石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

Starting Over

2007-03-30 | Weblog
きょう、文化放送のラジオ番組
「吉田照美のやる気まんまん」が20年の歴史に幕を下ろした。

僕は浜松の出身で少年時代はSBSを聴いて過ごした。
もともと静岡県から中京地区はラジオが人気の地域で
カリスマ的なローカルDJがたくさんいる。
東京のタレントでありながら、おそらく静岡でのほうが人気のあるかたもいた。

SBSではネット局の関係で、
東京の深夜放送はオールナイトニッポンぐらいしか聞けないが
文化放送の青春キャンパスなどは箱番組として聴くことができたので
文化放送のアナウンサーや出演者のことは好きだった。

文化放送に親しんだのは上京してからだ。
上京してすぐ、めぞん一刻(ただし美人の管理人さんなし)を地で行くような
木造2階建て、一間の下宿アパートに暮らした。
当時はまだ浪人だったのでTVも買わずエアコンもなかったが
ラジカセだけは、つけっぱなし。
昼は小倉智明さんの番組、夜は照美さんの「てるてるワイド」。
葉書を書いて送るようなタイプでもマニア的なファンでもなかったが
生活の一部になっていた。(後に引っ越すが)

予備校は特別なコースにいたから
夜遅くに、下宿に帰ってもその夜は話す人がいなかったし
一足先に大学に進学した先輩に失恋しても
「いつもの声」たちが少しだけ救ってくれた。

大学に入って、悪友がたくさんできて
いつもツルんでいてもいても、ラジオは手放せなかった。
その頃、しばらくして「やるまん」が始まる。
また照美さんに「逢えるんだ」

僕の父親は車の開発者で、その関連で
卒業間際に小さな車を一つ買った。
アルバイトの行きかえり、
横浜への行きかえりに車の中でよく聴いた。
一人で笑ったり歌ったりしていたから
まわりは相当不気味だったに違いない。
時にはガールフレンドを助手席に乗せ、
小俣さんのぼけっぷりと
照美さんの力の抜けた突っ込みに2人で大笑いした。

おにゃんこクラブや、とんねるずが大人気のころで
他局はタレントがDJをすることが多かった。
バブル真っ只中で浮かれた内輪受けの番組が多くなったが、
それは「業界人」がもてはやされたためで業界用語も流行した。

・・・しかしそんな中でも
文化放送はアナウンサー自身がキャラを持っていて
しかもとても「家族的」な感じがした。

FM-GUNNMAで
憧れのアナウンサーになることが決まり、
なんと正式な入社前から担当番組も決まる。
あんな楽しい番組ができるかな?

わずかな荷物を積んで
あの小さな車で関越に乗った。
そうだ!(これ書いていて思い出したけど)
あの日も「やるまん」を聴きながら走っていたんだ。

そのとき、僕は気付いてしまった。
前橋に近づくほどにノイズが混じっていき、
照美さんや小俣さんの声が遠ざかっていくことを。
料金所を過ぎて白い山々が見えた頃には
ほとんど聴こえなくなっていた。愕然とした気持ちになった。

でも、そんなことも言ってられないほど忙しい日々が始まる。
覚えなきゃいけないことは山ほどあるし
アマチュアでやってたころはハジケタしゃべりで
生意気にもファンもいたが、
新人として訓練を受けているうちになんだか萎縮してしまい、
どんどんカタにはまっていく。

一番怖かったのは自分のしゃべりが、徐々に
「自分でなくてもよいしゃべり」になることだった。
ステレオタイプのまじめキャラだ。
僕は「後退している」と悩んだ。
しかし、それはリスナーの葉書が救ってくれた。

アホでHな葉書に時には乗って、時には突き放し答えているうちに
本性を出すことができるようになった。
一緒に組んだ先輩女子アナが、これまた突っ込みキャラで
思う存分ボケられた。
一時80キロぐらい体重があったのでコンプレックスも利用した。

やがてリスナーに可愛がってもらう新人時代を過ぎて
自分で番組をある程度作らせてもらえるようになる。
リスナーもたくさん応援してくれていたので
結果がでれば文句をいう人はいなかった。

