フランスについて、色々調べました!
でも、長くなりそうなので、最初のネタを閉めてから
その話題に移りたいと思います。
(期待させといて、落とす・・申し訳ございません)
さて、つい最近までのアメリカのように、国民(社会)健康保険が全くないような
状態になった場合、言うまでもなく社会的弱者が一番苦しい立場に立たされると
思います。
結果的に医療格差が増大し、貧しいものの命は価値がなく、お金持ちの
命は価値があるというふうに、結果的に所得によって命の重さが量られるように
なるんではないでしょうかねぇ。
そういったシステムの基本理念は、こうです。
「自分のことは、自分で面倒みな!!面倒見きれないんだったら・・・仕方ないね!」
それでもいいと言い切れるほど、強い人間っているのかな・・・
いるかもしれませんね。人それぞれだから。
で、ここオーストラリアでは、たとえ癌になっても、
『病院は純粋に治療行為を行うところ』と考えますので、
わたしの友人は回腹手術4日後に退院させられました。
術後の回復はおうちでどうぞ、という理由。
消毒、抜糸は全て訪問看護婦に自宅に来てもらって処置してもらって
いました。
徹底しています。
究極的にこうなるんだ・・と思いました。
病気になって弱気になりがちなのに、ここまで自立を要求するんだねぇ。
病院ならあるものが身近にないって、回復期には結構しんどいと思いますけど
でも、重篤で次に手術を待っている人がいるなら、ベットを開けなければ
ならない。
日本もだんだんそうなって行くのかもしれませんね。
加えて、財源を税金に依存する公立病院の医療の質は必然的に低下します。
残念なことにお金のないところには人材も留まりませんし。
患者にとっていいのはせいぜい「無料だ」ということだけになる。
で、お金のない人のうける医療のレベルは・・・ある程度保たれて
いるとはいえ、私立の病院に比べたら、環境は劣悪です。
無料で施せる治療薬だって、どれだけあるんだろう。
お金があったら選ぶ病院、治療法、医者、薬があって
生き延びられたかもしれない・・・
ということは、やっぱり命は平等に尊くないってことになりません?
世の中全てお金ってことになるのかなぁ???
先日、パースの富裕層の住むSubiacoのオンコロジスト(抗がん剤治療
を専門に行う医者)の記事を読みました。高齢の脳腫瘍患者の治療法として、
通常脳腫瘍には使用しない乳がん患者に投与する抗がん剤を投与したところ
みるみる腫瘍が小さくなり、最終的には腫瘍がなくなってしまい、
一命を取り留めた!という、患者さんの笑顔の写真付きの内容のものでした。
そのオンコロジストの機転もすごいなぁと感心しましたが、一命を取り留めた
患者さんも、そのお医者さんに治療を受けることが出来て、本当に幸運だった
だろうと思います。
で、ふと思ったんです。
そのお医者さんに会いに行けない人もいるんだよねぇ・・・
ま、こういう問題は尽きないと思います。
日本にだって名医がいると聞けば、飛んでいける人もいれば
そうできない人もいますからね。
さて話を元にもどしましょう。
『自由』というのは聞こえはいいですが、結局、自己責任と競争に
勝つことを強いられますから、結果、弱肉強食=強いものだけが
生き残るという論理が全てとなります。
全てその理論で行ってしまうのは、少なくとも医療システムに
それを当てはめるのはまずいんじゃないかなぁと思うんです。
だからといって私は社会主義者だとか、共産主義者だとか
思わないでくださいね。
日本の医療システムが完璧とは思いませんし、無駄がないとも思いません。
どれだけ効率的に、公平に機能しているか、よくわかりませんし、
再検討の余地はあると思います。
が、基本的なところはとてもいい線いっていると思うので
その辺は、末永く維持する方向で行ってほしいなぁというのが
わたしの願いです。
とは言うものの、実際、社保はもちろん、国保を払えずに
いる人って絶対日本にもいると思うのですが、そういう人たちの
医療費はどうなっているんだろう。
お医者さんにいけないよねぇ・・・
誰か知っている人がいたら教えてください。
全く私には関係ないといえば関係ないですが、このたびアメリカで
国民皆医療保険の法案が通ってほんとうによかったと思っています。
民間の医療保険に入れず十分な医療行為を受けられなかった人々、
涙を飲んできた人々、本当におめでとう!
