石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

星の休む場所~横浜から~

2006-12-29 | Weblog
横浜ランドマークタワーの展望フロアに登った。

8年もこの街に住んでおり
(学生時代から通っていたし)
中にあるFM横浜や
レストランなどには頻繁に行っていたのに
展望フロアは初めてだった。
・・・これは東京の人が
あまり東京タワーや都庁の展望台に
いかないのとおんなじかも?

日本一高いフロアーから眺めれば
港の灯りと街の灯が渾然となって
空と海が逆転したみたいだ。

根岸のむこうの港湾地区で
オレンジに照らされた無数のクレーン
野毛の、昭和のカオリ残る繁華街は淡い色
そして蜂の巣みたいなビルの窓。

おお、みんな残業か、
ご苦労さま。

・・・などと
全然ロマンチックではないことを
考えていた。

でも、こんなにたくさん
がんばってんだ、と
愛おしく思いつつだ。

もちろんマンションも増えた。
ひとつひとつに生活がある。

誰の帰りを待つ灯りだろう。

(中華街から山下公園にかけての
高層マンション群は
横浜の空を狭くして
ちょっと石ちゃん、おむずかりのご様子)

ひとつひとつの灯りは
昼間の光のなかでは
見えなかったものだ。





闇の中だからこそ
輝きに気づけることがある。












ふっとんだ!

2006-12-27 | Weblog
「吉田たかよしプラス!」
(文化放送、朝6時半~8時半)で
自分の出番を終えて一息ついていたら
オンエアでたかよしさんが

「騒音おばさん、
今でも耳に残っていますね。

ふっとん!ふっとん!って声が」

そうね。
・・・ん?

ちまう。
なにか、ちまう・・・

神原さんもディレクターも誰もつっこまないから不安になったので
作家さんのとこまで行って
石森:「今、たかよしさん、おかしなこと言いませんでした?」
作家さん:「はい。ふとんって・・・」

よかった、自分だけに聞こえたのではなかった。

「ふとん」じゃないよ?
「引越し!引越し」だよ?

ふとん、たたきながら
「ふっとん、ふっとん」って
どんだけ「ふとん」好きなのよ。

たかよしさんに言ったら
「なんか、文字が足りないと思った」

・・・。

ひひーん!

2006-12-19 | Weblog
今年を振り返り、
様々なニュースを象徴する音が聞ける
「ニュース!!さよなら2006」が
来週から文化放送の各ワイド番組で
なんと20種類以上流れます。

これは1本につき1分ほどの長さながら(結構長いけど)
「ああ、これあったあった!」とか
「おおっ!こんな貴重な音があったのか!?」という
出し惜しみしない内容。

自分でも収録しながら驚きの連続だし、
自分たちが取材した音やレポートだから
緊迫した現場が、ありありと蘇ってきました。
今更ながら「音」ってすごいな。



報道部の那須さん(あの本気でドンドンのPDだぞ)が
企画し、音の編集から原稿まで(奇声を発しながら)
書いた渾身の時間!

石森も読み手として1分に全力投球しました!
(原稿も高尾記者とともに書かせてもらったす)
いつ流れるかわからないから(僕にも)
ずっと聞いといて。



あ?まだ時間ある?
じゃあ、もひとつ宣伝していい?

いいの?じゃ。

おほん。

「しゃいきょ」

あ、噛んだ。やり直し。


「最強馬ディープインパクトの引退レースとなる
今年の有馬記念!」

ジャパンカップ快勝の勢いそのままに、
ディープは有終の美を飾ることができるのきゃ!? 
有馬記念は、                 
日本中央競馬会が中山競馬場の芝2500mで施行する
競馬の重賞(GI)競走。

プロ野球のオールスターと同様に、
ファン投票による出走馬の選定のため、
出走メンバーの豪華さや夢のあるレースを目標に創設されたために
「ドリームレース」や「実力日本一を決めるレース」とも。
中央競馬の一年間を締めくくる大一番です。


・・・てなわけで。
何が言いたいかといいませば。

わたすがしゃべっとる競馬のTV番組!
「RIDE ON 22~
SUDADAS」を視てレースの行方を分析し、
(結果は自己責任で、ひとつ。)

番組独自のコーナー、いしもりんの
ハイテンショントークでぶっとばす
「RIDE ON 2×2(にたいに)」の
(馬のタッグマッチ)ゲームで萌えるのだ!