文化放送では
「梶原しげるの本気でドンドン」という番組が始まり
(なぜか受信しやすくなっていた)
ひとつのニュースを
生放送中によってたかって取材するスタイルに衝撃を受けた。
これそラジオだ!
しかしこれは在京局で、スタッフが大勢いないとできない。
悔しくて(笑)負けたくなかった。
キー局の人は全く意識して無いだろうが
関東の地方局のエリアはキー局のそれとかぶっており
聴取率でも比べられるのだ。

ローカルを逆手にとって攻撃型の番組を作った。
自ら取材していろんな謎を追及する一方、
中央に負けない情報の速さを競った。
東京からゲストを呼ぶたび、その内容に驚かれた。

このころになると、後輩女子アナをアシスタントに迎えるようになる。
この女子アナは純真なのに(←少なくともこのころは)物怖じせず
いじられても「かわいそう」な感じというよりも
「自分でうけて笑いが止まらなくなる」へんなやつだった。

そこで僕の番組ではアシスタントという概念を捨ててもらい
ダブルプロデューサーぐらいの気持ちでやってくれと言い、
毎日の番組に全力を注いだ。
民放連から賞をいただいたこともあったが、受賞自体よりも
遠藤泰子さんや井筒監督から、
この「2人の掛け合いの面白さ」を評価してもらえたことが嬉しかった。
今から思えば、このスタイルは
照美さんと小俣さんのありかたに大いに影響されたのかもしれない。

やがて後輩女子アナは、なんと文化放送に移籍し
なんとなんと「本気でドンドン」でも活躍する。
僕はその1年後にフリーランスになり、TFMなどを経て
今も文化放送にお世話になっている。不思議な縁だ。
あの梶原さんの番組にもレギュラーで出させていただき
今でもばったり会うと「いしもりくーん、何してんのー?」と
気さくに話してくださる。

それからも社員のかたがたに感謝にたえないぐらいよくしていただき
ニュースのレポートなどで時々は「やるまん」に出させていただいた。
もっとも照美さんは僕の顔は「なんかよく見かける奴」と思っていても
名前と結びついていないだろう。

来週から照美さんは朝6時から新番組「ソコダイジナトコ」を始められる。
(http://www.joqr.co.jp/soko/←参考)
僕も毎週水曜日の朝「朝いち情報デリバリー」のコーナーなどで
番組中、照美さんとお話することになるが、今ちょっとドキドキしてる。

※なお、文中の後輩女子アナ「鈴木純子」アナも
その前の時間の番組「笑顔でおは天」の水から金のパーソナリティとなります。
これ、「ドンドン」の名プロデューサーさんの渾身の番組であり
やはりドンドンのアシスタンとだった伊藤佳子アナが
月、火のパーソナリティ。
夜明け前後は、この時間に働いているかたや
病気などで戦っている人には、
もしかしたら深夜よりも淋しい時間だけど
彼女らの優しい語りと、たくさんの町の人の声が流れます。
きっと生活の一部になるでしょう。
こちらも是非聴いてね。http://www.joqr.co.jp/new0704/

悲しみのマジシャン。

2007-03-30 | Weblog
最近、自転車に乗ってる。時々、押して歩く。
観光地ではなく、漁村でもない海岸の町。

係留されたヨットやクルーザーが波に揺れてる横に
申し訳程度の遊歩道があって、
そこを僕と、愛車「ほれほれ号」が駆け抜けていく。

ちょっと鈴木英人の絵みたいな風景だが
やや古い庭付きの一軒家が並び
元ニューファミリーの暮らしが海岸線に寄り添っている。

洋館が並ぶのに、なぜか殆どの家に
「信楽焼きのたぬきちゃん」がいる!?などの発見もある。

ここを走るのは「無になれる気持ちよさ」があるからだ。
できればこの時間は誰とも話しをせずにいたい。

しかしそうは言っても、お手洗いには行きたいし
水分補給も必要だ。


しかし、このあたりは住宅ばかりで
スタバやドトールはなく、
でっかい百葉箱のような、白い壁の純喫茶しかない。

漫画「750ライダー」に出てくる
喫茶「ピットイン」みたいな感じ。
「タッチ」なら南ちゃんの実家みたいな感じ。
70年代の香りがプンプンする。

「ホレホレ号」を壁にもたれさせ
きしむ階段を上がっていく。

ほかに客はいないようだ、
好都合。

お手洗いを貸していただき、
一杯だけお茶を飲んで
すぐに出よう。


・・・と思ったときに、
妙な張りが目に入った。



「わお!マスターがあなたのテーブルで
マジックを披露します!」


いやじゃ。
・・・ひとりにして。

プラス!

