さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

家族の中での父親の存在

2010年01月12日 23時23分18秒 | Web log
明日からキャンプへ行きます。
帰りは金曜日になるかと思いますので
帰宅したらブログ更新いたします。

さて、今日は明日からのキャンプに向けて
準備に忙しいマイク。

昨日は裏庭にテントを張って、ジョナサンと一緒に
試し寝をし、結局ジョナサンが興奮してなかなか眠れず、
眠りに落ちたのは1時だったそうで。

今日は7時に鳥の鳴き声に起こされ、それから
車のチェックと整備、買い物、キャンプに持っていくもの
のパッキングに忙しく過ごし、6時からは定例T-Ballの
練習に出かけました。

休みにすればいいのに・・と思いつつ、
余計なことは言わないで、送り出しました。

ベンジャミンも一緒に行って、他の子と一緒に
たっぷり遊んだそうです。

本当によく子供に関わってくれるマイク。

他に何をしなくても、勉強を教えてくれなくても
とても大事なことを教えてくれていると信じています。

世界で一番のお父さんだよね、と言ったら

「ん・・・・・・Yeah」

とためらいがちに答えていたジョナサン。

ジョナサンはいつもマイクのことを「怖い」と
言ってますが。

最近読んだ本に、母親はおなかに胎児を宿した
瞬間から、自分の子供と深く絆が結ばれている。

反して、父親は、DNA検査を別にして
母親が「この子はあなたの子供です」と言うのを
ただ信じるしかない。

そして父と子の絆は母親のそれとはくらべようがない
くらいに弱い。これだけは母親に決して勝てない。

家族の中で、父親というのは絶対的に弱い立場にいる。

だから、家族の中で孤立しやすく、また居場所を
なくしやすい。

父親はそれを意識しなくてはならない。

と書いてまして、なるほどねぇと思いました。

わたしも、子供と自分の関係に常に父親を巻き込む
努力をしなくちゃいけないんだろうと思いますし、
また父親も子供に深く努力を意識して行わなければ
いけないんだと思います。

私が何もいわずともマイクは積極的に子供と関わろうと
してくれているので、本当にすごいなぁと思います。

きっと子供たちが成人したときに、マイクに対して
大きな感謝と尊敬の思いを向けることと思います。
マイクがマイクの亡くなったお父さんを尊敬している
ように。

そしてきっとジョナサンもベンジャミンもマイクが
したようにそれぞれの子供たちに関わってくれる
ことと思います。

何十年も先のことだけれど、その日を信じて
楽しみにしています。

結果や答えがひょっこり現れるとき。

2010年01月11日 19時51分11秒 | Web log
マイクが今日から金曜日まで休みをとってくれたので
実質先週の土曜日から来週の日曜日までお休み。

で、今年はベンジャミンも大きくなったことだし
キャンプに挑戦。

何かあったらすぐ帰ってこれる近場のキャンプ場を
予約しました。

水、木、金の2泊3日です。

マイクが家にいてくれるだけで、緊張感がとれて気持ち的に
ゆったりできる。

土、日はベンジャミン、ジョナサンがそれぞれに誕生日会
に招待され、午前中は両日お出かけ。午後はまたそれぞれの
友達と遊んで、楽しくすごしました。

今週のキャンプとっても楽しみです。

最近、つくづく思うのですが、結果や答えというのはすぐに
出てくるものではないんだなぁということ。

大学の時、文化人類学を専攻したのですが、そのときに習得した知識が
ずっと頭の中で眠っていて、今ごろになってその知識が脳内でピピピン
とつながって、自分の中で「あぁ、こういうことだったんだ」と
思うことがありまして。

ま、大学時代にまじめに勉強したかというとそうでもなかったのです
けれど、幸い知識だけは脳内の引き出しの片隅にごみのように
残っていたらしく。

費やした時間・・・ざっと20年。

知識に経験と成熟度がやっと追いついたという感じで。

学んだことを20年ほったらかしていたら、自然にあることが見えて
きました、って感じで。

探求しつづけていたという真摯な態度からは程遠く、本当に
ほったらかしていただけで、しかも「なんで文化人類学なんて
専攻したんだろう・・・」なんて思うこともしばしばあったりして。

