眺めのいい部屋から   

 窓から見える空と四季のうつろい
  そして昭和を振りかえる
 

ミロのヴィーナスとあれこれ

2017-07-30 | 思いだすままに
 若いころ「ミロのヴィーナス」が日本に来た。
 そういう物は大抵東京か京都での開催となる。
 名古屋は素通りである。
 しかし、京都まで出かけて行った。
 名古屋ー京都間は、東京ー熱海と同じぐらいの感じ。
 準急で2時間かかるが、日帰りできる距離だから、友人たちとよく出かけた。

 ともあれ、高校の友人が早く結婚して京都にいたので、
 新婚ほやほやの彼女と一緒に行った。

 もちろん、すご~い行列。
 会場は押すな押すなの人だかり。
 そして「ミロのヴィーナス」を目の当たりにすることになった。
 写真と全然ちがう!
 写真は、ヴィーナスの体形を写しとってはいるが、
 本物のヴィーナスの大理石の肌は生きていた。
 触れば肌のぬくもりや柔らかさが感じとれるほどだった。

 写真と本物の違いを知ったのは、もうひとつある。
 ルノアールである。
 明るい陽射しのなか、小肥りの女の子たちーー
 ただ、それだけでなかった、本物の絵は。
 熱い肌が生き生きと動きだすようだった。
 陽射しもあたたかく、少女たちの弾けんばかりの生気。
 写真では、分からないものだった。

 60過ぎてからだったが、ムンクの「叫び」も見に行った。
 相変わらずの行列。
 小さな絵で、本物と絵の違いは、そのときは感じなかった。
 額縁のように描かれている縁どり模様は精子なのよと、絵を描いている友人が教えてくれた。
 会場を出たとたん、ふたりとも「疲れた~」
 美術鑑賞って、疲れるものだけれど、それとは異なる
 ムンクの精神性にあてられた感じだった。
 湯あたりならぬムンクあたりとでも言おうか。
 
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下呂温泉

2017-07-27 | 灯りを求めて
 暗闇を照らすもの。
 それは灯火、灯り、街灯……今日は、下呂温泉から。
 (なんて、ほんとは真っ黒写真の消し方がわからず)

 先日、遠方の友人がゴーヤを送ってくれた。
 お庭でとれた茄子やカボチャ、キューリ、紫蘇の葉、プチトマト、その他心づくしの品で冷蔵庫に入り切れないほど。
 永~い付き合いで、その幼な友だち3人でよく旅行した。
 先ずは、名古屋駅前から出発!
 鳥のフン、汚くてごめんなさい。


 下呂温泉へ行ったときの街灯。観光地のせいか趣向がこらされている。

 両親の新婚旅行は下呂だったという。
 乗馬クラブで知り合ったので、結婚したら、毎朝馬に乗って散歩できると、母は思ってたそうである。ところがただのサラリーマン。
 夢と現実の違い、よくある話。

 
 私の結婚前の夢は、夏の夕方、小さな庭と三和土に打ち水をして涼しくなったところ、まだ明るいうちに夫が「ただいま」と帰ってくるーーなんとつつましく小さな夢。
 しかぁし、東京の片田舎に新妻は独りぼっち。
 お腹はすぐ大きくなるのに、明るいうちに帰ってきたことはなかった。
 遠いこともあったが、麻雀か、飲んでくるかの午前さま。


 話は横道にそれたけれど、友人と旅行したころ、私は10時には眠くなる健康優良児。
 友人二人にさんざんからかわれて、
「寝かせない」
「話しなさい」
「3時まで起きてなさい」と、
 揺さぶられたつつ、もうろうとしていたのも、楽しい思い出である。
 そのホテルだか旅館の前庭にあった街灯。


 これは、早い冬の夕暮れ。シニアナビのギャラリーに「冬木立」として出した。


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『海を飛ぶ夢』 ついでに本も                     

2017-07-25 | 読書
『海を飛ぶ夢』 ラモン・サンペドロ
(轟志津香・宮崎真紀・中川紀子訳)読書
                     2013年11月29日
 
 原題は『地獄からの手紙』である。なぜ地獄からなのか。
 25歳のとき、海に飛び込んで首の骨を折り、四肢が麻痺したまま30年生き続けた男性の書いたものだ。口にペンをくわえて。
 四肢麻痺のまま生きることは、彼にとっては地獄だった。

 自らの手で死ぬことすらできない彼は安楽死を望み、法廷の場に持ち込む。
 この書は、女友だちや判事たち、法務大臣、法王、神父たちへ、尊厳死に対する自分の考えを述べたものである。
 
 寝たまま義姉をはじめとする家族の世話になり続けるということは、頭脳だけが働くということだ。深い洞察力にあふれていて、少し理屈っぽくなるのは仕方がないだろう。
 彼が動かせるのは、脳細胞だけなのだから。

