折々の

季節と趣味の木彫りを

倍率335

2012-05-22 15:01:26 | Weblog
昨日は金環日食、そして今日は ”東京スカイツリー”開業。

生憎の空模様で展望台からの視界は悪い。3年余りの工期をかけ朝から世界一の電波展望台の中継一色。

このところ、テレビはこの話題でもちきり。
完全予約制の展望台に入場する倍率なんと初日335倍、初日は9,000人が入場。名づけ親の親子が一番に入場し、東京タワーものぼった事の
ない私、そんなに大騒ぎしなくても落ち着いてから行けばいいのに…。日本人は熱しやすく、冷めやすい。
一昨年の亀戸天神の藤の時期、昨年の隅田川下りと建設途中のタワーを見て来たが、既に歩道橋や川沿いにカメラを構える人達が見られた。

このところ政治も経済も停滞し,昨年の大震災・原発事故と閉塞感に包まれている日本。
技術大国ニッポンを象徴したような”スカイツリー”は皆の気持ちを明るくするものだったようだ。
2011年春・隅田川から 高速の下に桜も。

開業初日のライトアップ(Googleより)

"金子みすゞ 詩の世界"

2012-05-15 20:10:25 | Weblog
 オペラシティで今日1日だけの公演 ”金子みすゞ 詩の世界”を聞いた。

会場は '99年竣工で新しく、入ってすぐ目に入るのが真正面のパイプオルガン。座席は1600余り、2、3階は桟敷席も有り "木"を主体に使った落ち着いた雰囲気のホール(会場内は休憩時でも撮影禁止。この写真はGoogleから借りました)


今回は前列2列目の真ん中で出演者の顔も良く見えた。音響はどの辺りの場所が良いのか? 
"みすゞの詩" 8編の朗読と其々をイメージした?クラシック(シューマンやラヴェル)の曲目をピアノとチェロで演奏。
次はパイプオルガンの、ホールいっぱいに響き渡る演奏を聞いてみたいもの。

大正末期から昭和初期に童謡詩人として創作。26歳の若さで逝った薄幸の人生は、昨秋出掛けた山口県仙崎の記念館・復元された彼女の
書斎、着物姿の写真から私自身イメージが出来てしまったので、こういう催事を東京のホールで開くとこのような形(捉え方)になるのかと・・・。
彼女の詩ではないが ”みんな違ってみんないい ”

天声人語(書き写しノート)を始める

2012-05-14 15:36:44 | Weblog
 以前より朝日新聞紙面で宣伝していた「天声人語」のノートを書店で求め書き写しを始めた。

さーっと目を通して読んだ気になる新聞だが
書く事によって少しは頭に残り、これは特徴を賢く捉えた使い道だと思った。
コラムは2人の論説委員が季節、災害、事件、事故、国際問題まで前夜か当日にテーマを決め執筆しているとの事。

内容は、603文字を5つの▼で区切り、6つの段落で構成されている。一日30分の書き写し。
見開き2ページで使い道のヒントとしては記事にタイトルをつけたり、分からない漢字や言葉を調べたり、内容を要約して記事の感想、意見を書いたりといろいろ。
PCを使っていると驚くばかりに漢字が書けなくなっている。書き写しは、世の中の出来事がわかり、知っている言葉が増え、文章の構成力、リズムが身につくそうだ。認知症予防に17年間も大学ノートに書き続けている人もいるとか。

因みに今日14日は、斎藤茂吉の生誕140年目に当たり「のど赤き玄鳥ふたつ・・・」の句から、この時期ツバメが餌をくわえてを飛び交う頃だが農地が減り、環境悪化、そして放射能拡散等身近な生き物が生存しにくくになった事を憂うコラムだった。

あの高田松原の被災松で仏像を

2012-05-02 08:30:41 | Weblog
 
 大震災津波で流された陸前高田の松原。
以前写真で見た月光に照らされシーンと静まりかえった海沿いに唯一本残された姿はとても印象的だった。
その木も塩水に浸かり復興のシンボルとして皆に注目されていたが今や風前の灯、松ボックリから種を取ッたものが発芽して育っていると。

震災で亡くなった人々の供養と復興を祈願しその松を使って京都伝統工芸大学校の仏像彫刻専攻の教師と生徒たちが、仏像(大日如来座像)を制作し現地で披露してから、このほど京都・清水寺で開眼法要も行われ奉納された。寺社が多い京都にこのような学校があることもむべなるかな。
復興プロジェクトの沢山の写真は30本の流木の角材で去年の夏から作業が始まり、ノミや、木槌を使い細かい部品は彫刻刀で彫リ、組み立て、塗りとこれまで仏像の制作過程を見た事がなかったので興味深かった。被災地の人たちや、去年来日したブータンのワンチュク国王夫妻等
1万人以上の人がノミを入れたという。

制作スタッフ(これまでブログにアップした写真で一番大きい完成記念写真。プロジェクトの写真集から)

高田の被災松は京都五山の送り火の薪や、成田山新勝寺の護摩木としてお炊き上げに使おうとしたが、セシウムへの不安から抗議があったり世間を騒がせたが、仏像となって結実した。いつか京都に行った折にはお参りしてみたい。