石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

WAKE UP! MY HEART~スターダストレビューの新譜だぜ!

2007-02-26 | Weblog
スターダストレビューがまもなく新譜をリリース!
「WAKE UP! MY HEART」が3月21日に発売になる!
一足お先に聴きました!ええど!ええど!

(テイチクエンタテインメント・インペリアルレコードTECI-114)

初回限定盤の「未発表ライブフォト掲載ブックレット」はいいとして、
誰でも弾ける「WAKE UP! MY HEART」実写タブ譜・イントロ編もついてるって。
どうしても僕にギターを弾かせたいらしいですな。
(そうなん?
・・・それより自分のライブ前なのに、ベースの練習が忙しくてできんぞ?)

これ、作詞に吉元由実さんを迎えた、女性への応援ソングなのだけど
「おいっちにおいっちに、がんばろーねん」調の応援歌ではない。

応援ソングといってもコードはマイナーで、挑むように前に歌が出てくる!
要さんの乾いたアコギのスピード感たるや!かっちょいい!

背中をぐうっと押してくれるような曲。
向かい風に髪をなびかせて一歩を踏み出そうという、そんな女性の姿が浮かぶ。
特に家庭や職場で仕事をしている女性に聴いて欲しい1曲だ。
苦い想いを何度重ねても「もう、どうせこんなもんだ」なんて思わず、
恋に仕事に「わくわくしようぜ!」と・・・。

スターダストレビューの歌の中には「女性の一人称」の名曲も多いのだけれど
この曲もその中に入っていくことは間違いない。

5月19日(土)には、さいたまスーパーアリーナで
25周年記念 スペシャル・ライブ
「25年に一度の大感謝祭 6時間ライブ おやつつき」も控えているが
このときにライブで聴けるかもよ。

K-1宮本正明選手の試合に燃えろ!

2007-02-23 | Weblog
つーわけで、友人でもあり
一緒に番組でパーソナリティやってた
宮本正明選手の試合が
yahoo動画で見られます。

http://streaming.yahoo.co.jp/special/sports/k-1/

「K-1 GRAND PRIX'96」 決勝戦ではアイアン・ロニーと、
「K-1 STAR WARS'96」ではスタン・ザ・マン戦っています。

本当は対アンディ・フグ戦や
対ラス・ホワイト戦などの
感動的な宮本選手の試合も
UPしてほしいところなんですけど。

でも懐かしい試合が見られて
元気でました。
自分のリングで戦おう!

東京で開催されるK-1の試合を見まくった僕にとっては
このサイト、
K-1のベストバウト満載で嬉しい悲鳴!

見る時間がありましぇん。


どら焼物語。

2007-02-14 | Weblog
ある取材で、懐かしい2つの街へ行った。
ひとつは浪人時代から学生時代にかけて住んだ板橋区大山。
もうひとつは「おばあちゃんの原宿」こと巣鴨。
久しぶりの街頭インタビューだ。

特に今回は割りとテーマに制約が少ないので
いろんなかたの素顔が見えるような取材にしたくて
しばらく会話をするなかで自然にインタビューに導入していった。

板橋では商店街をまわるのではなく、古くから営業をしている
個性豊かなお店を回り、そのお店のかたに
「おもしろい人、素敵な人いない?」と聞いて次へ行く作戦に出た。
オンエア前なので内容は「ひみちゅ」だが楽しかったなあ。
学生時代にこの街で過ごしたといったら皆優しくむかえてくれた。
「やさしき頑固店主」ばかりなのだ。

総じて言えるのは「安いものを量販店で買うのもいいけど、時には本物に触れなさい」ということをおっしゃるかたが多かった。
「ものを大切にすること、ものを愛すること、ひいては本物を選んでいるという矜持は心に芯を持たせるんだ」という主旨のことを
おっしゃるのだ。
「いいものを買いなさい」と。
ある紳士服店のおやじさんは店の奥でこう言い放つ。
「今のお客には言いたいことばかりだよ」
プロですねえと関心していると
少し恥ずかしそうに「まあ、やせがまんだな」と笑った。
かなり前から置いてあると思われるクラッシクなスーツは
それでも埃ひとつなかった。
僕以外にお客はいなかったけど(あ、僕も客じゃないや)
きっと、きょうもあの誇り高い顔で
店の奥に座っているだろう。