 映画『海を飛ぶ夢』の原題は
『裡(うち)なる海へ』であり、“夢”という詩の一部からとられている。

 全体から感ずることは、ラモンが非常にエネルギッシュな人であることだ。
 エネルギッシュであればあるほど、四肢麻痺のまま30年も生き永らえたのであるし、麻痺のない身体と女性を求める情熱にもあふれていた。

 痛みや麻痺のある身体をもつことの理不尽さには、耐え難いものがある。
 それを世間は受け容れろと言い、その不満を訴えることすら、大げさであり、性格によると言われる。
 ただもう、共感するのみで、引用を重ねるしかない。


・ぼくが精神的に安定していられるのは──地獄で飼いならされて生き続けることもできると知っているからだ。だが、その地獄に居続けなくてはならない不条理は、片時も頭を離れることがない。

・周囲の道徳観を押しつけられ、心ならずも苦痛を耐え忍ぶしか道がなくなってしまったとき、その人は──最終的に力を取り戻すにせよ、生き地獄に囚われることになるにせよ──、
 自分が屈服した事実をごまかすため、非情な社会復帰者たちの手に接吻するほかなくなる。
 自分の人生を守るのに、自分以上にふさわしい人材などいないのに!


 まだまだあるが、疲れた……


 しつこいようだが、こちらは原作を読んだ感想を以前のブログからの再掲。
 映画を観てから、1年半後ぐらいである。
 今日は、療法士さんと10分ほど外出できた、もちろん、自分で歩いてである。
 それにしても蒸し暑うございます。


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海を飛ぶ夢  映画

2017-07-23 | 映画
『海を飛ぶ夢』スペイン映画

                   2012年03月23日 | 映画
 
 青年のころ首から下が麻痺状態になったラモンは、28年も寝たきりの状態である。
 兄家族、特に嫂(あによめ)の世話になって生きてきたが、それにも限界を感じて尊厳死を求める裁判を起こす。
 
 弁護士である女性や尊厳死を認める会の市民活動家の女性、男運の悪い近所の女性などが彼の周りにいて、それぞれの個性が非常に魅力的だ。
 なかでも頬の赤い田舎女の嫂は、何十年も看てきた重みがあって出色である。
 手足も動かせない彼は、自分で死ぬこともできないから裁判を起こすのだが、尊厳死は認められない。
 自由を奪われ28年も人の世話になってきた彼は、そんな状態に倦んでいる。
 よく見るのは海を飛ぶ夢。

 痛みを我慢してなら私は15分くらい歩ける。が、近い将来、寝たきり、あるいは呆けるのではないかという不安と恐れににつきまとわれている。
 女性弁護士が言うように、その悪夢について毎日考える。

 つい2年前の自分の姿をあきらめるまで、闊歩している夢を何度も見た。
 夢のなかで“歩ける、歩ける、わたし、歩けるじゃないの”と何度叫んだことだろう。
 メキシコまで行ってしまったりし、目覚めてから、なぜメキシコなのか我ながら首をかしげるしまつ。

 映画は厳しく、悲しいラストシーンである。
彼も、彼が愛した弁護士も。
 ハリウッド映画だったら『ハイジ』に出てくるクララのように歩けるような結末になっていたかもしれない。
 そう簡単に歩けるようになんかならない。実話でもあるし。

  神経がすはだかとなりよろけゆく人体解剖図にあるごとく

  
  ほかのブログで、この映画について評論あるいは問題提起をされていた。
  3年ほど続けていたブログに、以前書いたことを思いだし、再掲することに。
  これは、個人の感想にすぎません。


 
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iPS細胞への夢

2017-07-21 | 身辺雑記
 今年もまた感謝状が来た。
 iPS細胞の山中教授から。

 ノーベル賞をもらう前からのファンだったから、寄付金を募っていると聞き、毎年、ほんの少しだけ。
 定期的に寄付する方法もあるが、来年はどうなるか分からない。
 だから、1年に1度。
 山中教授の偉業が、どんなにすごいことか、当時の主治医が言っていた。
「あれは、今までのノーベル賞の10個分くらいの価値がある」と。


 最初の年は、寄付金集めの協力もしてみた。振込用紙50枚。
 振込用紙を持って郵便局へ行ったら、
「京大出ですか、って、聞かれたのよぉ」と、
 同じように喜んで、協力してくれた人は30枚。
 
 が、人はさまざま。
 詐欺かもしれない、気をつけたほうがいいと言われ、友人と私は傷ついた。
 二人とも、お人よしだったかもしれない。

 大抵年に1回、京都と東京で講演会がある。
 私はもちろん参加できないが、友人は出席した。
 終わったあと、10名ぐらいずつ、山中教授と写真を撮ってもらえたそうである。
 ミーハーの私は、どんなに羨ましかったことか。


 
『CIRA』という名のニュースレターがメールで送られてくるが、理系に弱い私には、あまり分からない。
 ダウンロードして、神経系統の個所を読んでみたりする。

 もちろん、私が生きているうちには、間に合わないが、
 将来、私のような苦しみを味わう人がいなくなるように
 と願ってのことである。
 



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