で、最近、大学時代に学んだことに1人感動した瞬間があって、
「先生、ありがとうございました」という気持ちになれました。

それだって、学んだことを理解したというだけの話で、
世で問われている崇高かつ難解な問いに答えがでた
とかそういうレベルの問題ではない。

情けないんですけどね。

子供の成長をみていてもそうだなぁと。

自分が子供にしていることは、1日、1週間、1ヶ月のレベルでは
なかなか結果はでなかったりする。数年単位におよぶこともある。

で、ある日突然、子供が変わりだしていることに気付く。

以前に比べると社会の変化が加速度的に早くなり、テクノロジーでも
何でもどんどん改良、進歩を遂げている。

で、何でも簡単に答えがでてくるような錯覚を覚えてしまい、
すぐ答えがでないとイライラしたり、無理に答えを出そうとしたり
しまっている自分に気付いたりする。

でも、答えなんて問いが難しければ難しいほど、複雑であれば複雑で
あればあるほど、そんなに簡単に得られるものではないんだと
つくづく思う。

実は大学時代に「あなた、ちょっと学問に対して傲慢なんでは
ないですか?」って言われたことがあって、そのときは言われたことが
分かったようで分からなかったんですけれど。

今だから、分かる。

答えが出せるなんて思うこと自体、自分に対する思い上がりなんだと思う。

若さゆえ、一つの真理みたいなものを探していたような気がする。
「で、これも違う、あれも違う」って否定し続け、探し続けるのが
いい、みたいな。

今だから言えるのだけれど、答えを出したいという誘惑こそあれ、
命題が大きければ大きいほど、この平凡でちっぽけな存在でしかないものに、
そんなに簡単に答えが得られるわけなんてない。

仮に一つの絶対な答えがあったとしたら、それ以外のものをことごとく
否定、排除するものとなる。

そしてそれは最終的に多面性をもつ個人の存在をも破壊してしまうという
ことになる。

自分が努力したり、悩み、考え、多くの時間を割いてきたことに、
決して即座に報われることがなかったとしても、しがみついていなくても
いいんだ。

ということに気づきました。

そりゃ、人間、すぐに結果や答えが欲しかったりするのですけれど。

問題にしがみついていないで、分かろうとしないで
考えていたということを忘れてしまうくらい
ほったらかしたときに、どこからか答えとか
結果がひょっこり降って来るって感覚。

それまでは「わからないな」と認めてしまうこと。
分かろうとしたり、分かった気にならないこと。
時間がもたらしてくれる未知の要素に期待すること。

性急な回答を急ぐこの社会の中で、とても大事なんでは
ないか??と、自分自身に投げかけています。


Billy Eriot (ネタばれ要注意)

2010年01月09日 22時02分09秒 | Web log
昨日、Billy Eriot (邦題 リトルダンサー)という
映画をテレビで久々に観た。

自分で見たい人は、以下読まないでくださいね。
大筋のストーリーがばれちゃいます。

ダーラムという炭鉱の町でダンサーを夢見る少年と
その家族の話。

マイクの出身地の近くということもあり、わたしも
何度か訪れたことがあり、映画に出てくる人々が話す
独特の北西部訛りもとても懐かしい響きだったりする。

主人公ビリーがバレエに目覚め、夢中になるという
メインプロットに、労働者階級が働く炭鉱閉鎖の
ストライキと、貧しさ、母親を失くした父子家庭の
悲しみとが絡み合ってストーリーが展開していく。

妻の死から立ち直れないでいる父。
クラシックバレエのとりこになる主人公ビリー。
バレエなんて女のすること、男は強くたくましく
あらなければならないという父を始めとする周囲の
偏見。

そういった色々を情熱で乗り越えていく主人公。
そして周囲も少しづつ彼を理解しはじめる。

息子がバレエをすることに猛反対だった父親が、
コミュニティセンターのようなところで息子が
の踊る姿を見て、心動かされる父親。

そして失くした妻の形見を質屋に持っていって
換金し、ロンドンにあるロイヤルアートスクール
でのオーディションにかかる費用を用立てする父。

その前にも貧しさのゆえに、妻の愛用していたピアノ
を斧で壊し、クリスマスの暖炉にくべる薪の代わりに
したり、妻の思い出を家族のために捨てなければならない
選択を迫られるシーンとかもそうだけれど、悲しみに
くれ、失くした妻との思い出に浸っていたいだろう父が
それらと決別をするシーンがとても心に痛い。

息子(ビリーの兄)が「母さんが死んでから、父さんは
全く役立たずになってしまったよ!」と痛烈な言葉を
投げつけるシーンがあるのだけれど、父親は妻の死を
きっかけに、将来に眼をむけられなくなっていた。