そのあと巣鴨に向かったのだが
少々板橋で時間がかかってしまい、夕方5時近くになってしまった。
まあ、おばあちゃんがた夕方の買い物でもしてるべやと思ったのに
・・・巣鴨の夜は早い。
まばら。

それでも取材を始めると
歩いているのは元気なお年寄りばかり、
趣味、スポーツなどいくつもやっているかたがザラにいて
若者なんかよりよっぽど行動的だ。

何人か取材していると、
ある小柄なおばあさんはちょっと恥ずかしがって答えない。
何度か話しやすい用に質問を変えるが、やっぱ無理。
僕が「歩いている方に不躾にマイクを出すほうが悪いんです。
足をとめてくださってありがとう。お気をつけて」というと
少女のように微笑んだ。

そろそろ帰るか?いや当初の目標より少ないしなあ、と
迷っていると「ちょっと」と声がする。
ん?とふりかえると誰もいない。
「ちょっと」と下から声がするので見ると、あ、
さっきのおばあさん。

「これたべな」
あ、どら焼だ。
僕は長いこと取材をしているが原則として
取材対象からいっさいものをもらわない。
「結構ですよ、申し訳ない」というと
「いいのよ、あんたがんばってるからあげる」

そう言って僕の手に大きな「どら焼」をねじこむようにして
手を振って去っていった。
「買ってきてくれたんだ」

僕はまばらに流れる人の波のなかで
右手にマイク、左手に「どら焼」を持って立っていたが
食べる前なのに「胸がいっぱい」になって
そのままかじりついた。


よし、もう少しがんばろう。
そう思ってその商店街のパン屋さんにインタビューしにいくと
表で安売りをしていたおばちゃんも
笑い上戸な上に恥ずかしがりで、笑って取材にならん。
でも、おいしいパンのつくりかたを聞くと
口調がまじめになり
「お客さんの喜ぶ顔を思って心をこめること」という。
朝、4時にはもう仕込みをしているんだって。
冬はなかなか釜が「吹かない」し
夏は「吹きすぎ」てしまうし季節によって苦労があるそうだ。
「男の人は朝ご飯はお米でしょ?」と笑うので
「僕は時々、フランスパンを齧るよ」というと
いっそう笑って
「巣鴨じゃあフランスパンは売れないよ」
そうかあ、おばあちゃんたちには硬いものなあ。
その後は、おばちゃんの笑いのスイッチが入ってしまい
結局そのままだったのだが
おばちゃん、店の奥に入っていって
「カレーパン」と「あんぱん」と
コーヒーを持ってきた。

「うちのあんこはね、本物なの。
丁寧に丁寧に作っているの。
これ、あんこがはみ出したやつだけど
本物だから食べて?」
もちろん3度は遠慮したが
その、わくわくした笑顔を見てたら
板橋の紳士服店のおやじさんの
「本物を知りな」という顔と重なった。

僕が巣鴨のお地蔵さんの見えるところに座り
ちょっと、(どら焼で)おなかいっぱいだったが
胸にしみるような懐かしい味に
かぶりついたんだい。

バードランドに帰りたい⑤

2007-02-12 | Weblog
僕のフェンダーのジャズベースが
20年ぶりに外気に触れた。

上京して何年かすぎた頃、
故郷とも音楽仲間とも離れ、
「東京の人」になっていく暮らしの中で見つけた。

池袋の楽器店の奥から
「呼ばれた」気がしたのだ。


16、17歳の僕が、遠い背中を追いかけたベーシスト
「ジャコ=パストリアス」と同様の
フレットレス・モデルが、店の一番奥で輝いていた。

ちょっと無理して買ったんだ。
バンドももうないのに。

それから、すっごく、すっごく、いろーんなことがあって、
大学卒業して放送局に入って、で、フリーになって
人生を変える人々に、出会って分かれて、また出会い(笑)
「あの頃の僕」から、すっげー遠く離れたつもりでいた。
せっかく買ったベースも殆ど弾くことはなくなっていた。

そんな日々の中で、キーボードの原田先輩の結婚をきっかけに
ただ一度だけバンドが復活した。
全国に散らばったメンバーが、本番にむけ
ただ一度だけの練習に向かう朝
高速を飛ばす原田先輩の車の中で僕は不安だった。