放送は水曜日22時(再放送あり)
グリーンチャンネル!ひひ~ん。
http://www.gch.jrao.ne.jp/

面影

2006-12-19 | Weblog
ある取材で、久しぶりに四谷に行った。
今回の取材現場は
「文化放送旧社屋」の隣りにある。

・・・実は
そこに行くのが怖かった。

僕はいちタレントであり
残念ながら文化放送の社員ではない。

でも、もともとラジオ少年がDJになり
大好きだった文化放送でしゃべるという
夢をかなえてくれたこの社屋に、
自分なりの思い入れがある。
尊敬する人や、大好きな人達とも
ここで出会えた。

また、どんなことがあろうとも
この社屋を見上げて
がんばろうと思ってきた。
正面には玄関口から最上階に続く
大きな十字架のデザイン入りの硝子窓があって
その最上階にはちょっと
ロボットの頭風(?)の意匠がある。
なんだか優しく見下ろしてくいれている気がした。


だから取り壊しが決まってから
その日が来なければいいのにと
内心思っていた。

あの社屋を離れる日には
報道部みんなで記念写真をとったし
誰にもいわなかったけど
携帯の動画ファイルに、
報道部から玄関までの「道程」を保存してある。
今だからいうが、かつて
いろいろと思い悩んだ仮眠室の隅に、
ほんの5ミリほどの字で
名前とお礼を書いた。

・・・今、
どうなっているのだろう?
ディレクターさんに聞いたら
「まわりを囲っていて見えないと思うよ」とのこと。


で、行ってみたら。

真正面だけには
「囲いは無かった」

そこから見ると
ほぼ全体的には原型を留めているのだが
丁度、正面玄関から最上階にある大きな硝子の部分が
そっくり無くなって
それぞれの階の中が丸見えになっている。
お面をはずしたような感じというのか・・・
そのほかの部分はそのままで
見上げれば仮眠室の窓にはカーテンも見えた。
僕は「優しかった顔が無くなった」ことの悲しさと
「ほぼ原型を留めていた安堵感」がないまぜになった。
しかし、それすらも
しばらくすれば姿を消し、
あとにはマンションが建つそうだ。

取材を終えて報道部に帰り
報道部長に話をすると
・・・その答えに驚いた。


「こんどあそこに建てるマンションに

あの正面玄関の大きな硝子の部分が
モニュメントとして
取り付けられるらしいよ」



ああ。そうか。


また会えるんだね。

夜明けの女神

2006-12-19 | Weblog
浜松で育った少年時代、
若者向けの深夜放送の第1部を聴いていても
午後3時からの第2部は始まらず
「ドライバー向けの番組」が放送された。

これは地方局ならではのことで
午前3時で、ネットするキー局が切り替わったのだ。
・・・しかし、僕はがっかりしなかった。

僕は浜松(当時は浜松ではなかったが)の生まれだが
両親はともに前橋の出身で
盆と正月には両親の実家へ「帰省」した。
僕は何日も前からドキドキしながらその日を待っていた。

当時、浜松→前橋間はおよそ8時間。
まして帰省ラッシュの時期は今以上に混んでいた。
そのためいつも早朝に出発する。
早朝といっても午前3時とかそーゆー世界である。
子供のぼくにとっては「ありえない」時間だ。

車の開発者だった父は車を大切にしており
ピカピカに磨き上げられた白いクーペは
姿勢を低くした獰猛な獣の姿のよう。
ヘッドライトが灯る瞬間は
その瞼を開いたかのようだった。

