さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

来て、そして去る

2010年03月24日 11時11分17秒 | Web log
かつてはジョナサンの担任で、ベンジャミンの担任でも
あったモンテッソーリスクールの先生が退職をして、
タスマニアに引っ越したのは去年の年末のお話。

残念だなぁ・・とブライアンという学校で知り合ったお父さんに
話していたら、

People comes and goes. That is an aspect of life.

と言われた。

まぁ、こういうことにいちいち感傷的になっていられないのが
本当のところなんだろうから、彼の言うことは分かるのだけれど
でも、処理しきれない感情があって、妙に寂しくなってしまう
私なのでした。

全般的にこちらの人は意外とあっさりしている傾向があるように
感じるのはわたしの偏見でしょうかね?

こちらの人の人との関わりについての感覚が微妙に違うと思うんですよ。

『軸』がしっかりと自分にあって、周囲の人に動揺されにくいというか、
周りはどうあれ「自分は自分」という意識が強い。だから、人が去ろうが
どうしようが、感情的にあまり揺さぶられない。

反して日本人とかアジア人は、他人と自分がある種オーバーラップ
して存在しているような感じがする。よく言えば共感度が高い、
悪く言えば、相手に対する依存度が高いとなる。

ので、様々な別れに関してとても敏感に反応するし、理性よりも
感情が優先されてしまう傾向があるような気がする。

別にその良し悪しを問題にしているわけではありませんよ。

『違う』ということです。

面白いなと思います。

去年、ジョナサンのクラスの女の子がBunburyに引っ越していった。
その子のことも、お母さんのことも全く知らずにいたので、
引っ越したことすら知らず、別に学校でお別れ会をするでもなく
わたしとしたら『忽然と消えた』ように感じた。

でも、理由があってその家族、こちらに戻ってきたんですけれど
そのときにママ友(アジア人)が、その子のお母さんに歓迎の
ご挨拶をしたら無視されたと憤慨していた。

彼女にしたらアジア人なので、「戻ってこれて、また同じ時間と場所を
共有できるようになってよかったわ」と伝えたかったのだろうけれど
相手にしてみたら「そんな大げさなことじゃないでしょ!」とでも
言いたかったのか、それとも「私のプライベートなことなんだから
ほっといてくれ!」とでも言いたかったのだろうか。

感覚の違いですね。

ところで、ファビアンも去ってしまって・・私、泣いちゃうかも・・と
思ったけれど、大丈夫でした。

最後は、彼がパンツ姿で歩き回れるくらいリラックスしすぎていたので、
家族みたいな感じになっていた。

もう二度と会えないのかも・・と思ったりすると悲しいけれど、根拠のない
希望を胸に、再会を願うことにエネルギーを注入することにする。

ま、たとえ会えなくとも、彼が自身の人生を謳歌してくれたら、それは
それでいいとも思う。


署名

<script src="http://www.shomei.tv/project/blog_parts.php?pid=1655&amp;encoding=euc"></script>