蓬 窓 閑 話

「休みのない海」を改題。初心に帰れで、
10年ほど前、gooブログを始めたときのタイトル。
蓬屋をもじったもの。

秦 郁彦著 『南京事件』 「虐殺」の構造        Wikiの参考文献は、なぜ小説しか載っていないのか

2018年12月20日 | 読書
 南京事件については「あった」と考えてきた。
 石射猪太郎の「外交官の一生」に、南京アトロシティの噂を耳にして憂うくだりがあったりした。
 中高時代には「人間の条件」が一世風靡しており、私も読み、映画も見た。
 戦争とは、これほど恐ろしいものかが染みついている。
 学校からの映画鑑賞は「二十四の瞳」「ひめゆりの塔」であった。
 ひめゆりのときは、飛行機の爆音がすると、爆弾が落ちてくるのではないかと、しばらく怖かった。


 学者さんの書物は取っ付きやすいとは言い難く、20年以上は積読にしてあった。
 今さら、なぜ手にしたのか。
 昨年、テレビで南京事件のドキュメントを放映したらしく、Twitter界では、しきりに話題になっていた。たしかそのときのプロヂューサーだか監督は、報道関係の賞をもらったと聞く。
 それで読もうと決心したのである。

 何日もかけて読み、これ一冊読めば、「なかった」とは、とても言えない、と思った。
 なかったと言う人は「そんなもの調べりゃ分かることです」と。
 タカ派の元議員で日本会議の会員である。でも、決して調べようとはしていない。
 
 
 せっかく読んだのだから、要約したいところだが、この中身の濃い書物を簡単には要約できない。
 付箋も、このように、いっぱいくっつけてあり、ここを抜き書きするだけでも大変である。体力もない。


 上の写真は、下記書物から。



 南京攻略で、内地では提灯行列をして祝ったという。

 上記写真は、この書物から。

 「南京事件」のあとがきから
 日本が満洲事変いらい十数年にわたって中国を侵略し、南京事件をふくめ中国国民に多大の苦痛と損害を与えたのは、厳たる歴史的事実である、それにもかかわらず、中国は第二次大戦終結後、百万を越える敗戦の日本兵と在留邦人にあえて報復せず、故国への引き揚げを許した。昭和四十七年の日中国交回復に際し、日本側が予期していた賠償も要求しなかった。当時を知る日本人なら、この二つの負い目を決して忘れていないはずである。

 それを失念してか、第一次史料を改竄してまで「南京”大虐殺”はなかった」と言い張り、中国政府が堅持する「三十万人」や「四十万人」という象徴的数字をあげつらう心ない人々がいる。もしアメリカの反日団体が日本の教科書に出ている原爆の死者数(実数は今でも不明だが)が「多すぎる」とか「まぼろし」だとキャンペーンを始めたら、被害者は、どう感じるだろうか。(あとがき引用ここまで)


 実際、私でさえ生まれるまえのこと、私たちに責任はない。
 しかし、過去をしっかり踏まえてこそ、未来があるのだと思う。

 こういう立場に置かれたら、私はどうするだろう? 
 殺すか殺されるか、どっちかだ。私だって頑張ってしまうかもしれない!
 そして、勲章をもらったりするーーー
 だから、そういう世の中にならないように願っているだけだ。

 現在、用心しなければならないのは、Wikiの{南京事件」の項目のうち、参考文献に『小説』はあるが、ドキュメントやノンフィクションは一冊も載っていないのである。
 こうして目に見えないかたちで、私たちの目をそらせ、曇らせようとしている人たちが多くなっていることだ。