輪郭も朧に浮かび上がる海沿いの国道。
朝霧を蹴立てて東名高速道路の料金所を通過すると
夜空へむけ、離陸するタイミングを
はかっているかのようだった。

夜のハイウェイは
巨大なトレーラーが隊列をなし、
小さな僕はサイドウィンドに顔をつけ
そのコクピットの姿にに畏怖の念を感じた。

だから。
夜のハイウエェイは
少し成長した僕にとっても特別だった。

午前3時過ぎ、六畳間のラジオから流れる
交通情報やドライバーからのメッセージは
机に座っているはずの僕を
遥かなドライブインに連れ出した。

吹雪や嵐の中もものともせず、
遠く遠くをめざすトラックドライバーは逞しく思え、
彼らを慈しむように励ますDJの女性はどこまでも優しく、
「戦士」と「女神」のように思えた。

そして全国のドライバーに語りかける女神は
もしかしたら本当に天国にいるんじゃないか?と
思えた。

そして今。

臨時ニュースなどで
そうした番組に出させていただくことがある。

天国は意外に小さく(笑)
プロフェッショナルな男性スタッフがたった2人で
うっとりするほど鮮やかに仕事をしていたりする。

・・・あの頃の僕と同じ様な少年も
聴いていたりするのだろうか?


なら、君にだけは教えてあげよう。





安心しろ、






女神はいたぜ。

雨の降る日は~再会

2006-12-15 | Weblog
高校生のころ
友人たちの作った自主制作映画の音楽を頼まれ
初めて人に聴かせるための歌を作った。

小学生からピアノやギター、
コントラバスを弾いていたのだが
作詞、作曲、歌・・・というのは初めてだった。
ところがどうしたことか
この曲の評判がよく
友達にせがまれて何度も歌うことになり
不思議な気持ちでいた。
もともと浜松は楽器の町で
音楽人口が多かったこともあったのかもしれない。

そんなある日、友達のけんちゃんが
兄弟でヤマハのポプコン
(ポピュラーソングコンテスト)
に応募しているというのを聞いた。

「ポプコン」といえば中島みゆきさんや
チャゲ&飛鳥を輩出した
プロへの登竜門ではないかいな。
そんなのに、高校生が出場できるの!?

半信半疑で僕も応募・・・
すると!
県内の審査を通過、
ラジオでも何度か紹介されることになる。

そう。
ラジオで紹介される「ポプコン」の先輩方や
ライバル達の音楽は
本当にきらめいていた。

ビッグヒットにはつながらなくても
つま恋本選会出場クラスになると
非常に個性豊かな才能が終結し、
そのひとつひとつに驚いていた。

その頃。
優秀賞を受賞した中の1曲が
耳に残って離れなかった。

なんと
ワルツなのだ。

物悲しい、ヨーロッパの片田舎に響く
サーカスのような音色に
甘く可愛らしい、
でも不思議な響きのある少女の声が
漂うように浮かんでいた。

「童未望~ドミノ」

~雨の降る日はあなたの部屋で
不思議な味のワインを飲むわ~

ろくに女の子ともつきあったことのない
高校生の僕には
なかなか具体的なイメージはわかなかったが
その琥珀色の世界に連れて行かれそうになった。

その曲は
シングルレコードになる。
歌手名は「鳥山あかね」
Dr.スランプの主人公かよ!
(・・・でも声は似てる)

どんな人が歌っているのだろうとジャケットを見たが
アンティークドールのような
可愛いピエロのイラストが描かれていたものの
写真はなかった。

それから・・・
地元や名古屋の放送局で
ピアノの弾き語りなどをやったり
レコード会社にデモテープを持ち込んだり
東京のライブハウスで歌っていたものの
ついに僕はデビューすることはなかった。

ミュージシャンになって
オールナイトニッポンや吉田照美さんのような
DJをやりたいと思っていたが
途中が飛んで(笑)DJになっちゃった。
音楽を紹介する立場になり
ヒップホップやアシッドジャズ
いわゆる渋谷系全盛の時代に
ノンストップ系の番組をこなしたが
なぜかあの
不思議なワルツを気が付くと口ずさんできた。