2007-03-29 | Weblog
きょうは文化放送「吉田たかよしプラス」にレギュラー出演する
最後の日だった。

この番組の中の「特集プラス」で、
毎週水曜日に様々なテーマでしゃべってきたが
かなり自由にいろんなことをいろんなやりかたでやらせていただいた。
自分にとっても多くの出会いがあり、
また表現の仕方も広がった。

元アナウンサーで現在医師の「たかよし」さんは、
かなり個性的な喋り方をするかただ。
最初はとまどったかたもいるかもしれない。

でも、おそらくもう二度と現れない人材だ。

何がすごいって「相手の話を聴く能力」がすごい。
番組中、会話をしていても
「そこ大事なとこ!」ってところで、純粋に驚いてくださるし
時には僕も気がつかなかった視点で質問を返してくる。
本当によい喋り手というのは相手の話を上手に聴ける人で、
それはおそらく、医者にも言える。

また、たかよしさんは難しい言葉を使わずに
難しいことを伝える能力もすばらしい。
お年寄りや子供の患者にもそうしているのだろう。
これは僕らも学ばなければならない。

脳トレブームに便乗し、いろんな研究者が
いろんなことを言っているが
たかよしさんが他の学者と違うのは
リスナーや患者の立場で話していることだ。
簡単にいうと、思いやりが常に根底にある。

先日、この番組に関わった出演者や歴代スタッフで打ち上げを行ったが
会場は文化放送の故郷、四谷の店が選ばれた。
これは番組開始時に、
皆で親睦を深めた店だ。
メニューもほぼ同じだった。

いつもはそんなに飲まないたかよしさんは、
いつになく酔っ払い、
僕も一緒にふざけていてメガネを壊した。

番組が終わる寂しさからではなく
出席した面々を見て
多くのスタッフが心をひとつにしてきたことを
感じられたのだと思う。

打ち上げがお開きになり
ひとあしさきに会場を出た歴代ディレクターと僕は
夜空を見上げ、一緒にガードレールにもたれた。

今は営業で活躍されているディレクターのひとりが

「やっぱり四谷は空気がやわらかいや」とつぶやいた。

みんなうなづき、明日を思った。


番組はまもなく終わるが
誰も最後まで手は抜かない。

またいつか一緒にやろうぜ、と
誰かの声が聴こえた。





※たかよしさんの声は4月以降も
朝の新番組の中で聞くことができる。

この声は!?

2007-03-26 | Weblog
僕はラジオの仕事を25のときからやっているが
高校時代から静岡や中京地区の音楽番組に
出演者として出たりしていた。

また、8年前からは
(たまに)TVなどの仕事もしているので
メディアで声が流れることには慣れている。

殆どの場合は
「いつ収録した、いつ放送される」ということを
知っている。

だけど、不意打ちで
自分の声が流れてくると
びっくりするな。

さっき「報道ステーション」見てたら
囲み取材で当事者に質問している自分の声が
流れてきた。
・・・2センチ飛び上がり
まわりを見渡した(なぜ?)





何度か書いているけど
初めて住んだ東京、高田馬場から
西武新宿線に乗って取材にいったのだが
車窓を流れる町並みが懐かしかった。
そういえばビリヤード友達が住んでいたなあなんて。
あいつどうしてんだろう。

冗談でデスクに
「遠いっす!」と言ってはみたが
本当は行かせていただいて
嬉しかったのであった。

おぴまい。

夢伝説~スターダストレビュー6時間ライブによせて~

2007-03-22 | Weblog
僕がド新人の頃、
普段めったに叱ることのない先輩アナウンサーに
叱られたことがある。

いきなり朝の番組のメインをはることになったものの
右も左もわからず、自信を失いかけていた。
そんなときふと
「こんなんでアナウンサーって名乗っていいのかな」
とつぶやいてしまった。

温厚な先輩が初めて怒った。
「二度とその言葉は口にするなよ。
ダイヤルを合わせてくれた人にとっては
新人もベテランもないんだ。
番組を背負っていくんだから
胸をはって精一杯、しゃべれよな」

