日本には、昔、植民地があった。
台湾、朝鮮、満洲など。
私の年代では、あちら生れはごろごろいた。
「私、大連」「あ、ぼくも大連だ」
新京、平壌、張家口など、5人に1人くらいは突き当たった。
満洲奉天生れの私は、なぜそこで生まれたのか、調べ歩いた時期がある。
西田先生のこの研究会にも、2~3回お邪魔した。
研究会は学会となるくらいだから、かなり専門的だった。
年賀状を書いたり書かなかったり、していても、連絡は毎回くださる。
私は今も絶不調であり、行けないとなると、よけい顔を出したくなるが、情けない。
永年継続なさっている西田勝先生に敬服。
ツイートにも挙げたが、興味のある方はどうぞ。
日本の植民地で産まれたようですね
戦争はかなしい思い出を残していますね
若い頃は、私の世代以上の人はみんな知っていましたが、今は知る人も少なくなりました。
私ですら幼くて母や姉から聞いたぐらいで、調べなかったら、漠然と過ごしただけだったでしょう。
戦争は、恐ろしいことですね。
ポストコロニアル批評を通じて、いろいろ考えた時期がありましたが、日本の帝国主義をちゃんと見据えていなかったと、今、反省します。
考えるきっかけをありがとうございます。
多いですね~。
私が生まれたS.28位は、まだその影を引きずりつつ、アメリカ文化に一生懸命顔を向けていたのでしょうね。
その辺の所を、吾ら世代の社会科では、わざわざ?欠落させたような気がどうしてもしますね。
お父さま世代のご親戚などに、大陸帰り、南洋帰りの人がいらしたのでは。
ほんとに悲惨な目に遇った人は話せませんから。
在日朝鮮人や中国人の多くが、日本人に帰化していると思います。
功成り名遂げた人は、在日であったことを隠しませんが。
それもポストコロニアルになりますか。
引き上げてくる時に、赤ん坊のすき間が目についたようで、
「そこ、つめろ」と言われると、周りの方が「赤子が寝てるんじゃ」って守ってくれたそうです。
浅岡ルリ子や松島とも子は知っていましたが、山田洋次監督が育ちですが、最近知って驚きました。
社会科は、いつも最後まで行きつかないようですね。
中学の先生は、熱をこめて、日本はこれからは戦争しない国になったのだよと話してくれました。
修学旅行は箱根・東京でしたが、軍隊のパレードに出会い、あら、先生は日本には軍隊はない、とおっしゃったのに、と不思議に思った覚えが……。
シニアの人は、周りを見渡せば、結構いるんですよね。
まだ言えるだけいいほうかもしれない…話せないような思いをした人のほうが多いかもしれません。
当時、小学生4年生?頃の話、野球で言う「ホームラン」を蹴り出して翌日から長期療養。
ご近所であったこともあり、月一、もっと言うと月刊雑誌の発売日の翌日に訪問した。
目的は(!)
「タダで月刊雑誌を読めた!」
最初の一月は同級生と顔を合わせることが幾たびかあったのだが。そのうち面会者は私ひとりになってしまった。最初は同級生の話題だったが、本読みに徹してしまった。
でも、家族のとりわけお姉さんが恐縮するようにありがたかっていた。
昔の建築物ゆえ、手鏡で外の様子は見て取れない。
モノクロの黒澤監督作品(TVで観る)ベッドから手鏡で外の景色を眺める最後の光景は何という感性の持ち主なのだろうか!と。
ココまでお読み頂きありがとうございます。ご返事は無理なさぬ様に。
ただ、とにかく痛い!
引き揚げてきてから、雑誌や本はなかなか買ってもらえる余裕はありませんでした。
父の実家で法事でもあると、7人の従兄弟たちの本がいっぱいあり、子どもの私は手伝うこともなく、頭が痛くなるほど一日じゅう読みふけっていました「
「冒険王」とか男の子向けの漫画雑誌ばかり。