ただ、もう「鳥山あかね」さんにも会えないし
歌も聴けないだろうと思いながら。


でも。

僕は再会した。


もう20年がすぎた筈だが
「鳥山あかね」さんご本人のHPが存在していた。

さっそく連絡をとってみた。
すると

さきほど、ほんのさきほど返事があったのだ。

「ピエロの顔は、当時の私の顔が描かれていたんです」
「童未望の曲を覚えてくださっていて、とても、うれしいです」


なんと僕は
知らないうちにずっと彼女の歌声を聴いていたのだ。

僕は報道の仕事もしている関係で
夜のニュース番組は必ずチェックするが
その合間に流れている
鈴与グループのくじらが尾びれをあげて泳ぐCMで
「見たことのなーいもの、見てみたーいなあ」という
CMソングは鳥山さんの作詞作曲&歌!

チャ―ミーグリーンの歌も彼女がある時期歌っていたし
このほかたーくさんCMソングに関わっている!

それだけでなはない。
僕のめいが幼い頃見ていたNHKの教育番組の歌も
作って歌っていらっしゃった。

僕は鳥山さんがやっぱり音楽を選んで
ずっと一緒に生きてきたことが
とてもとても嬉しくて。


自分の人生の中で
「通り過ぎてしまった」と寂しく思っていた思い出も
実はずっとそばにいてくれた、
そんな風に思うことが
多くなった。









追伸1:これを読んで
童未望を聞きたいというかたには
我輩が歌ってしんぜようと思ったら
なんとご本人が知らないうちに収録されていたという
オムニバスCDが発売されている。
http://www.rakuten.co.jp/popconplaza/848507/
なお、鳥山あかねさんのHPは
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ako-chan/index.htm

追伸2:このオムニバスに童未望が入っていることを
ご本人はあとから知ったようだが、
実はふとしたことから
僕の曲も入っている可能性のあるアルバムが
存在していたことが判明。
現在捜索中だが
見つかっても恥ずかしいから
ひ・み・つ。

「君が大切」と言いたかった。

2006-12-09 | Weblog
ここ暫く、文化放送の「特集プラス!」
(朝7時20分、石森は水曜日担当)で
子供をとりまく問題を集中的に放送している。

もともと、医療や教育には重点を置いてきたが
いじめによる自殺で子供を亡くされた親達と
取材を通じて知り合ったことをきっかけに、

「あまりに見てみぬふり」をされている問題が多かったり
現実とはかけはなれた対策が多いことから
チーフディレクターに志願して
やらせていただいている。

朝から深刻か、とは思ったが
いじめで息子さんをなくされたオヤジさんの
「いじめを知っていた事を隠していた」学校に対する
「あいつら、人間の心を持ってない!」という
搾り出すような声もそのまま放送した。

また、
虐待から一時避難するため
一軒家をゆずりうけ
「シェルター」を作った女性弁護士のことも紹介した。

虐待なら児童相談所があると思うかもしれないが
今、児童相談所は命の危険まである幼い子でいっぱいで
10代の子はあぶれている。
更に法律上、18歳未満までしか入所できないために
18歳と19歳の子はあぶれてしまうため、
こうしたシェルターは必要だ。
しかし、カンパでやっているのが実情・・・
シェルターが出来る前から少年担当の弁護士らは
文字通りからだを張って子供たちを救おうとしてきた。
そんなことすら知っている人は少ない。

さらに先週は
登校拒否、ひきこもりの子どもの家を
20年以上(1000件以上)家庭訪問し続けている
「24時間先生」を紹介した。
よくTVのワイドショーに出てくる
親までも怒鳴りつけるスパルタな「引っ張り出し屋」とは違う。

毎日子供部屋のドアの外から
彼らの感じ取れない季節の話をし
可能なら一緒にご飯を食べる。

決して「出てこいよ、学校に行けよ」とは言わないのに
ある子どもは、

「先生、修学旅行に行きたかった」

とつぶやき
2人だけだけど太陽のもとで楽しく過ごしたりした。

学校に言われて、卒業証書を代わりに取りに行こうとした親には
「行ってはだめだ!彼のメンツをつぶしてはだめだ!」と
強くとめた。
それを聞いた子どもは、初めて心を開いたという。