そして、にっこり笑った。

あれから15年。
今年、僕は、


・・・天才バカボンのパパと同い年になる。

あいかわらず夢には手が届きそうで届かないが
優しいひとたちに恵まれて、この仕事を続けられる。
「自分なりの番組を届けたい」という夢は追い続けるが
こうして続けていられることこそが、
まず幸せだとも思うようになった。

夢はおそらく、持った時点で9割がた叶っている。
しかし、その夢を信じ続けることが難しいのだ。
そう簡単には思うようにならないし、理不尽な目にもあう。
「生活」が無邪気さを許してくれないこともある。
「続けていくこと」の大切さを身にしみて感じる。

・・・でも、決して不可能じゃない。

25年以上も「夢を追い続けてきた」
素敵な先輩たちがいる。

スターダスト・レビュー
25年に一度の大感謝祭として、
なんと
「6時間ライブ おやつ付き」(笑)を開催する。
ご存知、根本要さんの歌もすばらしいが、
例の長―いおもしろトークもあってあっというまかも。

このライブはサービス精神旺盛な
「スタレビの集大成」であると言えよう。
タイトルにもあるように「おやつ」がついていることのほか、
料金に「子ども枠(20歳まで)」があり、未就学児が無料。
・・・そう、25年もやっていると
ファンもともに成長し、子連れや年配のかたも多いのだ。
小さい子がいて音楽が楽しめないという若い親が多い中、
優しい配慮である。

しかも普通は禁じられる
「自分の席での録音、録画、写真撮影」が可能なのである。
これはファン層が「大人」で
「良識ある人」が多いスタレビならではの試みだ。

あと、メンバーは埼玉出身で、たびたびそれを歌にしており
「さいたま物産展」を同時開催(笑)
いいわー。

ちなみに2001年にはヤマハリゾートつま恋にて
「100曲+1曲ライブ~日本全国味めぐり~お食事券付」
と題し、
お弁当付きのコンサートを開催している。

おりしも新曲「WAKE UP MY HEART」が
リリースになったばかり。

この春先、やーなことがあったチミも、落ち込んでるチミも
祭りじゃ、祭りじゃーっ!


参考:
2007年5月19日(土)
さいたまスーパーアリーナ
開場:11時30分/開演:13時/19時終演予定
◆チケット料金一般(全席指定):9,800円(税込み)
子供(全席指定):4,900円(税込み/小学生~20歳未満)
一般発売日2007年3月31日(土)

収録席は発売日が異なったりするので詳しくはこちら
http://www.s-d-r.jp/event/index.html




愛という名のもとに。

2007-03-19 | Weblog
彼女が僕の家に来たのは
僕が中学のときだった。

名前は「シェーン」





愛猫「レオ」を亡くして
淋しかった僕の家に来た最初で最後の犬だ。
彼女はシェルティで20年近く生きた。
僕が久しぶりに家に帰って
真っ先に迎えにきてくれるのは
「シェーン」だった。

彼女が家にきたばかりのときに
僕は嬉しくて名前を考えようとした。

しかし悩みあぐね、
「ちぽ」ってのを考えたのだが
全く相手にされず
少年時代に犬を飼っていたという父親が
半ば強引に「シェーン」と名づけた。

なんで「シェーン」なんだ?

父親は「映画の西部劇でシェーンってあるだろ?」
と言ったが、
そんなに西部劇が好きだとは聞いたことがない。
そもそも女の子なのに・・・・

「あとな、ドイツ語で愛を意味するのだ。」
・・・なるほど。

父親は車の開発者で、
僕の子供時代,
ある時期ドイツで過ごし、
大きな影響を受けた。
それならわかる。

そのシェーンも今はいない。

僕の心の中で甘え、励ましてくれる。
「愛」という名前にふさわしく。

しかし。

文化放送で、
なぎらさんが話しているのを聞いて、
ある疑惑が浮かんだ。

なぎらさん:
「シェーンは、少年ジェットが飼っていた犬だろ?」




・・・それか!?