本当に言いたかったのは、実はこれだけだったりする。
(とりあえず)完。
でも、長くなりそうなので、最初のネタを閉めてから
その話題に移りたいと思います。
(期待させといて、落とす・・申し訳ございません)
さて、つい最近までのアメリカのように、国民(社会)健康保険が全くないような
状態になった場合、言うまでもなく社会的弱者が一番苦しい立場に立たされると
思います。
結果的に医療格差が増大し、貧しいものの命は価値がなく、お金持ちの
命は価値があるというふうに、結果的に所得によって命の重さが量られるように
なるんではないでしょうかねぇ。
そういったシステムの基本理念は、こうです。
「自分のことは、自分で面倒みな!!面倒見きれないんだったら・・・仕方ないね!」
それでもいいと言い切れるほど、強い人間っているのかな・・・
いるかもしれませんね。人それぞれだから。
で、ここオーストラリアでは、たとえ癌になっても、
『病院は純粋に治療行為を行うところ』と考えますので、
わたしの友人は回腹手術4日後に退院させられました。
術後の回復はおうちでどうぞ、という理由。
消毒、抜糸は全て訪問看護婦に自宅に来てもらって処置してもらって
いました。
徹底しています。
究極的にこうなるんだ・・と思いました。
病気になって弱気になりがちなのに、ここまで自立を要求するんだねぇ。
病院ならあるものが身近にないって、回復期には結構しんどいと思いますけど
でも、重篤で次に手術を待っている人がいるなら、ベットを開けなければ
ならない。
日本もだんだんそうなって行くのかもしれませんね。
加えて、財源を税金に依存する公立病院の医療の質は必然的に低下します。
残念なことにお金のないところには人材も留まりませんし。
患者にとっていいのはせいぜい「無料だ」ということだけになる。
で、お金のない人のうける医療のレベルは・・・ある程度保たれて
いるとはいえ、私立の病院に比べたら、環境は劣悪です。
無料で施せる治療薬だって、どれだけあるんだろう。
お金があったら選ぶ病院、治療法、医者、薬があって
生き延びられたかもしれない・・・
ということは、やっぱり命は平等に尊くないってことになりません?
世の中全てお金ってことになるのかなぁ???
先日、パースの富裕層の住むSubiacoのオンコロジスト(抗がん剤治療
を専門に行う医者)の記事を読みました。高齢の脳腫瘍患者の治療法として、
通常脳腫瘍には使用しない乳がん患者に投与する抗がん剤を投与したところ
みるみる腫瘍が小さくなり、最終的には腫瘍がなくなってしまい、
一命を取り留めた!という、患者さんの笑顔の写真付きの内容のものでした。
そのオンコロジストの機転もすごいなぁと感心しましたが、一命を取り留めた
患者さんも、そのお医者さんに治療を受けることが出来て、本当に幸運だった
だろうと思います。
で、ふと思ったんです。
そのお医者さんに会いに行けない人もいるんだよねぇ・・・
ま、こういう問題は尽きないと思います。
日本にだって名医がいると聞けば、飛んでいける人もいれば
そうできない人もいますからね。
さて話を元にもどしましょう。
『自由』というのは聞こえはいいですが、結局、自己責任と競争に
勝つことを強いられますから、結果、弱肉強食=強いものだけが
生き残るという論理が全てとなります。
全てその理論で行ってしまうのは、少なくとも医療システムに
それを当てはめるのはまずいんじゃないかなぁと思うんです。
だからといって私は社会主義者だとか、共産主義者だとか
思わないでくださいね。
日本の医療システムが完璧とは思いませんし、無駄がないとも思いません。
どれだけ効率的に、公平に機能しているか、よくわかりませんし、
再検討の余地はあると思います。
が、基本的なところはとてもいい線いっていると思うので
その辺は、末永く維持する方向で行ってほしいなぁというのが
わたしの願いです。
とは言うものの、実際、社保はもちろん、国保を払えずに
いる人って絶対日本にもいると思うのですが、そういう人たちの
医療費はどうなっているんだろう。
お医者さんにいけないよねぇ・・・
誰か知っている人がいたら教えてください。
全く私には関係ないといえば関係ないですが、このたびアメリカで
国民皆医療保険の法案が通ってほんとうによかったと思っています。
民間の医療保険に入れず十分な医療行為を受けられなかった人々、
涙を飲んできた人々、本当におめでとう!
本当に言いたかったのは、実はこれだけだったりする。
(とりあえず)完。