折々の

季節と趣味の木彫りを

一主婦の呼びかけで被災地に船を

2011-12-27 15:09:01 | Weblog
 今朝の「ラジオ深夜便」はとても感動的な話だった。

昨年旅で訪れた宮城県・石巻市の鮎川。今度の震災で注意深く見ている
つもりだったが、余りに被害が広範囲でこの地の被害状況は目にすることがなかった。金崋山へ向かう観光船に乗った所。11月の波静かな海だった。

かつてクジラの基地として、今はカキと鮭の養殖の漁港。その地に育ち
父親も漁師で今は関東に住む子育て中の主婦が幼馴染の漁師の一言
「船が欲しい」でネットを使い呼びかけ、この9月に沢山の善意により船を届けることができた。
夫のツイッターを使えば・・・のひとことで
インターネットを使わなかったら多分このプロジェクトは成功しなかった筈と
言う彼女の言葉が印象的だった。
まさしくIT時代の新しい絆。今年の漢字と同じ。
彼女を応援し、活動を共にした仲間のブログが既にあった。
(写真は真鶴から出港する船)

「奇跡の一本松」の子が

2011-12-16 09:37:34 | Weblog
 岩手県陸前にあった高田松原(7万本もあった)のうち1本だけ残り、皆から希望の象徴のように思われた松。手当の甲斐なく枯れてしまった・・・
4月に樹上に残っていた松ぼっくりから種を取り、低温処理を施して9月には発芽し18本の苗が育っているとの事(新しい命が繋がった)

これもまた何度も見た衝撃的な写真。津波で屋根に乗り上げた釜石の観光船。落下すると危険とのことで解体されたが、
地元の「津波を後世に伝えるために」船を復元しようとの運動がある。
間もなく新しい年を迎える。原発の問題は大きすぎて、道のりは遠い・・・記憶を風化させないようにと庶民が動き出した。

 

初の震災住民が高台移転合意

2011-12-07 09:15:03 | Weblog

 あれから間もなく9ヵ月なる(また本格的な冬到来)
まだまだ津波の爪痕が写される荒廃したテレビ画面。

3月寒さの中、学校や公民館等不自由な何カ月にも亘る避難所暮らしから仮設住宅・他地域に移住等。夏から秋を越し年内にここまで意見集約ができたのは凄い。

津波の恐怖に何度も晒されて、今回やっと自分たちの住まいを高台に集団移転という形で最終合意をした気仙沼の小泉地区。100所帯を超える人々が最終的に合意したというニュース。
40~50代の現役世代が中心になって進めたという。ここに至るまで様々な意見を出し合い、
地権者の合意を取りつけ生活、街づくりの計画まで先輩格の北海道・奥尻島の事例(早期に実現したものの、住民同士のつながりが失われた)等を北大の教授からアドバイスを受け、地区が集団で移りコミュニティーを維持することを大事に市に計画案を提出するという。