さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

命は平等に尊いのか?その2

2010年03月27日 10時30分14秒 | Web log
(その1からの続き)

また、公的な総合病院の他に、私立の大きな総合病院がある。

が、これまた自己負担。

公的な総合病院は無料だけれど病気の重度によって診察、手術を
後回しにされるため、それが嫌な人、民間の医療保険に入っている人は、
プライベートの病院へ行く選択肢がある。

しかし、基本的に自己負担なので、民間の医療保険に入っていない人にとっては
恐らく行く病院として選択肢に入らないと思う。

例えば、夜間の緊急時に公的な病院に駆け込んだら、とにかく待たされる。
こちらが緊急だと思っても、医師がそうではないと判断したら、延々と
待たされる。夜中に駆け込んで、早朝まで待たされたという話はよく聞く。

で、待つのが嫌なら私立の病院へ行けというわけだ。

けれども公立へ行く選択肢があるのに、敢えて私立の病院を選んだ場合、
民間の保険でも医療費がカバーされなかったりする。

わたしたちもこれで何度も涙を飲んだ。ジョナサンが喘息の発作が
ひどかったときは・・・

お金持ちは選択肢があり、その命は手厚くケアされ、貧乏人の命の
価値は低いと言いたいのか? アメリカも含め、この国は・・・と
何度も思った。

幸い、マイクの会社が民間の医療保険を全額負担してくれるので、
わたしたちは、ラッキーな方なんだと思いますが。本来は自己負担。

オーストラリアにいて思うのは、無料というのはもう形だけで、
無料の公立の病院だけに依存していたら、自分の命はどうなるか
わからないなぁって感じです。

だから、高いお金を払って民間の医療保険に入りますが、民間の医療保険
に払えない人がいる限り、無料の医療システムは死守すべきと思います。

とまあ、こういう背景もあって、人々は簡単に病院にも行かないし、普通の
風邪とかなら、寝てれば治るって感じです。

ところで、病気=健康(通常)の状態でないという状況は、患者に程度の
差こそあれ、不快感を与える。人間誰しも、不快感からは逃れたい。

ので、治療を受けて早くその不快な状態から脱したいという心理が働く。

これはごくごく普通なことだと思う。

が、治し方として2つの方法がある。

1「重度の病気でない限り、自然治癒力の力を信じて待つ。」
2「病院に行って、医者と薬の力をお借りしてさっさと治す。」

で、オーストラリアは1の傾向が強く、日本は2の傾向が強いと
思う。お医者さんも中々薬を出してくれません。ので、薬に慣れている
わたしなんかは、薬も処方してもらえないのに、ただお医者さんの
当たり前なアドバイスを受けるために高いお金を払うなんてあほらしい
と思っちゃいます。が、本当のところ、軽い病気などは、きっと寝てれば
治るってのが本当のところなんだと思いますがね。

そこが、待てない。

そんなに簡単に会社を休めないから、自分も、子供も早く治ってもらわないと
困る。ってのが本当のところだと思いますけどね。

(続く)


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