スタジオは4時間分借りているが、
その間に人に聴かせられる演奏にできるのか、いや
そもそも音が合うのか?なにしろ20年以上が過ぎているのだ。

ドラムスの「田中先輩」は今や大学教授。
お忙しくて練習する暇もないだろう。

サックスの「りょーすけ」さんは
高校の頃は興に乗ると「ぴょんぴょんうさぎ」という
「謎の舞踏」を披露して皆をトランス状態に導いてくださったものだが
さっきの電話は後輩に接するというより、
「きちんとした責任のある社会人(そうだけど)」の会話に思えた。

譜面を追うことができたとしても
あの頃のように「呼吸」を合わせることができるかどうか。

そうこうしているうちに
石森と原田先輩だけ先にスタジオに到着。
メシを食ったあと楽器を搬入する。

先に音を合わせていると重い扉が開いた。
・・・懐かしい声がする。
「なんだよ!着いてたのか。
外で待っていたのに、電話してもつながらないし」
僕らは携帯を車に置いてきてしまったのだ。
あのころはケイタイなんて無かったぞ。

なんと外見は皆、殆ど変わっていない。
(微妙に老けたけど)
とりあえず合わせてみる。
一応各自で自主練習はしてきた筈だ。
まず1曲めは「バードランド」


おっかなびっくりの演奏が終わる。
・・・皆、なんとも言えない表情だ。
しいて言えば竹中直人さんの芸のひとつ
「笑いながら怒る人」を彷彿とさせる。

「バードランド音頭・・・だな」
「練習以上、余興未満・・・。」
「あの頃、こんなだっけ?」
「もしかしたら、
俺達は、あの頃の演奏を
思い出の中で美化してしまったのかもしれん」
「あの当時の録音を聞いてみたいが
もはやカセットデッキを持っていない」
「・・・うーむ」


そんなん言っててもしゃーないので
そこから、ひたすら反復練習に入る。

2曲目は「夏の思い出」のピアノトリオ(ジャズ)バージョン。
原田さんによれば、当時、ライブで演奏したらしいのだが

まーったく覚えてへんの。

自主練習では難しい「バードランド」ばっかやってたし。
そこで譜面を睨みながら演奏・・・
しかしミストーン連発。
「♭と♯が多すぎるんじゃ!取っちまいたいです。」
「寿司のさびぬきじゃないんだから」

この2曲をひたすら繰り返すが
徐々に曲と曲のインターバルが長くなってきた。

「うー、しんどい」もう17歳の僕らではないのだ。



冬なのに暑く、クーラーフル回転。
「おわ。窓ガラスが真っ白」
「これ。俺達の体が発した湯気か?」
「これ拭いてその雑巾絞ったら、
びちょびちょびちょって汁がでてきたりして」
「おわ!おやじ汁だ」
どうにも例えがきもちわるいのである。

(↑疲労困憊の図)


しかし、何度もやっているうちに
なんとなく演奏が合うようになってきた。

不思議なもので家での練習のときには
譜面をみながら「やっとこさ思い出していた」バードランドが
みんなとあわせた途端に指が勝手に動く。
知らないうちに指が覚えていたのだ。

しかも、長年、音楽を聴いてきたせいか
あの頃には出せなかった「感じ」も、ちょっとは出せる。

何より「せーの」で音を出しただけで
僕らは「17歳の僕ら」に戻れた。

なんの比喩でもなく
言葉を並べて記憶を辿る必要など無かった。
音楽は不思議だ。

17歳の自分から、闇雲に遠くまで走って
どんどん皆から離れてしまった気がしたけれど
同じ時代を「並走していんだ」と当たり前すぎることを思った。

帰りの車の中で、原田さんが
「不思議だな、こうして会うと高校生の俺達に戻るんだな」と
僕の思ったことと同じことをつぶやいたのがおかしかった。

実はこれまでの人生で何度か
「もう一度あのメンバーでバンドをやりたい」と思ったことは、
僕にもあった。

・・・でも荒唐無稽な考えだと自嘲した。

それぞれの暮らし、それぞれの仕事、それぞれの事情。それぞれの悩み。
なんだかんだいっても「僕らは大人になった」んだから。

それが急転直下、突然、実現するなんて。





もう会えないと思っていたんだ。




メールで写真を送ってくださった、りょーすけさんが
その件名に書いたタイトルは





「冬の思い出」だった。