炭鉱に働く父、失くした妻とその思い出に生きること、
男は強くたくましく、そして教養よりも肉体労働さえあれば
いいとされた労働者階級の価値観→過去の象徴

ビリーがクラシックバレエをすることを許すこと、
教育を受けさせるために子供をロンドンを送り出すこと
→将来、未来の象徴

子供の将来、未来のために、父親に「過去」との決別が
迫られ、父親がそれを選び取っていくのだけれど
その痛みに裏打ちされた勇気と子供への深い愛情が
この映画をとても深めているような気がする。

失くした妻への愛と悲しみを昇華させて、子供を未来
あるものへと生み出す父。

そして「妻を失くしたやもめ」という存在から、
「父親」として力強く立っていくのである。

そして子供は未来に向けて羽ばたく。

最後にビリーが出演するバレエ公演に父親と兄が
招待されて、ロンドンへと赴く。

そして舞台に立つビリーの姿を見る父親の輝いた
眼と表情がとてもいい。

一言の台詞もないのだが。

全編に渡るイギリス映画のリアリズムな姿勢がいい。
で、この映画のテーマは父子愛なんだろうと思う。

浮ついた言葉で飾られることのないストイックな愛。
そしてその裏には父親が1人背負う深い悲しみや
痛みがある。

そこに人々は純粋を見て、深く感動するのだと思う。

で、きっと多くの父親というものは、語らない(語れない)
思いを1人抱えて、孤独にひたむきに子供たちを愛している
のではないかとも思うのである。

切ないねぇ・・・

気になるお年頃

2010年01月06日 09時44分25秒 | Web log
おはようございます。

昨日はジョナサンの友達が遊びにきまして、
おもちゃのレーザーガンが4つあるので
わたし、ジョナサン、ベンジャミン、キーラン
の4人で打ち合いして遊びました。

私VS子供たちで、基地の取り合いです。

わたしが、

GET THE BASE !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

と声をあげて突進していくと、子供たちは
それだけで大喜びです。

大変疲れました。

で、遊びにきた Kieran は Jade という女の子と
仲良しで学校でいつもじゃれあっている。

Kieran が Jade のことを好きらしい。

Jade も楽しそうに遊んでいる。

で、ジョナサンも2人のことが気になるらしく、
Kieran は Jade が好きなんだけど、Jade は
あまり好きじゃないみたいで、いつも作り笑顔
(Fake Smile)をしているんだ。

とか、話してくれる。

ま、本当のところはどうかはわかりませんが。

今のところ「ママとダディ以外に好きな人はいない」と
ジョナサンは言ってますが、それでもどうも2人のことが
気になるらしい。

で、これがチャンスと思って言ってみた。

人を好きになるっていいことだけど、いろいろあるんだよ。

もし自分の好きな子が自分じゃなく、他の人を
好きになったら、嫉妬したりとかね。

いいことばっかりじゃ、ないんだよ。

で、将来誰かを好きになって、結婚するときは
RightPersonを選ぶのがとても大事なんだよ。

そうじゃないと、人生が狂ってしまうんだよ。

結婚生活が幸せじゃないと、いろんなことに影響が
でてきて、大変な人生を歩むことになるんだよ。

人を好きになるってことは、大きな約束と責任が伴う
んだよ、等など。

7歳児にね、そんなこと・・・と思われるかもしれませんが
とても大事なことだと思うから、チャンスがあったらきっと
わたしは何度でも言い続けると思います。

大事なことだから、難しいことだから、時間をかけて
伝え続けなければいけないことなんだろうと思っています。

生きていくって大変なことだと思うから。

夢物語じゃない。ハリウッド映画のようにはならない。

奇跡のようなこともあるかもしれないけれど。

乗り越えなければならない試練のほうが圧倒的に多い。

現実の厳しさを生き抜く知恵とたくましさを教えてやらないと
思います。

White Australia Black history

2010年01月05日 11時02分24秒 | Web log
3日前、タオルを取りにビーチから家に戻る道すがら
White Australia Black History というステッカーと
アボリジニーの民族旗のステッカーを張った
キャンピングカーを見かけた。

