山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

師走となった

2017-12-03 09:42:24 | つぶやき

 長いことブログの投稿を中断させてしまった。先月の頭から先週の日曜までの3週間ほど、車での旅に出ていたのである。北陸から日本海側の道を通って、出雲大社まで行き、米子の知人夫妻にあって旧交を温め、そのあと山陽側の倉敷在住の知人夫妻にお会いして一緒にウォーキングや吉備路探訪に係わる墳丘墓についての講演を聞いて学ぶなどの時間を過ごし、その後はくるま旅の大先輩の知人ご夫妻を播磨自然高原の別荘にお訪ねして、大自然の中での晩秋の一日を十二分に堪能するご歓待を頂戴し、そのあと大阪を走りぬけて和歌山の有田から奈良県北部の古い歴史の残るエリアを通って伊勢に抜け、最後は伊勢神宮に参拝して家に戻るという行程だった。戻って後片付けにドタバタしている内に早や師走となった次第。

 師走というのは、不断落ち着き払っている先生でさえも走りまわるというほどの心落ち着かない、一年の区切りとしての年末を迎える月だということだけど、今は昔と違って、先生は年がら年じゅうPTAや悪ガキ達にいじめられ続けて大忙しだし、12月はクリスマスセールなどの外来イベントが飽きもせずに喧騒を繰り返しているだけの、上っ面の忙しさばかりで、じっくりと今年を振り返り、来る年への思いを強めるといった時間を忘れているのが世の実態のように思える。これは老人特有の僻んだ感慨なのかもしれない。

 この月の15日が来ると、自分は確実に一つ歳をとって真老(75~85歳)が深まることになる。今回の旅では真老を卒業して、深老の域に入られている大先輩にお会いしたのだが、その生き方において学ぶことが多かった。自分は老計や死計というのは、日々を活き活きと心豊かに生きるということにあると考えているのだが、大先輩はそのことを如実に実践されておられるのである。考えているだけで、実行・実践の足りない自分に比して、大先輩の暮らしぶりは大自然の中であるがままに大自然を楽しみ、知恵を絞りながら住まいを改善し、多くの知人との輪を広げられている。

 伺った話の中で、「自分はもう死を恐れなくなった。一日一日を精いっぱい楽しみながら過ごすことが何よりも大事だと考えている」という感慨を述べられたことばが印象に残る。死にまとわりつかれ、それを必死に振り解こうと病に囚われ、囚われ続ける人の何と多いことか。それに比べて大先輩の生きざまの見事さは、何度かの大病や事故による大怪我を克服された後の現在の生き方そのものであり、死を恐れないということばには、生きることの価値を知った人の万感の重さが秘められているように感じた。

 今自分も又人生の師走という時期に来ている感じがする。大先輩の生き方に倣い、目指して、これから先の人生を心豊かに生きて行きたいと思っている。