展開も細かく変わる。
例えばどちらの控え室でどうインタビューするのか、もだ。
僕は内藤選手に勝ってもらいたかった。
でも、どの資料を見ても新聞を開いても悲観的だ。
1社だけが前向きに書いてあったけど。
放送スタッフも前評判は頭には入れていた。
彼は屈強なコワモテではない。
おとめ座で
生まれかわったら女の子になりたくて
好きなテレビ番組は「田舎にとまろう」
(絶対ラストで泣いてる)
顔もたれ目で愛嬌がある。
根が優しいのだ。
中学のころは「いじめられっこ」だったという。
お金もとらたしヤキも入れられた。
そのころの自分は大嫌いで
人と同じでないと不安だったと。
でも、ボクシングを始めて
初めて「自分」を意識したという。
「人と違う自分が好きになった」とも
あるインタビューに答えている。
それによれば
プロボクサーになって
かつての「いじめっ子」から
チケットをねだられた時、
お金を払わなかった「いじめっこ」に
きちんと催促できたという。
それは強いパンチを手にしたからでなく
自信に裏づけられた「精神力」を手にしたからだ。
さすがに控え室のまわりは緊張感があったが
レポートでもお伝えしたように「悲壮感」がない。
沢山の知人の励ましに内藤選手も笑顔を見せている。
いよいよ試合が始まる。
彼の入場曲は
クィーンの「ウィ・ウィル・ロックユー」でも
「ロッキーのテーマ」でもなく、
CCBの「ロマンチックがとまらない」・・・なぜに?
でも、めちゃめちゃもりあがってる!
大勢の観客や支援者も
この曲で踊っている、今も耳から離れない。
ご両親も奥さんも幼い子供さんもいる。
失礼ながら、収入は少ないという。
でも、年上の奥さんは笑顔で
おおらかに応援してきた。
書き忘れたが内藤選手は
すっげー愛妻家でもある。
・・・ここで負けたら夢が潰える。
何かを変えるんだ!
もう決して若くないけれど
ハングリーな気持ちでここまできた。
何かを変えるんだ・・・。
僕は青コーナーで
内藤陣営のセコンドのすぐ後ろに陣取った。
序盤からすごいスピードでパンチを繰り入れていく内藤選手。
客もセコンドも皆、勝利を望んでいるのは当然だが
そんな皆が驚くほどだ。
セコンドも目を見開いて
「あいつ、きょう速ええな」とつぶやいた。
1R終了のゴング。
同時にセコンドは立ちあがってのガッツポーズ。
もう勝ったみたいな騒ぎだ。
会場全体が震えた。
「足を使って左に回りこめ、
小さく確実に返していけ」
セコンドから指示が飛ぶ。
歓声にかき消されて
声は聴こえなかったが
コーナーに上った
ジムの宮田会長の口が、
「オマエ、スゴイゾ」と動くのが見えた。
2Rめからは会場全体が押せ押せムード。
チャンピオンが追い込まれていく。
パンチが、どんどん大振りになっていくのだ。
試合は終盤にさしかかる。
僕は格闘技が好きで
セコンドからの指示も聞く機会はあるが
コーナーの椅子に座った内藤選手に
宮田会長から「珍しい指示」が飛んだのが
かすかに聞こえた。
「信じろ。いいか?
みんなが、ついてる」
そして最終ラウンド。
ゴングとともに出て行く内藤選手。
そして壮絶な打ち合い。
しかし内藤選手が優勢なのは明らかだった。
宮田会長の目が潤んでいる。
セコンドから声が飛ぶ。
「いいか、内藤!
あと1Rだ、あと1Rで
・・・人生が変わるぞ」
最後のゴング。
勝敗は判定にもちこされた。
両者、レフリーに腕をつかまれる。
それでは判定の結果を申し上げます。
「青。内藤選手!」
最後のほうは
もう歓声で聴こえない。
僕はいそいでリングに駆け上がろうとしたが
ジムの仲間が泣き笑いで殺到しているので
はしごに上れない。
どうにか這い上がって、急いでリングイン。
フロアディレクターから、マイクを渡される。
内藤選手に、チャンピオンベルトが渡される。
「放送席、放送席・・勝利者インタビューです。
新チャンピオンの、誕生でえええええすっ!」
うわあああああああああああ!
内藤選手、切れた唇で
僕の質問に一生懸命答えてくれます。
みんなのおかげで、みんなのおかげで
がんばれました。
苦しかった日々も、みんなが支えてくれました。
・・僕、いじめられっこだったのに
世界チャンピオンになれました。
・・・やばい!
なんか涙がこみあげてきた。
「きっとこれを見て
内藤選手みたいになりたいって思う子もいますよ」
もともと「笑い顔」の内藤選手が
もっと笑顔になった。
ボクシングジムや空手道場が
「いじめられっこ集まれ」などと募集することがあるが
あれは、
「いじめに対し力で防御する、あるいは攻撃する力をつける」
という意味ではない。
「僕は、これならこんな頑張れるんだ!」と自信を取り戻すことと
自分を認めてくれる「学校以外の世界」を持つことに意味がある。
だから、子供自身がそれを実感できるならば
水泳でもいいし、音楽でもいいんだと思う。
さて、実はポンサクレック前チャンピオンは
19度目の防衛戦を9月に、
また20番目の防衛戦を12月に
タイのプミポン国王の前で行うことを決めていた。
つまり内藤戦は「通過点」と見ていたのだ。
しかも、かねてから自分に対して対戦を希望していた
亀田興毅.選手側に試合を要求していたが
条件が折り合わない状態だった。
どちらかというとスポーツ紙も、今回
こういった話題を大きく取り扱っていた。
一方、内藤選手は亀田選手側に対戦を希望しながらも
事実上「無視」状態だった。
こうなると
早ければ年内にも「内藤の初防衛戦」として
内藤VS亀田の試合もないとは言えない。
あるとしたら楽しみだ。
すべてが終わったあと
内藤選手と握手した。
宮田会長は
「もうボクシング、あした
やめてもいいぐらい嬉しい」と笑った。
宮田会長も
ボクシングのダメージで現役を退いたが
強い選手だったと聞いている。
内藤選手にかけた想いが痛いほど伝わった。
今、ボクシングのフライ級は
男のロマンにあふれている。
ロマンチックが止まらない。
行かれたんですねー。
羨ましい
はいはい、取材で行きました。
「ニュースパレード」聴いてくださったんですね。
ありがとう。
こどもたちが
たくさんいたけど
皆にもいつか
内藤選手のように
「僕だからこそできること」を
見つけて欲しいなあ。
石森さんだったのですね。
来客とお話しながら ちっちゃいテレビでチラチラ見ていましたが
最後のインタビューの声が ラジオから伺う声ににていたのでね
「ロマンチック・・・」の歌も あの日以来頭の中をグルグル回っております
おなごもロマンを掴みたい!
嬉しいなあ。
戦いを終えたばかりの世界チャンピオンに
リングの上でインタビューした経験は
僕の宝物になりました。