オーストラリアの白豪主義による暗黒史を批判する
ステッカーだ。

誰が運転しているか気になって、追い越すタイミング
を伺っていたが失敗した。

アボリジニーか、それとも左翼系白人か、有色人種か

それにしても、強烈なメッセージである。

意思を表明するというだけで、思いの強さが伺える。

理不尽な扱いをされると、泣き寝入りして落ち込むと
いうよりも、明らかに強い怒りが自分の中に生まれている
ことに気付く。

怒りは、自分の存在を否定されることへの危機感から
来ているのかと思う。

で、何につけ、いちゃもんをつけたくなるのである。

この前も、Perth市にあるカトリック教会で行われた
クリスマス・ミサがテレビで放送された。市長、州知事など
がクリスマスにちなんだメッセージを述べていた。

で、見る人見る人が白人なのである。

司教、聖歌隊のメンバー、礼拝参列者、全てが白人。

違和感を感じずにはいられなかった。

オーストラリアは多民族国家である。
確かに白人は多いけれども・・・全部ってのはとても不自然な
感じがした。

しかも、テレビで放送しているのであるから。

で、私が逆差別的発言をしていたら、白人であるマイクが
私の態度に怒り出した。

マイクも一応、白人ですからね。

きっと誰の中にでも「差別」というより「区別」をしたくなる
欲求ってあると思う。範疇化するというか。

そうすると楽ですから。

郷里、学歴、会社、居住エリア etc で、差異化し、優劣という
ラベルを貼りたがる。

そして多かれ少なかれ、人は競争を通して、そのラベルを獲得
することを求める。

本能の中に生存競争が組み込まれているのだから、生きている
限り逃れ得ない。

差別も、競争も人間である限り、ほっとけば自然とおこなって
しまう業なんだろうと思う。

でも、その原理の中に身をおいている限り、人に勝たなければ
満足はやってこないから、常に競争なのである。

Aさんには負けたけど、でもBさんには勝ったわ~の連続だ。

表面だった競争・優越意識以外にも

「○○さんは、可愛そう、大変そう・・」といった類の同情という裏に

「・・・・でも、わたしは○○さんよりも幸せ」

などといった無意識の競争・優越感があったりするのであるから
難しいもんだなぁと思う。

そして、生存競争という他人との戦いから逃れたいと思っても、
結果、自分の中にある本能との闘いを余儀なくされる。

勝たなければいけない相手が、自分なのか他人なのかの
違いだけ。

人種差別のような扱いを受けたときに、不当な扱いに
対する自分の怒りを一体どこまで抑えられるか・・・

不当な扱いをうける理由が見当たらないだけに、
自分の怒りを正当化してしまうことになり、
それを抑える自信がない。

大抵、民族運動というのは支配国へ対する憎悪と暴力と
いう形で表現されるのは常である。

そしてそれはとても本能の働きからいって自然なことだと思う。

が、インド独立の父、マハトマ・ガンジーが提唱した
「不暴力・不服従」というスローガンを掲げた独立運動は、
インドという「自分」とそしてイギリスという「他者」と
同時に戦ったという意味で、すごいことなんだなぁと思うので
ありました。

またまたまたビーチへ

2010年01月04日 10時45分08秒 | Web log
昨日もまたビーチへ出かけました。

新しいボディボードを買ったので、ジョナサンは
試したくてしょうがないようで。

波が高くなる午後に行くことに決定。

で、夕飯を支度してからでかけることにし、
ミートソースを作りました。

ビーチへ行く用意もできて、車を走らせ、
しばらくしてから

「・・・・・・ガス止めたっけ?」

不安になりはじめた。

夕飯の支度してからビーチにでかけるなんて
主婦として完璧。(ってか、当たり前)
なんて自画自賛していたのに、ガスを止め忘れたかも、なんて
・・・・最低。

前回同様、マイクと子供をビーチに置いて、15分かけて
1人で家に戻りました。

「やっぱり、止めてある。」

人間って、悪いほうに悪いほうに考えるもんなんですね。
これも、自己防衛の一種なんでしょうから、必要なもの
なんだと思いますけど。

過去に何度か止めたつもりが弱火がついてたことが
あったので、やっぱり確認しとかないと・・と思いまして。

忘れっぽさは、老化の始まりですね。

ということで、ちょっと遅れて波乗りに参戦。

波も高くてとても楽しかった。

昨日も述べましたが、波に乗りに必死になっているのは、大抵子供か、
成人男子で、女性は浜に残っておしゃべりとか、読書、あるいは日焼けに
いそしんでいる人が圧倒的に多い。