登校拒否をするためには実はエネルギーがいる。
将来の不安も、世間体をも越える強い力が働いている。
その一方で「もうだめかもしれない」という恐怖の中にいる。

そういう子には、
「君の心の力は強い。君はだめじゃない、一緒に考えよう」
ということを伝えなければいけない。

「まわりがどう言おうが、君は大切な存在だ」

それは、取材の中で
虐待と戦う弁護士も
登校拒否に向き合う先生も言っていた言葉で

いじめで子供を奪われた親達が
「伝えたかった」言葉だった。

このコーナーはメールやFAXを紹介しない。

でも、
ここ数週間で
番組や、僕のHPなどを通じて
リスナーのかたから
メッセージを次々に頂いた。

多くは
自分のことと重ね合わせて下さり、
中には涙しながら聞いてくださったかたもいた。
また、「虐待シェルターを援助しようと思う」と
言ってくださったかたもいた。


ほんとに、

ありがとうございます。

番組宛のメールを手にしながら、
ディレクターと
「やってよかったなあ」と話し合った。

どのくらい沢山のリスナーがいるかは
データ上でしかわからないが
大切な事は
「心にきちんと伝わる事だ」と真摯に感じた。

このシリーズの最初に
少年時代に暴力事件を起こし、退学になり
親からも絶縁され、死の淵まで彷徨ったが
恩師に救われ、教師になった
「ヤンキー先生」こと義家弘介先生に出ていただいた。

来週、(水曜日、朝7時20分ごろ)
石森と更に深く語り合った模様を
お伝えするので
よかったら聞いてみて欲しい・・・です。

「だったら教育は、
どうすればいいんだよっ!」って
テーマです。

バードランドに帰りたい③

2006-12-06 | Weblog
故JACO PASTORIUS(鬼才ベーシスト)のカバーを
20年ぶりにやることになった僕は
バンドの先輩に送ってもらった楽譜とにらめっこしている。

実に20年以上ぶりに楽器屋さんにいったぞ。

あのころはクラシックと平行していたので
コントラバスの関係のものを買いにいったり、

シンガーソングライターの卵として
ポプコンに出ており、楽器店内のスタジオやホールに
レコーディングや
審査で通ったりしていたので

変な言いかただけど
「人生がかかっている」感覚で
店内をめぐるのは
楽しいんだけどちょっと「重い」感覚があった。

しかも、
その後、あんな打ち込んでいた音楽から
離れてしまったので
「音楽に顔向けできない」感じ(難しいなあ)と
「自分が練習しないうちに
後からはじめたやつらにどんどん
抜かれる」という
身勝手な感覚があって

楽器店には
寄り付かずにいた。


でも横浜にできた大型店に
久しぶりに行ったら・・・



たあのすぃー!

純粋に楽しい。

「へえ、今はPCとベースギターを
リンクさせられる機材があるのかあ」
とか
「こんなに美しいデザインがあるのかあ」
とか
「あ、あのころは高くて買えなかったけど
今買えるかも・・・」とか

なんだかんだで
2時間はいた。(←ばか)

買ったのは
弦と
ギターポリッシュだけだったけど。

弦を張り替えて
ピカピカにしたぜ
大事なフェンダーの
フレットレスベース・・・

それ以来、毎日練習するも
右手の指の「ついてゆかなさ」に
歯がゆい思いをする毎日。

そもそもJACOのプレイは複雑で
楽譜があるといっても「採譜」自体、かなり省略されている。

あのころはレコード(!)を聞きながら
「この人、どんな運指をすれば
こんなに早く、うねるようなPLAYができるんだ?」と
不思議に思っていたけど・・・

今はあれなのな、
ネットの動画にたーくさん
演奏の様子が残されているのな。
(元ネタがなんだかわからんから
著作権上問題があるかもしれず、
賛成もできないけど・・・)

しかも指のあたりがアップになってる。
始めてじっくり本物を見たわ。
・・・これを真似すれば少しは近づけるかな?