参考:雑誌『ぼくら』に連載された昔の漫画。
名探偵舟越宏の助手である少年ジェットこと北村健は、
愛犬シェーンとともに
怪盗ブラックデビルをはじめとする悪人たちに立ち向う。
ジェットの必殺武器はミラクルボイス。
「ウーヤーター!」の掛け声が超振動波となり、
敵を粉砕する。1959年にドラマ化されている。

築地 おんまいまいんど。

2007-03-15 | Weblog
久しぶりの築地。

場外市場
(プロの市場の近くに位置し新鮮な魚などを誰でも買える)で
4月から始まる番組のために
「街頭インタビュー」をしに行ったのだ。
朝8時から取材開始。
数十件は回ったが、
アポなしなのに皆快く楽しく取材を受けてくださった。

「兄ちゃんさ、
ここで威勢のいい売り声を期待してもだめだぜ。
あれはアメ横のイメージさ。
築地じゃ、叫ぶんじゃなく、
お客さんとの粋な対話で、本物を売っていくのさ」

「うちの料理には、こだわりがあるって?
こだわりじゃねえんだよ。
プロとして、これが当たりめえなんだよ」

「うちが初めてまぐろ丼を出したのよ」という
スタンド式の店は
最初に取材に答えてくださった。

昼飯(早いけど)はそこに決めた。
メニューは「まぐろ丼一品のみ!」創業うん十年・・・
ずっしりと重いどんぶり。何もかけなくても味がついていて、
何層にも重なった赤身は咲き誇る薔薇のよう。
これで800円(安!)

「うまっ!?」

スタンドでみんながおかみさんに話しかける。

「なあ、築地が豊洲に移転する計画があるんだろ?
この店もいっちまうのかい?築地が便利なのになあ。
銀座も近いし歴史もあるのに」

・・・するとおかみさんは
「どこにもいきゃしない。あたしたちはここに残るよ」



そう、
場外市場だけは、ここに残るとして横断幕もかかげ
周知をはかろうとしている。

「なんで豊洲になんて移転するんだろうねえ」
「知事が視察に来たときにね、汚いって言ったのよ」

市場の敷地は手狭でトラックの駐車スペースなどが少なく、
深夜早朝時には近くの道にトラックの違法駐車が並ぶ。
施設の老朽化が進んでいることが理由とされているが
確かに古くはある。

しかし公に「汚い!」という「言い方」はないだろう。

築地は東京の台所と言われるが、そこでこさえてきたのは
江戸から続く東京文化だ。敬意を持ってもらいたい。

少なくとも築地は美しい。
上質なルビーのようなまぐろ、青光りする銀色の背中、
菜の花のような色の卵焼き・・・
まるで命の祭典だ。

知事は対立候補に「江戸っ子むきじゃない」と言ったが
神戸生まれの知事こそ
築地の中に江戸を見ることはできなかったのだろうか。




怪奇大作戦セカンドファイルの収録へいっただよ。

2007-03-09 | Weblog
きょう、
ドラマ「怪奇大作戦セカンドファイル」の収録に行ってきた。
(NHK-BShi、4月2日から月曜夜10時
GWにBS2で旧作14話+3話で再放送の予定
※前回のブログにこの作品の記述があるが、その時点で出演は未定だった)

僕の役は、
「そーとー注意して見てないとわからん」とは思うが
あんまり注意して見てると
ストーリーがわからなくなるといけないので
ご注意・・・。(笑)

そこで前からお会いしたかった人に会えた。
このドラマの監督の清水崇さんだ。

2002年にはビデオ版「呪怨」を映画化して大ヒット。
翌年には「呪怨2」も映画化して大ヒットした。
それだけではなく2004年には自らの手で
「呪怨」のハリウッド・リメイク版を製作して、
日本人監督の実写としては初の
全米興行成績No.1を獲得したのだ。

今回のドラマは3つのストーリーを一日づつ放送するが
いずれのストーリーも、若手ビッグネームが起用されていて
初回が清水監督なのである。

その作品のイメージから、
僕は、かなり厳しい監督というイメージを持っていた。
ミスると「呪われるかも?」なんつって。

でも、ちょっと親しみも感じていた。それには理由がある。

「監督の清水です。よろしくおねがいします」
振り返った監督は、
顔いっぱいの髭のなかの人懐っこそうな目で
丁寧に挨拶してくださった。
「石森です。宜しくお願いします。
扇愛奈さん(のお父上)からお話はかねがね。
監督によろしくとのことでした。」
「おおっ!?なんでですか?同じ事務所?」