わたしは・・・・できないなぁ、水を目の前にして
何もしないってのが。

それにしても、必死になっているからそのときは
あまり感じないんだけれど、波に乗って遊ぶって
意外と体力を使うんだよね。

しばらくすると、本当にクタクタになる。

で、マイクにバトンタッチ。マイクもボードに挑戦。
マイクには一回り大き目のボードが必要なようです。

ベンジャミンは、砂場で遊んだり、波やかもめを
追いかけたりして、みんなそれぞれに午後のひと時を
楽しみました。

帰ってくると、食事はできてるし、楽チンと思いましたが、
砂にまみれた色んなものを片付けるのが面倒くさくて
一気に不機嫌になってしまいました。

かといって翌日まで放置してしまうのは、嫌。

海外旅行から戻ってきて、荷物をすぐ片付けないと
落ち着かない派と同じです。

マイクは疲れたら何もしない派なので、ここでいつも
摩擦が生じるのですが、昨日は片付けを手伝ってくれました。

私の顔がきっと般若のように見えたのでしょう。

あ~コワコワ。


またまたビーチへ

2010年01月03日 09時28分45秒 | Web log
昨日もまたまたビーチへ行ってきました。

今回はボディーボードをしっかりと持参。
砂場のお遊びセットも。

風が穏やかな午前中に行こうということになり
ちょっと早めに出発。

人が多い。

強風を避けるために時間を選んでくるのだろう。

さて、しばらくしてふとバスタオルを忘れたことに
気がついた。海やプールにタオルなしって・・・

わたしもマイクもかなりアホである。

しかもふたりそろって。

いつもダラダラと起き出し、今日、どうする?
なんて話しているうちに午後になり、のそのそと
プールや公園に出かけるなんてことがざらにある
わたしたちが「午前中に海へ行く」なんて珍しいことを
しだしたものだから、何かが狂ってしまったのだ。

ちなみに、ベンジャミンのサンダルも忘れた。

で、急遽わたしが自宅まで忘れ物をとりに車を
走らせた。

マヌケ。

で、戻ってきたらマイクはイライラ、ジョナサンは
メソメソなのである。

マイクが1人で2人の子供の面倒を見ていたため、
ジョナサンは1人で海に、マイクが浜でベンジャミンと
砂掘り合戦。

で、誰かに傍にいて欲しいジョナサンは、心細かったに
違いない。

1人じゃ、乗る波も読めず、ボディーボードも失敗ばかりで
嫌になってしまったらしい。

マイクはキレキレで話にならず、帰るなどと言っている。

わたしは、戻ってきたばかりじゃないか!

で、ふてくされているジョナサンからボードを借りて
わたしは1人で波ノリを楽しむことにした。

家族に泳げる人がいないわたしは幼い頃、海やプールとは
ほぼ無縁に過ごした。

一度だけ電車で母が連れて行ってくれた海は、忘れられない
記憶として残っている。

就職してから友達にがっつり教えてもらってから海が大好きになった。
フィリピンでダイビングも経験したし、バリの海でシュノーケリングも
したのだ。

海をみると入らずにはいられない。

しばらく1人で無心に遊んでいたら、ジョナサンも気を取り戻して
もう一度ボディーボードをやると言い出した。

で、ジョナサンに「ほら、波が来た!乗れ!」と
指示しながら騒いでいたら、

10歳くらいの可愛い男の子たちがニコニコしながら
挨拶してきた。

ハロー!波、待ってんの?
僕のボード使ってみる?

