『ラストエンペラー』という映画が評判で、ジョン・ローンが弁髪を切る場面が印象的だった。
清朝最後の皇帝、第14代目宣統帝の話である。
本物の愛新覚羅溥儀(アイシンギョロ・プーイー)の写真、しかも石原莞爾撮影
まさに貴公子に雰囲気をとらえている。
西太后清朝が、惇親王の子の溥儀を清朝の皇帝に指名したが、清朝は崩壊。旅順にいた溥儀は関東軍の工作で、満洲国の皇帝となる。
話ははるか昔に飛んで、熱中して観ていたのが『皇后の記』中国大河ドラマ
中国東北地方(旧満州)の東、弁髪の女真族ヌルハチは13人で挙兵し、周辺を制圧「後金」を建てる。
その初代ヌルハチが死ぬところから始まり、跡継ぎに第8皇子のホンタイジがなる。
後金では、モンゴル族の女をめとり姻戚関係になることと、武力で力をつけていく。
二代目ホンタイジには、ホルチン族の皇后がいるが、その姪である美貌の娘も側室にする。
この姪と、跡目と目されていた第14皇子ドルゴンとのロマンスという設定である。
都は盛京(せいけい、旧奉天、現瀋陽)に置かれていた。
このヌルハチの墓が「東陵」であり、ホンタイジの墓が「北稜」である。現存しており、当ブログの「ふるさとの風①」に、写真も載せた。
ドラマの、背景の部屋の様子・衣装・化粧などは『宮廷の諍い女』(雍正帝時代)には、はるかに劣る。
ペラペラのサテンや、主人公ユアルが真っ白の顔に、つけまつ毛バサバサ。文武両道、草原で育った娘が、こんなに真っ白かと。いくらホルチン族とやらのお姫さまだとしても。
ともあれ、ストーリーは面白く、戦闘場面も痛快だった。
肉弾戦の時代であるから、青龍刀をぶん回し、あるのは大砲だけ。土煙り、血煙りのなかを飛翔し、空中で回転したり、まさかと思いながら手を叩きたくなる。
ホンタイジの時代は、四ペイレ(爵位)から八ペイレとしたり、ヌルハチ時代からの軍事制度「八旗制」も力を増していく。
モンゴル族を制覇するかたわら、明へも果敢に戦いを挑んでいく。
例えば、1640年、錦州と松山で起こした戦闘は2年にも及んだ。大砲の射程距離が清のほうが短くて届かない、なんていうのは、ノモンハンかと笑みつつ…
1644年4月、崩壊寸前だった明は、李自成の農民軍に滅ぼされ、明の皇帝は五台山で自害。明の滅亡となる。清と、もとは明の呉三桂の連合軍は、山海関で李自成の農民軍と決戦となり、大勝。
5月には、清朝は北京へ入り、9月には紫禁城に遷都する。
弁髪の満洲族にとっては、満蒙族こそが人であり、漢人は奴婢か殺すことと、ヌルハチは決めていた。しかし、ホンタイジは、学問のできる漢人や勇猛な将軍を取り立てる知恵者でもあった。
1649年?ホンタイジが死亡。ホンタイジの寵姫ユアルには、フリンという息子がいた。
フリンはまだ幼少であったが、第三代目の順治帝となる。ユアルは皇太后。満蒙の草原で戦い、明との闘いでも勇猛だった14皇子のドルゴンが摂政王となる。
フリンの成長につれ、ドルゴンとうまくいかなくなると、ユアルは長年の想い人ドルゴンを殺してしまう(ドラマでは)。1950年(順治7)12月、ドルゴン死す、39歳。
1661年、順治帝が23歳で天然痘か落馬により亡くなる。
ユアルこと布木布泰(フムブタイ)孝荘文皇后は、8歳の孫、玄燁(げんよう)を即位させる。第四代康熙帝とともに、大皇太后として君臨していく。
清朝の悪女としては、末期の西太合が有名であるが、三代の皇帝に君臨した、この孝荘文皇后も大したものである。
戦前、有名だった川島芳子(愛新覚羅けんし)は、この清朝の粛親王の第14皇女だったので、当時の日本人にちやほやされたのである。
溥儀は、終戦時日本に亡命するため、奉天の飛行場で待機していたところ、ソ連軍に見つかり拘束。
軍官学校の生徒隊長だった弟の溥傑は、日本の伯爵令嬢と浩と結婚していたが、終戦時にばらばらになる。のち、周恩来の計らいで再会、仲むつまじく暮らしたという。
終戦時、十大親王だったというので、愛新覚羅を名乗れる人は多く残っているはず。
上の写真は、長春のパーティで、愛新覚羅いくてつ(難漢字)ご夫妻と。
「溥傑の従弟です」と愛想よく写真に入ってくださった。
日本国内にも、愛新覚羅の名をもつ人が住んでいるという。
補足*体調がなかなか回復いたしません。ご愛読くださる皆さまに心から、御礼申し上げます。