・・・違います。
扇愛奈さんは今、僕のもっとも注目している
女性ロックミュージシャンだが
http://www.ougiaina.jp/(←音がでるから注意)
清水監督の「輪廻」という作品に
主題歌として採用されているのだ。
その「輪廻」という曲は清水監督のオーダーで作られたもの。
愛奈さんは最初別の曲を用意したが
監督の要望でもう一曲書き、それが採用された。
(名曲なので是非聴くべし)
でだね、愛奈さんのお父さんは
僕が学生時代と浪人時代によく聴いていたDJであり
現在は文化放送の報道部で事件などを追う記者達のキャップ。(かっけー)
僕はそこで記者をしている関係で、
清水監督の話を間接的に伺っていたのだ。
デモテープもキャップの車で聴かせていただいてしびれた。
そこでキャップに
「清水監督にあす、お会いします」と言ったら
「本当にいい人、本人も主題歌は始めてで勉強になった。
よろしく言っておいて」と言われていたのである。

・・・ってなことを監督に言うと、
「ご縁があるもんですねえ」と感慨深げであった。

しかし「ご縁」はこれに止まらない。
「実は、僕
FMぐんまのアナウンサーだったんです」というと
「ほおっ!」という監督。

監督は1972年 7月27日生まれ。群馬県前橋市出身。
'95、小栗康平監督の「眠る男」に
見習いスタッフ(小道具)として参加し
これを機に上京したのだ。
フリーの助監督として
数十本のテレビドラマやVシネマに参加し
そのあとの活躍は周知のとおり。

僕は当時パーソナリティー兼記者であり、
この「眠る男」をたっぷり取材し紹介した。
製作費の全額を税でまかなうという
日本では前例のない取り組みで県民みんなで作った。

ロケは群馬、役所広司、安聖基、
クリスティン・ハキムさんらがキャストだが
エキストラなどは県民が演じた映画だったのだ。
「あのときに監督がいらしゃったんですねえ」なんて話をし
「最近FM群馬からも
取材のオファーがあったんだよお」なんて
えらくローカルな話をした。

同時期にあの町で夢を追い、そして成功しつつ
なお世界で活躍する監督を誇りに思う、
と伝えてエールを贈った。

収録スタジオは
高田馬場近くにある。
上京した僕にとって
「初めて住んだ東京」だ。
夢について想いながら
町並みを確かめるように帰路についた。


いつか監督と
仕事以外でもゆっくり話をしたいな。
・・・あ、仕事大歓迎ですけど。


大作戦!といえば?

2007-03-06 | Weblog
今回は「大作戦」の話である。
「スパイ」でも
「プロポーズ」でもない。
・・・では、まいる。

きょう(3月5日)の夕刊を見て「おおっ」と思った方もいるかも。
あの円谷プロの「名作」が来月復活するという。

円谷プロといえば真っ先に浮かぶのが「ウルトラマン」かもね。
「1966年」
この年はビートルズが日本にやってきて
光の国からウルトラマンが日本にやってきて(放映開始)
いしもりちゃんが日本でお生まれになった衝撃的な年だったのでR。(古!)

社会派、人間ドラマが好きな方には「ウルトラセブン」!
そのあとは「帰ってきたウルトラマン」!
・・・しかしその間にもう1作品、名作がある。

68年から放映されていた「怪奇大作戦」だ。
このドラマにはでっけえ怪獣は登場しない。
(帰ってきたウルトラマンはもっとあと)
警察の手に負えない怪事件に特殊科学捜査研究所(SRI)が
科学の力で挑んでいく。
特撮はもちろん、その人間ドラマやストーリーの面白さで
今でも人気のある作品だ。しぶいぜ。

来月放送されるのは「リメイク」とは違う。
映像美で知られる実相寺昭雄(故人)監督の構成による「新作」(!)
「怪奇大作戦セカンドファイル」(全3作)と題されたこの作品
ぼくちんがしびれるのは監督陣。新聞見てびっくりだ。

まず第一話が清水崇監督によるものだが
この清水監督、あの「呪怨」の監督である。・・・こわそう。
このブログでも登場する扇愛奈ちゃんは
監督の作品「輪廻」でテーマ曲担当に起用されている。
愛奈ちゃんのご尊父様(リスペクトしてます)に
エピソードは伺っているが・・・それはまたいつか。
仕事への情熱に感じるものがあった。