と言われた。

ジョナサンが「あの子達のこと知ってんの?」

と聞くけど、知るわけないのである。

やや幼さの残る可愛い男の子たちでした。

まだまだ親と一緒に遊びたい年頃なんだと思いました。

で、再びジョナサンからボードを借りて、キャーキャー
言いながら波乗りしていたら、家族連れのおっさんに
笑われました。

いい年して、ボディーボードしている40過ぎの女性
なんて、実はわたしだけだったりするのである。

でも、関係ないもんね。

帰り、ジョナサン用にボードを買った。

これでわたしも自由に波乗りできる。

ジョナサンのリクエストで、今日も海へ行く
・・・らしい。

ちなみに気温は38度まで上がるという予報。









ビーチでひととき

2010年01月02日 10時30分21秒 | Web log
昨日は午後からフリーマントルにあるビーチに
遊びに行きました。

どれだけの人がいるのかと思っていきましたが、
そんなに混んでもなくて、でもそれなりに人もいて
思い思いに遊んでいます。

ボディーボードをする子供たち
まじめに泳ぐ人たち
水と戯れる人たち
長く続く浜辺を歩く人たち
浜辺で砂遊びをする親子

などなど

ここパースでは午後になると必ず、フリーマントル・ドック
と言われる風がふきます。

正確かどうかわかりませんが、ドックはDocで、Doctor の
省略語。

暑い夏に午後から吹き始める風が、人々を癒してくれる
という意味らしいです。

で、

風が吹き始めると高く波がたって、とても楽しいのですが、
一緒に砂も飛ぶので、浜で砂遊びをしていると、
砂が体に打ち付けられてとても痛い。

体が濡れていると、風に吹かれると肌寒く感じたり
もするので、わたしたちはウェットスーツを持参しました。

日焼け防止にもなるし。

で、活動的なジョナサンは何度も何度も波と戯れ、
マイクはシュノーケルをつけて魚を追いかけて泳いだり
していました。

わたしもちょっと海に入りましたが、ベンジャミンは
まだ波がちょっと怖いので、ベンジャミンと巨大な
穴を掘って浜辺で遊んでました。

単純に穴を掘るだけって何が楽しいんだろうって
考えながら掘っていましたが、手を休めると
ベンジャミンが怒るので、ひたすら掘る、掘る。

子供と外で遊んでいると、子供は以下のことを
し始め、夢中になることに気付かされます。

動くものを追いかける→狩猟本能
砂を掘る→シェルターあるいは食物確保
何故か長いものを手にしたがる→武器の保持
木の皮を削る→武器、道具の製作

男の子は、教えなくてもこういうことは、必ずと
いっていいほど、やり始めます。

女の子はどうかなぁ。

前も書きましたが、子供は理性よりも本能が強いので
こういう部分が強くでてくるのだろうなぁ。

マイクに聞いたら「砂を掘るのは、ぼくも楽しめる」
と言ってました。



ともかく、現代社会では狩るとか掘るとか道具を作るとか
の本能に動かされる行為は、直接的に必要ないので、
(食欲、性欲、睡眠欲以外は)年と経験とともにやや
退化していくのでしょうけれど、でも間接的なものに
形を変えて継続していくものなのだと思います。

そして心身ともにバランスよく成長・維持していくためには
インテリジェンスと本能への適切なアプローチが必要なのでは
ないかなぁと、思うのでありました。

あけましておめでとうございます

2010年01月01日 12時15分49秒 | Web log
2010年が始まりました。
私の平凡な日常を綴っているにすぎないブログに
足を運んでくださってありがとうございます。

日本にいるお友達にメールすらしない、怠け者の
私ですが、毎日いろんな人のことを思い出しては
「どうしているかなぁ・・・・」と考えています。

思い出すだけで、何もしない無精者で申し訳
ございません。

ブログで「今日は○○さんのことを考えてました、
元気ですか?」とでもコメントしたいところですが。
個人名は出せないですしね。

こんな私ですが、今年もよろしくお願いいたします。

昨日は、Keetoをまた預かり、仲良しのママ友と子供たち
を呼んで一緒に散歩に連れて行ったり、遊んだりしました。

昨日が最後の1日だったのですが、ジョナサン本当に
Keetoとの別れを惜しんでおりました。

しかし、ジョナサン、犬アレルギーであることが判明。

車に一緒に乗ったら、眼がぷっくりと腫れてしまいました。

残念~。

で、夕方からはジョナサンが所属しているT-Ballチーム
のアシスタントコーチのお宅に招待されて大晦日の
パーティに行きました。

参加者は
わたし(日本人)
マイク(英国人)
クリス(スウェーデン&ドイツ系)←アシスタントコーチ
クリスの奥さん(スラブ&イギリス系)
ご近所の奥さん(チェコ人)

男の子7人、女の子1人

の面々でした。

こんなに色んな国籍の人が集まるのはオーストラリア
ならではのことかと思います。

クリスとクリスの奥さんの数世代前がそうだというだけで
彼らはオーストラリアで生まれ育ったのでオーストラリア人
というカテゴリーなんでしょうけれど。

子供は子供同士で遊び、大人は大人で食事と会話を楽しみ、
とても楽しい時間を過ごしました。

ホスト夫妻の人柄がにじみ出ているパーティーでした。

さて、日本にいるお母さんに電話でもしようかな。

署名

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