・・おいおい、CGじゃないのか?この指の動き!
あるいは早回し?人間の指がこんな風に動くの?

彼との差を如実に思い知らされたのでした。

でも、ヒントはいっぱいあったから
帰ったら練習しよ。


うけけけけ

君のせいじゃない。幸せになれ!

2006-12-01 | Weblog
「子供を守るシェルター」を取材するのは2回目だった。
「虐待」から子供を守るための「シェルター」

2年前、少年事件を担当してきた弁護士らが
多くの人の助けで実現させた。
これから始めようというときに
取材に行ったのが最初だった。

あれから、どうなったのだろう?
ずっと心にひっかかってた。
(一時期「医療」担当になったため
その後いくことがなかったのだ)

普通の一軒家にティーンエイジャーら4~6人が
一ヶ月ほど暮らす緊急避難場所だ。
ただ居場所を提供するだけでなく            
保護した子どもの「ひとりひとり」に
担当の弁護士がつく。

児童相談所は法律上、18歳未満しか入れず
未成年でありながら18歳と19歳は入れない。
しかも命の危険がある幼い子どもたちで
児童相談所は100%から130%埋まっているのだ。

全国で始めてこうしたシェルター
カリヨン子どもの家」を作った
弁護士の坪井節子さんは忙しい中、
また時間を作ってくださった。

坪井さんらは長年、
弁護士として少年事件にかかわってきたが  
少年少女にかかわる法律や制度を紹介する「演劇」を
弁護士有志と中高生らで上演することになった。

ある年に坪井さんが書いた脚本は
「空想の世界に子どものための弁護士事務所があり、
ひとりひとりのために弁護士が戦ってくれ、
少年少女がシェルターで守られ立ち上がっていく」


現実離れした話と思われた。

ところが観客や関わった人など、
数百人から思わぬ反響があった!
寄付や家の提供、スタッフの申し出が相次ぎ、
2004年「カリヨン子どもの家」が
現実になった。

今までに子供の人権110番などを通じ、
カリヨン担当の弁護士に引き継がれたこどもたち
66人がここで過ごした。

入ってきたばかりの子は
「大人がにこにこしているのには絶対裏がある」と言い、
「ここの大人はアブノーマルだ、
普通の大人は
僕のいうことなど聞いてはくれない」
と不思議がるという。

あたたかいご飯を食べ、
怯えずに眠る。
それだけでこどもは、とりあえず
随分救われるのだという。

東京都の児童相談所11箇所と協定を結び
カリヨンに子どもが逃げ込んだ場合、児童相談所は
速やかにカリヨンに対し「一時保護委託」をするのだ。
つまり、児童福祉法を根拠に
児童相談所と同等の権利で
子どもを守れる!

さらに、弁護士らがひとりひとりについていることで
親や、暴力団から子どもを守れるという強みがある。
ここを出た後に1年間生活できる自立援助ホームもできた。

ただ、東京にはこうしたシェルターはまだひとつだ。
横浜などでも同様の動きが広がっていて
今後増える事を期待したい。
以下の連絡先が窓口になっている。
虐待を受けている子は連絡して欲しい。

「君が悪いから
暴力をふるわれるんじゃない、
君のせいじゃないんだ!」

虐待に気が付いた大人も、ここや
児童相談所、警察に通告して欲しい。
一刻を争うのだ。

電話相談
子どもの人権110番 Tel: 03-3503-0110
「さぁ、子どもの味方、110番」
 
月~金曜日 13:30~16:30 17:00~20:00、
土曜日 13:00~16:00

面接相談
無料・要予約 
予約受付 Tel: 03-3581-2205
月~金曜日 13:30~16:30 17:00~20:00、
土曜日 13:00~16:00

カリヨンへの
問い合わせや寄付については TEL 03-3818-7400

「カリヨン子どもセンター」の公式サイト↓
http://www.h7.dion.ne.jp/~carillon/