第2話はあの実相寺監督の「弟子」北浦嗣巳監督。
平成ウルトラシリーズには特技監督として参加し、
「ウルトラマンティガ」以降、本編の演出をされているかただ。
合成では、ファンをうならせる技を持っているかただが、
時に意表をつくテンポのよいストーリーで人気である。
「ダイナ」ではゲスト出演されているそうだが、どんな方なんだろう?
第3話は、こんどは「リング」の中田秀夫監督である。
ご存知のように『リング』はアメリカででリメイクされたが
続編である『ザ・リング2』では中田監督自身が担当している。
・・・なんか贅沢すぎて眩暈がする。

さて、
先日見た007の最新作、誰が何といおうと面白かった!&かっちょよかった。
この時代ならではのリアリティと荒唐無稽さが
絶妙なバランスだったからだ。
今回もそんな作品だったらいいな。

NHKのBSハイビジョンで4月2日から毎週月曜日。
そのあと30日からBS2でやるってさ。楽しみ楽しみ。

バードランドに帰りたい⑥

2007-03-05 | Weblog
きょう、20年以上ぶりに
最初で最後の「ライブ」は行われた。

きょう、結婚式をあげられたキーボードの原田先輩の一声で
17歳の頃に組んでいたバンドのメンバーが
全国から奇跡の再結成を果たしたのだ。
(過去の「バードランドに帰りたい」参照)

先月に1日だけ故郷に終結して、
練習したとき以来で
きょうも1回も音を合わせないまま本番に挑んだ。

自分的には
ライトに当たっていたベースのチューニングが若干甘く
またちょっとミスったところもあったけど(あいすいません)
それも含めて楽しかった。

お客さんも「もう一度聞きたい」とか、
当時を知っているかたは「懐かしい」とか。
喜んでいただけたようだった。
口ずさんでくださるかたもいたし
幼い子や年配のかたも「ノッて」いた。

披露宴は穏やかに進んだ。
司会も担当させていただいたが、
優しい人たちに囲まれた、いい式だったと思う。

そして来賓が皆、いなくなった会場の片隅で










僕らは、また別れた。



約束も無しに。



ぽっかり胸に穴が開いたみたいだ。
「あの曲難しいよお!」
「本当に今でもできるのかよお!」
「仕事が忙しくて練習できないよ!」
・・・なんて言いながらのこの数ヶ月、


ああ、僕はこんなにも
楽しみにしていたのか。

これがもし、
皆が「変わっていてしまっていた」のなら
ただの余興で終わっていたのかもしれない。

でも僕らは、
互いが驚くほど「あの頃のまま」で
練習の時だって、きょうだって
決して懐かしいとかじゃなくて
本当に夏休みや放課後に練習した、
あのスタジオにいるみたいだった。

これまで、いろんなことがあった人生のほうが
夢だったんじゃないかと思うぐらいに。

でも、そんなわきゃない、本当は。
メンバーみんながそれぞれの人生で、今だって戦っている。
別れ際に交わした言葉は
「あの頃のような悪ふざけ」じゃなかった。
心からのエールだったもの。

重いベースを背負ってヨロヨロ自転車で帰ったあの頃と違い
僕は深夜の246でアクセルを踏んでいた。
スピードをあげるたび、
自分の背中から、
バリバリと何かが引き剥がされていくみたいだ。

ああ、あの頃は生意気で反抗的で、
早く自由になりたかったけど
僕らは、どうしようもなく「守られて」いた。
今もメンバーの原田さんや、
りょーすけさんや、田中さんや
僕自身の笑い声が耳に残る。


放送業界で働く僕の仕事はまた、この4月に激変しそうだ。
今からやらなくてはいけないことや
心構えを新たにすべきこともたくさんある。
でも夢が叶うなら、ちょっとやそっとの消耗も厭わない。

・・・だけど。
そんな中でふらりと姿を見せた、この不思議な「過去」は
なぜ僕の前に現れたのだろう?
「初心に帰れ」っつーには「帰りすぎ」だ(笑)


自分に厳しくしなければいけないこの時期に
なぜ優しい夢を見せたのか?


やっぱ
わかんないや。でも

あしたから、また頑張るから
今夜だけもう少し
この夢をみていてもいいかな。